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過ぎ去りし年の伝言
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
とうとう12月31日。
あと数時間で、物理的には、2021年とは一生お別れです。
あと数時間で、2022年です。
もう未来を行っている人、現在を踏みしめている人、過去の何かしらを整理するため時間軸的に戻っている人、様々かと思います。
おそらく、今日この場所・この時間に来てくださったのも、何かの縁でしょう。
明日も当たり前に会えるなんて確信は、ありませんから。
🌠
今日を当たり前に過ごすキミへ。
キミは今日も、おそらく普通に過ごすだろう。
なんの心配もなく、どんな楽しいことも嫌なことも抱えて、今日を歩き去って行く。
今日の忘れモノは、もうないかな?
本当に?
どうしてそんなに慌て始めるのかな?
いくらでも時間はあったじゃない。
そこに時間を使わないと決めたのはあなたであって、相手ではない。
あなたがそうしたことで望まない結果を得たとしても、それはあなたが決めたことに対する反応。
それをどう受け取り、また、何を受け取るのかは、あなた自身にかかってる。
今のうちに時間を注げるものはあるかもしれないけれど、今日注いだところでもう遅いものはどうするの?
もう遅いものをそのまま持って置く?
それとも、置いていく?
人によっては「ものごとに遅いものなんてない!」という人もいるだろう。
じゃあ、今日も会えた人とのふれあいが、今の瞬間で最期になるとしたら?
ずっと胸に抱いているその人への「感謝」が「尊敬」が「愛」が、もう次の瞬間には未来永劫伝わらないとわかった時、キミは今、目の前の人に対して、どのように時間を使う?
最期ってわかったところで、キミの時間の使い方は、キミが決めてキミの身体が動くしかない。
誰もその使い方を、示しをしてくれなければ、導きもしてはくれないよ。
さぁどうする?
キミの時間も、体力も無限にあるわけではない。
そんな有限なもののなかで、何に時間を注ぎ、感謝を伝えて、つながりを育てて、信じて、生きていく?
当たり前って何?普通って何?
今会える人が、どうして当たり前に、普通にいるなんて確信がある?
人がそれぞれに違う人生を送るように、時間も人それぞれに進み方が違う。
自分と相手の時間が合うことがなければ、その相手とふれあえること、そもそも出逢うこともないかもしれない。
自分と違う誰かと、時間が合うこと自体が、そもそもありえない。
ありえないからこそ、あることがどんなに貴重で愛しいか、私たちは自分たちが思っているよりも意識していない。
きっと「当たり前」「普通」って思っているから。
さぁ、もう本当に終わりが近付いてきた。
時間は待ってはくれないよ。
あと数時間、キミは何に、誰に、時間をかける?
ことばをつむぐ?
自分自身を注ぐ?
当たり前に過ごすキミへ。
キミは今日を、どう歩み去る?
🌠
本年もお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
さまざまな出逢いと別れを経験して、また一段どこかへ向かって進められました。
あなたの一歩も、私の一歩も、尊いものです。
それで別れることも、さらに深まることも、同じように素敵なことです。
あなたと私が逢うことなければできなかったことです。
それを体感させてくれた、全てのクリエイター様、物事、出来事に、心からの感謝を申し上げます。
ご縁がありましたら、来年もお逢いできますことを楽しみにしております。
どうぞ、よい年をお迎えくださいませ。
それでは、今日はここまでです。
みなさん、またね!!
クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。