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【魔王と暗殺者】私と彼女の人生は儘ならない。【[It's not]World's end】

一章【呉 理嘉 -転生-】


【転生】1歳 二人の侍女と私と[1]


 ベビーベッドと呼ぶにはやや大きい、一畳ほどの柵付きの木製ベッド。
 清潔で見るからにふかふかした柔らかそうなマットが敷かれたベッドの上では、半透明の赤ん坊が仰向けでぷかぷかと宙を漂っている。
 当然、マットの意味は無い。
 マットの上、20センチくらいの高さで、見えない波に漂っているかのごとく上に下に、右に左に小さく揺れている。ぷかぷかと。
 私の妹である。
 オブと名付けられた、水の精霊種。
 上半身には白くシミひとつない小さなベビー服を着せられていて、一方で下半身はむき出しだ。
 と言ってもそれは何か虐待的なものを受けているのでない。
 妹の下半身はゲル状の崩れたゼリーのようになっていて、何かを身につけるには適していない形状だからこそあえてむき出しになっているのだった。
 ゼリー状の下腹部が、波に打ち付けられているようにぷるるんっと小刻みに収縮している。
 宙を不規則にさまよう妹は、時折ベッドの柵まで辿り着いてしまいと頭や下半身が柵にぶつかるりぽよんとはね返る。
 ぶつかった反動でゆっくりと反対側の柵に流れて行き、そちら側でもぽよんとはね返る。
 それを何度も繰り返していた。
 痛くはないのだろうか。
 ぐっすりと寝てはいるようだけれど。
 
「かわいー……」
 
 私は柵に張り付いて、ベッドの中をさまよい漂う妹を眺めている。
 時刻は午後。お昼寝時間前。
 授乳を終えて寝入った妹を、お昼寝前の私が観察しているという状況だ。
 ママの姿はない。
 私と妹がいるのはいくつか用意されている子供部屋の一つだ。主に寝る時に使う部屋。
 私と妹のベッドが用意されていて、床には柔らかいオオカミか何かの動物の毛で仕立てられた石灰色のラグが敷かれている。
 部屋の扉の脇に一人侍女が控えており、私達を微笑みながら見守っている。
 部屋の中ではもう一人の侍女が私のベッドを念入りに整えている。
 部屋に来た時には既に二つのベッドは整えられていたのだが、私がずっと妹を眺めているので手持ち無沙汰になった片方の侍女がベッドメイクを始めたのだ。
 仕事熱心だなぁ、なんて思いながら私のためにベッドを整えてくれる彼女を見て、ありがとうと声をかけた。
 彼女はにかっ笑うと、ありがとうございます! と元気に言ってベッドメイクを続けた。
 それからしばらく私は妹を眺めているのだった。
 
「ネイル様、まだお昼寝はなされませんか? 眠たくはございませんか?」
 
 控えていた侍女が私の元へとやって来て両膝をつく。
 背中に赤銅しゃくどう色の鱗翼と長い尻尾を生やした大柄な人型の魔属だ。
 身長は恐らく2メートル超え。
 顔にまで鱗があるので恐らく翼竜かそれに類する爬虫類系の魔属だろう。
 ギザギザの歯がかなり印象的。
 硬そうな鱗と凶暴そうな歯から受ける印象とは真逆に、柔和に微笑んでいる。
 
「もうちょっとオブ見てたいの」
「はい。かしこまりました。では、お側に控えておりますね」
 
 彼女はそう言ってまた扉脇へと戻った。

「ネイル様! もうお昼寝ですよ! じゃないと私、3回目のベッドの支度始めちゃいますよ!」
 
 大きな声でそう言ったのはベッドメイクを終えて近付いて来たもう一人の侍女。
 グレーの毛で全身を覆われた猫に似た頭と尻尾を持つ人型の魔属。
 メイド服を着ているものの、毛のせいでかなり着ぶくれている。
 メイド服のロングスカートが、内側の毛で押されられてしまって、パニエを着けたように傘型に膨らんでいた。
 胸やお腹の辺りもぱつんぱつんに膨らんでいて、今にも破裂しそうだ。
 襟元や袖などの肌が露出する部分からもグレーの毛がはみ出ていて、何というか、"もじゃもじゃ"というオノマトペが似合う外見だ。
 恐らく本物の猫のように実は痩身なのだろうけど、豊かな毛量のせいでかなり太っているように見える。
 前世でこんな感じの猫がいなかったか。確か……ラパーマ、だったかそんな名前の美猫が。
 
「パニャ、ネイル様に向かってその物言いはなんですか。そして声量を控えなさい。オブ様が起きてしまいます」
「は、はい! 申し訳ございませんファーラさん! お嬢様がた!」
「声が大きいと言っているでしょう」
「はいぃ」

 叱られた犬のようにしょぼんと猫頭の魔属パニャが項垂れる。
 翼竜メイドのファーラがやれやれと頭を小さく振った。
 二人は私とオブの侍女だ。
 パニャが私の。ファーラが妹の侍女だ。
 ファーラはパニャの先輩侍女で、オブが生まれる前は私の侍女だった。
 つまり、私達魔王の娘の側仕えとしてもファーラは先輩なのだ。
 パニャは快活で歯に衣着せぬ性格。良くも悪くも裏表がなく、良くも悪くも無遠慮だ。
 侍女としてはまだ新人にあたるらしくーーと言っても数年は働いているらしいがーー先輩であるファーラに頭が上がらない様子。
 ファーラは城勤めが長いようで、侍女の中でも古株らしい。
 ファーラがオブの侍女なのは、ファーラに任せておけば間違いは起きない、という信頼から来ているのだろう。
 お局様ポジションというやつだ。

「パニャはげんきね。ごめんなさい。もうすこしオブを見たら、おひるねするから」
「め、滅相もない! 私、夜の支度とかもしておくから! ね! ファーラさん!」
「……はい。ネイル様の良きように」
 
 パニャの言葉遣いが気になるのだろう、ファーラは少しの間パニャを見てから私に微笑む。
 パニャが蛇に睨まれた蛙のように萎縮してしまっている。こころなしか彼女の毛のボリュームが縮んだようにさえ見える。
 力関係は歴然だった。
 お局様と言うかパニャのお目付け役みたいだ。
 パニャの教育係という側面もあるのかもしれない。
 パニャは言葉遣いこそ褒められたものじゃないのかもしれないけど、侍女としての働きは完璧だ。
 私の身の回りのことは徹底して先回りするし、常に動き回っている。
 まあ、落ち着きが無いとも言えるけど。
 しかし一生懸命な姿とフランクな性格、さらには見た目の"モフモフ"も相まって、とても癒やされる。ゆるキャラのような癒やし要素が強い。
 ファーラに関してはもちろん仕事は完璧だし、物腰も柔らかく、落ち着きもある。
 本当に何から何まで任せられる存在であり、こんな人を私達の側にずっと置いていて問題ないのだろうかと逆の心配をしてしまう程だ。
 侍女長は別にいるし、侍女も大勢いるから、信頼できる少数精鋭を私達に当てているということなのだろうか。
 そう考えると確かに貴族とかの偉い人って、もっと大人数侍らせてるイメージがあるし、王女一人に侍女一人というのはかなり少ないのかもしれない。いやきっと少ない。分からないけど。
 困ったことがこれまで一度もなかったから、そんなこと考えなかったな。
 ファーラもパニャも、一人で完璧にこなしちゃうんだもん。
 大人数の侍女が役割分担して世話してくれなくても満足できてしまっている。
 こういうものだと認識してしまう。
 私も妹もほとんどぐずったりしないしね。
……ん? いや、だからなのか?
 魔属は前世の赤ん坊みたいに、手がかからない?
 だから世話をする人も少ないというのが普通の認識なのか?
 そうなのかも。
 ふと思い至った考えにしっくり来た。
 こういう所にも世界の違いや種族や文化の違いを感じる。
 面白いなぁ。真相は分からないけど。
 
「ふぇ……」
「あ、オブ起きた」
 
 つらつらと考えていると、パニャの声がうるさかったのか、オブが起きてしまった。
 パニャがしまったと言わんばかりに両手で口を押さえている。
 
「オブ様、起きてしまわれましたか?」
 
 近付いて来たファーラがオブのベッドを覗き込む。
 彼女の身長に対してベビーベッドは低すぎるのでかなりの前屈みだ。
 ファーラの顔の形はほとんど人間と差はないが、トカゲと人の中間のような骨格だし、顔まである鱗と凶暴そうなギザ歯の印象で、パッと見ドラゴンが赤ん坊を捕食しようとしているように見える。
 いや、ファーラは絶対にそんなことしないのだけど。
 
「ふにゃぁ」
 
 オブはやはり目が覚めてしまったみたい。
 赤ん坊らしくふにゃふにゃと泣き声ともつかない声で何か言っている。
 泣いてるワケではないみたいだ。
 
「すっかり起きてしまわれたようですね。しばらくしたら私とオブ様はお散歩に行こうかと思いますが、ネイル様はお昼寝前ですし、いかがなさいますか?」
「うーんと……」
 
 正直眠くはないのだけど、お昼寝は日課だし、身体が幼児なので突然眠気がさすことは間違いない。
 散歩に付いて行って突然寝落ちされても困るだろうな。
 
「わたしはここにいる」
「左様でございますか。かしこまりました。ではパニャ、ネイル様をお願いしますよ」
「はい! ファーラさん!」
「声が大きいと……ふぅ。お願いしますね」
「はいぃ」
 
 やれやれとまた頭を降るファーラと項垂れるパニャ。
 先輩後輩の侍女コンビは今日もご指導ご鞭撻に励んでいる。
 仕事熱心だなぁ。
 私は二人を見て笑った。


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