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さらば青春~亡き恩師へ~

――「未来」という街角には、私はもういない。だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。


人生は物語。
どうも横山黎です。

作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。

今回は「さらば青春―亡き恩師へ―」というテーマで話していこうと思います。



📚亡き恩師へ

昨日、お世話になった鹿目先生のお通夜に行ってきました。高校時代から僕のことを陰に日向に支えてくれた恩師との最後の時間でした。

鹿目先生と関わるようになったのは、高校1年生のとき。当時僕は文芸部に所属していたんですが、その年から部員全員でビブリオバトルに挑戦することになりました。

ビブリオバトルとは、自分のお気に入りの本を5分間で紹介する書評合戦のこと。発表者の紹介を聴いていちばん読みたいと思った本に、リスナーは1票を入れます。最も多くの票を集めた本がチャンプ本になるというわけです。

まずは校内選考という形で部員や図書委員、有志の生徒を集めて、ビブリオバトルを開催しました。そこから5人を選抜し、公式戦に挑むという流れで進んでいきました。

本に関する活動ということもあり、よく図書室のなかにあるグループ学習室を利用していたんですが、ビブリオバトルの校内選考を含め、僕たちの活動に関わってくれたのが、鹿目先生でした。

鹿目先生は学校の先生ではありません。担任を持っているわけでも、授業を担当しているわけでもありません。高校を後援する理事会の会員でして、学校のサポートをしていたんです。そして、鹿目先生はよく図書室にいらしていまして、それもあって、僕たちの活動に関心を持ってくれたというわけです。

高校1年のときに、初めてビブリオバトルの公式戦に参加したわけですが、僕はそのとき1回戦で敗退するという残念な結果でした。それを受け、後日、鹿目先生がアドバイスしてくれたことにはっとしたことを、今でも覚えています。

「ビブリオバトルは選書で8割決まるんですよね」

もちろん発表の仕方や原稿の構成など、いくつか要素はあるんですが、どの本を紹介するかがかなり重要だったのです。あらすじや特徴を紹介するだけで、リスナーの心をぐっと掴める本を選んだ方が勝ちやすい。それを知った僕は、翌年、選書から力を入れてリベンジをすることにしました。

高校2年のビブリオバトルに挑む際、相棒にしたのは氏田雄介さんの『54字の物語』でした。収録されている作品のすべてが54字で書かれているという1冊。そんなに短い物語が成立するのか、気になってしまいますよね。

「この本なら、勝てる」

そんな自信を握りしめて挑んだ東京都大会、結果は優勝。1回戦、2回戦、決勝と勝ち上がり、200人の頂点に輝いたのです。全国大会では1回戦敗退という結果で終わってしまったけれど、あのときは嬉しかったな。河合塾や読売新聞から取材を受けたり、高校の校舎に横断幕が垂れ下がったり、僕の渾名が「ビブリオ」になったり。

あのとき世界を変えたのは僕の力だけど、変えるきっかけをつくってくれたのは紛れもなく鹿目先生でした。鹿目先生の提言でした。

高校3年生のとき、僕が大学受験に失敗した際に慰めの言葉をかけてくれましたし、卒業式の日も、ありがたい言葉を贈ってくれました。鹿目先生は司馬遼太郎が好きなんですが、卒業祝いに『二十一世紀に生きる君たちへ』のサイン本をいただきました。司馬遼太郎が「一篇の小説を書くよりも苦労した」と話す随筆で、小学校の教科書にも掲載されています。僕も小学背時代に読んだことがありました。

また、鹿目先生は僕の母校の高校に赴任する前は学校の教師として勤めてきたんですが、そのときのエピソードを物語ってくれました。どんな経験も今の自分につながっている。そんなことを説いてくれました。


📚再会と告白

受験に失敗したとはいえ、後期に出願していた茨城大学に合格したので、僕は晴れて大学生になりました。当時はコロナ禍のせいで羽を伸ばすことができず、およそ2年間、ぐっと堪える時間が続きました。

自分で本を出版したり、またビブリオバトルで全国大会に出場したり、高校時代の頃のように分かりやすく結果を出すことができた大学3年生のとき、僕は鹿目先生と再会しました。大学生活のこと、本やビブリオバトルのことを物語るためです。

時を超えてもなお、僕のことを覚えてくれていて、応援してくれていて、昔と変わらず言葉や物語をくれる存在に、僕はずっと憧れていたし、尊敬の念を抱いていました。

久しぶりに再会したその日、偶然にも理事会の方ともつながることができて、人の縁がまた広がったことを覚えています。その縁から、僕は翌年、去年の10月のことですが、理事会の懇親会参加のお誘いを受けたんです。母校の高校の卒業生たちが一堂に会し、会食をするという内容でした。せっかくの機会ですから、お伺いすることにしたんですが、その懇親会でのことです。僕は後ろから頭を殴られたような衝撃を受けました。

懇親会には鹿目先生も参加されていて、約1年ぶりに再会を果たすことができたんですが、その際に突然告白されたんです。

「9月に膵臓癌と診断されて、余命3ヶ月らしいんです」

本当に突然のことで実感が湧かなかったんですが、とにかく開いた口がふさがりませんでした。最後に約束を交わして、その場は終わりました。

「よかったら今度、うちに遊びにきてください」


📚Good Luck

当時僕は自信3度目となるビブリオバトルの全国大会に出場するため、いろいろ作戦を練っていた頃で、鹿目先生にもアドバイスをもらいにいくつもりでした。その目的を果たすためにも、僕はその翌月、鹿目先生のご自宅にお伺いしたんです。

そこでは出前を取ってもらってかつ丼をご馳走してもらったり、ビブリオバトルについて語り合ったりしました。全国大会で勝つために相棒に選んだ本は『Good Luck』という1冊でした。幸運を掴み取る方法を教えてくれる、僕のとっておきの1冊です。発表を聞いてもらって、鹿目先生も好く評価してもらったので、自信の足しにもなりました。

リビングには壁一面に本棚が設えてあって、隙間もなく本がびっしり並んでいました。もともと社会科の教師だったこともあり、歴史や政治に関する本が多かった印象です。「何冊か興味ある本を持っていきなさい」と言ってくださったので、お言葉に甘えて、本棚をじっくり眺めていったものです。

そのさなか、1冊の本の背表紙に目が留まりました。

『Good Luck』

鹿目先生の本棚のなかに、『Good Luck』があったのです。訊けば、鹿目先生自身、この本にまつわる思い出のエピソードを持っていました。

高校の教師をしていたときに、素行の悪い教え子がいて、高校卒業が危ういほど学校にも来ていなかったそうなんです。多くの先生たちがあきらめかけていたとき、鹿目先生だけはどうにかしたいと考えていて、あるとき1冊の本を贈ったそうなんです。それが、『Good Luck』でした。その教え子の胸にすごく響いたらしく、その甲斐もあって、無事に卒業できたんです。そんな彼は会社勤めをして立派に働いていると、鹿目先生は後から聞いたそうです。

『Good Luck』には人の心を動かし、人生を変える力がある。鹿目先生の教え子もそうだし、僕自身もそうだった。だからこそ、大学4年の、最後のビブリオバトルの挑戦の、全国大会という最後の舞台で紹介する、最後の1冊に、『Good Luck』がふさわしいと思ったんです。

「この本で、優勝してきます」

僕はそんな約束をして、鹿目先生のご自宅を後にしました。後日、僕はこのときのことをnoteの記事に書きました。「余命3ヶ月の恩師にビブリオバトル優勝を届けたい」という題で、当時の思いをそのまま綴りました。



僕のビブリオバトル、最後の挑戦は準決勝敗退、またしても優勝を飾ることはできませんでした。鹿目先生との約束を果たすことができなかったんです。惜敗の報告をしなければいけないことを、僕は大いに悔やみました。

その後ろめたさ、あるいは距離や時間のせいにして、その後、鹿目先生に会いにいくことができずにいました。行こう行こうと思っていたのに、自分のイベントやら卒業前のバタバタやらで後回しにしてしまっていました。本来後回しにするべきではないのにも関わらず。

そんな日々を繰り返していた矢先、つい先週のことですが、鹿目先生の訃報が届きました。ショートメッセージに、鹿目先生の娘さんから送られてきたんです。


📚恩師と最後のお別れを

先に紹介した『二十一世紀に生きる君たちへ』のなかに、こんな一節があります。

――「未来」という街角には、私はもういない。だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。

司馬遼太郎『二十一世紀に生きる君たちへ』

鹿目先生と会える時間には限りがありました。話せる時間も、一緒にご飯を食べる時間も、本を紹介し合う時間も、限りがありました。これまでのひとつひとつの「今」のなかにつくれた時間でした。

もう街角に来てしまった今、鹿目先生はいません。どれだけ会いたいと願っても、会えません。のろまな僕だから会いにいくのが遅れてしまったけれど、一方通行のお別れしかできないけれど、ずっと後回しにしていた「会いにいく」をさらに後回しにするわけにはいきません。僕は今も水戸が拠点だし、ご自宅が千葉県ということもあってふらっと簡単には行けない場所ですが、急遽、仕事の休みをいただいて、最後のお別れをしにいくことにしました。

そして迎えた昨日、鹿目先生のお通夜に参加してきました。受付で芳名帳と香典を渡し、会場へ入ります。18:00頃にお坊さんが入室し、読経が始まりました。続いて焼香が始まり、親族をはじめ、参列した人たちが別れを忍びました。

読経が終わると、音楽と共にフォトムービーが流れました。音楽は、鹿目先生の思い出の1曲である小椋佳の「さらば青春」。生演奏された旋律に、瞼が震えました。その後、喪主からの挨拶がありました。鹿目先生の奥さんの涙ながら語られる言葉に愛情と時間の重みを感じられ、気が付けば僕も涙を流していました。

通夜振る舞いの席では、鹿目先生の予備校が一緒だった旧友のお話を聴くことができました。また、僕自身、授業を受けたことがある母校の漢文の先生にお会いしました。驚いたのが、僕が鹿目先生のご自宅にお邪魔した時のnoteの記事を読んだらしいんです。もしかしたら、鹿目先生が学校で広めてくれていたのかもしれません。

帰り際には在学していた当時の校長先生にもお会いすることができました。僕のことを、ビブリオバトルで全国大会に出場した生徒として認知してくれていました。ビブリオバトルの東京都大会で優勝したからこそ覚えてくれていたし、それは鹿目先生のアドバイスから生まれた成果でした。

今の僕のなかには、確かに鹿目先生が生きている。

そんなことを思いました。僕が忘れなければ、鹿目先生はずっと生きています。だから、僕はずっと覚えておきます。そのためにこの記事を書いたし、これからも作品をつくっていきます。

これが、僕のお別れの挨拶です。鹿目先生、ご冥福をお祈りいたします。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

20240424 横山黎




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