「即」という名のアポリア 第23回

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 今回はいったん道家思想を離れて、陰陽説の世界に少しだけ「寄り道」をしてみようと思います。というのは、この陰陽説というのは、中華世界の人々の思考や政治制度や日常生活に至るまで深く影響を及ぼしてきた思想で、その世界観の基礎になっていると言っても過言ではないからです。陰陽五行説は、学派の垣根を超えて中国思想の世界に広く浸透している思想ですので、中国思想について知るうえでは陰陽五行説を知るのは必須だと言えます。ざっくりとでもいいから陰陽説の思想について知っておくと見通しがよくなる面がありますから、今回はその世界観に少しだけ触れておきたいと思います。

 まず、陰陽説の陰陽というのは、陽気と陰気という二種類の気のことです。気というのは一言で今風に言うと、宇宙に充ちている微粒子で、気は万物をかたちづくり、万物に生命や活力を与えるとされます。この世界観では、そのへんの石ころや草木から狗(いぬ)や猫や人間をはじめとする生物に至るまで、万物はすべて気によって構成されていることになります。言わば気一元論です。そして陰陽説では、この気には陽気と陰気の二種類があり、万物はすべてこの陰陽の二種類の気の組み合わせによって成立しているとされます。

 この陰陽説を体系的に発展させた書物に、『』があります。『易』は占いの書物であり、日本でも昔から多くの人が、『易』が語る占いの世界に興味を抱いてきたことはご存知の方も多いでしょう。『易』は同時に、思想や哲学を語る書物でもあります。『易』は、占いの書としての側面と、思想を語る書としての側面という、二つの顔を持った書物だと言えます。

『易』の全体は本文とそれに対する解説・註釈によって構成されています。その本文のことを、解説・註釈のことをと言います。経は上経と下経という二つの部分に別れています。それに対して伝は全部で十篇あるので、伝の全体を指して十翼とも言います。鳥の翼が鳥の身体を空中で支えるように、伝は経を支える役割を果たしているからそのように言うわけです。伝(十翼)は、彖伝上・彖伝下・象伝上・象伝下・繋辞伝上・繋辞伝下・文言伝・説卦伝・序卦伝・雑卦伝の十篇からなります。そういうわけで『易』は経と伝から構成されるわけですが、ご多分にもれず、これらすべてを一人の人が書いたわけではありませんし、これらすべてがある時期に一度に書かれたというわけでもありません。非常に長い時間をかけて多くの人の手によって成立していったのです。元々は占いの書であり思想を積極的に語ろうとする書物ではなかったのですが、後世の人によってそこに伝という解説がつけ加えられることによって思想的な意味づけがなされ、思想を語る書としての側面をも備えるようになっていったということが言えます。

 そういうわけで『易』は経と伝から構成されているわけですが、このなかでも今回特に着目してみたいのが繋辞伝です。というのは、繋辞伝は陰陽説を基盤に、動植物や季節や天行といった万物が生じたり滅したりして絶えず変化してゆく流れがどのように成り立っているのかを説明しようとしているので、繋辞伝を通じて陰陽説の世界に触れることができるからです。

 易の理論は、⚊という符号と、⚋という符号を組み合わせることによって成り立っています。繋辞伝では、⚊を陽、⚋を陰と呼んでいます。ただ、少々脱線すると、陰陽という言葉を陽気と陰気の二種類の気の相克という文脈で用いている例は、『易』の本文である経(もちろん繋辞伝よりも古い時代に成立しています)にはありません。彖伝や象伝(これらも繋辞伝よりも古い時代に成立したと言われています)には一応用例があることはあるものの、例外的です。彖伝や象伝では、陰陽でなく剛柔という言葉が用いられていることが多いです。『易』が陰陽説の世界観を理論化して強く打ち出すようになったのは、繋辞伝の時代になってからだということが言えます。また、⚊と⚋という符号についても、古い時代からこのように表記されていたわけではないのですが、その点にはここでは立ち入らないことにします。

 話を戻すと、先ほど申しあげたように陰陽説では、万物はすべて陽気と陰気の二種類の気の組み合わせによって成立しているとされます。ということは、陽を表す⚊というシンボルと、陰を表す⚋というシンボルを組み合わせれば、この宇宙のすべてを表現し、その構造を明らかにすることができるということになります。この二種の符号を二つ組み合わせると、⚌と⚍と⚎と⚏という4種類のシンボルが得られます(2の2乗で4種類)。三つ組み合わせると、☰、☱、☲、☳、☴、☵、☶、☷の8種類が得られます(2の3乗で8種類)。この8種類のシンボルを八卦と言います。日本語で「占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦」などと言ったりしますが、その八卦というのはこのことです。さらにこの八卦を二つ組み合わせると、䷀とか䷁とか䷟とか䷟といったような64種類の卦が得られます(8の2乗で64種類)。これを六十四卦と言います。『易』では、この六十四卦を用いて占いを行うのです。八卦や六十四卦について、繋辞伝は次のように言っています。

 八卦列を成して、象その中に在り。因りてこれを重ねて、爻その中に在り。剛柔相推して、変その中に在り。辞を繋げてこれに命じ、動その中に在り。

 八卦が整然たる序列に従って形成されれば、天地間の万象はことごとくその中に包含される。そこで更に八卦を組み合わせて六十四卦とすれば、各卦ごとに六爻ができて陰爻・陽爻それぞれに特殊な意義を持つことになるし、その陰爻・陽爻=剛柔がたがいに推移・交錯することによって、さまざまの変化を生ずる。またこれらの掛爻に説明の辞を附け加えることによって、あらゆる事物の動きが尽くされる。

高田真治・後藤基巳訳『易経(下)』岩波文庫

 用語について説明しておくと、爻というのは、六十四卦(䷀や䷁など)に含まれている一本一本の⚊と⚋のことです。6つの⚊と⚋が組み合わさって六十四卦になると、一本一本の⚊と⚋はそれぞれ爻と呼ばれるわけです。ただし、☰や☱や☲に含まれている⚊や⚋は爻とは呼びません。6つの⚊と⚋が組み合わさって䷀とか䷁になってはじめて、爻と呼びます(ですから、六爻とは言いますが三爻とは言いません)。

 それはともかく、ここでは「八卦が整然たる序列に従って形成されれば、天地間の万象はことごとくその中に包含される」と言われています。それはなぜかというと、大昔のエラい人がこの世界を観察して、それを卦の形に象徴化したという伝説があるからです。この世のすべては陽気と陰気によって成り立っているという世界観ですから、結局のところ⚊と⚋の組み合わせですべてを表現できるという話になるわけです。

 八卦や六十四卦によって象徴的に表されている「もの」はさまざまです。例えば、☰は天を表し、☷は地を表し、☳は雷を表し、☴は風や木を表しているとされます。このように自然現象を表すだけではなく、☰は父や首や馬を表し、☷は母や腹や牛を表すなど、人間や動物や人体の一部などをも表現しているとされます。また、具体物を表現するだけでなく、八卦には特殊な八つの性質があるとされています。例えば、☰には健(すこやか)の性質があり、☷には順(したがう)の性質があるといった具合です。

 このように、卦によってこの世のすべてが象徴的に表現されるわけです。『易』による占いでは、筮竹(細い竹でできた棒)を使ったりコインを投げたりといった方法によって爻を六種類得るということを行ないます。すると六十四卦ができあがります。こうやってできた六十四卦と『易』の書を照らしあわせることで占いの結果を得るわけです(ちなみに繋辞伝は、この占いの技術について記した最古の資料でもあります。六十四卦を占う「正統的な」方法として今日まで伝わっているわけです)。

 さて、先ほども申しあげたように⚊を陽、⚋を陰と呼ぶのは時代が下ってからのことですが、『易』がそれ以前から相反する二つの符号によって成り立ってきたことには変わりはありません。ここで重要なのは、⚊と⚋は対立的ではありますが、お互いに排斥しあい全く相容れない関係にあるのではないということです。それどころか逆に、互いに引き合い、⚊があることによって⚋があり、⚋があることによって⚊があるという関係にあるのです。これを中国の言葉では対待と言います。互いに対立しながら、同時に相互依存することで共存しているというわけです。

 この雑文で何度か用いた例で言うと、2億kmという距離それ自体のなかには、「長い」という属性も「短い」という属性もありません。1億kmと比べると長いけれど3億kmと比べると短いという具合に、2億km以外の距離との関係ではじめて、短いとも長いとも言えるようになるというだけのことです。1mmだろうが1兆光年だろうが、どんな距離でも同じことです。よって、2億kmが長いと言えるのは、1億km(などの2億kmより短い距離)に依存してのことだし、1億kmが短いと言えるのは、2億km(などの1億kmよりも長い距離)に依存してのことである。短があるから長があり、長があるから短がある。⚊と⚋もそういう関係にあるというわけです。

 陽気と陰気は対立的ではあるものの、全く相容れない関係にあるのではなく相互に依存し対待しているというのはどういうことなのか。それを考えるために少し視点を変えて、そもそも『易』という本のタイトルは何を意味しているのかをみてみましょう。易の意味についてはさまざまな説があるのですが、最も一般的なのは、「易には三つの意味がある」という漢の時代から言われ始めた説です。その三つというのは、

①簡易。簡単でやさしいこと。
変易。変わること。
不易。変わらないこと。

 ②と③は矛盾していると思われるかもしれませんが、そこは後ほど説明します。ここでまず着目してみたのは②です。この変化というのは、陽気と陰気の対待関係にも絡んでくる問題です。というのは、この世のすべては陽気と陰気によって構成されているというと、なんだかまず陽気という「もの」と陰気という「もの」が確固として固定的に存在していて、その気を積み木やレゴブロックみたいに積み重ねることで万物が成り立っているというイメージになりそうですが、そうではありません。陽気と陰気はそのような固定的で静止的な「もの」ではなく、お互いに入れかわり続けるのです。繋辞伝には次のようにあります。

 易の書たるや、遠ざくべからず。道たるやしばしば遷り、変動して居らず、六虚に周流して、上下すること常なく、剛柔相い易り、典要となすべからず、ただ変の適く所のままなり。

 易という書物は、人間行動の指針として必須欠くべからざるものであるから、これをゆるがせにして遠ざけることがあってはならない。その中に示された道はしばしば変化し、変動して一箇所に停止することはなく、六虚すなわち卦中の六爻にあまねく流通し、絶えず上り下って常住することなく、陰陽剛柔たがいに入れかわって、これを一定不変の法則としてとらまえることは困難であり、ただただ変化流転する動きのままにあるよりほかはない。

 聖人は卦を設けて象を観、辞を繋げて吉凶を明らかにす。剛柔相推して変化を生ず。

 聖人は卦を設けてその形象の示す意義を観察し、その結果を辞に書きあらわして吉凶の道理を明らかにした。設けられた卦中の剛爻と柔爻とはたがいに推移して変化を生ずる。

 爻とは変を言うものなり。

 爻(爻辞)とは各爻ごとに現れる変化の意味を説明するものである。

同前

 陰陽とか剛柔と呼ばれる⚊と⚋は変化しない静止的な「もの」ではなく、「たがいに入れかわ」り続けるわけです。繋辞伝には、このような変化や変動に関する説明がよく出てきます。具体例をあげましょう。『易』の本文である経は、䷗という卦(復という名前の卦です)について次のように言っています。

 その道を反復し、七日にして来復す。往くところあるに利ろし。

 陰陽の消息という点からすれば、一陰はじめて生ずる五月の卦(姤䷫)から六月(遯䷠)七月(否䷋)八月(観䷓)九月(剥䷖)十月(坤䷁)を経て十一月(復䷗)に至るまでおよそ七変(七日)にして一陽が来り復し、これよりは陽気が次第に成長するのであるから、進んで事をなすによろしい。

高田真治・後藤基巳訳『易経(上)』岩波文庫

 この一節について、註釈である彖伝は次のように言っています。

 その道を反復し、七日にして来復するは、天行なり。往くところあるに利ろしとは、剛長ずればなり。復はそれ天地の心を見るか。

 陰陽消息の道理を反復し、七日で来復するのは、天道の運行である。進んで事をなすに利ろしというのは、これより剛(陽)が長ずる時期に向うのだからである。この復卦において、生生発展して窮まることのない天地の心が見られると言えようではないか。

同前

 ここで語られているのは、⚊と⚋は入れかわり続け、絶えず循環し続けているという世界観です。䷫→䷠→䷋→䷓→䷁という具合に、下から順番に⚊が⚋に入れかわっていく。そうやって䷁になり、すべてが陰に変化したらそれで終わりかというとそうではありません。そのままずっと陰の状態にとどまるなどということは起こらず、今度は䷁が䷗に変化する。今度は⚋が⚊へと入れかわっていくわけです。

 このように陰と陽が絶えず循環的に入れかわり続けるからこそ、天の運行があるのだと言っているわけです。陰陽が入れかわるからこそ、昼と夜が交代したり、季節がめぐったりする。そして、この世のすべての「もの」が陰陽の二気からつくられている以上、万物は固定的ではなく、絶えざる変化の過程のなかにある。だから、猫であれ狗であれ人間であれ桜であれ、すべては変化していくが、陰と陽とが絶えず入れかわり続けていくという法則性や摂理や理法それ自体は不変である。そういう思想です。

 さて、ここでもう一度「易には三つの意味がある」という漢の時代からある説をみてみましょう。

①簡易。簡単でやさしいこと。
②変易。変わること。
③不易。変わらないこと。

 ②と③は一見すると矛盾しているようにみえるけど、これまで述べてきたことを踏まえて考えると、実は矛盾していないわけです。人間が経験する現象は、陰陽の絶えざる入れかわりを通じて変化し続けていく(②)けど、陰と陽が絶えず入れかわり続けていくという法則性や理法は、アルティメットまどかちゃんの円環の理のごとく不変である(③)ということなのです。

 以上のことに関連して、繋辞伝には次のようにあります。

 一陰一陽これを道と謂う。

 あるいは陰となりあるいは陽となって無窮の変化をくりかえすはたらき、これが道とよばれる。

 この故に易に太極あり。これ両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず。

 かくて易には陰陽未生以前の根源として太極があり、太極から陰陽の両儀を生じ、両儀はさらに分れて四象(陰陽二爻の組み合わせ、すなわち老陽⚌・少陽⚎・少陰⚍・老陰⚏)を生じ、四象は八卦を生ずる。この八卦の組み合わせにより万事の吉凶が定まり、その定められた吉凶によってもろもろの大いなる事業も成就される。

 この故に形而上なる者これを道と謂い、形而下なる者これを器と謂う。

 さて、易においては、形而上なるものすなわち現象以前の目に見えぬ無形のままなる陰陽の変化を道と謂い、形而下すなわち現象面において把捉し得られる形象を器と謂い、……

(高田真治・後藤基巳訳『易経(下)』岩波文庫)

 

 用語について申し上げると、両儀というのは、⚊と⚋のことです(天と地のことだという説もあります)。太極という宇宙の根源から両儀が生じ、そこから現象世界のすべての「もの」が形づくられる。形がなく、人間にはとらえ難い世界の根源から、形のある猫とか狗とか人間とか山とか川といった現象世界のすべての「もの」が生じる。そういう考え方です。

 もうお気づきの方もおられるかもしれませんが、このような考え方は『老子』にもみられるものです。前回申し上げたように『老子』では、人間にはとらえ難い「無」や「道」と假に呼ばれる根源から、現象世界のすべての「もの」が生じるという世界観が語られています。『老子』第40章には次のようにあります。

 天下の物は有より生じ、有は無より生ず。

 世の中の物は形のあるものから生まれ、形のあるものは形のないものから生まれる。

蜂谷邦夫訳注『老子』岩波文庫

  また、『老子』第42章にはこうあります。

 道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。

 無という道は有という一を生みだし、一は天地という二を生みだし、二は陰陽の気が加わって三を生みだし、三は万物を生みだす。

同前

 さらに、『老子』第51章には、

 道、之を生じ、徳、之を畜う。物、之を形づくり、勢、之を成す。

 道が万物を生みだし、徳がそれらを養いそだてる。物としての形体が与えられ、なにかの働きを持つものとして完成する。

同前

 前回申し上げたことの繰り返しになりますが、第51章の「勢、之を成す」という部分は現行本だと「勢成之」ですが、古い馬王堆甲本・乙本だと「而器成之」となっています。これでいくと「物之(ここ)に形(あら)われて、器之(ここ)に成る」と読めることになり、何かの働きや役割をもつ「もの」として完成するという意味になります。「而器成之」という『老子』の古いテキストは、『易』の「形而上なる者これを道と謂い、形而下なる者これを器と謂う」に非常に近いものがあります(「器」ではなく「勢」だとしても、同じような思想を語っていることに変わりはありません)。

 なぜこんな類似が生じるのかというと、これは『易』の繋辞伝が道家思想を取り込んだ結果こうなっているのです。時系列で言うと、『老子』が先で繋辞伝があとです。繋辞伝が説く太極というのも、『老子』の「道」の焼き直しです。

 このような形で『易』と道家思想が結びついた背景についてざっくりと説明すると、ここには儒家の歴史が絡んでいます。儒家には五経と呼ばれる5つの経典があり、儒家のあいだで非常に重んじられてきました。五経とか六経といった言葉は戦国時代の末ごろにはすでにありましたが、その5つとか6つが具体的にどの経典を指すのかは文献によって違っていたりして、必ずしも一定していませんでした。その後、漢の時代になると、儒学は国家公認の正統思想の地位を得ることになるのですが、この時代に五経というのは易・書・詩・礼・春秋の5つのことだと確定されました。かくして『易』は五経の一つだということになって、聖典として儒家に重んじられてきたのですが、『易』が元から儒家の聖典だったわけではありません。先ほども申し上げたように、そもそも『易』は元々は占いの書物であり、儒家とは何の関係もありませんでした。孔子の言葉を記録した『論語』にも孟子の言葉を記録した『孟子』にも、『易』に肯定的に言及した例は全くありません。戦国時代の末ごろの人である荀子の言葉を記録した『荀子』になると、ようやく『易』の引用や『易』に対する言及がみられるようになりますが、そのような引用や言及は多くはないうえに、荀子本人ではなく、後世の荀子の後継者の思想が反映したものだとも言われています。また、『易』の繋辞伝が様々な文献によって引用されるようになるのは、前漢の時代に入ってからです。

 以上のことを踏まえると、繋辞伝が道家思想や陰陽説を取り込んで書かれていることや、儒家が戦国末から前漢の時代にかけて自分たちとはもともと無関係だった『易』を(繋辞伝も含めて)自らの経典として新たに取り込んでいったことがわかるわけです。これは儒家の思想の新たな展開です。

 第21回でも申し上げたように、儒家は「礼」や「徳」といった文化を維持し発展させていくことや、理想的な「社会的存在」になることや、いかに天下を治めるかといった問題に対する関心が強いです。目の前の「現実」に集中し、政治や道徳の問題に集中する傾向があるわけです。ですから、人間や猫や犬や桜や川といった現象は一体どこからきたのか、こいつらはなぜ、どのようにして存在するようになったのか、猫を猫たらしめ、犬を犬たらしめ、人間を人間たらしめる究極の根拠は何なのか、この宇宙はどのようにして生まれたのか……といったような種類の思考は儒家には元々稀薄でした。政治や道徳に関する具体的で形のある「現実的な」問題に集中したため、『老子』が「道」という言葉で言い表すような、この世のすべてを貫く形のない理法やこの世の究極の根拠に関する思索は微弱だったのです。

 そこで『易』を繋辞伝も含めてわがものとすることで、この世のすべてを貫く「道」や「太極」と呼ばれる形のない理法と、その理法に貫かれた形のある万物との関係に関する(それまで主に道家によって発展させられてきた)思考をこの時代に新たに導入したわけです。『易』はその後も長いあいだ儒教のなかで非常に重要な地位を占め続け、中国思想史に極めて大きな影響を及ぼし続けました。はるか後世の宋の時代に登場した新たな儒学である宋学や朱子学においても、その理論体系を基礎づける世界観として『易』が体系化した陰陽説が採用されています。この世にみられる形あるものの究極の根拠を提供し、儒家の理論を基礎づける根拠として機能したと言えます。2000年以上にわたる中国思想史に極めて大きな影響を及ぼし続けたわけで、『老子』や繋辞伝にみられる「形のない道と形のある万物」という思考は極めて重要だと言えます。

 さて、『易』が体系化した陰陽説について非常にざっくりとではありますがみてきました。先ほど申し上げたように、陰陽説では、陰陽が入れかわるからこそ昼と夜が交代したり、季節がめぐったりします。先ほどみた繋辞伝の例で言うと、䷫→䷠→䷋→䷓→䷁という具合に陽よりも陰の方が強くなっていくことで、天の運行がある。でも、そうやって陰が強くなり極まっていっても、陽を完全に滅ぼしてしまうなどといったことはできません。陰と陽が絶えず入れかわり続ける循環運動を続けているという、アルティメットまどかちゃんの円環の理のごとき)法則性のもとでは、極限まで強くなった陰は陽に転じざるをえず、䷁は䷗へと変化し、今度は陽が強まっていく。陰それ自体のなかに、陰をくじいて陽へと転じさせる根が含まれている(逆もまたしかり)。陰と陽が相互に依存し対待している相対的な「もの」である以上、陰が陰であるためには陽が必要だし、陽が陽であるためには陰が必要である。こういったことを踏まえて、前回紹介した『老子』の言葉を改めて眺めると、『老子』がどのような発想に基づいているのかを理解することができます。

 天下、皆美の美為るを知る、斯れ悪なる已。皆善の善為るを知る、斯れ不善なる已。

 世の中の人々は、みな美しいものは美しいと思っているが、じつはそれは醜いものにほかならない。みな善いものは善いと思っているが、じつはそれは善くないものにほかならない。

 弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下、知らざる莫くして、能く行なう莫し。
 是を以て聖人云く、「国の垢を受く、是れを社稷の主と謂う。国の不祥を受く、是れを天下の王と謂う」と。正言は反するが若し。

 弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが剛いものに勝つ。そのことは世の中のだれもが知っているが、行なえるものはいない。
 そういうわけで聖人は、「国中の汚濁を自分の身にひきうける、それを国家の君主という。国中の災厄を自分の身にひきうける、それを天下の王者という」と言う。正しい言葉は、常識に反しているようだ。

同前

 剛強という状態は、意識的に緊張状態を持続させることによって成立します。剛強とは「有為」の連続であり、剛強は不断の緊張という人為的で「不自然」な営為によって支えられている。人間によることさらな「有為」によって、『老子』が「道」と呼ぶ理法に逆らって無理やり剛強の状態を保とうとしても、人間は有限な存在でありいつかは滅ぶ以上、永遠に剛強な状態を固定化し維持し続けることは不可能である。これを、あえて陰陽説の世界観に即して解釈してみましょう。人間も剛強も気によって成立する一時的な現象であり、気の循環運動によって変化し続けていく以上、人間という存在や剛強という状態を永久に固定化し維持し続けることはできないし、剛強は極まることでその内部から破綻して柔弱に転じる。このように、陰陽の循環運動という思想を踏まえると、「弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが剛いものに勝つ」という「常識に反」する逆説的な言葉が、どのような発想に基づいているのかがみえてきます。これは剛強以外の現象でも同じことで、何事であれある状態を「有為」によって固定化し維持し続けることは「不自然」でありいつかは破綻せざるをえない。

『老子』が言う善や悪についても、同じように陰陽説の思考に即して解釈すると、善もまた極まることで悪に転じるし、悪もまた極まることで善に転じる現象だということになります。1億kmが長いと言うためには1億kmよりも短い距離が必要になったり、1mmが短いと言うためには1mmよりも長い距離が必要になったり、男だけでも女だけでも人類が存続していかなかったりするのと同じように、善が善であるためには悪が必要だし、悪が悪であるためには善が必要になる。善のなかに内部から善を破綻に追いやる根が含まれているし、悪のなかに内部から悪を破綻に追いやる根が含まれている。現行本『老子』のしょっぱなに出てくる次の言葉も同様です。

 道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。

 これが道ですと示せるような道は、恒常の道ではない。これが名ですと示せるような名は、恒常の名ではない。

同前

 これが「道」である、と把握したその瞬間からかえって「道」の把握として不確実になってしまう。概念化(「名とす」)したその瞬間から、かえって概念として不確実になってしまう。言葉と対象とをきれいに一致させようとする論理それ自体のなかに、その論理をかえって破綻に追い込む根が孕まれている。「名」と「実」を一致させようとするそのような論理を徹底的につきつめると、逆説的にかえって内部から破綻してゆく。いろんな解釈がありえるでしょうが、ひとまずそのように解釈できるということは前回申し上げたとおりです。そしてそのように解釈するのであれば、陽(陰)が極まると陰(陽)に転じ、剛強(柔弱)が極まると柔弱(剛強)に転じ、善(悪)が極まると悪(善)に転じるというのと同様な思考を見い出すことができると言っていいでしょう。

 さて、陰が極まれば陽に転じ、陽が極まれば陰に転じるという世界観には、「進歩」も「退歩」もなく、ただただ無限の循環運動があるのみです。つまり、陰と陽が対立した結果、陰と陽が高い次元で統一され、より優れたモノが生まれ「進歩」が生じる、などといった話ではないということです。確かに陰(陽)が極まれば陽(陰)に転じるというのは、いわゆる弁証法を思わせるところがなくはないのですが、「進歩」という近代的な観念を持ちこんでそれを理解するのは誤りです。

 また『易』では、世界は非常に調和的で安定的なものとして捉えられています。『易』という書物は、世界を楽天的に捉える傾向が強いのです。これまで述べてきたように、『易』は万物が絶えず変化していくことを語る書物です。でも、『易』という書物全体を眺めても、万物がうつろいゆくことを悲観的に捉えたり、そこに虚しさや悲しさを見い出すことはほとんどありません。インド仏教が、無常という「事態」を危機意識をもって見据えたり、無常であるということはドゥッカであると語ったりするのとは発想がまるで逆なのです。『易』繋辞伝には、次のような言葉があります。

 一陰一陽これを道と謂う。……盛徳大業至れるかな。富有これを大業と謂い、日新これを盛徳と謂う。
 生生これを易と謂い、……

 あるいは陰となりあるいは陽となって無窮の変化をくりかえすはたらき、これが道とよばれる。……まこと道こそは盛んなる徳、大いなるしわざの極致ではある。万物を包括して富裕なること、これが大いなるしわざと呼ばれ、日々に新たにくりかえされて一刻も息む時のないこと、これが盛んなる徳とよばれるのである。
 これを易に即して考えるならば、一陰一陽の道を具現し生じ生じて無窮に息むことのないはたらきを易とよぶのであり、……

 天地の大徳を生と曰い、……

 天地の偉大な徳は、万物を生々して息むことのない生のはたらきであり、……(同前)

高田真治・後藤基巳訳『易経(下)』岩波文庫

「道」が万物を生み出してゆく無限の“はたらき”を称えています。「生生これを易と謂」うという言葉は、万物が生成してゆくことこそが易であると宣言したものです。『易』は万物が無限に生じたり滅したりしてゆくのを、新たな「命」が生まれ続ける「流れ」としてポジティヴに捉えているのです。もちろん今までみてきたように『易』は、物事は極まれば必ず衰える方向に転じると語る書物でもあります。しかし同時に、そのように衰退があるからこそ、新しい物事が生まれ続けるのだとも語っているわけです。物事は「道」の“はたらき”によって「なるようになる」と考えられており、世界は非常に調和的に捉えられているわけです。

『易』の世界観はなぜこのようにポジティヴで楽天的なのか。この問いに答えるのは困難なことですが、ただ一つ言えることがあるとすれば、「道」とか「太極」などと呼ばれる宇宙の理法は万物を無限に生み出し続けてやむことがなく、万物はすべて「道」や「太極」によって貫かれているという確信が、この楽天性を生み出す要因の一つになっているとは言えそうです。繰り返しになりますが、易という言葉は、

①簡易。簡単でやさしいこと。
②変易。変わること。
③不易。変わらないこと。

 という三つの意味があると解釈されてきました。人間が経験する現象は、陰陽の絶えざる入れかわりを通じて変化していく(②)が、陰と陽とが絶えず入れかわり続けていくという法則性=理法それ自体は不変です(③)。ということは、「道」と呼ばれる理法は、人間が経験する現象から離れたところにあるのではなく、目の前の現象に“即”して顕現しているのであり、目の前の現象が“そのまま”「道」であるということになります。万物が陰陽の循環運動によって成立している以上、万物はすべて「道」という理法に貫かれていることになるからです。

 前回も申し上げたように、中国思想では、真理は目の前の現象に“即”して顕現しているという発想が極めて根強いです。「道」と呼ばれる「聖なる」理法と、人間が属する「俗なる」世界が、切り離されることなく連続的に捉えられるのです。陰陽説の世界観では、陰と陽はお互いに対立的ではあるものの、全く相容れない関係にあるのではなく相互に依存し対待しているということはすでにみたとおりです。ですから対立といっても、西洋の「神と悪魔」とか、「霊と肉」体のように、絶対に相容れることがなく決して互いに交わることのない対立とは異なるわけです。人間と動物とのあいだには断絶があって全く異なるといったような発想にはならないのです。万物は陽気と陰気によって成り立っている点ではみんな同じであり、人間と動物はいずれも気によって成り立っているのだから連続的であるという発想になってくるわけです。また、人間や猫や犬といった動物と、天と地といった「自然」を切り分けずに連続的に捉えたり、「善と悪」であるとか、「身体と精神」を全く別な「もの」とは考えずに連続的に捉える発想と結びつくわけです。

 こういったことを踏まえてもう一度、『易』繋辞伝に出てくる「この故に形而上なる者これを道と謂い、形而下なる者これを器と謂う」という言葉をみてみましょう。形を超えた「道」は、人間や狗や猫といった形のある「もの」=「器」が織りなす現象世界と隔絶したところにあるのではない。「道」は陰陽の循環運動による万物の変化それ自体であり、形のある「もの」から独立した実体とみることはできない。そもそも何もないところには変化などという現象はありえないのだから、「器」があってこそ「道」がありえるとすら言いうるわけです。「器即道」であり、変わり続ける現象(器)それ自体に変わらぬ理法(道)を見い出すのです。変易(②)は“即”不易(③)であり、不易は“即”変易だということになるわけです。人間を含めた現象世界は陰陽の循環運動によって成立している以上、すべて「道」に貫かれているのだから、最初から“ありのまま”で聖化されている。世界を調和的に捉える非常に楽天的な世界観なのです。

 さて、これまで述べてきたような中華世界の世界観がよくあらわれている有名なお話が、『淮南子』という道家の系統の書物にあります。

 近ごろ塞の上の人に術を善くする者有り。馬、故無くして亡げて胡に入る。人皆之を弔ふ。其の父曰く、此れ何遽福と爲らざらんや、と。居ること數月、其の馬、胡の駿馬を將て歸る。人皆之を賀す。其の父曰く、此れ何遽能く禍と爲らざらんや、と。家、良馬に富む。其の子、騎を好み、墮ちて其の髀を折る。人皆之を弔ふ。其の父曰く、此れ何遽福と爲らざらんや、と。居ること一年、胡人大いに塞に入る。丁壯なる者は弦を控きて戦ひ、塞の上の人、死する者十に九、此れ獨り跛の故を以て、父子相保つ。故に福の禍と爲り、禍の福と爲るは、化極む可からず、深測る可からざるなり。

 近頃、国境の砦の人で術に巧みな者がおり、[その家の]馬が故なく逃げて胡の土地に入ってしまった。人々は皆この事件を気の毒がったが、その家の父親は「このことがどうして福いとならぬことがあろう」といった。それから数か月、[逃げた]馬が胡の駿馬を連れて帰ってきた。人々が祝福すると、父親は「このことがどうして禍いにならずにおれよう」といった。さて、その家は良馬に富むことになったが、その子供は乗馬が好きで、[ある時]落馬して髀を骨折した。人人が気の毒がると、父親は「このことがどうして福いとならぬことがあろう」といった。それから一年、胡人が大挙して国境を越えて攻め入った。若者は弓を引いて戦い、国境の砦の人で死者は十人中九人にも及んだ。ところが跛であったがために、かの父子だけは生きのびたのである。つまり福いが禍いとなり、禍いが福いとなる、こうした転変のありさまを極めることはむずかしく、転変の[微妙な]奥深さを予測することはできないのである。

楠山春樹『新釈漢文大系 62 淮南子 下』明治書院

「人間万事塞翁が馬」ということわざの元ネタとなったお話であります。非常に有名だし、中国思想や漢文の世界に何の興味もなくても知っている方も多いでしょう。人生における幸や不幸は一定しがたく、いつ幸が不幸に転じるかはわからないし、いつ不幸が幸に転じるかもわからないから安易に一喜一憂するんじゃないというお話だと言われています。それはそのとおりなのですが、その背景には、これまでみてきたような変化と循環の思想が息づいていることも見落とすわけにはいきません。すなわち、幸も不幸も転変を続ける世界に浮かんだり消えたりしている一時の現象であり、幸は極まればそこから先は不幸に転じるほかないし、不幸もまた極まれば幸に転じるほかないというわけです。

 このような発想は、自分の人生を自分で切り開いて(すなわち「有為」によって)シアワセをゲットしようとする意志を欠いた、無気力なあきらめの思想だと思われる方もおられるかもしれません。少なくとも、自分の人生はジコセキニンで切り開いてジコジツゲンを成し遂げていくべきものであり、自分の人生はセルフプロデュースすべきものだといった類の人生観とは全く異なるものです。しかし、無限の循環運動があるのみだという理法=「道」を体得した者は、たとえ家が全焼しようとも、全財産を失おうとも、災害で家族を失って自分だけが取り残されようとも、戦場に行こうとも何が起ころうとも、一切動じることはないのだとも言えます。万物は循環的な転変を絶えず続けていくのだから、ことさらな「有為」によってジタバタもがいても、その転変を人間様の思い通りの状態に固定化することは決してできない。そんな現象世界を前にしてどう処すればいいのかという問いに対する強靭な智慧がある。そのように考えることもできるように思うのです。

 ともあれ、『易』が体系化をはかった陰陽説は、その後の中国思想史に大きな影響を与え続けることになります。その世界観をざっくりまとめておくと、

①万物は陰陽の二気によって構成されており、陰と陽がお互いに入れかわり続けることによって万物は変化し続けてゆく。
②よって万物は変化し続けてやまず不変であることはできない(変易)。だが、陰と陽が永遠に循環運動を続け万物が変易してゆくという宇宙の理法=「道」それ自体は不変である(不易)。
③それゆえ、陰陽の二気によって構成された万物はすべて「道」に貫かれている。そのため、宇宙を貫く真理である「道」は現象世界から遠く離れたところにあるのではない。万物が織りなす現象世界に“即”して顕現しており、目の前の現象が“即”真理である。言わば、変易が“そのまま”不易であり、万物は人間がことさらな努力をせずとも最初から「聖化」されている。
④「道」という宇宙の真理が万物を貫いている以上、万物が気の循環運動によって変化し続けていく「流れ」は非常に調和的で安定的なものとして捉えられる。よって、万物が無限に生じたり滅したりしてゆくのも、新たな「命」が生まれ続ける「流れ」としてポジティヴに捉えられる。その世界観は非常に楽観的でポジティヴなものになる。

 特に②~④はめちゃくちゃ重要です。②~④はこれから、この雑文の最終回に至るまで、形や内容を微妙に変えながら何度も何度も登場し続ける予定ですので、念頭に置いておいていただければと思います。②~④のような思考はそれぐらいその後の中国思想史を深く深く貫いており、中国仏教も含めた中国思想全般に2000年以上の長きにわたって影響を与え、様々に形を変えながら変奏され続けることになります。そういう意味で、「道、之を生じ、徳、之を畜う。物、之を形づくり、勢、之を成す」(馬王堆帛書では「勢」は「器」)という『老子』の言葉や、これを継承した『易』の「形而上なる者これを道と謂い、形而下なる者これを器と謂う」という言葉を頭の隅にでも置いておいていただければと思います。今回はこれぐらいにしましょう。

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