DJ プラパンチャ

すでに水没したジルニトラは水没しない。まだ水没していないジルニトラも水没しない。すでに…

DJ プラパンチャ

すでに水没したジルニトラは水没しない。まだ水没していないジルニトラも水没しない。すでに水没したジルニトラとまだ水没していないジルニトラを離れて、現に水没しつつあるジルニトラは水没しない。

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  • 「即」という名のアポリア

    私の「推し」の坊主であるナーガールジュナが残した思想をめぐる諸問題について、素人なりに記しています(書きかけ)。

記事一覧

環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その4

1890年代のダルマパーラ 大菩提会の設立  前回に引き続き、アナガーリカ・ダルマパーラという人物について見ていきたいと思います。1891年1月に、ダルマパーラはイン…

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環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その3

「合理的」で、「初期仏教」に忠実な上座部仏教? 前回に引き続き、「“ほんとうの”仏教」という観念に含まれている問題点について見ていきたいと思います。巷で時折見…

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環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その2

仏教は「こころの科学」? 前回に続いて、今回扱ってみたいのは「仏教はこころの科学である」という仏教観です。  仏教はこころの科学である――これは現代の日本で時…

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環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その1

はじめに  さて、前回の最後に私はこう申し上げました。  そういうわけで、己の仏教観をどのように訂正したのかを、へっぽこ勉強を続けつつ書きためておったのですが、…

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「即」という名のアポリア 第31回

第30回はこちら 番外編その3はこちら  さて、いわゆる「初期仏教」から話を始めて、アビダルマとか空の思想とか如来蔵思想とか唯識思想とか密教など、いろんな仏教思想を…

「即」という名のアポリア 番外編 その3

番外編その2はこちら 『カーラチャクラ・タントラ』――インド密教の集大成 前回は、人間の死のプロセスを假想的にシミュレートする父タントラ系の「空」と、性快感を極…

「即」という名のアポリア 番外編 その2

番外編その1はこちら 本題に入る前に 前回に引き続き、今回は後期密教の曼荼羅や瞑想法について見ていきたいと思います。ただ、今回述べる内容は、後期密教以前の仏教に…

「即」という名のアポリア 番外編 その1

前回の記事はこちら 後期密教――性と死という難問  前回で中期密教はひとまず終わりましたので、今回から数回は「番外編」ということにして、後期密教の世界をほんの少…

「即」という名のアポリア 第30回

第29回はこちら 『大日経』三句の法門――究極の目的は「向下」だという思想  今回は、中期密教経典の『大日経』や『金剛頂経』の世界をもう少しのぞいてみたいと思いま…

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「即」という名のアポリア 第29回

第28回はこちら イントロ 前回でインド中期大乗の話は一区切りがついたので、今回は後期大乗の時代の仏教をのぞいてみたいと思います。この時代に大きな勢力になったのが…

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「即」という名のアポリア 第28回

第27回はこちら イントロダクション さて、今回は唯識思想を使ってみたいと思います。唯識思想は、前回扱った如来蔵思想と同じく、インド中期大乗の時代に発展しました。…

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「即」という名のアポリア 第27回

第26回はこちら イントロダクション さて、今回はインド中期大乗に少しわけいっていきたいと思います。中期大乗では、如来蔵思想や唯識思想と呼ばれる新たな仏教思想が発…

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「即」という名のアポリア 第26回

 第25回はこちら はじめに さて、前回の投稿から約1年が経過しております。第21回でも似たようなことを申し上げておりますから、「まるで成長していない」というほかあ…

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「即」という名のアポリア 第25回

前回はこちら  前回で『荘子』内篇についてはひと通り記したので、今回は外篇と雑篇の内容を扱ってみたいと思います。外篇・雑篇は逍遥遊篇や斉物論篇よりも成立が新しい…

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「即」という名のアポリア 第24回

前回はこちら  今回から『荘子』の内容に分け入っていきたいと思います。以前も申し上げたように、『荘子』は一人の人間の手で書かれた書物ではありません。多くの人々の…

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「即」という名のアポリア 第23回

前回はこちら  今回はいったん道家思想を離れて、陰陽説の世界に少しだけ「寄り道」をしてみようと思います。というのは、この陰陽説というのは、中華世界の人々の思考や…

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環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その4

環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その4



1890年代のダルマパーラ

大菩提会の設立

 前回に引き続き、アナガーリカ・ダルマパーラという人物について見ていきたいと思います。1891年1月に、ダルマパーラはインドのブッダガヤ―(釈迦が35歳のときに「覚り」をひらいたとされる場所です)を訪れました。しかし、当時のブッダガヤーは、シヴァ派のヒンドゥー教徒によって管理されていました。

 以前も触れたように、13世紀のはじめにイスラム勢力

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環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その3

環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その3



「合理的」で、「初期仏教」に忠実な上座部仏教? 前回に引き続き、「“ほんとうの”仏教」という観念に含まれている問題点について見ていきたいと思います。巷で時折見かける仏教観に、次のようなものがあります。

〇釈迦が説いた元々の教えは、「非合理的」な呪術や儀礼などを説かない「合理的」で「論理的」で「科学的」なものだった。宗教というよりも生き方の哲学だった。“ほんとうの”仏教は宗教ではなく哲学である

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環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その2

環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その2



仏教は「こころの科学」? 前回に続いて、今回扱ってみたいのは「仏教はこころの科学である」という仏教観です。

 仏教はこころの科学である――これは現代の日本で時々見られるフレーズです(ここで言う「こころ」とか「科学」といったことばが、一体何を意味しているかは必ずしも明らかではないのですが)。このフレーズが何を意味しているのかはともかく、およそ「宗教」と呼ばれる文化現象のなかで、仏教ほど人間の心

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環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その1

はじめに
 さて、前回の最後に私はこう申し上げました。

 そういうわけで、己の仏教観をどのように訂正したのかを、へっぽこ勉強を続けつつ書きためておったのですが、書き進めるうちに、話が当初の想定どおりに進まなくなっていきました。

 というのも、私は当初は、自分の仏教観の修正は部分的なものにとどまるだろうと浅はかにも思っていたのですが、勉強を続けるうちに、自分の仏教観を根本から修正しなければならな

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「即」という名のアポリア 第31回

第30回はこちら
番外編その3はこちら

 さて、いわゆる「初期仏教」から話を始めて、アビダルマとか空の思想とか如来蔵思想とか唯識思想とか密教など、いろんな仏教思想を見てきましたが、一応これでインド仏教の最後の時代まで辿り着いたことになります。もちろん今まで述べてきたことは、インド仏教思想史のほんのごく一部でしかありません。時代が下るにつれて空の思想がどのように変容していったのかという観点から、「

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「即」という名のアポリア 番外編 その3

番外編その2はこちら

『カーラチャクラ・タントラ』――インド密教の集大成 前回は、人間の死のプロセスを假想的にシミュレートする父タントラ系の「空」と、性快感を極限まで高め、至高の快楽という形で仏の究極の智慧を体得しようとする母タントラ系の「楽」について、駆け足ではありますが見てみました。この父タントラ系と母タントラ系の二つの流れはやがて接近するようになります。例えば、父タントラ系の①顕明(空)・

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「即」という名のアポリア 番外編 その2

番外編その1はこちら

本題に入る前に 前回に引き続き、今回は後期密教の曼荼羅や瞑想法について見ていきたいと思います。ただ、今回述べる内容は、後期密教以前の仏教に関する背景知識がないと理解しづらい面があるように思われます。そこで今回は、まず時計の針を戻して、知っておいた方がいいと思われる背景知識を紹介してから本論に入っていきたいと思います。

中有(ガンダルヴァ)

 仏教は、釈迦の死後時代が下る

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「即」という名のアポリア 番外編 その1

前回の記事はこちら

後期密教――性と死という難問
 前回で中期密教はひとまず終わりましたので、今回から数回は「番外編」ということにして、後期密教の世界をほんの少しだけのぞいてみることにします。ただし、前回の最後に少し申し上げましたが、後期密教には『理趣経』以上に過激で、現代人の常識に大きく反するような内容や、一歩間違うと「危険な」内容も含まれています。でも、現代人の常識に反するような内容だからと

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「即」という名のアポリア 第30回

第29回はこちら

『大日経』三句の法門――究極の目的は「向下」だという思想

 今回は、中期密教経典の『大日経』や『金剛頂経』の世界をもう少しのぞいてみたいと思います。『大日経』には、この世のすべては大日如来の三密のあらわれであると説かれていることや、「自分」の身心と大日如来の身心が同一である境地が説かれていることは前回述べたとおりです。このほかにも『大日経』には、それまでの仏教にはなかった極め

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「即」という名のアポリア 第29回

第28回はこちら

イントロ 前回でインド中期大乗の話は一区切りがついたので、今回は後期大乗の時代の仏教をのぞいてみたいと思います。この時代に大きな勢力になったのが、密教です。密教というのは、インド大乗の最終段階において展開された仏教です(密教という語は「秘密仏教」を略したものだとされます)。時期的には7世紀頃に、『大日経』や『金剛頂経』といった本格的な密教経典が新たに出現するようになり、大きなム

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「即」という名のアポリア 第28回

第27回はこちら

イントロダクション さて、今回は唯識思想を使ってみたいと思います。唯識思想は、前回扱った如来蔵思想と同じく、インド中期大乗の時代に発展しました。唯識思想を説く唯識派と、ナーガールジュナの思想を受け継いだ中観派は、インド大乗を代表する二大学派で、互いに論争を繰り広げることになります。

 7世紀前半に、唐からインドに留学した玄奘をご存知の方は多いでしょう(あの『西遊記』の三蔵法師

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「即」という名のアポリア 第27回

第26回はこちら

イントロダクション さて、今回はインド中期大乗に少しわけいっていきたいと思います。中期大乗では、如来蔵思想や唯識思想と呼ばれる新たな仏教思想が発展していきます。特に如来蔵思想については、前回述べた仏身をめぐる問題も大きく絡んでくるので、その点も追ってみたいと思います。

 まず如来蔵思想というのは、あえて雑に説明すると、すべての衆生(生きとし生けるもの)は「仏性」を持っていると

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「即」という名のアポリア 第26回

 第25回はこちら

はじめに さて、前回の投稿から約1年が経過しております。第21回でも似たようなことを申し上げておりますから、「まるで成長していない」というほかありません。すみませんでした。まず、なぜこんなに投稿が遅くなったかを手短に申し上げておきます。このたびインド仏教篇を最後まで書き終えたのですが、前回と同様、書いているうちにわかったつもりになっていたが実際はよくわかっていなかったことが次

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「即」という名のアポリア 第25回

前回はこちら

 前回で『荘子』内篇についてはひと通り記したので、今回は外篇と雑篇の内容を扱ってみたいと思います。外篇・雑篇は逍遥遊篇や斉物論篇よりも成立が新しいと言われており、内篇とは異なる思想がいろいろ含まれているということはすでに述べた通りです。外篇・雑篇の具体的な中身に入る前にまず最初に指摘しておきたいのは、外篇・雑篇では、内篇には全くみられなかった「性」という言葉がよく出てくるようになる

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「即」という名のアポリア 第24回

前回はこちら

 今回から『荘子』の内容に分け入っていきたいと思います。以前も申し上げたように、『荘子』は一人の人間の手で書かれた書物ではありません。多くの人々の手によって長い時代をかけて出来上がっていったテキスト群を、後から編集したのが一つの書物になっています。時代が異なる多くの人によって書かれているわけですから、全く方向性が違う思想が見られたり、相互に矛盾する思想が含まれていたりします。現存す

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「即」という名のアポリア 第23回

前回はこちら

 今回はいったん道家思想を離れて、陰陽説の世界に少しだけ「寄り道」をしてみようと思います。というのは、この陰陽説というのは、中華世界の人々の思考や政治制度や日常生活に至るまで深く影響を及ぼしてきた思想で、その世界観の基礎になっていると言っても過言ではないからです。陰陽五行説は、学派の垣根を超えて中国思想の世界に広く浸透している思想ですので、中国思想について知るうえでは陰陽五行説を知

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