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自由までの30年間。

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2019年4月の記事一覧

36.最終回:美しく生きていく。

noteを書き始めたのは、本当にふとしたきっかけだった。

私は元々音楽活動をしていて、そのせいもあってか「世界観」というものを守ろうとする意志が強く、自分の生々しい生活や生き方については語るべきではないと思っていた。

だけど、本来の私はいつも生々しく、感情をむき出しにして傷つきながら進んでいた。

それを隠している私と、さらけ出す私。
どちらが魅力的なのか?自分にとっていいことなのか?
天秤に

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34.新しい世界への鍵:お菓子作りと文筆業

退職した会社の社長に「なぜお前は金にならないことばっかりやろうとするんだ」と言われても、私がやりたいことは変わらなかった。

お菓子を作ることと、文章を書くこと。

とにかくやってみなくては始まらない。退職金と失業保険が底をつくまでは挑戦してみるしかなかった。

お菓子作りに関しては、まずカールモールの営業していない昼間を利用することを思いついた。製造した菓子を販売するには、保健所の許可を取らなく

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33.私はどんな仕事がしたかったのか?③

自由になりたかった。
強い私で、かっこいい私でいたかった。

突き詰めて考えてみても、単純な答えしか浮かんでこない。

小さな頃に、真っ白なノートになんとなく「私を買って」と書いたことがある。

私を買って。

その言葉が、私の願望の全てではないかと思う。私のやることを、私の存在を、私の創り出すものを認めて欲しい。大勢の調和を重視する、聞き分けのいい大人になんかなりたくない。

ただ、「あなた」が

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32.私はどんな仕事がしたかったのか?②

最初にイベントや企画に対して感じていた「やりたい」をもっと突き詰めて考えていたらよかったな、と思う。
「イベントやりたい」ではなく、「どんなイベントがやりたいのか」「イベントを通して何を実現したいのか」ということまで考えることができていたら。

私は表面的な「イベントやりたい」に縛られすぎて、自分が何になりたいのか全くわからなくなってしまっていた。だからイベント業界にさえいれば自分の夢は叶っていて

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31.私はどんな仕事がしたかったのか?①

高校生の頃、イベンターとして企画運営をしたときは「自分の考えたことで人が集まるなんてすごい!」という感動でいっぱいだった。

それまでの人生で「勉強」「学校」という枠の中でしか評価されなかった自分が、一気にその枠から抜け出て認められた感じがしたからだ。

大学生の頃ライブハウスで働いたのは、もっとたくさんのイベントに関わりたいと思ったから。実際、たくさんのイベントを見て、その空間の一部になることが

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30. 私の居場所は、ライブハウス(再)

ここは新宿。
ここはライブハウス。

ライブをする。
音楽が流れる。
お酒を飲む。
適当なことを話す。
どうでもいいことで笑う。
真剣に語り合う。
音楽という得体のしれないものが、私たちをつなぐ。

お客さんは目の前にいる。
見える形でお金は動く。
単純明快なシステムで、組織のような階層もない。

大学生のときのアルバイト以来、7年ぶりに舞い戻ってきたライブハウスでの仕事は、私に再び自分の原風景

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29. マダムと私の事情。

カールモールにお菓子を置くようになってから、毎週のようにいくようになっていた。

退職が具体的に決まると、早速マダムと関根君に報告した。

そのころはまだ次に何をするか決めていなかったので、「しばらく働きたくない」「とりあえず休む」といったようなことを言っていた。

マダムと関根君は、何かピンときたことがあったようで、妙な笑顔を浮かべていた。

退職が近づいてきた頃、「マダムが妊娠しており、9月か

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28. 人は裏切るが、お菓子は裏切らない。

仕事が辛く、頭痛で夜も眠れなかったとき、私はよくお菓子を作った。

お菓子作りは子供のころから好きだった。最初は母が教えてくれたのだが、気づくと一人で勝手に作るようになっていた。
インドアな子供だったので、数少ない友達と遊ぶときもお菓子を作ることが多かった。

高校生くらいになると音楽にのめりこみ、そんなに作らなくなっていたのだが、大学生になって上京した最初の誕生日に母からボウルとハンドミキサーが

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27. 新宿カールモールへ導かれて。

会社を辞めてからの日々は、空っぽになるかと思いきや案外忙しかった。

その要因の大半は、新宿カールモールというライブバーである。

新宿カールモールは、新宿一丁目にある。1970年創業、つまり来年には50周年を迎える老舗だ。
創業者は80歳になる小倉さんというマスター。現在はマダムと呼ばれる女性が経営を引き継いでいる。

私をカールモールに連れてきたのは、現在もカールモールで働く関根くん。金魚とい

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26. 同期からの餞は、エシレバターと「辞められていいね」

退職の日がやってきた。9月のシルバーウィークに入る直前が最終出社だった。

連休前のものすごく忙しいときに最終出社になったため、最後の日の送別会も皆さん仕事を抜け出して出席してくれて、また仕事に戻るような感じだった。

個別で送別会をやってくれた方もいた。その中で印象的だったのは、同期の送別会だ。

私たちの入社時の同期は7人いた。
一年に一人ずつくらい辞めていき、4年目に差し掛かる頃には残り4人

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25.社長、悲しいこと言わないで。

退職日がはっきり決まったのは夏に差し掛かる頃だったと思う。

9月末に最終出社、有休消化があって11月に退職。

はっきりと退職日が見えてきて、やっと少しだけ頭痛が治まった。

最後の1ヶ月を切るまで、私は直属の上司以外とはほとんど退職について話していなかった。社内の誰かに相談するという選択肢を一度も持たなかったのだ。度々お昼を一緒に食べに行っていた先輩にさえ、全てが決まってから上司経由で伝わった

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