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今回から『荘子』の内容に分け入っていきたいと思います。以前も申し上げたように、『荘子』は一人の人間の手で書かれた書物ではありません。多くの人々の手によって長い時代をかけて出来上がっていったテキスト群を、後から編集したのが一つの書物になっています。時代が異なる多くの人によって書かれているわけですから、全く方向性が違う思想が見られたり、相互に矛盾する思想が含まれていたりします。現存する『荘子』は内篇・外篇・雑篇の三つの部分からなる書物ですが、大ざっぱに言えば、
①『荘子』内篇で語られている思想と、外篇・雑篇で語られている思想には結構違いがある。
②『荘子』内篇は、政治だの社会だのといった事象への関心が希薄で、己の生死や「実存」をめぐる「宗教的な」問題に集中しようとする傾向が強い。その点は『老子』と異なる。
③『荘子』外篇・雑篇は、『老子』と同様に天下をいかに治めるかといった問題を論じた箇所も多く、政治への関心が内篇よりも強まっている。『老子』に近い思想を語ることも多い。
ということも以前申しあげたとおりです。ですから、内篇・外篇・雑篇を一括りにして同じ思想を語る書物として扱うことはできません。そのような扱いをするのは、仏教でたとえると初期仏教も部派仏教も初期大乗仏教もみんな「仏教」と呼ばれてるんだから似たようなもんだろうと一括りにするようなものですし、そんなことをしたら正確な理解はおぼつかなくなってしまいます。ですので、ひとまず内篇の最初の逍遥遊篇や斉物論篇から話を始めてみたいと思います。この二篇は、現存する『荘子』のなかでも特に成立が古い部分であるとか、元々の荘周の思想に近いと言われることもありますが、そのような通説に異を唱える人もおり、そのあたりは素人の私には軽々しいことは言えません。ですが、ともかくも『荘子』について考えるうえで非常に重要な部分であることに間違いはないので、まずここから始めることにします。ただし、逍遥遊篇と斉物論篇以外の篇でも、この二篇に近い思想が語られている箇所もあるので、それらにも適宜触れながら話をすすめていくことにします。
これも以前述べたことの繰り返しになるようですが、一般に中国の文化には政治的な色彩が強いと言われています。それは今扱っている戦国時代に活躍した諸子百家たちにも言えることです。『老子』という書物もその例にもれないことは、第22回でみたとおりです。しかし、政治は人間が二人以上いるところには否応なく存在してしまうものではあるけれども、それだけが人生のすべてでは決してない。この世には政治や経済や社会や国家や福祉といった次元では解決できぬ問題がある。その最たるものが、「自分は有限の存在であり、いつかは死ぬ」という人間の生死をめぐる宗教的な問題です。古代中国を生きた人々も、もちろんそういう問題に無関心だったわけではありません。そのような己の生死という宗教的な問いに正面から向きあった書物が『荘子』です。『荘子』斉物論篇はこう言っています。
人は誰しも、生まれたいと望んで生まれてきたわけでもない。生まれたくないと思って生まれてきたわけでもない。人間は、己のあずかり知らぬまま、受け入れることも拒否することも許されぬまま、理由も知らされぬままにこの世に投げ出される。インドに生まれるか中国に生まれるか日本に生まれるか、イケメンとして生まれるかブサイクに生まれるか、富める家に生まれるか貧しき家に生まれるか、生まれつき聡明なのか生まれつき愚かなのか。そうしたすべてが自分で選択できることではない。
そのようにしてなすすべもなく生まれてくる人間は、なすすべもなく学校に行ったり受験をしたり就職したり会社に行ったり結婚をしたり子をもうけたり世が世なら戦場に行ったりする。苦しみから逃れ、幸福を手に入れたいと願い、金や名誉や権力や長寿を求めもする。そうやって求めた金や名誉や権力や長寿が得られることもあるが、それが「有為」によって築かれた「もの」である以上は、いつかは否応なく失われざるをえない。そうやって「あるいは物に逆らいつつ、あるいは物になびき従いつつ、その人生を駆け足のように走りぬけ、これをとどめるすべを知らない」人間が、浮かんでは消え、消えては浮かび上がる万物の転変に一喜一憂しながら味わうのは、あるいは喜びであり怒りであり、あるいは哀しみであり楽しみであり、あるいは快楽であり苦痛であり、あるいは希望であり絶望である。内的には決して満ちることを知らない欲望と千々に乱れる情念にいいように引きずり回され、外界に向かっては「あるいは物に逆らいつつ、あるいは物になびき従」う人間は、「生涯をあくせくと労苦のうちにすごし」ながら、「ぼうぜんとして疲れはて、人生のゆくえも知らずにい」る。人間というわけのわからない存在、人生という得体の知れない代物を厳しく省みると、それはあわれにも悲しい。『荘子』はそう言っているわけです。
ここでは、「其の形化して其の心も之と然り(その身体が滅びるとともに、その心もまた同時に滅びるほかはない)」とはっきり言っていることも目をひきます。魂は不滅だとか、その魂が輪廻したり異世界転生するとかいったような思想が、ここでは否定されています。以前も申し上げたように、『老子』でも『荘子』でも、全知全能の神であるとか、自分だけを信じて祈りや供物を捧げるように要求したり、自分の命令に背いた者を憎んで罰を与える、人格や意志をもつ神様が認められることはありません。そのうえ、このような不滅の魂といったような観念を否定している箇所すらある。ここでは、人間とはなすすべもないまま理由も知らされぬままに生まれ落ちて、すがるべき神も不滅の魂ももたぬままにこの世という曠野を孤独に彷徨することを余儀なくされた、どこまでも絶望的な存在です。
荘子が生きたとされる戦国時代は、強い国が互いに争ったり、周辺の小国を侵略して併合していく乱世でした。誰もが「朝に紅顔あって世路に誇れども、夕べに白骨となって郊原に朽ち」るやもしれぬ明日をも知れぬ状況のなかで、人間はいかに生きるべきか、世界はどうあるべきかという「道」を説く諸子百家たちが出てきたことは、すでに述べたとおりです。かくして春秋時代末から戦国時代には、孔子をはじめとする多くの思想家たちが登場し、自らのイデオロギーをもとにして様々な「正しい生き方」=「道」を提唱し、世の中に広めようとしました。それら様々な思想はおしなべて、この世界を「有為」の「知」によって正確に認識することができるのだと誇り、その認識にもとづいていろんな価値判断を行い、言語という手段を用いて自説がいかに正しいかを示そうとします。それでは、その「知」や言語というのは信頼に足るものなのでしょうか。
古今や東西を問わず、およそ思想というものは言葉によって表現されます。その言葉にはすべて説明しようとする内容、すなわち意味があります。しかし、その言葉と内容の対応関係は人間によって恣意的にでっちあげられると言っているわけです。そうなると、言葉によって築き上げられるリクツや思想の類は全般的に疑わしいものを含んでいるんじゃないか。このように人間の言葉が信頼に値しないものだというのであれば、当時の諸子百家たちが言葉によって主張したいろんな「道」は砂上の楼閣のようなものではないかという話になってきます。『荘子』が書かれた時代は、儒家や墨家をはじめとする諸子百家が、「Aという『道』が正しいのだ」「違う、AではなくBという『道』が真理なのだ」といった類の論争を繰り広げ、「道」が見失われるありさまでした。Aが「俺様の主張は正しくてBの主張は間違っている」と言ったと思えば、Bが「いやいや違う、俺の主張こそが正しくてAが言うことは誤りだ」とお互いに言い争うのは古今東西どこにでも見られる光景ですが、『荘子』の思想には、そのような言葉による議論の対立を乗り越えようとした側面があります。
「是非の対立を越えた、明らかな知恵(明)をもって照らすのが第一である」というのはどういうことか。『荘子』は次のように述べています。
難解な文章ですが、ここではひとまず次のように解釈しておきます。例えば、「長い」とか「短い」という言葉があります。何kmでもいいですけど、2億kmといえば、“人間にとっては”途方もなく長い距離です。しかし2億kmは1億kmよりは長いけれど、3億kmよりは短い。よって、2億kmは長いともいえるし、短いとも言える。もっと言えば、2億kmは長いのでもなく短いのでもない。つまり、2億kmそれ自体のなかには、「長い」という属性も「短い」という属性もない。1億kmと比べると長いけれど3億kmと比べると短いという具合に、2億km以外の距離との関係ではじめて、短いとも長いとも言えるようになるというだけのことです。1mmだろうが1兆光年だろうが、どんな距離でも同じことです。これは、「長い/短い」という言葉だけでなく、「美しい/醜い」でも「善/悪」でも「高い/低い」でも「きれい/きたない」でも「左/右」でも「上/下」でも同じことです。これらのものさしはすべて人間が勝手に決めた言葉だけの「もの」であって、世界にはこれらの言葉に対応する実体は存在しているとは言えないわけです。
「これ/あれ」という概念にも同じことが言えます。目の前にある机を「これ」と呼ぶことはできますが、外出するなどしてその机のそばから離れたら、もはや「これ」と呼ぶことはできません。「あれ」と呼ばないといけなくなってしまいます。2億kmそれ自体のなかには「長い」という属性も「短い」という属性もないのと同様に、いかなる「もの」をとりあげても、それ自体のなかには「これ」という属性もなければ「あれ」という属性もない。人間が勝手に「これ/あれ」という人為的で相対的なものさしを勝手につくってそれにあてはめようとするから、「これ」とか「あれ」とか呼ばれるというだけのことです。2億kmが1億kmとの関係で長いと言われたり、3億kmとの関係で短いと言われたりするのと同様に、「これ」は「あれ」との関係で「これ」と言われているだけだし、「あれ」は「これ」との関係で「あれ」と言われるだけである。「これ」や「あれ」といった言葉に対応する「もの」が現象世界に存在するとは言えない。「善」などという言葉を立てるから「悪」も同時に成立する。「悪」などという言葉を立てるから「善」も同時に成立する。「分別」によって「生」という「もの」があると考えるから「死」という「もの」もあるということになるし、同じく「分別」によって「死」という「もの」があると考えるから「生」という「もの」もあるということになる。そう言っているとひとまず解釈できます。
そういうわけで、長短とかこれ/あれとか善悪とか有無とか生死といった、人間による言語的で恣意的な「分別」に基づいた相対的で差別的な世界を離れようという話になるわけです。ここで『荘子』は、「はからい」によって打ちたてられる人間の相対的な認識を乗り越えた「道枢」という境地を提示しています。斉物論篇はこの「道枢」について、次のようにも述べています。
この雑文で何度も申し上げているように、「わかる」というのは、「分ける」を語源にしている言葉です。「判断」という言葉も、一つの「もの」を「半」分に「断」ち切ることです。「理解」という言葉も、「理(すじみち)」に従って分「解」することです。「分析」という言葉も、「分」かち「(さ)」くことにほかなりません。そのようにして世界を切り裂いていく「分別」によって成立する区別や差別や対立に満ちた現象世界は、「有為」に基づいて成立するかりそめの「もの」にすぎない。「あるがまま」の世界には、善悪や是非や可不可や美醜などという「もの」は存在していない。人間による限定的な認識の世界を離れ、有限の対立差別の世界を離れれば、善と悪にも、是と非にも、可と不可にも、美と醜にも、有と無にも、違いなどありはしない。恣意的な「有為」の「分別」を乗り越えたところでは、すべては一つである。これが「万物斉同」と呼ばれる、『荘子』内篇の核心の一つと言っていい思想です。人間が実在すると思い込んでいる善悪や美醜や長短や有無といった実体なき二元対立は、人間のおそろしくちっぽけで有限な「有為」の立場を離れればすべて消えてしまう。そういう「有為」の世界が消えたあとに残るのは、「有為」によって築かれた区別も差別も序列も意味づけもすべて消失した、万物斉同(すべてがひとしい)の「あるがまま」の世界である。そう言っているわけです。
「分別」によって切り裂かれることによって秩序づけられた有限の世界を離れた「あるがまま」の万物斉同の世界は、善悪も美醜も有無もなく無限定である。人間が琴を演奏しようとするとき、琴を奏でる以前は、人間のことさらな「有為」が加えられていない無限定な状態にあります。しかし、人間がひとたびこの琴に手を触れて演奏すると、無限定な状態に対して「有為」による限定が加えられて、音という有限な姿が立ち現れる(人為的な「分別」によって善悪や美醜や長短や有無といったような差別や区別が生じるように)。世界を「有為」によって秩序づけ意味づけていくことによって、万物斉同の世界の無限定な一体性は損なわれてしまい、「物に対する愛欲」が生じ、執著が生まれるというわけです。ちなみに、『老子』について述べた際にも登場してもらった陶淵明(魏晋南北朝時代の人です)は、無弦の琴の音を楽しんだなどと伝えられています。斉物論篇には、万物斉同をよりわかりやすく説いている次のような一節もあります。
毛嬙というのは古代中国の美女で、『管子』という書物にも「毛嬙と西施とは、天下の美人なり」とあります(西施というのは中国四大美人の一人です)。麗姫というのも同じく古代中国の美人です。『春秋左氏伝』という書物には驪姫という人が登場しますが、同一人物のようです。
ともあれ、ここに述べられているのは非常にわかりやすい話です。毛嬙も麗姫もニンゲンの世界では絶世の美人だということになっているけど、ニンゲン以外の動物は彼女たちにときめいたりはしない。あいつはイケメンだとかこいつはブサイクだとかいうのは、「有為」によって築かれたニンゲン様の世界でしか通用しない、ニンゲン様による根拠のない勝手な判断です。同じように、善悪などの価値も人間にとってのみ意味をもつ「もの」であり、相対的で限定された「有為」の意味づけです。現象世界に善とか悪とかいった「もの」が実在しているわけではない。「人為」的な限定された立場を離れれば、こうした恣意的な差別は消失し、善悪も美醜も長短も有無も生死もない、無限定な世界がたちあらわれる。これが万物斉同の世界だというわけです。斉物論篇の作者は、このような万物斉同の論理を突きつめた果てでこう言っています。
この雑文で何度も申し上げているように、すべての言葉は現象を二つ以上の「もの」に分割するという宿命を背負っています。「机」という言葉は、「机でないもの」を前提にした概念です。「机でないもの」を前提にして、「机」と「机でないもの」の間に線引きをしないと、この世のすべては机であるということになってしまって、「机」という概念自体が成立しなくなるからです。「机」と言った瞬間に、現象世界は「机」と「机でないもの」へと分かれてしまう。
「一」という概念も、「二」や「三」などの「二」以上の数を前提にした概念であり、「二」以上の数を前提にしないと理解することができないし成立もしない「もの」です。「一」と言ってしまったらそれはもはや、「多」に対立する相対的な「一」でしかない。だから「『あるがまま』の世界においては、すべては一つである」というのも、そのように言うしかないからやむをえず假にそう言っているだけのことで、本当はそんなことも言わない方がいい。そういうわけです。
繰り返しになるようですが、このような言語に対する懐疑や不信は『荘子』の内篇・外篇・雑篇を通じて見られる思想です。斉物論篇には、次のような面白い一節があります。
ここで作者が「然りと雖も、請う、嘗みに之を言わん(だが、ものはためしだから、いちおういってみることにしよう)」と言わざるをえないあたりは、いろんな意味で味わい深いものがあります。それはともかくここで指摘しておきたいのは、この一節には『老子』とは異なる思想がみとめられるということです。第22回でも申し上げたように、『老子』第40章は「天下の物は有より生じ、有は無より生ず」とはっきり言っています。『老子』では「無」や「道」と呼ばれる「もの」は、世界の根源として確固として実在し万物を生み出す「もの」だとされているわけです。『老子』が言う「無」というのは「全く存在しない」という意味ではなく、「道」には形が「無」く捉え難いということを言い表したもので、目に見える形こそないものの実は「有」に近いということもすでに述べたとおりです。『老子』では「無」や「道」は、永遠に不滅な「もの」として実体視されているわけです。
しかし『荘子』はここで、「有」とか「無」といった言葉それ自体を根本から疑い、「無」を万物の根源として素朴に捉える見方に批判の矢を向けていると解釈できます。これは『老子』と『荘子』の違いを考える上で非常に興味深い点です。『老子』が素朴に「天下の物は有より生じ、有は無より生ず」と言っていたのと比べると、ここにはより鋭い言語批判がみられるわけです。ちなみに、『荘子』の言語批判ということで言うと、例えば雑篇の外物篇にはこんな一節があります。
「荃(せん)」というのは、魚をとらえるために竹を編んでつくった道具のことです(後世では筌の字を用いることが多いです)。「蹄(てい)」という字は足のことで、兎の足をひっかけるための罠のことです。要は言葉にとらわれてはいけないという話なのですが、この一節が元ネタとなって、「筌蹄」とか「言筌」とか「忘言」とか「忘筌」といった熟語が生まれることになります。ここで言われていることは、仏教でパーリ経典のマッジマ・ニカーヤに出てくる筏のたとえに似ているところがあります。
また、『楞伽経』という大乗経典にも、『荘子』のこの一節と非常によく似た「月と指のたとえ」と言われる教えが見られます。
月を指さしたら相手が月ではなく指のほうをみてしまったというのと同じように、真理を言葉によって示すと、人間は往々にして真理ではなく言葉のほうをみてそれが真理だと誤解してしまうというわけです。
このように道家思想と仏教は、言葉が現象世界を正確に言い表しているわけではないと考える点では共通性があります。そういうこともあって後世に中国に仏教が輸入されると、道家思想と仏教が混じり合うということが起きてきます。例えば、後世の中国で生まれた禅宗という大乗仏教の一派がありますが、禅の世界でも先ほどの「筌蹄」や「忘筌」という言葉はよく用いられています。また、禅の世界では「不立文字」と言って、「覚り」の内容は言葉によって言い表せるものではないということが説かれたりもします。禅僧のなかには、仏教思想を語っているのか道家思想を語っているのか、にわかには区別し難いような言葉を語る人もおり、禅宗は大乗仏教と道家思想がフュージョンして形成された中国風の仏教だなどと言われることもあったりするのですが、この点についてお話ししていると脱線がすごく長くなりそうなので、この点については今後少しずつ述べていくことにことにしたいと思います。
話を『荘子』の言語批判に戻しましょう。雑篇の則陽篇にも次のような箇所があります。
この言葉のすぐ後に出てくる則陽篇の以下の一節は、『荘子』にみられる言語批判の極みであり、雑篇の白眉と言っていい箇所です。
まずここに登場する人名について申し上げると、少知と太公調は架空の人物です。二人とも文字通り、「少ない知識」と「大いなる公平な調和」をそれぞれ擬人化したものです。季真と接子というのは二人とも、「戦国の七雄」の一つである斉という国(後に天下を統一することになる秦によって最後に滅ぼされた国です)に集まった学者です。
内容について申し上げると、ここでは、万物を動かす「道」が存在するという立場も、存在しないという立場も斥けられています。人間の言語は、斉物論篇も説いているように、どこまでいっても差別や区別や分断を含んだ相対性や有限性から逃れられず、「すべて究極の真理について、これをことばで表現し、心で推測することができると誤信するようなことがあれば、いえばいうだけ、いよいよ真理から遠ざかる」。同じく、「道」はあると言うことも拒否し、ないと言うことも拒否して、「道という名称そのものも、便宜的にことばを借りて表現したものにすぎず、道そのものの本質を表わすものではない」と言っています。ここにも、『老子』の「天下の物は有より生じ、有は無より生ず」という単純な考え方とは異なる思想があらわれています。
さて、斉物論篇に話を戻しましょう。人為的な「分別」に基づいて恣意的に秩序づけられ意味づけられた有限な認識の世界を離れた「あるがまま」の世界には、是非や美醜や有無といった人間が勝手に打ち立てた事実判断や価値判断は実在せず、「天地は我と並び生じて、万物は我と一」であるが、「一」も「多」を前提にした概念である以上、本当は「一」とも言わないほうがいい。斉物論篇はこのように語っていることになります。人間の勝手な認識を乗り越えた万物斉同の世界においては、夢と現実の区別もありません。
有名な話ですし、ご存知の方も多いでしょう。「自分は荘周であって蝶ではない」とか「現実は夢でなく、夢は現実でない」という常識的な見方は「有為」の「分別」ににすぎない。人生という「現実」もまた夢ではないのか。そうではないと誰か断言できるのか。そのように言っていると一応解釈できますが、そんなことは読めばわかるし私がわざわざ述べるまでもないでしょう。この雑文では、ここに出てくる「物化」という言葉に注目してみたいと思います。この言葉は、(荘周が胡蝶になったり、胡蝶が荘周になったりするといったような)「万物の極まりない変化」のことだと考えられます。そう言ってもわかりにくいと思うので、具体例をあげましょう。前漢時代に成立した『淮南子』という道家系の書物のなかに、この物化についてわかりやすく述べている次のような箇所があります。
この物化の思想を万物斉同の思想と統合的に解釈してみましょう。
人間を含めた万物は流転し変化してやまず、「私」と呼ばれる現象は、うつし世において荘周という形で立ち現われることもあれば、夢のなかで胡蝶という形で現成してくることもある。だが、「そのメカニズムは、ごちゃごちゃと入り乱れぼんやりと暗く、世間の善と悪が一つながりになっていて切れ目がはっきりしないのと同様、誰にもそれらが萌す仕組みは分からない」。それは無限に転変を続ける「流れ」とでも呼ぶほかない「事態」である。「道」というのは、この「流れ」としての「事態」そのものを假に人為的な有限の言葉で仮に呼んだ「もの」にすぎない(「道」と呼ぼうが「流れ」と呼ぼうが「事態」と呼ぼうが、それは筌蹄以上の「もの」ではない)。
混沌とした「流れ」としての「事態」には、意味があるのでもなく意味がないのでもなく、価値があるのでもなく価値がないのでもなく、無限定で「無方」である。意味も無意味も価値も無価値も、「有為」によって人間が恣意的に打ちたてた「もの」にすぎないからだ。荘周も胡蝶も公牛哀も虎も、善悪も美醜も生死も、その始まりもなく終わりもない物化の「流れ」を「有為」によって切り裂き、昭氏が琴を奏でるようにして恣意的に秩序づけて意味づけるところに浮かび上がるうたかたの様相にすぎない。人間が築き上げる文化や価値体系は、無限な「流れ」を言語をはじめとする「有為」によって切り分け、荘周や胡蝶や善や悪や有や無といった有限な形に固定化していくところに成立する。この世を、そのようにして秩序づけられ意味づけられ固定化された静止的な「もの」のあつまりとして捉えるなら、荘周と胡蝶とは異なることになるし、公牛哀と虎も異なることになる。善と悪や美と醜の間には決して越えられない一線があることになり、生は死と異なるということになってしまう。そのように考えるのであれば、ただ生だけが貴いのであり、死は忌まわしき「もの」、厭わしき「もの」、目を背けるべき「もの」だということになってしまう(これはナーガールジュナの思想について述べた際にも申し上げたことですが、人間の言語というのは困ったもので、例えばAという言葉を立てると、それは存在するか存在しないかのどちらかだ、有か無かのどちらかだということになってしまうのです。また、AとBという言葉を立てると、AとBは同一か別異かのどちらかだということになってしまう。「Aという人間は善であり、Bという人間は悪である」「Aという民族は善であり、Bという民族は悪である」「Aという思想は善であり、Bという思想は悪である」という発想しかできない困った人のことを指して、「0と1しか認識できない」と表現することがあるようですが、これは人間の言語に骨がらみの問題です。人間の言語は、同一か別異か、あるいは有か無か、といった二元対立的な枠組みしか認めないところがあります)。
しかし、そのような「有為」の「分別」による「はからい」を離れた「あるがまま」の世界においては、そのような区別や差別は存在せず、万物は斉同である。万物が斉同なのだから、荘周と胡蝶のあいだにも、公牛哀と虎のあいだにも、区別などない。無限に転変を続ける物化の「流れ」のなかで現成してくる、荘周や胡蝶や公牛哀や虎や善悪や是非などといったうたかたの現象にとらわれずに、万物斉同の立場から眺めれば、生と死はもはや対立する「もの」ではなく、斉同である。
貧しいとか大金持ちだとか頭がいいとか頭が悪いとか長生きだとか短命だとかいったような物事が確固として存在するのであれば、そういった事象が常につきまとい続ける己の運命を肯定せよと言われても、それはやはり無理があるでしょう。しかし、万物斉同の立場からみれば、貧と富、賢と愚、長命と短命、もっと言えば幸福と不幸などといった「もの」は、すべて「有為」によって構成された虚妄にすぎない。このように「覚る」とき、虚妄な現象に惑わされて喜ぶことも哀しむこともなく、無限の生成変化の「流れ」を「平常心」で受けとめることができる。どこかに甘ったるい希望や絶望を残した中途半端な開き直りではなく、希望や絶望などという「有為」の価値判断をもすべて乗り越えた、いわば「究極の開き直り」が可能になる。そういうことになるわけです。
それでは、そのようにして無限に転変を続ける「事態」をすべて「あるがまま」に受け入れるうえで最大の壁となるのは何か。それは、人間はいつかは死ぬという宿命です。
万物斉同の立場に立つうえで最大の障碍になるのは、人間は有限の存在だということです。有限であるということは、死と隣りあっているということです。「有為」の「分別」の世界では、「有」と「無」は鋭く対立する「もの」だととらえられることになりますし、「死」は「生」を破壊する忌まわしき「もの」だということになるしかありません。しかし、「有があるからには、まだ有がなかった状態、すなわち無があるはずである。さらにその前に「まだ無がなかった状態」があるはずである。さらにはその「『まだ無がなかった状態』がなかった状態」があるはずである」。だから、固定的な「有」や「無」を恣意的に立てることは誤りである。斉物論篇の作者がそう言っていることは以前も見たとおりです。
人間が死を厭い恐れるのは、「自分」が「生」という局限された有限な立場から「死」を眺めているからです。「有」や「無」や「生」や「死」という人間の言葉や概念の世界にしかない「もの」を恣意的につくりあげて実体視する有限の立場に立つのではなく、そのような「有為」を離れた「あるがまま」の無限な立場にみずからを置くことができれば、「有」「無」「生」「死」といった「有為」の言葉で表現される相対的なうたかたの現象にとらわれることなく、「生」と「死」のいずれをも「春のような暖かい心で包」むことができるのではないか。無限の立場に身をおくことができれば、「生」と「死」という人間の宿命のいずれをも差別することなく肯定することができるのではないか。そう言ってくれているように思うのです。
万物斉同の世界では、「有為」によって打ち立てられた価値がうたかたの現象として解体され、人間の喜びも楽しみも悲しみも苦しみも、すべて乗り越えられる。そこでは始まりもなく終わりもない無限の物化の「流れ」のなかから「たった一つの人間の形をかすめとってきた」者は、「自分の望みを得ても喜ぶことがなく、失っても悲しむことがな」い。「生まれてきても喜ぶことがなく、死んでも不幸として悲しむことがない」。彼は“ただ”会社に行く。“ただ”結婚する。“ただ”子をもうける。“ただ”ウンコやオシッコをする。世が世なら“ただ”戦場に行く。いかなることに対しても喜ぶこともなく悲しむこともなく、“ただ”無条件でそうする。「青春をよしとし、老年をよしとし、人生のはじめをよしとし、人生の終わりをよしと」し、「何ものも失う恐れのない境地、いっさいをそのままに受け入れる境地に遊び、すべてをそのままに肯定する」。彼はそうやってこの世のすべてから解放され、なにものにもとらわれることなく万物斉同の世界に遊ぶ――逍遥遊する。
『荘子』という書物の冒頭には、このような万物斉同の世界に逍遥する心境を述べるかのようなお話が語られています。
『荘子』という書物は書き出しで、このようなお話を語っているのです。「鯤(こん)」というのは、ちっぽけな魚の卵を意味する字です。北の果ての暗い海に魚がいる。その名前を「鯤」(ちっぽけな卵)と言う。ところが、その鯤はとんでもなく巨大で、幾千里あるかわからないと言うのです。そしてそれが突然変化して「鵬(ほう)」になる。これは鳳凰の「鳳」のことです(古い文字では「風」は「鳳」で、殷の時代の甲骨文には「鵬」は風の神様として出てきます)。その鵬が空いっぱいにたれこめる雲のような巨大な翼を広げて大空へと舞い上がり、大海が嵐に荒れ狂うなかで、北の果てから南の果てへと飛んでいく……。
野馬というのは陽炎(かげろう)のことで、塵埃というのは「ほこり」のことです。地上にはかげろうやほこりや様々な生き物といった万物がひしめき、喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんだり苦しんだり愛しあったり憎しみあったり殺しあったりしている。でも、遥かな大空を飛ぶ鵬の風光から地上をみれば、そんな有限な「もの」はすべて消えてしまい、意味とか無意味とか価値とか無価値といった「有為」の価値体系はすべて雲散霧消し、一面の青一色があるだけだ。かつて「地球は青かった」と言った宇宙飛行士がいたそうですが、それが『荘子』のしょっぱなに置かれたこのお話が紡がれてから2000年以上あとのことであることを思えば、すごい想像力だと言えるでしょう。鯤が鵬になるという、「大小」という「分別」を破るかのような書き出しから始まる『荘子』という書物のプロローグは、『荘子』という書物が到達した万物斉同の地平を見事に描いてみせていると言えるでしょう。
『荘子』という書物の内篇(特に斉物論篇)が語る思想について、私が述べようとしたことはこれですべてです。『論語』という儒家の経典には、「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」という有名な孔子の言葉があります。儒家の始祖である孔子にとっては、現世をいかに生きて何を成し遂げるかということが最大の関心事だったのです。しかし、現世をいかに生きるか、いかに生きれば文化的なしきたりを身につけた立派な「社会人」になれるか、いかにすれば天下を治めることができるか、どうすれば100人のうちの99人を救済できるかといったことだけが人間のすべてではない。人間はこの世に生まれ、大病を得て苦しみ、老いのはてに寝たきりになったり半身不随になったりして死んでゆく。いかなる人間もいつかは死ぬし、己が築いた「もの」もいつかは消えてなくなる。これは人間がいつかは死ぬ運命である以上は決して逃れられない大問題です。『荘子』内篇は、この人間の生死という大問題に答えようとした中国史上最初の書物なのです。
そして『荘子』内篇の思想は、全知全能の神や前世や来世といった「もの」を全く前提にすることなく成立してしています。これは、超越的な人格神を心から信じることが困難になってしまった現代人にとっては非常に重要なことではないかと思います。『荘子』は、もはや神を信じることができない者にも応えうる思想だと言っていいのではないかと思われます。そういう意味で、私がこの雑文で述べてきた「初期仏教」やナーガールジュナの思想と同じく、2000年以上を経た現代でもその価値を全く失っていないように思うのです。
最後に、『荘子』内篇の一番最後に出てくる有名なお話を掲げておきたいと思います。
これで『荘子』内篇についてはひと通り記し終えたので、次回からは外篇と雑篇の内容にも入っていきたいと思います。
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