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星野廉
2023年11月13日 08:35
【※この記事には川端康成作『雪国』の結末についての記述があります。いわゆるネタバレになりますので、ご注意ください。】縮む時間の流れる文章 川端康成作『雪国』の終章の前半である、縮(ちぢみ)について書かれた部分には――「縮」だから「縮む」というわけではありませんが――縮む時間が流れています。 この小説では、縮織は縮(ちぢみ)と書かれていますが、縮は産物であり製品です。 たとえば、ある
2024年2月12日 09:22
今回は「「写る・映る」ではなく「移る」・その1」の続編です。 まず、この記事で対象としている、『名人』の段落を引用します。 前回に引きつづき、上の段落から少しずつ引用しながら話を進めていきます。 *開かれた表記としての「ひらがな」・「生きて眠るかのようにうつってもいる。しかし、そういう意味ではなく、これを死顔の写真として見ても、生でも死でもないものがここにある感じだ。」「生き
2024年2月11日 07:49
川端康成の文章には、どきりとすることを淡々と書いている箇所が多々あります。 私は読んだ作品の内容を要約するのが苦手なので、内容に興味のある方は、以下の資料をご覧ください。丸投げをお許し願います。 *「うつっている」 パソコンをつかって書きうつした(キーボードのキーを叩いて入力した)文章をさらに、一文ずつ、ここにうつしかえて、私の言葉を重ねていこうと思います。 *・「し
2024年1月14日 09:38
『雪国』の終章では二つの時間が流れています。「縮む時間」と「のびる時間」です。「縮む時間」については「伸び縮みする小説」と「織物のような文章」で詳しく書きましたので、今回は「のびる時間」に的を絞って書いてみます。 ここからはネタバレになりますので、ご注意ください。 *「のびる時間」というのは、火事になった繭倉の二階から葉子が落下する瞬間が、くり返し描かれるという意味です。
2024年1月8日 09:03
今回は『雪国』冒頭の汽車の場面で、葉子が島村から一方的にその姿を見られ、さらには声を聞かれる部分を見てみます。 結論から言いますと、映っている現実(うつつ)は美しいということです。現実そのものではなく、映っている現実だからこそ、美しいのです。エスカレート これまでの回をお読みになっていない方のために、この連載でおこなっている見立ての図式を紹介いたします。・『雪国』(1948年・完結