25.社長、悲しいこと言わないで。

退職日がはっきり決まったのは夏に差し掛かる頃だったと思う。

9月末に最終出社、有休消化があって11月に退職。

はっきりと退職日が見えてきて、やっと少しだけ頭痛が治まった。

最後の1ヶ月を切るまで、私は直属の上司以外とはほとんど退職について話していなかった。社内の誰かに相談するという選択肢を一度も持たなかったのだ。度々お昼を一緒に食べに行っていた先輩にさえ、全てが決まってから上司経由で伝わった。
相談したからといって何かが変わったとも思えないが、私は本当に社内の人間が怖くなっていたのだと思う。

だから社長に話しに行ったのも、全部決まってからだった。

社長の存在は、私にとってとても大きいものだった。
この会社に入るのは、最終面接で社長と話したことが決め手になった。
私とその同期は、創業以来初めて採用した新入社員だったので、社長はとても目をかけてくれて大切に育ててくれた。
配属先で仕事の指示がなく、ぽつんと一人でいるところを見つけて研修を受けさせてくれたのも社長だった。
数え切れないくらい飲みに連れて行ってもらった。
こんなに社長と距離が近い会社であることは、大学時代の友人には驚かれたし羨ましがられた。

上司を通じて、すでに退職のことは知っているだろう。だけど、社長室に行くのはとても緊張した。

最初の新規事業開発の部署は社長の直轄だったので、社長室で話をすることも多くて慣れていたはずだった。しかし異動になり、さらに私が塞ぎこむようになってからは随分距離が離れてしまっていた。

何から切り出したらいいかも分からなかったけれど、できる限り笑顔を作って「これまでお世話になりました、退職します」と伝えた。
社長は社長でうまく言葉が見つからないという感じで、気まずい空気が流れた。なんとなく、あまり機嫌は良くないような気がした。報告がこんなに遅くなったから、無理もないと思った。

これから何をするんだ、と聞かれて、私は「お菓子を作ることと、文章を書くことをやってみたい」と伝えた。イベントは好きなので、いつかイベント業界に戻ってくることもあるかも知れません、というのも伝えた。まだ何も決まっていない私の、どうにか人生を立て直そうとしている私の、素直な気持ちだった。

社長は「なんでそんなに金にならないことばっかりするんだ」と言った。
そのあとはずっと、
「新しくライブハウスやイベントをやる予定もあるんだ」
など、これから自分がやりたいことをひたすら語っていた。

ここからはぼんやりした記憶しかない。社長は温かい人だと思っていた。私の惨状を分かってくれていると勝手に思い込んでいた。だけど違った。
真っ暗な闇の中で私がやっと見つけた、次の道への足がかりは完全に否定されてしまった。そんな痛みがやんわりと胸を刺して、何も考えられなくなった。

社長がこれからやりたいということに「いいですね」「それやってみたい」と相槌を打たないように、必死で気をつけた。やっぱりここは怖い。取り込まれてはならない。とにかく私はここから逃げるんだ、新しい道を探すんだ。

私にもっと余裕があって、自分の今後についてちゃんと整理できていて、自信を持って話ができれば、あんな惨めなやり取りはなかったのかな、と思う。被害妄想も入っているだろう。今なら笑って話せることだし、社長にお世話になったという気持ちは強く残っている。

だけどあのとき強く傷ついたことは、今も時々思い出す。
その度に、「お金にならないから辞める理由はない」「お金にならないかどうか分からないじゃないか」と一人自分を奮い立たせる。
お金に関しては全く成功していないし、会社にいたときの稼ぎには到底及ばないから、今のところ社長の言ったことは正しかったことになる。
でもいつか超えたい。私が私のできることをして、いつか結果を出せたら、あのときの私の決断は正しかったと伝えられるようになったら、社長に話したいと思う。そのときは心からお世話になりました、これだけ成長しました、強くなりました、とあのとき言えなかったことを全部笑顔で伝えたい。

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