手首につけた躊躇い傷

中学2年生、梅雨入り前。

木々が生い茂り、小さな川が流れ、古くて小さな家屋が並ぶ村のような場所。お風呂は無く、石鹸類は持ち込み禁止。到着したら予め決めてあったグループで家屋に入り、掃き掃除と水拭き掃除を始める。食事も自分達で協力し合って作るというような、1泊の野外学習があった。

夕食の後にはキャンプファイヤー、その後に男女でペアになり森の中に入って肝試しをするという、チャラけた学年主任考案の自由参加イベントがあった。参加する男女は手を繋いで行くルールで、ペアが決まってない人はくじ引きで(先生も入っている)必ず男女のペアにならなければいけない。

私は友達(仮にBとする)と男子の宿舎へ行って、クラスで隣の席だった男の子を呼び出し「付き合って」と言った。肝試しするのにいい相手が彼だった。真っ赤な顔と、無表情がちぐはぐで、とても可愛かった。
「いいよ」という返事の後、私は早口で肝試しの約束を押し付けて、その場を去った。


その2時間後には、やっぱりやめようと振られた。肝試しには行かず、ふて寝しながら(なんだよ…いいよって言ったじゃん…なんでだよ)と思いながら、汗をかいて痒くなってきた頭皮や、ベタベタする身体にイライラしていた。

翌日、帰りのバスの中で話しかけても彼は目を合わそうとせず、私自体を無視するようになった。

彼を筆頭に他のクラスの男子からもヒソヒソ陰口を言われるようになり、その陰口の内容は全て容姿に関するもので、毎日視線や言葉が痛かった。その頃くらいから手首に傷を作るようになった。死にたくはなかったけれど、消えたくはあった。

手首をリストバンドで隠し、傷付いていない顔をして人を視界に入れず、見ないようにしながら真っ直ぐ前を向いて歩くことを意識した。弱い自分を誰にも悟られたくなかったし、傷付いていると思われるのも悔しく恥ずかしい、忌々しいものをそっと手首にぶつけた。

他クラスにいる親友(仮にAとする)は躊躇い傷に気付くとボロボロ涙を流して私を叱った。

理由を知って激昂した彼女は、当時彼女に気があった先輩の元へ私を連れて行き「親友がこんな目にあったんだけど!探して!ボコボコにして!」と、ヒステリックに叫んだ。

最悪な事に彼は見つかった。ついていけない状況にどうすることも出来ず、私はその場から逃げることしか出来なかった。
本当に最悪だった。



翌日廊下で土下座する彼の表情は無だった。許しもしたし、心底申し訳ないと思った。
関係ない先輩達と、親友から受ける理不尽な怒りを向けられた彼の心情を想像するだけで居た堪れない。



それからしばらくしてBから言われたのは、私が告白をした後、Aが彼の元へ行き、別れろと迫った。私が振られたのは、その直後のことだった。肝試しは約束だからと彼はずっと待っていたようで、クジ引きで決まった喋ったこともない女子と手を繋ぐ羽目になり、約束を破った私が許せなかったらしい。

その話はあまりも現実味がなくて信じられず、全て過ぎた後に知ったそれを確かめることもなんだかおかしく思えて、ただ泣いて叱ってくれた親友Aとして、聞いた話を塗り潰した。

中学生活の短い3年間、家には自分よりも不幸であることの一切を許さない母がいて、学校では私が不幸であることを望む親友がいたということだ。

言葉で表しきれない気味の悪さがあった。

中学2年生の私は避けて逃げて目を瞑ることで得られる束の間の安寧と、強い自己嫌悪を知った。意地を張り続けることを憶えて別人格を作り、その顔を張りつけた。


蓋をして、依存先を探していた。

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