「即」という名のアポリア 第24回

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 今回から『荘子』の内容に分け入っていきたいと思います。以前も申し上げたように、『荘子』は一人の人間の手で書かれた書物ではありません。多くの人々の手によって長い時代をかけて出来上がっていったテキスト群を、後から編集したのが一つの書物になっています。時代が異なる多くの人によって書かれているわけですから、全く方向性が違う思想が見られたり、相互に矛盾する思想が含まれていたりします。現存する『荘子』は内篇・外篇・雑篇の三つの部分からなる書物ですが、大ざっぱに言えば、

①『荘子』内篇で語られている思想と、外篇・雑篇で語られている思想には結構違いがある。
②『荘子』内篇は、政治だの社会だのといった事象への関心が希薄で、己の生死や「実存」をめぐる「宗教的な」問題に集中しようとする傾向が強い。その点は『老子』と異なる。
③『荘子』外篇・雑篇は、『老子』と同様に天下をいかに治めるかといった問題を論じた箇所も多く、政治への関心が内篇よりも強まっている。『老子』に近い思想を語ることも多い。

ということも以前申しあげたとおりです。ですから、内篇・外篇・雑篇を一括りにして同じ思想を語る書物として扱うことはできません。そのような扱いをするのは、仏教でたとえると初期仏教も部派仏教も初期大乗仏教もみんな「仏教」と呼ばれてるんだから似たようなもんだろうと一括りにするようなものですし、そんなことをしたら正確な理解はおぼつかなくなってしまいます。ですので、ひとまず内篇の最初の逍遥遊篇や斉物論篇から話を始めてみたいと思います。この二篇は、現存する『荘子』のなかでも特に成立が古い部分であるとか、元々の荘周の思想に近いと言われることもありますが、そのような通説に異を唱える人もおり、そのあたりは素人の私には軽々しいことは言えません。ですが、ともかくも『荘子』について考えるうえで非常に重要な部分であることに間違いはないので、まずここから始めることにします。ただし、逍遥遊篇と斉物論篇以外の篇でも、この二篇に近い思想が語られている箇所もあるので、それらにも適宜触れながら話をすすめていくことにします。

 これも以前述べたことの繰り返しになるようですが、一般に中国の文化には政治的な色彩が強いと言われています。それは今扱っている戦国時代に活躍した諸子百家たちにも言えることです。『老子』という書物もその例にもれないことは、第22回でみたとおりです。しかし、政治は人間が二人以上いるところには否応なく存在してしまうものではあるけれども、それだけが人生のすべてでは決してない。この世には政治や経済や社会や国家や福祉といった次元では解決できぬ問題がある。その最たるものが、「自分は有限の存在であり、いつかは死ぬ」という人間の生死をめぐる宗教的な問題です。古代中国を生きた人々も、もちろんそういう問題に無関心だったわけではありません。そのような己の生死という宗教的な問いに正面から向きあった書物が『荘子』です。『荘子』斉物論篇はこう言っています。

 一たび其の成形を受くれば、亡ぼさずして以て尽くるを待つ。物と相刃らい相靡き、其の行き尽くすこと馳するが如くして、之を能く止むる莫し。亦悲しからずや。終身役役として其の成功を見ず。苶然として疲役して、其の帰する所を知らず。哀しまざる可けんや。
 人、之を死せずと謂うも、奚ぞ益あらん。其の形化して其の心も之と然り。大哀と謂わざる可けんや。人の生くるは、固より是の若く芒たるか。其れ我独り芒にして、人亦芒たらざる者有るか。

 ひとたび人間としての形を受けた以上は、これを滅ぼすことなく、命の果てる日まで待つほかはない。それにもかかわらず、世の人は、あるいは物に逆らいつつ、あるいは物になびき従いつつ、その人生を駆け足のように走りぬけ、これをとどめるすべを知らないのは、あわれというほかないではないか。
 その生涯をあくせくと労苦のうちにすごしながら、しかもその成功を見ることもなく、ぼうぜんとして疲れはて、人生のゆくえも知らずにいるのは、あわれというも愚かではないか。このようなありさまで生きているのは、たとえ他人が「お前はまだ死んでいないよ」といってくれたとしても、それが何の役にたつであろう。その身体が滅びるとともに、その心もまた同時に滅びるほかはない。これを大きな悲しみといわずにいられるであろうか。
 この世に生きる人びとは、すべてこのような惑いのうちにあるのであろうか。それとも私だけが惑いのうちにあって、世の人のうちには惑わないものがあるというのであろうか。

斉物論篇、森三樹三郎訳注『荘子 内篇』中公文庫

 人は誰しも、生まれたいと望んで生まれてきたわけでもない。生まれたくないと思って生まれてきたわけでもない。人間は、己のあずかり知らぬまま、受け入れることも拒否することも許されぬまま、理由も知らされぬままにこの世に投げ出される。インドに生まれるか中国に生まれるか日本に生まれるか、イケメンとして生まれるかブサイクに生まれるか、富める家に生まれるか貧しき家に生まれるか、生まれつき聡明なのか生まれつき愚かなのか。そうしたすべてが自分で選択できることではない。

 そのようにしてなすすべもなく生まれてくる人間は、なすすべもなく学校に行ったり受験をしたり就職したり会社に行ったり結婚をしたり子をもうけたり世が世なら戦場に行ったりする。苦しみから逃れ、幸福を手に入れたいと願い、金や名誉や権力や長寿を求めもする。そうやって求めた金や名誉や権力や長寿が得られることもあるが、それが「有為」によって築かれた「もの」である以上は、いつかは否応なく失われざるをえない。そうやって「あるいは物に逆らいつつ、あるいは物になびき従いつつ、その人生を駆け足のように走りぬけ、これをとどめるすべを知らない」人間が、浮かんでは消え、消えては浮かび上がる万物の転変に一喜一憂しながら味わうのは、あるいは喜びであり怒りであり、あるいは哀しみであり楽しみであり、あるいは快楽であり苦痛であり、あるいは希望であり絶望である。内的には決して満ちることを知らない欲望と千々に乱れる情念にいいように引きずり回され、外界に向かっては「あるいは物に逆らいつつ、あるいは物になびき従」う人間は、「生涯をあくせくと労苦のうちにすごし」ながら、「ぼうぜんとして疲れはて、人生のゆくえも知らずにい」る。人間というわけのわからない存在、人生という得体の知れない代物を厳しく省みると、それはあわれにも悲しい。『荘子』はそう言っているわけです。

 ここでは、「其の形化して其の心も之と然り(その身体が滅びるとともに、その心もまた同時に滅びるほかはない)」とはっきり言っていることも目をひきます。魂は不滅だとか、その魂が輪廻したり異世界転生するとかいったような思想が、ここでは否定されています。以前も申し上げたように、『老子』でも『荘子』でも、全知全能の神であるとか、自分だけを信じて祈りや供物を捧げるように要求したり、自分の命令に背いた者を憎んで罰を与える、人格や意志をもつ神様が認められることはありません。そのうえ、このような不滅の魂といったような観念を否定している箇所すらある。ここでは、人間とはなすすべもないまま理由も知らされぬままに生まれ落ちて、すがるべき神も不滅の魂ももたぬままにこの世という曠野を孤独に彷徨することを余儀なくされた、どこまでも絶望的な存在です。

 荘子が生きたとされる戦国時代は、強い国が互いに争ったり、周辺の小国を侵略して併合していく乱世でした。誰もが「朝に紅顔あって世路に誇れども、夕べに白骨となって郊原に朽ち」るやもしれぬ明日をも知れぬ状況のなかで、人間はいかに生きるべきか、世界はどうあるべきかという「道」を説く諸子百家たちが出てきたことは、すでに述べたとおりです。かくして春秋時代末から戦国時代には、孔子をはじめとする多くの思想家たちが登場し、自らのイデオロギーをもとにして様々な「正しい生き方」=「道」を提唱し、世の中に広めようとしました。それら様々な思想はおしなべて、この世界を「有為」の「知」によって正確に認識することができるのだと誇り、その認識にもとづいていろんな価値判断を行い、言語という手段を用いて自説がいかに正しいかを示そうとします。それでは、その「知」や言語というのは信頼に足るものなのでしょうか。

 夫れ言は吹くには非ざるなり。言う者は言うこと有り。其の言う所の者、特り未だ定まらざるなり。果たして言うこと有りや、其れ未だ嘗て言うこと有らざるか。其の以て鷇の音に異なれりと為すも、亦弁有りや、其れ弁無きや。

 さて、ことばというものは、口から吹き出す単なる音ではない。ことばを口から出すものは、何事かをいおうとするのである。ただ、そのいおうとする内容が、人によって異なり、一定しないところに問題がある。
 もしことばの内容が一定しないままに発言したとすれば、そのいったことが、はたしていったことになるか、それとも何もいわなかったことになるか、わかったものではない。たとえ自分では単なる雛鳥のさえずりとはちがうと思っていても、はたして区別がつくかつかないか、あやしいものである。

斉物論篇、同前

 古今や東西を問わず、およそ思想というものは言葉によって表現されます。その言葉にはすべて説明しようとする内容、すなわち意味があります。しかし、その言葉と内容の対応関係は人間によって恣意的にでっちあげられると言っているわけです。そうなると、言葉によって築き上げられるリクツや思想の類は全般的に疑わしいものを含んでいるんじゃないか。このように人間の言葉が信頼に値しないものだというのであれば、当時の諸子百家たちが言葉によって主張したいろんな「道」は砂上の楼閣のようなものではないかという話になってきます。『荘子』が書かれた時代は、儒家や墨家をはじめとする諸子百家が、「Aという『道』が正しいのだ」「違う、AではなくBという『道』が真理なのだ」といった類の論争を繰り広げ、「道」が見失われるありさまでした。Aが「俺様の主張は正しくてBの主張は間違っている」と言ったと思えば、Bが「いやいや違う、俺の主張こそが正しくてAが言うことは誤りだ」とお互いに言い争うのは古今東西どこにでも見られる光景ですが、『荘子』の思想には、そのような言葉による議論の対立を乗り越えようとした側面があります。

 道は悪くに隠れて真偽有るか、言は悪くに隠れて是非有るか。道は悪くに往きてか存せざる、言は悪くに存してか不可なる。道は小成に隠れ、言は栄華に隠る。
 故に儒墨の是非有り。以て其の非とする所を是とし、其の是とする所を非とす。其の非とする所を是とし、其の是とする所を非とせんと欲すれば、則ち明を以てするに若くは莫し。

 それでは、道は何におおいかくされて、真と偽の区別を生ずるのであろうか。ことばは何におおいかくされて、是と非の対立を生ずるのであろうか。もともと道というものは、どこまでいっても存在しないところはなく、ことばというものは、どこにあっても妥当するはずのものである。それが、そうでなくなるのはなぜか。ほかでもない。道は小さな成功を求める心によってかくされ、ことばは栄誉とはなやかさを求める議論のうちにかくされてしまうのである。
 だからこそ、そこに儒家と墨家との、是非の対立が生まれる。こうして相手の非とするところを是としたり、相手の是とするところを非としたりするようになる。もしほんとうに、相手の非とするところを是とし、相手の是とするところを非としようと思えば、是非の対立を越えた、明らかな智恵をもって照らすのが第一である。

斉物論篇、同前

「是非の対立を越えた、明らかな知恵(明)をもって照らすのが第一である」というのはどういうことか。『荘子』は次のように述べています。

 物は彼れに非ざるは無く、物は是れに非ざるは無し。彼れよりすれば、則ち見えざるも、自ら知れば、則ち之を知る。故に曰わく、彼れは是れより出で、是れは亦彼れに因ると。彼是は方生の説なり。
 然りと雖も、方び生じ方び死し、方び死し方び生ず。方び可にして方び不可に、方び不可にして方び可なり。是に因り非に因り、非に因り是に因る。是を以て聖人は由らずして、之を天に照らす。亦、是に因るなり。
 是れも亦彼れなり、彼れも亦是れなり。彼れも亦一是非なり、此れも亦一是非なり。果たして且た彼是有りや、果たして且た彼是無きや。
 彼是、其の偶を得る莫き、之を道枢と謂う。枢は始めて其の環中を得るや、以て無窮に応ず。是も亦、一無窮なり。非も亦、一無窮なり。故に曰わく、明を以てするに若くは莫しと。

 すべての物は、彼れとよびえないものはなく、また是れとよびえないものはない。それなのに、なぜ離れているものを彼れとよび、近いものだけを是れとよぶか。
 離れている彼れの立場からは見えないことでも、自分の立場で反省してみれば、よく理解することができる。だから身に近いものを是れとよんで親しみ、遠いものを彼れとよんで差別しているにすぎない。
 だから次のようにいえる。彼れという概念は、自分の身を是れとするところから生じたものであり、是れという概念は、彼れという対立者をもととして生じたものである。つまり彼れと是れというのは、相並んで生ずるということであり、たがいに依存しあっているのである。
 しかしながら、このように依存しあっているのは、彼れと是れとだけではない。生に並んで死があり、死に並んで生がある。可に並んで不可があり、不可に並んで可がある。是をもとにして非があり、非をもとにして是がある。すべてが相対的な対立にすぎず、絶対的なものではない。
 だからこそ聖人は、このような相対差別の立場によることなく、これを天に照らす――差別という人為を越えた、自然の立場から物をみるのである。このような聖人は、是非の対立を越えた、裏の是に身をおくものといえよう。
 もしこのような自然の立場、相対差別という人為を越えた立場からみれば、是れと彼れとの区別はなく、彼れと是れとは同じものになる。たとえ是非を立てるものがあったとしても、彼れは彼れの立場をもととした是非を立てているにすぎず、此れは此れの立場をもととした是非を立てているにすぎない。それに、もともと彼れと是れという絶対的な区別がはたして存在するのか、それとも彼れと是れとの区別が存在しないのか、根本的に疑問ではないか。
 このように彼れと是れとが、その対立を消失する境地を、道枢という。枢――扉の回転軸は、環の中心にはめられることにより、はじめて無限の方向に応ずることができる。この道枢の立場に立てば、是も無限の回転をつづけ、非もまた無限の回転をつづけることになり、是非の対立はその意味を失ってしまう。先に「明らかな知恵をもって照らすのが第一である」といったのは、このことにほかならない。

斉物論篇、同前

 難解な文章ですが、ここではひとまず次のように解釈しておきます。例えば、「長い」とか「短い」という言葉があります。何kmでもいいですけど、2億kmといえば、“人間にとっては”途方もなく長い距離です。しかし2億kmは1億kmよりは長いけれど、3億kmよりは短い。よって、2億kmは長いともいえるし、短いとも言える。もっと言えば、2億kmは長いのでもなく短いのでもない。つまり、2億kmそれ自体のなかには、「長い」という属性も「短い」という属性もない。1億kmと比べると長いけれど3億kmと比べると短いという具合に、2億km以外の距離との関係ではじめて、短いとも長いとも言えるようになるというだけのことです。1mmだろうが1兆光年だろうが、どんな距離でも同じことです。これは、「長い/短い」という言葉だけでなく、「美しい/醜い」でも「善/悪」でも「高い/低い」でも「きれい/きたない」でも「左/右」でも「上/下」でも同じことです。これらのものさしはすべて人間が勝手に決めた言葉だけの「もの」であって、世界にはこれらの言葉に対応する実体は存在しているとは言えないわけです。

「これ/あれ」という概念にも同じことが言えます。目の前にある机を「これ」と呼ぶことはできますが、外出するなどしてその机のそばから離れたら、もはや「これ」と呼ぶことはできません。「あれ」と呼ばないといけなくなってしまいます。2億kmそれ自体のなかには「長い」という属性も「短い」という属性もないのと同様に、いかなる「もの」をとりあげても、それ自体のなかには「これ」という属性もなければ「あれ」という属性もない。人間が勝手に「これ/あれ」という人為的で相対的なものさしを勝手につくってそれにあてはめようとするから、「これ」とか「あれ」とか呼ばれるというだけのことです。2億kmが1億kmとの関係で長いと言われたり、3億kmとの関係で短いと言われたりするのと同様に、「これ」は「あれ」との関係で「これ」と言われているだけだし、「あれ」は「これ」との関係で「あれ」と言われるだけである。「これ」や「あれ」といった言葉に対応する「もの」が現象世界に存在するとは言えない。「善」などという言葉を立てるから「悪」も同時に成立する。「悪」などという言葉を立てるから「善」も同時に成立する。「分別」によって「生」という「もの」があると考えるから「死」という「もの」もあるということになるし、同じく「分別」によって「死」という「もの」があると考えるから「生」という「もの」もあるということになる。そう言っているとひとまず解釈できます。

 そういうわけで、長短とかこれ/あれとか善悪とか有無とか生死といった、人間による言語的で恣意的な「分別」に基づいた相対的で差別的な世界を離れようという話になるわけです。ここで『荘子』は、「はからい」によって打ちたてられる人間の相対的な認識を乗り越えた「道枢」という境地を提示しています。斉物論篇はこの「道枢」について、次のようにも述べています。

 可を可とし、不可を不可となす。道は之を行きて成り、物は之を謂いて然りとす。悪くにか然りとするや。然るを然りとす。悪くにか然らずとするや。然らざるを然らずとす。物は固より然りとする所あり、物は固より可とする所あり。物として然らざるは無く、物として可ならざるは無し。故に是れが為に、莛と楹、厲と西施、恢恑と憰怪とを挙ぐるに、道は通じて一たり。
 其の分かるるは、成るなり。其の成るは、毀つなり。凡そ物は、成ると毀つと無く、復通じて一たり。唯、達者のみ、通じて一たるを知る。是れが為に、用いずして、諸を庸に寓す。庸なる者は用なり。用なる者は通なり。通なる者は得なり。適たま得て、幾し。是に因る已。已にして其の然るを知らず、之を道と謂う。

 世の人は、もともと一つであるはずのものを可と不可に分け、可であるものを可とし、不可であるものを不可としている。だが、それは、ちょうど道路が人の通行によってできあがるように、世間の人びとがそういっているからという理由で、習慣的にそのやり方を認めているにすぎない。
 それでは、かれらは何をそうであるとして是認するのであろうか。世の人が習慣的にそうであるとすることを、そうであるとしているまでのことである。何をそうではないとして否定するのであろうか。世の人がそうではないとすることを、そうではないとしているにすぎない。
 だが、先に述べた無差別の道枢の立場からみれば、あらゆる対立が無意味なものになる。したがって、この立場からすれば、どのような物にも必ずそうであるとして肯定すべきところがあり、可として認められるべきところがある。いいかえれば、いかなる物もそうであるとして肯定されないものはなく、いかなる物も可として是認されないものはない。
 その例として、横にわたる梁と縦に立つ柱、癩病患者と美女の西施、けたはずれのものと奇怪をきわめたもの、などの対立をあげてみよう。これらの対立差別は、人間の知恵がつくり出したものであり、自然の道からみれば、すべて一つなのである。
 この自然の道の立場からみれば、分散し消滅することは、そのまま生成することであり、生成することは、またそのまま死滅することでもある。すべてのものは、生成と死滅との差別なく、すべて一つである。
 ただ道に達したものだけが、すべてが通じて一であることを知る。だから達人は分別の知恵を用いないで、すべてを自然のはたらきのままにまかせるのである。庸とは用の意味であり、自然の作用ということである。自然の作用とは、すべてを通じて一である道のはたらきである。すべてに通じて一であるものを知るとは、道を体得することにほかならない。この道を体得した瞬間に、たちまち究極の境地に近づくことができるのである。
 究極の境地とは何か。是非の対立を越えた是に、いいかえれば自然のままの道に、ひたすら因り従うことである。ひたすら因り従うだけで、その因り従うことさえ意識しなくなること、これが道の境地である。

斉物論篇、同前

 この雑文で何度も申し上げているように、「わかる」というのは、「分ける」を語源にしている言葉です。「判断」という言葉も、一つの「もの」を「半」分に「断」ち切ることです。「理解」という言葉も、「理(すじみち)」に従って分「解」することです。「分析」という言葉も、「分」かち「(さ)」くことにほかなりません。そのようにして世界を切り裂いていく「分別」によって成立する区別や差別や対立に満ちた現象世界は、「有為」に基づいて成立するかりそめの「もの」にすぎない。「あるがまま」の世界には、善悪や是非や可不可や美醜などという「もの」は存在していない。人間による限定的な認識の世界を離れ、有限の対立差別の世界を離れれば、善と悪にも、是と非にも、可と不可にも、美と醜にも、有と無にも、違いなどありはしない。恣意的な「有為」の「分別」を乗り越えたところでは、すべては一つである。これが「万物斉同」と呼ばれる、『荘子』内篇の核心の一つと言っていい思想です。人間が実在すると思い込んでいる善悪や美醜や長短や有無といった実体なき二元対立は、人間のおそろしくちっぽけで有限な「有為」の立場を離れればすべて消えてしまう。そういう「有為」の世界が消えたあとに残るのは、「有為」によって築かれた区別も差別も序列も意味づけもすべて消失した、万物斉同(すべてがひとしい)の「あるがまま」の世界である。そう言っているわけです。

 古の人、其の知は至る所有り。悪くに至れるや。以て未だ始めより物有らずと為す者有り。至れり尽くせり、以て加うる可からず。其の次は、以て物有りとするも、未だ始めより封有らずと為す。其の次は、以て封有りとするも、未だ始めより是非有らずと為す。是非の彰わるるは、道の虧くる所以なり。道の虧くる所以は、愛の成る所以なり。
 果たして且た、成ると虧くると有りや、果たして且た、成ると虧くると無きや。成ると虧くると有るは、故より昭氏の琴を鼓するなり。成ると虧くると無きは、故より昭氏の琴を鼓せざるなり。

 上古の人には、その知恵が、それぞれに到達するところがあった。その到達したところとは、どのようなものであったか。
 最も高いものは「はじめからいっさいの物は存在しない」とするのであって、これは究極まで至りつき、すべてを尽くしたもので、もはやつけ加えるべき何ものもない。
 これに次ぐものとしては「物は存在するけれども、その物には限界――他と区別される境界がない」というのがある。
 さらにこれに次ぐものとしては「物には限界があり、物と物とを区別する境界はあるけれども、是と非との区別、価値の区別はまったくない」というのがある。
 もし是と非との対立、価値の区別が現われるところまでくれば、道の完全さがそこなわれることになる。道の完全さがそこなわれるところ、そこには物に対する愛欲が生まれる。
 ところで、いま道の完全さがそこなわれるといったが、はたして道には完全と毀損ということがあるのだろうか。それとも道には完全も毀損もないのであろうか。
 道に完全と毀損の区別ができるのは、たとえば琴の名手の昭氏が、琴を奏でる場合である。琴を奏でる以前の状態は、まだ道が完全な状態にあるときである。ところが昭氏が演奏をはじめるやいなや、道はそこなわれる。昭氏がいくら多くの音を奏でたとしても、それは琴に秘められた無数の音の一部分でしかない。かれは琴を奏でるという人為によって、無限であるべき自然の道に限定を加え、これをそこなっているのである。
 道に完全と毀損の区別がないというのは、昭氏が琴を奏でないときである。このときは、無限である自然の道が、無限のままに残されているのであるから、完全と毀損との対立もありえない。

斉物論篇、同前

 

「分別」によって切り裂かれることによって秩序づけられた有限の世界を離れた「あるがまま」の万物斉同の世界は、善悪も美醜も有無もなく無限定である。人間が琴を演奏しようとするとき、琴を奏でる以前は、人間のことさらな「有為」が加えられていない無限定な状態にあります。しかし、人間がひとたびこの琴に手を触れて演奏すると、無限定な状態に対して「有為」による限定が加えられて、音という有限な姿が立ち現れる(人為的な「分別」によって善悪や美醜や長短や有無といったような差別や区別が生じるように)。世界を「有為」によって秩序づけ意味づけていくことによって、万物斉同の世界の無限定な一体性は損なわれてしまい、「物に対する愛欲」が生じ、執著が生まれるというわけです。ちなみに、『老子』について述べた際にも登場してもらった陶淵明(魏晋南北朝時代の人です)は、無弦の琴の音を楽しんだなどと伝えられています。斉物論篇には、万物斉同をよりわかりやすく説いている次のような一節もあります。

 且つ吾嘗試みに女に問わん。民、湿に寝ぬれば、則ち腰疾して偏死す。鰌は然らんや。木処すれば則ち惴慄恂懼す。猿猴は然らんや。三者、孰れか正処を知らん。民は芻豢を食い、麋鹿は薦を食い、蝍蛆は帯を甘しとし、鴟鴉は鼠を耆む。四者、孰れか正味を知らん。猿は猵狙を以て雌と為し、麋は鹿と交わり、鰌は魚と游ぶ。毛嬙、麗姫は、人の美とする所なり。魚は之を見て深く入り、鳥は之を見て高く飛び、麋鹿は之を見て決して驟る。四者、孰れか天下の正色を知らん。
 吾よりして之を観るに、仁義の端、是非の塗は、樊然として殽乱す。吾悪くんぞ能く其の弁を知らんや」と。

 それでは、お前にたずねてみよう。人間は湿気の多いところで寝起きすると、腰の病気が出て、半身不随になって死んでしまうが、鰌などにはそんなことはないではないか。また人間は高い木の上に住んだりすると、ふるえあがってこわがるが、猿はいっこうに平気だ。人間、鰌、猿のこの三者のうちで、どれがほんとうのすみかを知っていることになるのだろうか。
 人間は家畜の肉を食い、鹿は草を食い、百足は蛇をうまいと思い、鳶や烏は鼠を喜んで食う。この四つのもののうちで、どれがほんとうの味を知っていることになるのだろうか。
 猿は猵狙を雌として追い求め、麋は鹿と交わり、鰌は魚と仲よく泳ぎまわる。ところで毛嬙や麗姫は、人間がこれを絶世の美女だとするけれども、魚はその姿を見ると、恐れて水中深く沈み、鳥はその姿を見ると、驚いて空高く飛び去り、鹿のむれはその姿を見て、一目散に逃げ出すだろう。
 わしの目からみれば、世間でいう仁義のけじめや、是非の道すじなどは、わけがわからないほどに混乱しており、わしにはさっぱり区別がつかないよ」

斉物論篇、同前

 毛嬙というのは古代中国の美女で、『管子』という書物にも「毛嬙と西施とは、天下の美人なり」とあります(西施というのは中国四大美人の一人です)。麗姫というのも同じく古代中国の美人です。『春秋左氏伝』という書物には驪姫という人が登場しますが、同一人物のようです。

 ともあれ、ここに述べられているのは非常にわかりやすい話です。毛嬙も麗姫もニンゲンの世界では絶世の美人だということになっているけど、ニンゲン以外の動物は彼女たちにときめいたりはしない。あいつはイケメンだとかこいつはブサイクだとかいうのは、「有為」によって築かれたニンゲン様の世界でしか通用しない、ニンゲン様による根拠のない勝手な判断です。同じように、善悪などの価値も人間にとってのみ意味をもつ「もの」であり、相対的で限定された「有為」の意味づけです。現象世界に善とか悪とかいった「もの」が実在しているわけではない。「人為」的な限定された立場を離れれば、こうした恣意的な差別は消失し、善悪も美醜も長短も有無も生死もない、無限定な世界がたちあらわれる。これが万物斉同の世界だというわけです。斉物論篇の作者は、このような万物斉同の論理を突きつめた果てでこう言っています。  

 天地は我と並び生じて、万物は我と一たり。既に已に一たり、且た言有るを得んや。既に已に之を一と謂う、且た言無きを得んや。一と言と、二と為り、二と一と、三と為る。此れより以往は、巧歴も得る能わず。而も況んや其の凡なるをや。故に無より有に適くも、以て三に至る。而も況んや有より有に適くをや。適くこと無し。是に因る已。

 さらにつきつめていえば、永遠の天地も、わがつかのまの人生とひとしく、かず知れない万物も、われひとりにひとしい、ということもできよう。
 このようにして、すべては一つである。一つであるとすれば、対立差別を本質とすることばを用いて表現することは不可能であるから、「一つである」ということも、さしひかえなければなるまい。しかし「一つである」ということを表わすには、ことばなしではすまされない。
 もしことばで表現することが避けられないとすると、「一つである」という事実と、「一つである」ということばとが生まれ、あわせて二になる。この二を、最初の未分化の一とあわせると、三になる。このようにして際限なく数が加えられてゆくと、ついには計算の名人でも数えきれないほどになる。まして凡人の手には負えなくなるであろう。
 このように無から出発して有に向かって進んでも、三になるほどであるから、まして最初から有から出発して有に向かって進むならば、無限の多の世界にさまようほかはないであろう。
 多の世界に向かうことをやめよ。是非の対立を越えた、自然のままの道に従うがよい。

斉物論篇、同前

 この雑文で何度も申し上げているように、すべての言葉は現象を二つ以上の「もの」に分割するという宿命を背負っています。「机」という言葉は、「机でないもの」を前提にした概念です。「机でないもの」を前提にして、「机」と「机でないもの」の間に線引きをしないと、この世のすべては机であるということになってしまって、「机」という概念自体が成立しなくなるからです。「机」と言った瞬間に、現象世界は「机」と「机でないもの」へと分かれてしまう。

「一」という概念も、「二」や「三」などの「二」以上の数を前提にした概念であり、「二」以上の数を前提にしないと理解することができないし成立もしない「もの」です。「一」と言ってしまったらそれはもはや、「多」に対立する相対的な「一」でしかない。だから「『あるがまま』の世界においては、すべては一つである」というのも、そのように言うしかないからやむをえず假にそう言っているだけのことで、本当はそんなことも言わない方がいい。そういうわけです。

 繰り返しになるようですが、このような言語に対する懐疑や不信は『荘子』の内篇・外篇・雑篇を通じて見られる思想です。斉物論篇には、次のような面白い一節があります。

 今、且く此に言有り。知らず、其の是れと類するか、其の是れと類せざるかを。類すると類せざるとは、相与に類を為す。則ち彼れと以て異なる無し。然りと雖も、請う、嘗みに之を言わん。「始めなる者」有り。未だ始めより「始めなる者」有らざる有り。未だ始めより、夫の「未だ始めより始めなる者有らざること」有らざる有り。
 有なる者有り。無なる者有り。未だ始めより「無なる者」有らざる有り。未だ始めより、夫の「未だ始めより無なる者有らざること」有らざる有り。
 俄かにして有無あり。而して未だ有無の果たして孰れが有にして、孰れが無なるかを知らざるなり。
 今、我則ち已に謂う有り。知らず、而も未だ吾が謂う所の其れ果たして謂う有るか、其れ果たして謂う無きかを。

 いま私がここで何事かをいったとする。そのとき、そのことばは、いおうとしている事実に接近しているであろうか。それとも接近していないであろうか。接近しているといっても、接近していないといっても、正確に事実を表現していないという点からいえば、けっきょく似たようなものである。とするならば、はじめから何もいわなかったのと変わりがないことになる。
 だが、ものはためしだから、いちおういってみることにしよう。万物には、その「はじめ」があるはずである。「はじめ」があるとするならば、さらにその前の「まだはじめがなかった時」があるはずである。さらにはその「『まだはじめがなかった時』がなかった時」があるはずである。
 また、有があるからには、まだ有がなかった状態、すなわち無があるはずである。さらにその前に「まだ無がなかった状態」があるはずである。さらにはその「『まだ無がなかった状態』がなかった状態」があるはずである。
 このようにして、ことばにたよって有無の根源をたずねようとすると、それははてしなくつづき、けっきょくその根源をつきとめることはできない。
 それにもかかわらず、われわれは確実な根源を知らないままに、いきなり有とか無ということを口にするのである。このような不確実な有無のとらえ方では、その有無の、どちらが有で、どちらが無であるか、わかったものではない。
 ところで、いま私は、このようなわけのわからないことをいった。それというのも、ことばというものが物事の確実な根源をとらえることができないためである。とするならば、私がいったという事実も、はたしてあるのかそれともないのか、わかったものではない。

斉物論篇、同前

 ここで作者が「然りと雖も、請う、嘗みに之を言わん(だが、ものはためしだから、いちおういってみることにしよう)」と言わざるをえないあたりは、いろんな意味で味わい深いものがあります。それはともかくここで指摘しておきたいのは、この一節には『老子』とは異なる思想がみとめられるということです。第22回でも申し上げたように、『老子』第40章は「天下の物は有より生じ、有は無より生ず」とはっきり言っています。『老子』では「無」や「道」と呼ばれる「もの」は、世界の根源として確固として実在し万物を生み出す「もの」だとされているわけです。『老子』が言う「無」というのは「全く存在しない」という意味ではなく、「道」には形が「無」く捉え難いということを言い表したもので、目に見える形こそないものの実は「有」に近いということもすでに述べたとおりです。『老子』では「無」や「道」は、永遠に不滅な「もの」として実体視されているわけです。

 しかし『荘子』はここで、「有」とか「無」といった言葉それ自体を根本から疑い、「無」を万物の根源として素朴に捉える見方に批判の矢を向けていると解釈できます。これは『老子』と『荘子』の違いを考える上で非常に興味深い点です。『老子』が素朴に「天下の物は有より生じ、有は無より生ず」と言っていたのと比べると、ここにはより鋭い言語批判がみられるわけです。ちなみに、『荘子』の言語批判ということで言うと、例えば雑篇の外物篇にはこんな一節があります。

 荃は、魚に在る所以なり。魚を得て荃を忘る。蹄は、兎に在る所以なり。兎を得て蹄を忘る。言は意に在る所以なり。意を得て言を忘る。吾安くにか夫の言を忘るるの人を得て之と言わんや。

 荃は魚をとらえるための道具である。魚をとらえてしまえば、荃のことは忘れてしまうものだ。わなは兎をとらえるための道具である。兎をとらえてしまえば、わなのことは忘れてしまうものだ。ことばというものは、意味をとらえるための道具だ。意味をとらえてしまえば、ことばに用はなくなるのだから、忘れてしまえばよい。
 私は、ことばを忘れることのできるのできる人間を捜し出して、ともに語りたいものである。

外物篇、森三樹三郎訳注『荘子 雑篇』中公文庫

「荃(せん)」というのは、魚をとらえるために竹を編んでつくった道具のことです(後世では筌の字を用いることが多いです)。「蹄(てい)」という字は足のことで、兎の足をひっかけるための罠のことです。要は言葉にとらわれてはいけないという話なのですが、この一節が元ネタとなって、「筌蹄」とか「言筌」とか「忘言」とか「忘筌」といった熟語が生まれることになります。ここで言われていることは、仏教でパーリ経典のマッジマ・ニカーヤに出てくる筏のたとえに似ているところがあります。

「例えば、比丘たちよ、大道を進んでいる人がいるとします。かれは、こちらの岸は危険で恐怖のある、向こう岸は安全で恐怖のない、大きな水の流れを見ます。かれにはこちらから向こうへ行くための、橋も渡し船もありません。そこでかれは、このように考えます。<これは大きな水の流れだ。こちらの岸は危険で恐怖があるが、向こう岸は安全で恐怖がない。しかし、こちらから向こうへ行くための、橋も渡し船もない。私は草・木・枝を集め、筏を結び、その筏により、手足でもって努力し、無事に向こう岸へ渡ってみてはどうであろうか>と。
 そこで、比丘たちよ、その人は草・木・枝を集め、筏を結び、その筏により、手足でもって努力し、無事に向こう岸へ渡ります。向こう岸へ渡ったその人は、このように考えます。<この筏は私に役立った。私はこの筏により、手足でもって努力し、無事に岸を渡った。私は、この筏を頭に乗せるか、肩に担ぐかして、好きなところへ出発してはどうであろうか>と。比丘たちよ、このことをどう思いますか。はたして、その人はそのように行って、その筏について行なうべきことを行なう者となるでしょうか」と。
「そのようなことはありません、尊師よ」
「では、比丘たちよ、どのようにすれば、その人はその筏について行なうべきことを行なう者となるでしょうか。比丘たちよ、ここで、岸へ渡ったその人がこのように考えたとします。<この筏は私に役立った。私はこの筏により、手足でもって努力し、無事に岸へ渡った。私は、この筏を陸地に引き上げるか、水に浸けるかして、好きなところへ出発してはどうであろうか>と。
 比丘たちよ、このように行なえば、その人はその筏について行なうべきことを行なう者となるはずです。
 比丘たちよ、このように私は筏に喩えられる法を説きますが、それは渡るためであって、捉えるためではありません。比丘たちよ、そなたたちに説かれた筏に喩えられる法を理解し、そなたたちはもろもろの法をも捨てるべきです。ましてや、悪法についてはなおさらのことです。 

片山一良訳『パーリ仏典 中部(マッジマニカーヤ)根本五十経篇Ⅰ』大蔵出版

 また、『楞伽経』という大乗経典にも、『荘子』のこの一節と非常によく似た「月と指のたとえ」と言われる教えが見られます。

 教説の言葉に捉われてはいけません。真実は文字を離れているからです。例えば、誰かが誰かに何ものかを指し示すときに、相手が見ようとして指先に注意を向けることがあるでしょう。そういう単純な人々と同じように、無知者・凡夫は音声どおりに指先に執着して一生を終えることでしょう。音声どおりに指先に注意を向けることを止めて真の第一義に達することはないでしょう。
(中略)
 音声は分別的な思惟と結びついています。分別的な思惟は生死輪廻をもたらすものです。
(中略)
  指先を掴んで月を見ない幼児のように、
  文字に執着する人は私が示す真実を見ない。

常盤義伸『ランカーに入る』禅文化研究所

 月を指さしたら相手が月ではなく指のほうをみてしまったというのと同じように、真理を言葉によって示すと、人間は往々にして真理ではなく言葉のほうをみてそれが真理だと誤解してしまうというわけです。

 このように道家思想と仏教は、言葉が現象世界を正確に言い表しているわけではないと考える点では共通性があります。そういうこともあって後世に中国に仏教が輸入されると、道家思想と仏教が混じり合うということが起きてきます。例えば、後世の中国で生まれた禅宗という大乗仏教の一派がありますが、禅の世界でも先ほどの「筌蹄」や「忘筌」という言葉はよく用いられています。また、禅の世界では「不立文字」と言って、「覚り」の内容は言葉によって言い表せるものではないということが説かれたりもします。禅僧のなかには、仏教思想を語っているのか道家思想を語っているのか、にわかには区別し難いような言葉を語る人もおり、禅宗は大乗仏教と道家思想がフュージョンして形成された中国風の仏教だなどと言われることもあったりするのですが、この点についてお話ししていると脱線がすごく長くなりそうなので、この点については今後少しずつ述べていくことにことにしたいと思います。

 話を『荘子』の言語批判に戻しましょう。雑篇の則陽篇にも次のような箇所があります。

 随序の相理むる、橋運の相使しむる、窮まれば則ち反り、終われば則ち始まる。此れ物の有する所、言の尽くす所、知の致る所、物に極まるのみ。
 道を覩るの人は、其の廃する所に随わず、其の起こる所を原ねず。此れ議の止む所なり」と。

 陰陽四季がもたらす秩序や、盛衰たがいに交代する運命のはたらき、勢いが衰えて窮まれば再び盛となり、終わればまた始まるといった現象は、すべて形ある物にそなわっている事実である。したがって言語によってじゅうぶんに表現できるもの、人知の及ぶ範囲のうちにあるものである。ただ、それは形ある物の世界に極限されているのである。
 道の世界を見ようとする人間は、物の終わる場所がどこにあるかを追跡するようなことはしないし、また物の始まりがどこにあるかという不可知の事実をたずね求めようとはしない。あらゆる議論や判断は、すべてこの場所で停止するのである」

則陽篇、同前

 この言葉のすぐ後に出てくる則陽篇の以下の一節は、『荘子』にみられる言語批判の極みであり、雑篇の白眉と言っていい箇所です。

 少知曰わく「季真の為す莫きと、接子の使しむる或ると、二家の議、孰れが其の情に正しきや、孰れが其の理に偏せるや」と。
 太公調曰わく「鷄鳴狗吠は是れ人の知る所なるも、大知を有すと雖も、言を以て其の自ら化する所を読むこと能わず。叉以て其の将に為さんとする所を意うこと能わず。斯きて之を析かたば、精は倫い無きに至り、大は囲む可からざるに至らん。
 之を使しむる或ると、之を為す莫きとは、未だ物より免れずして、終に以て過てりと為す。使しむる或るは実にして、為す莫きは虚なり。名有り実有るは、是れ物の居にして、名無く実無きは、物の虚に在り。言う可く意う可しとするは、言いて愈いよ疏なり。
 未だ生ぜざるは忌む可からず。已に死せるは阻む可からず。死生は遠きに非ざるも、理は覩る可からず。之を使しむる或ると、之を為す莫きとは、疑いの仮る所なり。吾、之が本を観るに、其の往くや窮まり無く、吾、之が末を求むるに、其の来たるや止まる無し。窮まり無く、止まる無きは、之を無と言うも、物と理を同じくす。使しむる或ると、為す莫きとは、之を本と言うも、物と終始す。
 道は有りとす可からず、有た無しとす可からず。道の名為るは、仮りて行なう所なり。使しむる或ると、為す莫きとは、物の一曲に在り。夫れ胡為れぞ大方に於いてせん。言にして足らば、則ち終日言いて尽く道ならん。言にして足らずんば、則ち終日言うも尽く物ならん。道と物との極は、言黙以て載するに足らず。非言非黙にして、議に極まる所有り。

 少知がたずねていった。
「季真の、万物を動かし支配する主宰者は存在しないという説と、接子の、万物を動かす主宰者が存在するという説とがあります。このふたりの議論のうち、どちらが真相を正しくいいあてているのでしょうか。どちらが正しい理からはずれているのでしょうか」
 すると、太公調は答えた。
「鶏が鳴いたり、犬が吠えたりすることは、だれだって知っていることだが、しかしいかに大知の持ち主であっても、その鳴き声を出させる造化の自然のはたらきを、ことばで説明することはできまい。また、その造化のはたらきが、何を目的としてそうさせているか、心で推しはかることはできないであろう。このような小さいことがらでも、これを分析してゆけば、比類のないほど微細なものにいきつくであろうし、逆にまた限りなく大きな問題にひろがってゆくであろう。
 万物を動かす主宰者があるかないかという議論は、まだ有限の物の世界から脱することができないものであり、けっきょくは誤ったものの見方にすぎないものだ。主宰者があるとする説は、主宰者が実体をもつと信ずる立場であり、主宰者はないとする説は、主宰者が実体をもたないと信ずる立場である。前者のように、一つの物に名称や実体があるとするのは、有限の物の実在にとらわれた立場であり、後者のように、名称や実体がないとするのは、すべて物は存在しないとする立場であり、無にとらわれた立場である。
 すべて究極の真理について、これをことばで表現し、心で推測することができると誤信するようなことがあれば、いえばいうだけ、いよいよ真理から遠ざかるものだ。たとえば生死についてみてみよう。生まれる以前にあって、いくら生まれたくないと思っても、拒否できるものではない。逆に、いったん死んでしまえば、いくら死にたくないと思っても、のがれられるものではない。それは人知や人力を越えたものであるからだ。生死は人間から遠いところにあるわけではないが、それでさえ、それがもとづいている理を見きわめることは不可能である。
 同様に、万物を動かしている主宰者が存在するかしないかという問題は、人知を越えたものであり、もっとも疑問が集中する問題である。もし私がその主宰者の根源をつきとめようとするならば、どこまで行ってもはてしがないことになろう。またもし私がその主宰者のはたらきの末端までとらえようとすれば、さまざまな事実が現われてきて、とどまるところがないだろう。
 このようにはてしなく、とどまることがない無限のものは、たとえこれを無といってみたところで、それは有限のことばで表現するのであるから、やはり有限の物と原理的に同一のものになってしまう。主宰者が存在するとか存在しないとかいうことも、たとえそれが万物の根源になるものだといってみたところで、それは有限のことばで表現するのであるから、やはり有限の物の世界に終始し、そこから離れるものではない。
 このようにして、根源的な真理である道は、人間のことばを越えたものであるから、これをあるということもできないし、ないということもできない。およそ、道という名称そのものも、便宜的にことばを借りて表現したものにすぎず、道そのものの本質を表わすものではない。
 だから、主宰者が存在するかしないかという議論も、有限のことばを借りて行われるかぎり、相対の事物の一方だけをとらえているにすぎない。とするならば、どうして一方に限定されない絶対の真理を得たものといえようか。
 もしことばというものが真理をすべて伝えることができるとすれば、一日じゅうしゃべっていることばが、すべて絶対の真理を得ていることになろう。逆に、もしことばというものが真理を伝えるに十分でないとすれば、たとえ一日じゅうしゃべったとしても、それは相対有限の物について語るにすぎないであろう。
 すべて道や物の究極の本質については、ことばも沈黙も、その真相を伝えることはできない。ことばにもよらず、沈黙にもよることがなくて、はじめてその議論が道や物の本質を窮めることができるのである」

則陽篇、同前

 まずここに登場する人名について申し上げると、少知と太公調は架空の人物です。二人とも文字通り、「少ない知識」と「大いなる公平な調和」をそれぞれ擬人化したものです。季真と接子というのは二人とも、「戦国の七雄」の一つである斉という国(後に天下を統一することになる秦によって最後に滅ぼされた国です)に集まった学者です。

 内容について申し上げると、ここでは、万物を動かす「道」が存在するという立場も、存在しないという立場も斥けられています。人間の言語は、斉物論篇も説いているように、どこまでいっても差別や区別や分断を含んだ相対性や有限性から逃れられず、「すべて究極の真理について、これをことばで表現し、心で推測することができると誤信するようなことがあれば、いえばいうだけ、いよいよ真理から遠ざかる」。同じく、「道」はあると言うことも拒否し、ないと言うことも拒否して、「道という名称そのものも、便宜的にことばを借りて表現したものにすぎず、道そのものの本質を表わすものではない」と言っています。ここにも、『老子』の「天下の物は有より生じ、有は無より生ず」という単純な考え方とは異なる思想があらわれています。

 さて、斉物論篇に話を戻しましょう。人為的な「分別」に基づいて恣意的に秩序づけられ意味づけられた有限な認識の世界を離れた「あるがまま」の世界には、是非や美醜や有無といった人間が勝手に打ち立てた事実判断や価値判断は実在せず、「天地は我と並び生じて、万物は我と一」であるが、「一」も「多」を前提にした概念である以上、本当は「一」とも言わないほうがいい。斉物論篇はこのように語っていることになります。人間の勝手な認識を乗り越えた万物斉同の世界においては、夢と現実の区別もありません。

 昔者、荘周は夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみて志に適する与。周たるを知らざるなり。俄然として覚むれば、則ち蘧蘧然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶為るか、胡蝶の夢に周為るか。周と胡蝶とは、則ち必ず分有り。此れを之物化と謂う。

 いつか荘周は、夢のなかで胡蝶になっていた。そのとき私は喜々として胡蝶そのものであった。ただ楽しいばかりで、心ゆくままに飛びまわっていた。そして自分が荘周であることに気づかなかった。
 ところが、突然目がさめてみると、まぎれもなく荘周そのものであった。
 いったい荘周が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘周の夢を見ていたのか、私にはわからない。
 けれども荘周と胡蝶とでは、確かに区別があるはずである。それにもかかわらず、その区別がつかないのは、なぜだろうか。
 ほかでもない、これが物の変化というものだからである。

斉物論篇、森三樹三郎訳注『荘子 内篇』中公文庫

 有名な話ですし、ご存知の方も多いでしょう。「自分は荘周であって蝶ではない」とか「現実は夢でなく、夢は現実でない」という常識的な見方は「有為」の「分別」ににすぎない。人生という「現実」もまた夢ではないのか。そうではないと誰か断言できるのか。そのように言っていると一応解釈できますが、そんなことは読めばわかるし私がわざわざ述べるまでもないでしょう。この雑文では、ここに出てくる「物化」という言葉に注目してみたいと思います。この言葉は、(荘周が胡蝶になったり、胡蝶が荘周になったりするといったような)「万物の極まりない変化」のことだと考えられます。そう言ってもわかりにくいと思うので、具体例をあげましょう。前漢時代に成立した『淮南子』という道家系の書物のなかに、この物化についてわかりやすく述べている次のような箇所があります。

 昔公牛哀転病するや、七日にして化して虎と為る。其の兄戸を掩いて入りて之を覘えば、則ち虎搏ちて之を殺せり。是の故に文章獣と成り、爪牙移易すれば、志と心と変じ、神と形と化す。其の虎と為るに方たりてや、其の嘗て人為りしを知らざるなり。其の人為るに方たりてや、其の且に虎と為らんとするを知らざるなり。二者代謝舛馳して、各々其の成形を楽しむ。狡猾鈍惽にして、是非端无きがごとし、孰か其の萌す所を知らんや。夫れ水は冬に嚮かえば、則ち凝りて冰と為り、冰は春を迎うれば、則ち泮けて水と為る。冰水の前後に移易すること、員を周りて趨るが若し。孰れか其の苦楽する所を知るに暇あらんや。

 その昔、公牛哀という男が転化の病にかかり、七日間病んで虎になった。兄がドアーを閉めて入り様子を見ようとしたところ、虎は襲いかかって兄を殺してしまった。このように、体の縞模様が虎になり、爪も牙も変わったので、気象・性質も変化し、精神・肉体も変化したのだ。虎になった時には、今まで人間であったことが分からないし、人間である時には、やがて虎になろうとしていることが分からない。人間も虎に次々に転化し異なる物になって、それぞれ与えられた身体を楽しむのであるが、そのメカニズムは、ごちゃごちゃと入り乱れぼんやりと暗く、世間の善と悪が一つながりになっていて切れ目がはっきりしないのと同様、誰にもそれらが萌す仕組みは分からない。一体、水は冬に向かえば凍って氷となり、氷は春を迎えれば溶けて水となる。氷と水が前になり後になって変化するさまは、円の周りを走るようなもので、どちらが苦しくどちらが楽しいかなどは、そもそも考える必要がないことである。

(俶真篇、池田知久『訳注「淮南子」』講談社学術文庫)

 この物化の思想を万物斉同の思想と統合的に解釈してみましょう。

 人間を含めた万物は流転し変化してやまず、「私」と呼ばれる現象は、うつし世において荘周という形で立ち現われることもあれば、夢のなかで胡蝶という形で現成してくることもある。だが、「そのメカニズムは、ごちゃごちゃと入り乱れぼんやりと暗く、世間の善と悪が一つながりになっていて切れ目がはっきりしないのと同様、誰にもそれらが萌す仕組みは分からない」。それは無限に転変を続ける「流れ」とでも呼ぶほかない「事態」である。「道」というのは、この「流れ」としての「事態」そのものを假に人為的な有限の言葉で仮に呼んだ「もの」にすぎない(「道」と呼ぼうが「流れ」と呼ぼうが「事態」と呼ぼうが、それは筌蹄以上の「もの」ではない)。

 混沌とした「流れ」としての「事態」には、意味があるのでもなく意味がないのでもなく、価値があるのでもなく価値がないのでもなく、無限定で「無方」である。意味も無意味も価値も無価値も、「有為」によって人間が恣意的に打ちたてた「もの」にすぎないからだ。荘周も胡蝶も公牛哀も虎も、善悪も美醜も生死も、その始まりもなく終わりもない物化の「流れ」を「有為」によって切り裂き、昭氏が琴を奏でるようにして恣意的に秩序づけて意味づけるところに浮かび上がるうたかたの様相にすぎない。人間が築き上げる文化や価値体系は、無限な「流れ」を言語をはじめとする「有為」によって切り分け、荘周や胡蝶や善や悪や有や無といった有限な形に固定化していくところに成立する。この世を、そのようにして秩序づけられ意味づけられ固定化された静止的な「もの」のあつまりとして捉えるなら、荘周と胡蝶とは異なることになるし、公牛哀と虎も異なることになる。善と悪や美と醜の間には決して越えられない一線があることになり、生は死と異なるということになってしまう。そのように考えるのであれば、ただ生だけが貴いのであり、死は忌まわしき「もの」、厭わしき「もの」、目を背けるべき「もの」だということになってしまう(これはナーガールジュナの思想について述べた際にも申し上げたことですが、人間の言語というのは困ったもので、例えばAという言葉を立てると、それは存在するか存在しないかのどちらかだ、有か無かのどちらかだということになってしまうのです。また、AとBという言葉を立てると、AとBは同一か別異かのどちらかだということになってしまう。「Aという人間は善であり、Bという人間は悪である」「Aという民族は善であり、Bという民族は悪である」「Aという思想は善であり、Bという思想は悪である」という発想しかできない困った人のことを指して、「0と1しか認識できない」と表現することがあるようですが、これは人間の言語に骨がらみの問題です。人間の言語は、同一か別異か、あるいは有か無か、といった二元対立的な枠組みしか認めないところがあります)。

 しかし、そのような「有為」の「分別」による「はからい」を離れた「あるがまま」の世界においては、そのような区別や差別は存在せず、万物は斉同である。万物が斉同なのだから、荘周と胡蝶のあいだにも、公牛哀と虎のあいだにも、区別などない。無限に転変を続ける物化の「流れ」のなかで現成してくる、荘周や胡蝶や公牛哀や虎や善悪や是非などといったうたかたの現象にとらわれずに、万物斉同の立場から眺めれば、生と死はもはや対立する「もの」ではなく、斉同である。

 道に終始無く、物に死生有り。其の成るを恃まず。一虚一満し、其の形に位せず。年は挙ぐ可からず、時は止む可からず。消息盈虚し、終われば則ち始め有り。是れ大義の方を語り、万物の理を論ずる所以なり。
 物の生ずるや、驟するが若く、動くとして変ぜざるは無く、時として移らざるは無し。何をか為さんや、何をか為さざらんや。夫れ固より将に自から化せんとす」と。

 道にははじめもなく終わりもないが、個々の物には生があり死がある。だから生まれて物となっても、これを頼みとすることはできない。あるときはむなしく、あるときは満ち、虚無と実在とをくりかえし、一定不変の形にとどまることがない。寄る年なみを押し返すことはできず、去り行く時は引きとどめるすべもない。こうして万物は消滅と生成、実在と虚無をくりかえし、その存在を終えてはまたはじめるものなのである。ここに述べたことこそ、偉大な真理を語り、万物斉同の理を論じたものにほかならない。
 すべて人がこの世に生きているのは、ちょうど馬を走らせて駆けぬけるようなものであり、動くにつれてたえず変化し、時とともに不断に推移するものである。とするならば、この定めのない人生において、何をすればよく、何をしなければよいといったことは、問題にもなるまい。ただひたすら自然の変化のままに身をゆだねていれば、それでよいのだ」

(秋水篇、森三樹三郎訳注『荘子 外篇』中公文庫)

「死生存亡、窮達貧富、賢不肖、毀誉、飢渇、寒暑は、是れ事の変にして、命の行なわるるなり。日夜、前に相代わりて、知も其の始めを規ること能わざる者なり。故に以て和を滑すに足らず、霊府に入る可からず。之をそて和予にし、通じて兌びを失わず、日夜郤無からしめて、物と春を為す。是れ接して時を心に生ずる者なり。是れ之を才全しと謂う」と。

「死と生、存と亡、困窮と栄達、貧と富、賢と愚、毀りと誉れ、飢えと渇き、寒さと暑さ、これらはすべて人間の世界をおとずれる現象の変化であり、運命のあらわれであります。日夜かわるがわる人間の眼前に現われ出ながら、しかもそれらがどこから生じてくるのか、人知ではその根源をはかり知ることができません。
 人知を越えたものである以上、このような運命の変化によって心の平和を乱す必要はありませんし、これを霊府のうちに侵入させてはなりません。それよりも、運命を自分に調和させて快適なものとし、つねに喜びをおぼえさせるものとして、日夜間断なく物と接しながら、いっさいの物を春のような暖かい心で包むべきでありましょう。これこそ、あらゆる物に接しながら、心のうちになごやかな春の時をもたらすものであります。このような心境にあるものを、『完全な才能』の持ち主というのです」

徳充符篇、森三樹三郎訳注『荘子 内篇』中公文庫

 貧しいとか大金持ちだとか頭がいいとか頭が悪いとか長生きだとか短命だとかいったような物事が確固として存在するのであれば、そういった事象が常につきまとい続ける己の運命を肯定せよと言われても、それはやはり無理があるでしょう。しかし、万物斉同の立場からみれば、貧と富、賢と愚、長命と短命、もっと言えば幸福と不幸などといった「もの」は、すべて「有為」によって構成された虚妄にすぎない。このように「覚る」とき、虚妄な現象に惑わされて喜ぶことも哀しむこともなく、無限の生成変化の「流れ」を「平常心」で受けとめることができる。どこかに甘ったるい希望や絶望を残した中途半端な開き直りではなく、希望や絶望などという「有為」の価値判断をもすべて乗り越えた、いわば「究極の開き直り」が可能になる。そういうことになるわけです。

 それでは、そのようにして無限に転変を続ける「事態」をすべて「あるがまま」に受け入れるうえで最大の壁となるのは何か。それは、人間はいつかは死ぬという宿命です。

 予悪くんぞ、生を説ぶことの惑いに非ざるを知らんや。予悪くんぞ、死を悪むことの、弱喪して帰るを知らざる者に非ざるを知らんや。

 人間が生を喜ぶことが惑いではないと、どうしていうことができよう。逆に、人間が死を憎むのは、幼いころに故郷を離れたものが、故郷に帰ることを忘れるのに似てはいないだろうか。

斉物論篇、同前

 万物斉同の立場に立つうえで最大の障碍になるのは、人間は有限の存在だということです。有限であるということは、死と隣りあっているということです。「有為」の「分別」の世界では、「有」と「無」は鋭く対立する「もの」だととらえられることになりますし、「死」は「生」を破壊する忌まわしき「もの」だということになるしかありません。しかし、「有があるからには、まだ有がなかった状態、すなわち無があるはずである。さらにその前に「まだ無がなかった状態」があるはずである。さらにはその「『まだ無がなかった状態』がなかった状態」があるはずである」。だから、固定的な「有」や「無」を恣意的に立てることは誤りである。斉物論篇の作者がそう言っていることは以前も見たとおりです。

 人間が死を厭い恐れるのは、「自分」が「生」という局限された有限な立場から「死」を眺めているからです。「有」や「無」や「生」や「死」という人間の言葉や概念の世界にしかない「もの」を恣意的につくりあげて実体視する有限の立場に立つのではなく、そのような「有為」を離れた「あるがまま」の無限な立場にみずからを置くことができれば、「有」「無」「生」「死」といった「有為」の言葉で表現される相対的なうたかたの現象にとらわれることなく、「生」と「死」のいずれをも「春のような暖かい心で包」むことができるのではないか。無限の立場に身をおくことができれば、「生」と「死」という人間の宿命のいずれをも差別することなく肯定することができるのではないか。そう言ってくれているように思うのです。

 且つ相与に之を吾とする耳矣。庸詎くんぞ知らん、吾とは、所謂之を吾とするなるを。且つ汝は夢に鳥と為りて天に厲り、夢に魚と為りて淵に没す。識らず、今の言う者、其れ覚むる者か、其れ夢みる者なるか。適に造るものは笑うに及ばず、献しとして笑うものは排に及ばず。排に安んじて化に去けば、乃ち寥たる天一に入る」と。

 また考えてみれば、自分を失いたくないというのは人情だが、その自分というのは、めいめいが勝手につくりあげた観念を自分といっているにすぎない。その自分といっているのは、勝手につくりあげた観念であり、はたして実在するかどうかわからないものだ。お前も夢のなかで鳥になって天にのぼったり、魚になって淵に沈んだことがあるだろう。とするならば、いましゃべっているお前も、はたして目がさめているのか、まだ夢を見ているのか、あやしいものだ。
 つねに楽しい境地にあるものは、笑うひまもないものだ。反対に、特定のことだけを楽しいとして笑うものは、すべてを推移のままにゆだねることができないものだ。すべてを推移のままにまかせてこれに安んじ、無限の変化のままに従ってゆくならば、やがて静寂の支配する天一の世界――自然のままで差別がなく、すべてが一つである世界に入ることができるであろう」

(大宗師篇、同前)

 今故を証曏す。故に遥かなるも悶えず、掇きも跂たず。時の止まる無きを知ればなり。盈虚を察す。故に得れども喜ばず、失えども憂えず。分の常無きを知ればなり。坦塗を明らかにす。故に生くれども説ばず、死すれども禍とせず。終始の故とす可からざるを知ればなり。

 大知の人は、古今の時の変化が無限であることを明らかにさとるものであるから、たとえ望ましい過去の時代から遠ざかることがあっても、もだえ苦しむことがなく、また望ましい未来がすぐ手近にあるからといって、つま先だって待ちこがれるということもない。なぜなら、時間はとどまることなく過ぎてゆき、人間の自由にならないことを知っているからである。
 また大知の人は、物事に盛衰があることを知っているから、自分の望みを得ても喜ぶことがなく、失っても悲しむことがない。なぜなら、天から分け与えられた運命は、刻々に変化して一定しないことを知っているからである。
 また大知の人は、無差別の道を知っているものである。だから、生まれてきても喜ぶことがなく、死んでも不幸として悲しむことがない。なぜなら、物のはじめと終わりは循環して、同じところに固定することがないのを知っているからである。

(秋水篇、森三樹三郎訳注『荘子 外篇』中公文庫)

 夫れ舟を壑に蔵し、山を沢に蔵して、之を固しと謂う。然れども夜半に力有る者、之を負いて走る。昧者は知らざるなり。小大を蔵するに宜しき有るも、猶遯るる所有り。若し夫れ天下を天下に蔵すれば、而ち遯るる所を得ず。是れ恒物の大情なり。
 特り人の形を犯すも、而も猶之を喜ぶ。人の形の若き者は、万化して未だ始めより極まり有らざるなり。其の楽しみ為るや、計うるに勝う可けんや。故に聖人は将に、物の遯るるを得ざる所に遊びて皆存せんとす。夭きを善しとし、老いを善しとし、始めを善しとし、終わりを善しとす。人、猶之に効う。叉況んや万物の係る所にして一化の待つ所をや。

 舟を谷間にかくし、山を沢のなかにかくしておいて、これで盗まれる心配はないと思うものがあるかもしれない。だが夜半に大力のあるもの――時の変化が、これを背負って逃走する。愚かものはこの事実に気づくことがない。
 大小の物をそれぞれ適当なところにかくしておいても、時の変化を免れることはできないから、やはり自分の手もとから失われてゆくものだ。もし天下をそのままそっくり天下のうちにかくし、いっさいを自然のままにしておくならば、自分の手もとから逃げてゆくこともありえない。これこそすべてのものに通ずる大きな真理である。
 無限の自然のうちから、たった一つの人間の形をかすめとってきたことにさえ、喜びをおぼえるのがふつうである。だが人間の形というものは、千変万化して窮まりのないものだ。もし、ただ一つの形だけに執着しないで、千変万化する形のすべてを楽しむことにすれば、その楽しみも無限につづくことになろう。 だから聖人は、何ものも失う恐れのない境地、いっさいをそのままに受け入れる境地に遊び、すべてをそのままに肯定するのである。青春をよしとし、老年をよしとし、人生のはじめをよしとし、人生の終わりをよしとする。このような境地にある聖人に対しては、万人はひとしく憧れの心をいだくであろう。まして、万物がそこに帰属し、すべての変化がそこから現われる根源の道こそ、万人の仰ぎとうとぶもの――大宗師ではないか。

大宗師篇、森三樹三郎訳注『荘子 内篇』中公文庫

 万物斉同の世界では、「有為」によって打ち立てられた価値がうたかたの現象として解体され、人間の喜びも楽しみも悲しみも苦しみも、すべて乗り越えられる。そこでは始まりもなく終わりもない無限の物化の「流れ」のなかから「たった一つの人間の形をかすめとってきた」者は、「自分の望みを得ても喜ぶことがなく、失っても悲しむことがな」い。「生まれてきても喜ぶことがなく、死んでも不幸として悲しむことがない」。彼は“ただ”会社に行く。“ただ”結婚する。“ただ”子をもうける。“ただ”ウンコやオシッコをする。世が世なら“ただ”戦場に行く。いかなることに対しても喜ぶこともなく悲しむこともなく、“ただ”無条件でそうする。「青春をよしとし、老年をよしとし、人生のはじめをよしとし、人生の終わりをよしと」し、「何ものも失う恐れのない境地、いっさいをそのままに受け入れる境地に遊び、すべてをそのままに肯定する」。彼はそうやってこの世のすべてから解放され、なにものにもとらわれることなく万物斉同の世界に遊ぶ――逍遥遊する。

『荘子』という書物の冒頭には、このような万物斉同の世界に逍遥する心境を述べるかのようなお話が語られています。

 北冥に魚有り、其の名を鯤と為す。鯤の大きさ、其の幾千里なるかを知らざるなり。化して鳥と為る。其の名を鵬と為す。鵬の背は、其の幾千里なるかを知らざるなり。怒りて飛ぶに、其の翼は垂天の雲の若し。是の鳥や、海運けば、則ち将に南冥に徒らんとす。南冥とは天池なり。
 斉諧とは、怪を志す者なり。諧の言に曰わく「鵬の南冥に徒るや、水に撃つこと三千里、扶揺を搏ちて上る者九万里、去りて六月を以て息う者なり」と。

 北のはての暗い海にすんでいる魚がいる。その名を鯤という。鯤の大きさは、幾千里ともはかり知ることはできない。やがて化身して鳥となり、その名を鵬という。鯤の背のひろさは、幾千里あるのかはかり知られぬほどである。ひとたび、ふるいたって羽ばたけば、その翼は天空にたれこめる雲と区別がつかないほどである。この鳥は、やがて大海が嵐にわきかえるとみるや、南のはての暗い海をさして移ろうとする。この南の暗い海こそ、世に天池とよばれるものである。
 斉諧というのは、世にも怪奇な物語を多く知っている人間であるが、かれは次のように述べている。「鵬が南のはての海に移ろうとするときは、翼をひらいて三千里にわたる水面をうち、立ちのぼる旋風に羽ばたきながら、九万里の高さに上昇する。こうして飛びつづけること六月、はじめて到着して憩うものである」

 野馬や、塵埃や、生物の息を以て相吹くや、天の蒼蒼たるは、其れ正色なるや、其れ遠くして至極する所無きや。其の下を視るや、亦是の若くならん已矣。

 地上には野馬がゆらぎたち、塵埃がたちこめ、さまざまな生物が息づいているのに、空は青一色に見える。あの青々とした色は、天そのものの本来の色なのであろうか。それとも遠くはてしないために、あのように見えるのであろうか。おそらくは後者であろう。とするならば、あの大鵬が下界を見おろした場合にも、やはり青一色に見えていることであろう。

逍遥遊篇、同前

『荘子』という書物は書き出しで、このようなお話を語っているのです。「鯤(こん)」というのは、ちっぽけな魚の卵を意味する字です。北の果ての暗い海に魚がいる。その名前を「鯤」(ちっぽけな卵)と言う。ところが、その鯤はとんでもなく巨大で、幾千里あるかわからないと言うのです。そしてそれが突然変化して「鵬(ほう)」になる。これは鳳凰の「鳳」のことです(古い文字では「風」は「鳳」で、殷の時代の甲骨文には「鵬」は風の神様として出てきます)。その鵬が空いっぱいにたれこめる雲のような巨大な翼を広げて大空へと舞い上がり、大海が嵐に荒れ狂うなかで、北の果てから南の果てへと飛んでいく……。

 野馬というのは陽炎(かげろう)のことで、塵埃というのは「ほこり」のことです。地上にはかげろうやほこりや様々な生き物といった万物がひしめき、喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんだり苦しんだり愛しあったり憎しみあったり殺しあったりしている。でも、遥かな大空を飛ぶ鵬の風光から地上をみれば、そんな有限な「もの」はすべて消えてしまい、意味とか無意味とか価値とか無価値といった「有為」の価値体系はすべて雲散霧消し、一面の青一色があるだけだ。かつて「地球は青かった」と言った宇宙飛行士がいたそうですが、それが『荘子』のしょっぱなに置かれたこのお話が紡がれてから2000年以上あとのことであることを思えば、すごい想像力だと言えるでしょう。鯤が鵬になるという、「大小」という「分別」を破るかのような書き出しから始まる『荘子』という書物のプロローグは、『荘子』という書物が到達した万物斉同の地平を見事に描いてみせていると言えるでしょう。

『荘子』という書物の内篇(特に斉物論篇)が語る思想について、私が述べようとしたことはこれですべてです。『論語』という儒家の経典には、「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」という有名な孔子の言葉があります。儒家の始祖である孔子にとっては、現世をいかに生きて何を成し遂げるかということが最大の関心事だったのです。しかし、現世をいかに生きるか、いかに生きれば文化的なしきたりを身につけた立派な「社会人」になれるか、いかにすれば天下を治めることができるか、どうすれば100人のうちの99人を救済できるかといったことだけが人間のすべてではない。人間はこの世に生まれ、大病を得て苦しみ、老いのはてに寝たきりになったり半身不随になったりして死んでゆく。いかなる人間もいつかは死ぬし、己が築いた「もの」もいつかは消えてなくなる。これは人間がいつかは死ぬ運命である以上は決して逃れられない大問題です。『荘子』内篇は、この人間の生死という大問題に答えようとした中国史上最初の書物なのです。

 そして『荘子』内篇の思想は、全知全能の神や前世や来世といった「もの」を全く前提にすることなく成立してしています。これは、超越的な人格神を心から信じることが困難になってしまった現代人にとっては非常に重要なことではないかと思います。『荘子』は、もはや神を信じることができない者にも応えうる思想だと言っていいのではないかと思われます。そういう意味で、私がこの雑文で述べてきた「初期仏教」やナーガールジュナの思想と同じく、2000年以上を経た現代でもその価値を全く失っていないように思うのです。

 最後に、『荘子』内篇の一番最後に出てくる有名なお話を掲げておきたいと思います。

 南海の帝を儵と為し、北海の帝を忽と為し、中央の帝を渾沌と為す。儵と忽と、時に相与に渾沌の地に遇う。渾沌、之を待つこと甚だ善し。儵と忽とは、渾沌の徳に報いんことを謀る。曰わく「人皆七竅有りて、以て視聴食息す。此れ独り有ること無し。嘗試みに之を鑿たん」と。日に一竅を鑿つに、七日にして渾沌死せり。

 南海の帝を儵といい、北海の帝を忽といい、中央の帝を渾沌という。
 あるとき儵と忽とが、渾沌のすむ土地で出会ったことがある。主人公の渾沌は、このふたりをたいへん手厚くもてなした。感激した儵と忽とは、渾沌の厚意に報いようとして相談した。
「人間の身体にはみな七つの穴があって、これで、見たり、聞いたり、食ったり、息をしたりしている。ところが、渾沌だけにはこれがない。ひとつ、穴をあけてあげてはどうだろうか」
 そこでふたりは、毎日一つずつ、渾沌の身体に穴をあけていったが、七日目になると渾沌は死んでしまった。

応帝王篇、同前

 これで『荘子』内篇についてはひと通り記し終えたので、次回からは外篇と雑篇の内容にも入っていきたいと思います。

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