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瞬く間に今は過去になる。 毎週月曜 更新予定。

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残留孤児だった父と中国人の母 🇯🇵×🇨🇳のハーフ 3/23生まれ 牡羊座 O型  父53歳 母40歳の時に産まれた末娘。 親子ほど歳の離れた兄1人と姉2人。  波乱の中、揉まれ、擦れながら育つ。 父は癌で亡くなり、次女である姉は自死。 母は現在、中国在住。結婚を機に縁を切り、 長男、長女は生きているのかさえ、わからない。 現在専業主婦。 夫と2匹の猫との4人家族。 穏やかな日々を過ごしながら、ゆっくり妊活中。 あの時の記憶がもたらす感情とこびりついた癖。 今の私が形成

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      預かりものだ、と思った。 産院で母子同室になった日の夜だったと思う。初めて2人っきりになり、腕に抱いてミルクをあげている時、彼がお腹にいたのも、私が母親であることも事実だけれど、何一つ【私の】ではなく、預かった大切な命だ。そう思った。 誰から預かったのか、それを考えると今はまだ泣くことでしか意思表示出来ない彼自身からとも言えるし、彼の寿命やなんかを神様が決めているんだとしたら神様から、そんな具合に。 3328gのやけに顔の整った男の子。 1ヶ月半経った今は5kgを越え

      • 今思う分岐点

        中学3年生の私は、荒んだ心がわかりやすく表に出るようになっていた。 瞼に色を乗せ、目の縁は綺麗に囲ってはね上げ、丁寧にマスカラを塗った。 私は化粧をした自分の目が好きになった。 朝ご飯は食べなくなっていた。 朝6時に起きて制服のスカートを3回折り曲げ、化粧をした。髪を真っ直ぐに伸ばしたり、巻いたりすることが当たり前になった。その頃の私は【お姉系ギャル】だった。 下着のようなサテンのキャミソール、デニムのミニスカートやスキニーパンツ、先の尖った5cm〜10cmパンプス、ニ

        • 今、そういう気分

          「こんなにも幸せであろうと、こんなにも機嫌良くあろうと努力しているのに、なんでだよ」 そう叫んで頭を掻きむしって、腿を拳で何度も殴りたくなる時がある。決まってそれは、出来ていたことが自分の体調や心の状態によって出来ない状態が続いた時と、月のものが重なったタイミングで起こる。そして普段は愛しく思える夫の言動や行動が気に障る。 ひとしきり勢いのある怒りでぐちゃぐちゃになった後やってくるのが、自己嫌悪。 【消えてしまいたい】で埋め尽くされる。 何故、どうして、を自問して絡ま

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          大雨の日トンネルを越えて

          小学3年生の頃、同じクラスの友達と遊ぶ約束をした。学校から家までの道のりは小さな歩幅で40分〜50分はかかるところを、早歩きと時折走って30分。 ランドセルを置いて、自転車に乗る頃には大きな雨粒が強く降り出して顔が痛かったけれど、その子のお家で遊ぶのは初めてで、そんなことは気にならないくらいご機嫌だった。 通学路でもある長くも短くもないトンネルは、坂と坂の間にあった。蛍光灯は仄暗く、その周りを虫が飛び回っていた。コンクリートの壁は黒、赤、蛍光緑の落書きだらけで音が反響し、

          大雨の日トンネルを越えて

          食卓に住み着いていたもの

          家族と囲む食卓が私は大嫌いだった。 父と母、そして私の3人家族での食卓はお茶碗は人数分、おかずは一品で大皿に盛られ、たまに汁物がある。 私が小学3年生までは、月に何度かの週末に10人は囲めるであろう低くて重い木のテーブルの上にたくさんのおかずが並べられ、(決まってそこには水餃子と蒸した豚肉があった。)家族ぐるみの付き合いになっていた母の友人達との食事会があった。 いつからかそのテーブルはベランダに立て掛けられて放置されるようになり、最後に見たそのテーブルは汚く変色してい

          食卓に住み着いていたもの

          無色透明の赤子

          その場所自体には見覚えこそあるものの、どこだかわからない。駅や古いデパートなんかの女子トイレによく似ていて、個室トイレが並んだ一つに私は腰掛けていた。その場の全体を斜め上からの俯瞰で見ているような状態から、トイレに腰掛ける私へとゆっくりズームされる。 頬や首筋に髪がへばりつくほど汗をかいていて息は少し荒く、慈愛に満ち満ちた笑みを浮べる私らしき女が抱いていたのは、無色透明の赤子だった。 それは一般的な赤子の2回りくらい大きい。 素材はガラスのようで、型押しされたような目鼻口

          無色透明の赤子

          依存先にならなかった人

          中学2年の夏休みの間、私は長女の家にいた。 次女から買い与えてもらった携帯で友達との約束を作っては、放任主義な長女のお陰でほとんど毎日夜遊びをしていたように記憶している。 その人は、いつもその場にいた。 Bが付き合っていた1個上の先輩の友達。(仮にKとする)目付きが悪く痩せていて、陰湿そうな雰囲気と舌っ足らずな喋り方で、無表情と笑顔のギャップがある人だった。 中1、中2と続けて同じクラスで当時1番私の近くにいたBの初体験を聞いて、興味だけが日に日に増していった頃だった。

          依存先にならなかった人

          8月29日 晴天

          機械音に呼ばれて洗濯機の蓋を開けた。 タオル類、色気の欠けらも無い私の寝間着に下着、夫のワイシャツやスラックス、肌着に下着、靴下にハンカチ、捻れて絡み合っているものと、丁寧に畳んでネットに入れられたものを持ちあげて解いては、スーパーへ行く時にも使っている買い物カゴへと入れていく。 溜めてしまって少し重たい。 カゴを持って顔を上げると洗面台の鏡に映る私と目が合う。疲弊した目と顔。高い位置で前髪ごと適当に結ばれたお団子頭。顔周りのくせっ毛は父譲りでふわふわとうねっていて、落ち

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          2人の病の狭間

          中2の夏休みのほとんどを長女の家で過ごす中で、長女と次女は姉妹と思えないほど似ておらず、真逆な性格だということを感じた。 行きつけのブティックのような所へ連れて行き、着せ替え人形のように自分好みの服を当てては私に試着させた。毛皮のショートコート、ミニスカートやタイトなパンツ、柄のついたストッキング、ロングブーツという格好をさせて連れて歩くのが次女は好きだった。私が出先で褒められると、次女は満足そうな笑みを浮かべた。 私自身が好きな格好や、当時学校で流行っていた格好をすると

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          8月25日 雷雨

          食べきれない量の炒飯とウインナーを見つめながら、一口だけ飲むつもりだったお水を飲み干した。目の前の赤い炒飯と焦げたウインナーはついさっきの私が作ったものだ。 3人分はあろうお米をフライパンで炒めながら溶き卵を回し入れて、にんにくと豆板醤で味付けした。混ぜる度、あちこちに飛んで落ちていくお米やネギを見ながら静かに食欲がなくなっていく。 出来上がった赤い炒飯を大きなお皿に盛りながら、シンクに投げ捨てたい衝動を抑えた。この時点で食欲はもう無いのに、冷蔵庫からウインナーの袋に手を

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          手首につけた躊躇い傷

          中学2年生、梅雨入り前。 木々が生い茂り、小さな川が流れ、古くて小さな家屋が並ぶ村のような場所。お風呂は無く、石鹸類は持ち込み禁止。到着したら予め決めてあったグループで家屋に入り、掃き掃除と水拭き掃除を始める。食事も自分達で協力し合って作るというような、1泊の野外学習があった。 夕食の後にはキャンプファイヤー、その後に男女でペアになり森の中に入って肝試しをするという、チャラけた学年主任考案の自由参加イベントがあった。参加する男女は手を繋いで行くルールで、ペアが決まってない

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          3つの予告

          中学2年生になり、私の顔付きはどんどん醜く変わっていった。額や口周りのニキビ、つり上がった目、動かない表情と短くし始めたスカート。100円ショップで買ったアイラインで目を囲い、マスカラでより強くなれた。 先輩と目が合ったら挨拶をするという謎の暗黙ルールでよく呼び出されるようになり、その目付きが気に入らない、スカートの長さがどうのと言われ、見てもないのに見られたと勘違いして一々呼び出す先輩達は何をどうしたって気に入らないくせに、どうしたいんだろうと思っていた。 中学2年生の

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          「スズメちゃん」

          小学低学年の頃、下校途中の通学路でスズメが死んでいた。閉じた瞼は灰色だった。 その日は集団下校の日で、太陽に照らされたたくさんの黄色い帽子が揺れ動くのを向日葵みたいだなと思ってた。 死んだスズメを囲んで騒ぐ皆に混じってみたものの、誰ひとりそのスズメに触れようとはしなかった。私はスズメよりも皆の表情ばかり見ていたように記憶している。皆はどうしたいんだろう。何を思ってここにいるんだろう。 可哀想だと思うならあなたが持ってる、その可愛いハンカチで包んであげたらいいのに。気持ち

          「スズメちゃん」

          全ての言葉を飲み込んで

          次女の家から電車で地元の中学までは、乗り換えが1回。合計10駅もないくらいだった。 毎朝砂糖が入ったホットミルクと菓子パンを用意してくれる次女が母だったらと想像した。一緒にお風呂に入っては髪を洗ってもらったり、リクは可愛いから危ない目に合わないようにと兄に送り迎えをするように言う次女が頼もしく、尚更私はくすぐったくて幸せな気持ちでいた。基本的に料理や洗濯などの家事は、仕事をしていない兄がやっていた。 歪な家族ごっこは所詮ごっこでしかなく、続くわけもないのに私はこの頃、浮か

          全ての言葉を飲み込んで

          抜けた記憶、流されるまま

          学校から帰ると父だけがいた。 「もうお母さんもあいつも帰ってこないからな」と言われた私は、適当な返事をした。 自分の部屋に入り、携帯を開くと「お父さんにバレないように駅まで来て」 とメールが入っていた。 次女からだった。 わかったとだけ返して、今日から暫く帰って来れなくなるだろうことを予想した私は、制服のまま教科書の全てと着替えをリュックサックに詰め込んで、父がトイレに入った隙に家を飛び出した。最寄りのひとつ先の駅まで歩いて20分ほどの距離を、追いかけてくる父の姿を想像し

          抜けた記憶、流されるまま