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「存在」という言葉に助けられた「焦り」

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


本日は、某アニメの映画が、ノーカットで地上波初登場の日ですので、今からは、完全にそちらに張り付きます。

映画館にも行けない日が続いていたので、こうした形でも映画に触れることができるのは、とてもありがたいです。


どうも私は、自分が「スキ」と思うものを、人に話すことに、まだ恐怖を感じている部分があります。

自分の「スキ」を表明して前進されている仲間をみると、格好いいなぁと思うと同時に、とても焦ってしまうのです。



💦

焦っても、何の解決にもならないことは、頭では理解できているはずなのです。

失敗して分かることや、前進することもあるので、失敗することと、もう少し軽く考えても良いと思うのです。


私は、「失敗すること」に、すごく恐怖を感じています。

今まで「失敗したら、誰からも相手にされなくなる・失望される」という状態を何度も経験しているため、とても強力なブレーキがかかっているのだと思います。

相手にされなかったり、失望されたりするのは、冷静に考えると「相手が思うように、私が動かなかっただけ」なので、相手に今後関わってもらえなかったり、失望されるのも、”勝手に相手の都合で”そう行動されていると、理解できます。


ですが、気持ちの面では、癒えていない部分が、たくさん出てきました。

特に、自分自身と逃げないで、真正面から向き合うとなると、自分が情けなく感じるのか、弱すぎる自分に腹が立つのか、「悔しさ」や「怒り」から涙が出てくるのです。

そしてその感情が暴走する時もあります。

今はほぼありませんが、以前はその感情にまかせて、自傷行為をしながら

「もっと頑張れよ、この○×△▢※@☆◆〒&!!」

と叫んでいました。

ちなみ記号で伏せてある部分は、ここを読んでくださっている方には、あまりお聞かせしたくない「自己罵倒放送禁止用語」みたいなものです。

たかが単語でも、されど単語です。


今現在の気持ちを、記事にできる機会をいただけることはありがたいことで、「書くこと」によって、焦る気持ちに寄り添えることが出来ています。

こんな拙い記事でも、毎日ご覧くださっている方には、本当に感謝してもしきれません。

焦っているからか「私はちゃんと、みなさんの”何か”になれているのだろうか?」と、役に立てる自分、頼りになる自分を探してしまうことがあります。


一方で、「存在」という視点から、私を見ていてくださる方もいて、「存在」という言葉に救われ、何らかの方向へ導かれている気もします。

「そんな都合のいいことない」と思わずに、言葉で表現するのは難しいですが、”何か”を強く感じるので、そちらの方面から自分の「焦り」に、アプローチしてみていいのかなと感じました。


「存在」。

私の中の何かが、強く反応する言葉。

「もっと私を、深く視て欲しい」と、内なる私から言われているのかもしれません。


少し、まとまりのない思考をつらつらと書いてしまいました。

焦るのに、存在をみてくれるだけで癒される、勇気付けられる…この気持ちはなんでしょうか?



💦

トップ画像は Ryoko Yunoki様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからのスキに、今日も穏やかに過ごせます。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、よい夜をお過ごしください。



クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。