「即」という名のアポリア 第22回

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 前回述べたように、いにしえの時代の中国では、文化主義的な傾向が強い儒家という人々もいれば、反文化主義的な傾向がある『老子』や『荘子』のような書物も生まれました。(前者が先に登場し、その後で後者が出てきました)。儒家は、人間はいかに生きるべきかという問いに対して、「社会的存在」としての人間の理想的なありかたを考える視点から答えようとする傾向があります。モデルを過去の歴史に求め(孔子は周王朝を理想としました)、仁とか義とか礼といった文化的な徳目を守り続けていくことで、人間は理想的な「社会人」となれるし、天下を治めることもできる。そのように考えて、道徳や政治の領域に自らの理想を実現しようとするわけです。仁や義や礼といった人為的で文化的な徳目や目標や法則を立てて、それに向かって精進し、人間をそのような目標にあわせようとする。そうやって礼に従い、人間が社会の仕組みのなかであるべき文化的な姿を追求していくことで世は治まる。そういう発想です。

 確かに、どんな時代や地域であっても人間が複数存在するところには、共同生活をするために何がしかの決まりごとがあります。その決まりごと――もっと言えば、その決まりごとを支えている仁や義といった「物語」――に従って生活していくことは古今や東西を問わず必要なことでしょう。そうすることで世の中に秩序が確立され、天下が治まる。ここでは、個人の幸福の問題が考えられていないわけではないけれども、決まりごととそれを支える「物語」に従って我が身を修め、それを世の中全体にまで広げていくことで幸福が達成されると考えられている。つまり、儒家はどこまでも人間を「社会」的存在として捉え、世の中を良くしていくことと個人的な幸福を直結させようとするわけです。

 しかし、本当にそれだけで人間というわけのわからない存在にまつわる問題はすべて解決するのか。第3回でも申し上げたように、「幻想」や「物語」を信じるということは文化を維持発展させ人類を繁栄させるという政治の次元では不可欠ですが、そのような「幻想」や「物語」は個人のレヴェルでは人間にドゥッカをもたらす。初期仏教が問題にしていたのはまさにこの点だということは、この雑文で申し上げてきたとおりです。良き政治が行われて天下がうなく治まり、経済が繁栄を極め、社会問題が解決してこの世が天国に近づいていけば、百人のうちの九十九人は助かるでしょうし、それはいいことでありましょう。でも、それでも救われぬ一人は必ず出てくる。この世には政治や経済や社会や国家や福祉といった次元では解決できぬ問題が間違いなくある。その最たるものが、「自分は有限の存在であり、いつかは死ぬ」という人間の生死をめぐる「実存」の問題です。

 人間を「社会」的存在として捉えてその理想的なありかたを考えようとする儒家に対して、『老子』や『荘子』は「あるがまま」の人間、つまり「社会人」としてどうあるべきかというよりも、「裸の人間」を考えると言うことができるように思います。決まりごとに従いペルソナ(仮面)をかぶった「社会」的存在としての人間ではなく、「あるがまま」の裸の人間を考えようとするわけです。儒家のように、人間というわけのわからぬ存在にまつわる問題を、「社会」的存在としての立場に限定して解決するのは不十分ではないか。そういう疑問が「道家」とカテゴライズされる人々の出発点にあるのではないかと思うのです。

 ただし、ここでいう「あるがまま」という言葉は非常に誤解を招きやすいので注意が必要です。これはものすごく重要なことなので言い方を少し変えると、「あるがまま」とか「ありのまま」という言葉が出てきたら、それがどんな文脈で言われているかによくよく注意を払う必要があります。「あるがまま」の人間とか「ありのまま」の「自分」とか聞くと、規範やモラルを無視して好き放題欲望のままにふるまう人間をイメージする人も多いかもしれません。しかし、『老子』や『荘子』は人間の欲望というものに対して概して否定的です。また、「あるがまま」とか「ありのまま」と聞くと、「今のあなたのままでいいんだよ」とか「そのままでいいがな みつを」みたいな、毒にも薬にもならなそうな“ふわっとした話”を思い浮かべる方もおられるかもしれませんが、そういう話でもありません。実は、道家思想の文脈で「あるがまま」と言うとき、人間だけの世界を考えてそう言っているわけではないのです。

 どういうことかというと、例えば儒家のように人間を「社会的存在」としてのみ捉えて、その人為的な狭い枠の範囲内だけで人間のあるべき姿を追求していく立場をとると、人為的な決まりごとの枠を取っぱらった裸の人間は、自分の欲望のままに勝手気ままにふるまう存在だということになりかねません。人間をどこまでも「社会」のなかで生きる存在としてのみ捉えて、人為的な秩序を与えられた文化的な世界の枠のなかでのみ人間を捉えるなら、「あるがまま」の人間などと言い出したらそういう人間像になってしまいます。

 しかし、『老子』や『荘子』はそういう世界観や人間像をとりません。『老子』や『荘子』は、人間を人為的に秩序づけられた文化の世界だけで孤立している存在だとは考えず、物質世界や動植物や天地などの万物すべてを含めた宇宙全体のなかで人間を捉えるのです。儒家のように、人間の勝手なものさしで築いた狭い世界や枠のなかだけで人間について考えていてはダメだから、そういう世界から離れて人間を広大な世界へと放り出して、そこから人間を眺めようとする。そこに「あるがまま」の人間の姿を見ようとするわけです。そのような広大な世界から見ると、ちっぽけな人間の欲望とか、人間のさかしらで分析的な「知」とか、立派な「社会人」になろうという儒家の理念とか、個人の喧嘩から国どうしの戦争まで含めたあらゆる争いなどといった物事はすべて、そこらへんに転がってるウンコやオシッコと同じで何らたいしたモノではない。イケメンや美少女や猫や犬は好ましくてかわいい「もの」で、ハエやゴキちゃんやウンコやオシッコは好ましくない醜い「もの」だというのは、人間が恣意的に打ち立てた価値判断にすぎず、現象世界には「美しい」とか「醜い」などといった言葉に対応する「もの」は存在していない。そのようにして広大な世界の側から人間をとらえ、欲望やさかしらな「知」を含めた文化的な「はからい」を取り去って、万物を貫く真理(これを「道」と言います)に随順していくところに人間の「自由」な「あるがまま」の姿を見い出そうとする。そういう話になるわけです。

 話がどうにも漠然としていてイメージしづらいという方も多いかもしれませんので、実際に『老子』の内容に入っていきましょう。『老子』のテキストが成立していった戦国時代は、戦国七雄と呼ばれる強大な七つの国々(秦・楚・斉・燕・韓・魏・趙)が互いに争ったり、周辺の小国を侵略して併合していく乱世でした。列国の争いが激しさを増すと、各国は有能な人材を登用して国政を刷新する必要に迫られるようになります。一方で、小国の滅亡によって多数の浪人が発生することになりました。その多くはインテリだったので、有能な人材を求めていた列国の需要にこたえて政策提言を行い、官僚としての地位を得ようとする者がいっぱい出てくるようになります。これが戦国の「諸子百家」と呼ばれる人々です。「諸子」というのは「多くの学者先生」ぐらいの意味で、「百家」というのは多数の学派のことです。多くのインテリたちがおのおの政治の理想を抱き、自らのイデオロギーを諸侯に説いてまわる「コンサルタント」として活動するようになったわけです。誰もが「朝に紅顔あって世路に誇れども、夕べに白骨となって郊原に朽ち」るやもしれぬ明日をも知れぬ状況のなかで、人間いかに生きるべきか、世界はどうあるべきかという「道」を説く思想家たちが陸続と出てきたのです。

 この「道」というのは、中国思想について考えるうえで決して避けて通ることができない超重要キーワードです。「道」はもともとは文字通り「道路」を意味する言葉で、そこから転じて、「人が行うべきこと」「正しい生き方」「従うべき規範」をも意味する言葉です。春秋時代末から戦国時代には、孔子をはじめとする多くの思想家たちが登場し、自らのイデオロギーをもとにして様々な「正しい生き方」=「道」を提唱し、世の中に広めようとしました。ですが『老子』は、そのようにしていろんな人が言葉によって提唱したいろんな「道」は本当の「道」ではないと言ったのです。『老子』現行本のしょっぱなに置かれた第1章は、次のような言葉で始まっています。

 道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。

 これが道ですと示せるような道は、恒常の道ではない。これが名ですと示せるような名は、恒常の名ではない。

蜂谷邦夫訳注『老子』岩波文庫

 なにゆえ『老子』はこんなことを言うのでしょうか。それはこれから少しずつみていきますが、ともあれここで一つ指摘しておきたいのは、『老子』にはニンゲンの文化の一部である言語というものに対する不信があるということです(この言語不信というのは『荘子』にもみられる要素で、『荘子』の内篇・外篇・雑篇を通じて強くみられる傾向です)。現行本『老子』のしょっぱなに出てくるこの一節にも、人間の言葉は、決して文字通りに現象世界を言い表しているわけではない、「名」と「実」は人間が考えるようにきれいに一致しているわけではないという発想がみとめられます(ちなみに、この雑文で何度も述べてきたように、言葉が文字通りに現象世界を言い表しているわけではないという発想は仏教にもみられるものです)。

 なぜ『老子』がこういうことを言うのかを探ってみましょう。第2章にはこうあります。

 天下、皆美の美為るを知る、斯れ悪なる已。皆善の善為るを知る、斯れ不善なる已。
 故に有無相い生じ、難易相い成り、長短相い形し、高下相い傾き、音声相い和し、前後相い随う。
 是を以て聖人は無為の事に処り、不言の教えを行なう。万物は作りて辞せず、生じて有せず、為して恃まず、功成りて居らず。夫れ唯だ居らず、是を以て去らず。

 世の中の人々は、みな美しいものは美しいと思っているが、じつはそれは醜いものにほかならない。みな善いものは善いと思っているが、じつはそれは善くないものにほかならない。
 そこで、有ると無いとは相手があってこそ生まれ、難しいと易しいとは相手があってこそ成りたち、長いと短いとは相手があってこそ形となり、高いと低いとは相手があってこそ現われ、音階と旋律とは相手があってこそ調和し、前と後とは相手があってこそ並びあう。
 そういうわけで、聖人は無為の立場に身をおき、言葉によらない教化を行なう。万物の自生にまかせて作為を加えず、万物を生育しても所有はせず、恩沢を施しても見返りは求めず、万物の活動を成就させても、その功績に安住はしない。そもそも、安住しないから、その功績はなくならない。

同前

 私はこの雑文で初期大乗仏教の空の思想について述べた際に、大乗仏教では「分別」というのは悪い意味で用いられることが多い言葉だと言いました。『老子』や『荘子』も、目の前の現象を言語的な「分別」によって切り分けていくことにつきまとう問題点を指摘している点については大乗仏教の空の思想と共通性があります。以前この雑文で述べたことの繰り返しになるようですが、言葉による「分別」の問題点について、もう一度ざっくりとみておくことにしましょう。「わかる」というのは、「わける」を語源にしている言葉です。「判断」という言葉も、一つの「もの」を「半」分に「断」ち切ることです。「理解」という言葉も、「理(すじみち)」に従って分「解」することです。「分析」という言葉も、「分」かち「析(さ)」くことにほかなりません。「2億kmは長いけど1mmは短い」「あいつはイケメンだがこいつはブサイクである」「猫や犬はかわいいけどハエやゴキはかわいくない」といった具合に、人間は自分が経験する現象を秩序立てて分類し意味づけていくということを日常的に行っています。

 人間は、「この作品には価値がある」「いや、この作品には価値がない」などと簡単に言いますが、どうも人間には、「価値/無価値」とか「美しい/醜い」とか「長い/短い」といったような言葉があると、そういった言葉に対応する性質や本質が実在すると思い込んでしまうところがあります。例えば、2億kmといえば、“人間にとっては”途方もなく長い距離です。しかし、2億kmは1億kmよりは長いけれど、3億kmよりは短い。よって、2億kmは長いともいえるし、短いとも言える。もっと言えば、2億kmは長いのでもなく短いのでもない。つまり、2億kmそれ自体のなかには、「長い」という属性も「短い」という属性もない。1億kmと比べると長いけれど3億kmと比べると短いという具合に、2億km以外の距離との関係ではじめて、短いとも長いとも言えるようになるというだけのことです。1mmだろうが1兆光年だろうが、どんな距離でも同じことです。「長い/短い」という言葉だけでなく、「美しい/醜い」でも「善/悪」でも「高い/低い」でも「きれい/きたない」でも「左/右」でも「上/下」でも同じことです。これらのものさしはすべて人間が言葉によって決めたものであって、世界にはこれらの言葉に対応する実体が確固として存在しているとは言えません。

 これは「善悪」や「美醜」や「長短」といった相対的な概念に限ったことではありません。人間の言葉や概念には、常に世界を二つ以上の領域に分割するという性質がつきまといます。人間がAと言うとき、世界はAと非Aに二分されます。これは人間の言語や概念につきまとう基本的な性質です。人間がAについて考えたり語ったりする際には、必ず背後に非Aを予想し、前提にしているのです。例えば、机という概念は、その背後に机でない「もの」を前提としています。もしそういう机と机以外という区別や差別や分類や線引きがなければ、この世のすべては机であるということになってしまい、机という概念が成立しなくなるからです。

 このように、人間が「知」によってとらえた世界は、必ず「善と悪」「美と醜」「長と短」「上と下」「机と非机」といった具合に、人為的で恣意的な分類や区別や差別を伴った相対的な姿で現れます。「善悪」であれ「美醜」であれ、現象世界の「あるがまま」のありかたをとらえたものではない。だから『老子』は、先ほど引用した第2章にあるように、「美しいのと醜いのと、どれほどの違いがあろうか」と言うのです。「善悪」や「美醜」といった人為的につくられたものさしは相対的・差別的なものであり、絶対的なものではない。その相対的でしかないものを絶対なものだと錯覚し、ある時代のある場所でしか通用しない「道」を永遠に不滅で普遍的な「道」だと思い込み、「Aさんは善人だがBは悪人である」「Cという思想は善だがDという思想は悪である」といった具合に人や思想を断罪し、BやDに絶対悪というレッテルを貼りつけて殴りかかるようなことをしたらどうなるか。そうなってしまったらそれはもはや「善」ではなく「悪」ではないか。

 人間のさかしらな「知」によって人為的に打ちたてられた「善」を実行し、その論理を徹底していくと、それがある時代のある場所でしか通用しない「善」であり永遠不滅の普遍的なモノではないことが明るみにでたり、かえって人間を不当に束縛する「悪」に転じてしまう、などということが人の世にはままある。「善」は徹底されることで逆説的に内部から破綻していき「悪」に転じる。「世の中の人々は、みな美しいものは美しいと思っているが、じつはそれは醜いものにほかならない。みな善いものは善いと思っているが、じつはそれは善くないものにほかならない」という逆説的な言葉には、いろんな解釈がありうるでしょうが、ここではひとまず以上のように解釈しておきます。『老子』にはこのような逆説的な論理が何度も登場するのですが、この点についてもこれから少しずつ述べていきます。

 人間のさかしらな「知」は「善悪」や「美醜」といったものさしを勝手に立て、世界を二つ以上の「もの」へと切り裂き意味づけていきますが、それは対立や分断を呼び起こし、争いを招く原因となる。ゆえに『老子』は争いの原因となる相対的で人為的な「知」を否定するわけです。人為的に秩序づけられた世界は、それはもはや本来の「あるがまま」の世界ではない。よって、恣意的に打ち立てられた「人為」の世界を離れて「あるがまま」の世界に復帰するためには、「人為」を取り払わなければならない。『老子』はそのように考えるわけです。『老子』は第20章で次のように言っています。

 学を絶たば憂い無し。唯と阿と、相い去ること幾何ぞ。善と悪と、相い去ること何若ぞ。

 学ぶことをやめれば、憂いがなくなる。ハイと、コラと、どれほどの違いがあろうか。美しいのと醜いのと、どれほどの違いがあろうか。

同前

「学ぶことをやめれば、憂いがなくなる」という言葉に驚く人もいるかもしれません(もっとも、現代日本ではこれくらいじゃびっくりしない人が多いのかもしれませんが)。『老子』は人間の「知」を否定しているわけです。なぜこんなことを言うのかというと、『老子』に言わせれば「知」や道徳といった「人為」によって世界を恣意的に秩序づけ意味づけてしまったら、それはもはや本来の「あるがまま」の世界ではないからです。恣意的に打ち立てられた「人為」の世界を離れて「あるがまま」の世界に復帰するためには、「人為」を取り払わなければならないという発想を『老子』はとるわけです。そういうわけで『老子』は、先ほど引用した第2章にあったように、「聖人は無為の立場に身をおき、言葉によらない教化を行なう」と言うのです。

 この「無為」という言葉は『老子』を理解するうえで重要なキーワードです。この言葉は、現代の日本語だと「何もせずにぶらぶらしていること」といったような意味で使われることが多いですし、「無為に時間を過ごした」と言ったら時間を無駄にしてしまったということです。「無駄」に近い意味で用いられることも多いようです。でも、『老子』に出てくる「無為」という言葉はそういう意味ではありませんし、「何もせずにぼけーっと怠けておればよい」などと言っているわけでもありません。『老子』が言う「無為」というのは、恣意的な「人為」を離れ、“ことさらなこと”“余計なこと”“作為的なこと”を行わないということで、『老子』や『荘子』では良い意味で使われる言葉です。逆に言うと「有為」というのは、さかしらで“ことさらなこと”“余計なこと”“作為的なこと”をあれこれと行うことです。

 ひょっとしたらここで、「あれ? 仏教にも有為とか無為という言葉があるよな」と思った方もおられるかもしれません。そうです。この雑文の第9回でも説明したように、仏教用語では「有為法」というのは「原因や条件によって生じたモノ」のことで、「無為法」は「原因や条件を離れたモノ」のことです。

 これはどういうことかというと、仏教はご存じのとおりインドで生まれた宗教であり、『老子』や『荘子』が書かれた時代の中国には、まだ仏教の影も形もありませんでした。ですから「無為」とか「有為」という言葉はもともとは、「原因や条件によって生じたモノ」とか「原因や条件を離れたモノ」という意味ではなく、道家思想の文脈で先ほど述べたような意味で使われていました。そして、後世になって仏教を中国に輸入した際に、サンスクリットで言うsaṃskṛta-dharma(原因や条件によって生じたモノ)やasaṃskṛta(原因や条件を離れたモノ)といった仏教の言葉を漢訳するために、「有為」とか「無為」といった道家思想の言葉をあてたのです。

 そもそも、縁起や涅槃や解脱や空といったような仏教の概念は、それまでの中国には全くなかったものです。仏教は中国の人々にとっては理解しにくい異質な発想を多く含んだ思想体系でした。そこで、仏教経典で説かれていることを、中国に元からあった古典に出てくる用語や概念にあてはめて、そこに引き寄せる形で理解するということが行われました。そしてその際によく用いられたのが、『老子』や『荘子』などの道家思想の用語や概念だったのです。このことは、中国での仏教解釈にも影響を与えていくことになるのですが、この点については後ほど述べます。

 話が少し脱線しましたが本題に戻ると、「無為」については『老子』第48章にこうあります。

 学を為す者は日に益し、道を為す者は日に損す。之を損し又損し、以て無為に至る。無為にして而も為さざる無し。
 天下を取るは、常に事無きを以てす。其の事有るに及びては、以て天下を取るに足らず。

 学問を修める者は日々にいろいろな知識が増えていくが、道を修める者は日々にいろいろな欲望が減っていく。欲望を減らし、さらに減らして、何事も為さないところまで行きつく。何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。
 天下を統治するには、いつでも何事も為さないようにする。なにか事を構えるのは、天下を統治するには不十分である。

同前

 また、第56章にはこうあります。

 知る者は言わず、言う者は知らず。
 其の兌を塞ぎ、其の門を閉ざし、其の鋭を挫き、其の分を解き、其の光を和らげ、其の塵に同ず。是れを玄同と謂う。
 故に得て親しむ可からず、亦た得て疎んず可からず。得て利す可からず、亦た得て害す可からず。得て貴ぶ可からず、亦た得て賤しむ可からず。故に天下の貴と為る。

 本当の知者はもの言わず、もの言う人は本当の知者ではない。
 (本当の知者は)欲望が呼び起される目や耳などの穴を塞ぎ、欲望が生じる心の門を閉ざす。知恵のするどさを弱め、知恵によって起こる煩わしさを解きほぐす。知恵の光を和らげ、世の中の人々に同化する。このことを、道との玄妙な合一という。
 だから、世の中の人々は彼に親しむこともできず、また疎んずることもできない。利益を与えることもできず、また損害を与えることもできない。貴ぶこともできず、また賤しむこともできない。だから、世の中の貴い存在となるのだ。

同前

 学問を修めて知識を増やしていくのは常識ではよいことですが、『老子』に言わせれば世界をそのように「有為」の「知」によって二つ以上の「もの」へと切り裂き、恣意的に秩序づけ意味づけていくことは、本来の「あるがまま」の世界から人間を遠ざけることであることはすでに述べたとおりです。そこで『老子』は、逆に知識をはじめとする「有為」を減らしていき(「之を損し又損」す)、「欲望が呼び起される目や耳などの穴を塞ぎ、欲望が生じる心の門を閉ざ」し、常識的な「有為」の感覚や知覚を離れて「無為」に至るという発想をとることになります。

「欲望」という言葉が出てきたので、『老子』が人間の「欲望」の問題をどう考えているのかについてもみてみましょう。『老子』第12章にはこうあります。

  五色は人の目をして盲せしめ、五音は人の耳をして聾せしめ、五味は人の口をして夾わしめ、馳騁田猟は人の心をして狂を発せしめ、得難きの貨は人の行いをして妨げしむ。
 是を以て聖人の治たるや、腹の為にして目の為にせず。故に、彼れを去てて此れを取る。

 きらびやかな色彩は人の目を見えなくさせ、うつくしい音楽は人の耳を聞こえなくさせ、おいしい食べ物は人の味覚を麻痺させ、馬を走らせて狩猟することは人の心を狂わせ、馬を走らせて狩猟することは人の心を狂わせ、珍しい財宝は人の行ないを悪辣にさせる。
 そういうわけで聖人の政治は、人々の腹をみたすことを大事にして、目を楽しませるようなことは大事にしない。だから、あちらの目を棄てて、こちらの腹を取るのだ。

同前

 常識的に考えると、人間は「知」があって賢い方がよい、欲望の実現のために努力するところに進歩があるということになりそうですが、『老子』はそう考えません。欲望もまた、「知」と同様に人間を「あるがまま」の世界から「疎外」する「もの」です。人間が「もの」を欲しがるのは、その「もの」があることを知っているからです。だから、文化的な生活をしている人間ほど多くの“余計な”欲望をもっている。欲望は「知」に導かれて生じる「もの」であり、「知」こそが欲望を肥大化させる張本人である。『老子』にはそういう発想がみてとれます。人間というわけのわからない存在のことを人間の世界だけで捉えて、視覚や聴覚や味覚などの五感が命じるまま、欲望のままに己の外にある“余計な”「もの」を追い求め、心を外界に向かって千々に拡散させる。そうやって人間は己の外側にある「もの」の奴隷になってしまうというわけです。

 とはいえ、『老子』は人間の欲望をすべて否定しているわけではありません。第46章にはこうあります。

 罪は欲す可きより大なるは莫く、咎は得んと欲するより大なるは莫く、禍は足るを知らざるより大なるは莫し。
 故に足るを知るの足るは、常に足る。

 欲望が多いことよりも大きな罪悪はなく、何かを手に入れようとするよりも大きな過失はなく、満足を知らないことよりも大きな災禍はない。
 そこで、満足することを知って満足することは、永遠に満足することなのだ。

同前

『老子』はあらゆる欲望を全否定するわけではないけれど、「知足」(満足することを知る)を説いていると言っていいでしょう。つまり、「無欲」というよりむしろ「寡欲」を説いていると考えられます。

 少し脱線すると、第12章のように五感のままに行為することが人間を誤らせるという発想は、仏教の初期経典にも認められます。例えば、

 比丘たちよ、眼は捨棄するがよく、色(物体)は捨棄するがよく、眼の認識は捨棄するがよく、眼の接触は捨棄するがよい。また、すべてこの眼の接触を縁として生ずるところの受(感覚)の、あるいは楽なる、あるいは苦なる、あるいは苦でも楽でもないものをも、これを捨棄するがよいのである。
 また、耳は捨棄するがよく、……鼻は捨棄するがよく、……舌は捨棄するがよく、……身は捨棄するがよく、……意は捨棄するがよく、法(観念)は捨棄するがよく、意の認識は捨棄するがよく、意の接触は捨棄するがよい。また、すべてこの意の接触を縁として生ずるところの受の、あるいは楽なる、あるいは苦なる、あるいは苦でも楽でもないものをも、これを捨棄するがよいのである。

サンユッタ・ニカーヤ35・24、増谷文雄編訳『阿含経典2』ちくま学芸文庫

 もし眼をもって色(物体)を見たならば、その外見や細部に惹かれてはならない。もし彼がその眼根を守らないでいると、たちまち、貪欲や失意や悪不善のことどもが彼に襲いかかってくる。だから、それを制御することに努め、よく眼根を守護して、管理するがよろしい。
 また、耳をもって声を聞いたならば、……鼻をもって香を嗅いだならば、……舌をもって味をあじわったならば、……身をもって接触を感じたならば、……また、意をもって法(観念)を意識したならば、その外相や細部に心を惹かれてはならない。もし彼がその意根を守らないでいると、たちまち、貪欲や失意や悪不善のことどもが彼に襲いかかってくる。だから、それを制御することに努め、よく意根を守護して、管理するがよいのである。

サンユッタ・ニカーヤ35・199、同前

 これは、六根六境について説いたものです。六根六境というのは、第4回、6つの認識機能とその6つの対象のことです。実はこの六境は、六塵と呼ばれることもあります。塵というのはゴミのことです。色も声も香も味も触も法も、いい「もの」だというわけではありません。ここでは、知覚や認識とその対象は、人間の心を欺いて誤った方向へと導く「もの」だとみなされているわけです。

 また、先ほどの『老子』第46章に出てきた「知足」(満足することを知る)の思想も古いパーリ経典に見い出せます。スッタニパータ第144偈には次のようにあります。

 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

中村元訳『ブッダの言葉』岩波文庫

 もちろん仏教思想と『老子』の思想は異なりますが、このような共通性はみとめられるわけです。

 本題に戻りましょう。『老子』の発想でいくと、「あるがまま」の世界は言葉による「知」や「分別」では捉えられないのだから、己の体験的な「直観」によって捉えるほかはないということになるでしょう。そうなると、この「直観」は本人だけが体験しうるもので、他人に伝えることは困難だということになります。強いて他人に伝えようとするなら、言葉を用いるしかないというジレンマを抱えることにもなります。そのようなもどかしさを抱えつつも、「有為」を離れた「あるがまま」の世界をどうにかこうにか語ろうとした箇所が『老子』にはいくつかあります。例えば第14章にはこうあります。

 之を視れども見えず、名づけて微と曰う。之を聴けども聞こえず、名づけて希と曰う。之を摶れども得ず、名づけて夷と曰う。此の三者は致詰す可からず、故に混じて一と為す。
 一は、其の上は皦ならず、其の下は昧ならず。縄縄として名づく可からず、無物に復帰す。是れを無状の状、無物の象と謂う。是れを惚恍と謂う。之を迎うれども其の首を見ず、之に随えども其の後を見ず。
 古の道を執りて、以て今の有を御す。能く古始を知る、是れを道紀と謂う。

 目を凝らしても見えないもの、それを微という。耳を澄ましても聞こえないもの、それを希という。撫でさすっても捉えられないもの、それを夷という。この三者は、突きつめることができない。だから混ぜ合わせて一にしておく。
 この一は、その上の方が明るいわけではなく、その下の方が暗いわけでもない。はてしもなく広くて活動してやまず、名づけようがなく、万物が万物として名づけられる以前の根源的な道に復帰する。これを状のない状、物のない象といい、これを惚恍という。迎えてみても頭は見えず、従ってみても背中は見えない。
 いにしえからの道をしっかり持って現今のもろもろの事柄を治める。そのようにして、いにしえの始まりを知ることができる。これを道の法則というのだ。

蜂谷邦夫訳注『老子』岩波文庫

 この一節はしばしば「詩的」であるとか「象徴的」であると形容されるようですが、ともあれ『老子』はここで、現象世界の根底に、世俗的な「有為」によって彩られた世界を離れた世界を見い出そうとしているということが言えるでしょう。その「有為」を離れた世界の広がりを言葉で何とか言い表そうとしてこのような表現をとっているわけです。そのようにして見い出されるのが、現象世界のあらゆる「もの」の根源にある、法則性や理法のごとき何ものかです。その法則性や理法のごとき何ものかを、『老子』は假に「道」と呼んでいます。「道」は形を超えており、人間の感覚では捉えられない。人間の「有為」の産物である言語によっては捉えて名前をつけることはできないから假に「道」と呼ぶというわけです。猫とか狗とか草木や人間といった、世界にみられる万物の根底に実在する理法という意味あいで用いていると言えるでしょう。

 先ほど申し上げたように、「道」というのはもともとは文字通り「道路」を意味する言葉で、そこから転じて、「人が行うべきこと」「正しい生き方」「従うべき規範」をも意味する言葉です。『老子』は、当時の諸子百家たちが言葉によって提唱したいろんな「道」は本当の「道」ではないと言ったのです。なぜなら、人間が言語によって表現する「知」は、必ず「善と悪」「美と醜」「長と短」「上と下」「机と非机」といった具合に、恣意的な分類や区別や差別を伴った相対的な姿で現れるからです。言語によって「有為」を離れた本来の「あるがまま」の世界を言いあらわすことはできないし、言語による「有為」の相対的な「知」では、現象世界の根源にある「宇宙の法則」である「道」を捉えることはできないというわけです。よって儒家が言う「仁」とか、墨家が言う「兼愛」といったような、諸子百家たちが説く様々な「道」は本当の「道」ではないのだということになるのです。

 儒教の人が声高にこれが「道」なのだ、これを守るべきなのだと言っているような「道」はかりそめの「もの」であって、それは真実不変の「道」ではない。世間で言われているような仁義道徳にとらわれていてはいけない。そういう「有為」を取り去って世俗の立場から離れたところに、現象世界にみられるあらゆる「もの」の根本、天地の始まる始原である「道」がある。現象世界には野を駆ける獣があり、蠢く虫があり、空を飛びゆく猛禽があり、大地に根を張る大木があり、それを眺める人間もありといった具合に多種多様であり雑多であるが、それはすべて同一の根源的なところから出てきている。そこで『老子』は、先ほど引用した第14章にも見られるように、「道」を「一」と表現することがあります。人間のさかしらな「有為」による「知」は、世界を「二」つ以上の「もの」へと恣意的に切り裂き、秩序づけ意味づけていくところに成立している。そういう「二」つ以上の「もの」が織りなす世界を離れたところに、「一」なる「道」を見い出すというわけです。第39章にはこうあります。

 昔の一を得たる者は、天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧く、神は一を得て以て霊く、谷は一を得て以て盈ち、万物は一を得て以て生じ、侯王は一を得て以て天下の貞と為る。

 いにしえよりこのかた、一を得たものは、天は一を得て清らかに、地は一を得て安らかに、神は一を得て霊妙に、谷は一を得て水が満ち、万物は一を得て生まれ、王侯は一を得て天下の長となった。

同前

「有為」を取っ払って現象世界の奥の根源まで復帰して、そこからこの世のすべてを見直すと、天や地といった宇宙のすべては「一」なる理法によって貫かれており、それによって成立している。そう言っていることになります。ですので、『老子』という書物では、「一」と「道」は同じことを意味していると言っていいでしょう。

 ただ、ここには少しだけ微妙な問題もあって、『老子』第42章には「道は一を生じ」ると言っている箇所もあります。しかし、『老子』の諸章における用例を眺めてみると、「一」の意味・内容は「道」と何ら異なっていないことがほとんどであるのも事実です。この点については、第42章を例外的なものと見る方向性の見解もあれば、第39章の「一」は「道」とイコールではなく、第42章が言うような道から生じた一だとする見解もあるようです。このあたりは素人の私には判断できません。

 ともあれ、そのようにして万物の根底に見い出された理法としての「道」には、万物を生成するはたらきがあるのだと言います。第51章にはこうあります。

 道、之を生じ、徳、之を畜う。物、之を形づくり、勢、之を成す。
 是を以て、万物は道を尊び徳を貴ばざるは莫し。道の尊く、徳の貴きは、夫れ之に命ずる莫くして、常に自ずから然り。
 故に、道、之を生じ、徳、之を畜い、之を長じ之を育み、之を亭め之を毒んじ、之を養い之を覆う。生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず。是れを玄徳と謂う。

 道が万物を生みだし、徳がそれらを養いそだてる。物としての形体が与えられ、なにかの働きを持つものとして完成する。
 そういうわけで万物は、みな道を尊び徳を貴ぶのだ。道や徳が尊貴であるのは、そもそもだれかが尊貴の位に任命したからではなく、いつでも自ずからそうなのだ。
 だから、道は万物を生みだし、養いそだて、成長させ、育み、形をしっかり定め、中身を完成させ、慈しみ、庇護する。生育しても所有はせず、恩沢を施しても見返りは求めず、成長させても支配はしない。これを奥深い徳というのだ。

同前

 ちなみに、「勢、之を成す」という部分は、現行本だと「勢成之」ですが、古い馬王堆甲本・乙本だといずれも「而器成之」となっています。これでいくと「物之に形(あら)われて、器之に成る」と読めることになり、なにかの働きや役割をもつ「もの」として完成するという意味になります(訳文は馬王堆甲本・乙本によった訳となっています)。また、「故に、道、之を生じ、徳、之を畜い」という部分は、甲本・乙本だと「故」と「徳」の文字がなかったりするのですが、いずれにせよ形を超えた「道」の「はたらき」によって形のあるあらゆる「もの」が生じるのだ、万物は「道」から流出することによって生じたのだという流出論です。先ほどの第14章で詩的に表現されていたように、未分化で渾沌とした「一」なる形のない「道」は、「有為」の「分別」によっては捉えられない。「分別」や「知」によって捉えられるのは、形を超えた「道」から生じた猫とか狗とか人間とか山や川や草や木といった多種多様な形のある万物だけである。そう言っているわけです。

 このように『老子』は、この世のすべての「もの」は、「道」という人間の日常的な認識では捉えられない「宇宙の法則」から生じてきており、万物は道という理法に貫かれているのだと言っているわけです。わかりにくいでしょうか。どうもイメージが湧かないという方は、『涼宮ハルヒの憂鬱』に出てくる統合情報思念体とか、『魔法少女まどか☆マギカ』に出てくるアルティメットまどかの円環の理なんかをイメージしてください(アニメなんぞには興味はないからわからんという方は申し訳ありませんが、どうも他にいいたとえも思いつかないのでこれで勘弁してください。どちらも名作なので観たことがないという方は観てみるのもいいかもしれません)。円環の理という法則が全宇宙を貫いているがゆえに、この世のすべての魔法少女は絶望することなく円環の理という法則に導かれて救済され、円環の理の一部となって他の魔法少女を救済する「はたらき」をするようになるというアレです。『老子』が言う道は、そういう全宇宙を貫く法則・理法であるという点では円環の理と同じです。ちなみに、『老子』における「道と万物」の関係は、「統合情報思念体と長門有希」の関係に近いものがあります。人間が観測できない統合情報思念体が道だとすると、統合情報思念体が生み出した長門有希や朝倉涼子や喜緑江美里といった「対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」が万物にあたるわけです。

 道については、第5章には次のような表現もあります。

 天地は仁ならず、万物を以て芻狗と為す。聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す。
 天地の間は、其れ猶お槖籥のごとき乎。虚にして屈きず、動きて愈いよ出ず。
 多言は数しば窮す、中を守るに如かず。

 天地には仁愛などはない。万物をわらの犬として扱う。聖人には仁愛などはない。人民をわらの犬として扱う。
 天と地とのあいだは、ふいごのようなものであろうか。からっぽだが尽き果てることなく、動けば動くほど、ますます万物が生まれてくる。
 言葉が多いとしばしば行きづまる。虚心なのが一番よい。

同前

 ある意味では、あめつちの狭間に万物がはかなく浮かんでは消え、消えては浮かびあがる現象世界の酷薄を物語っているかのような断章であります。『老子』でも『荘子』でも、全知全能の神であるとか、この世をつくった人格や意志をもつ神様のごとき「もの」が認められることはありません。「道」は、様々な宗教に出てくる神様のように人間に救済をもたらすことはありません。自分だけを信じて祈りや供物を捧げるように要求することもなければ、自分の命令に背いた者を憎んで罰を与えるなどということもない。天地を貫く「道」という理法は、人間のような意志や感情や目的や価値意識をもたない。人間だけを特別に慈しむなどということもなく、一切万物に対して平等に無関心・無頓着だというのです。

 人間のさかしらな「知」であれ、人間が誇示する文化や文明の栄華であれ、そういった現象が人間のことさらで「不自然」な「有為」によって「道」という理法に反する形で築かれた「もの」である限り、いつかは崩れ去り滅んでゆく運命を免れえない。「神は死んだ」じゃないけど、神なき世界で人間が何があろうとも揺らぐことのない生き方を持とうとするなら、「有為」を離れ、現象世界を貫くこの「道」という理法を凝視し、初めから“余計な”ことをしたり、“余計な”「もの」を持とうとしたりしない「無為」に己を根拠づけるほかはない。そういう話であるわけです。

 この章に出てくる言葉について簡単に説明しておくと、芻狗というのは祭りのために草で編んだ犬のことです。祭りが終われば特に惜しまれることもなく、最近の言葉で言えば「ナチュラルに」捨てられるだけです。槖籥というのは、訳文にもあるように、ふいごのことです。ふいごというのは、火をおこしたり、火力を強めたりするのに使う簡単な送風装置ですね。ふいごのなかは空虚であるけれど、空虚だからこそ逆説的に空気を送り出し続けることができる。それと同様に、「道」も空虚であるからこそ、逆説的に形のある万物を生みだし続けてやむことがない、と言っているのです。「道」は、「万物を以て芻狗と為」し、一切万物に対して平等に無頓着な、酷薄な理法です。しかし、そのようにして一切万物に対して平等に無頓着であり、「有為」のえこひいきを一切せず空虚であるがゆえに、逆説的にこの世のすべてを貫く真理たりえている。もし「道」がAを好ましい「もの」として扱い、Bを厭わしい「もの」として扱うのであれば、それはAにしか通用しない「もの」でしかありません。そのようなさかしらな「有為」による「分別」や判断から離れており、空虚であるがゆえに、一切を貫く理法でありえている。そのように解釈できるのではないかと思います。

 ここで改めて、現行本『老子』のしょっぱなに置かれている第1章をみてみましょう。

 道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。
 名無きは天地の始め、名有るは万物の母。
 故に、常に欲無くして以て其の妙を観、常に欲有りて以て其の徼を観る。
 此の両者は同じきより出でて而も名を異にす。同じきを之を玄と謂う。玄の又た玄、衆妙の門。

 これが道ですと示せるような道は、恒常の道ではない。これが名ですと示せるような名は、恒常の名ではない。
 天地が生成され始めるときには、まだ名は無く、万物があらわれてきて名が定立された。
 そこで、いつでも欲がない立場に立てば道の微妙で奥深いありさまが見てとれ、いつでも欲がある立場に立てば万物が活動する結果のさまざまな現象が見えるだけ。
 この二つのもの――微妙で奥深いありさまと、万物が活動しているありさまは、道という同じ根元から出てくるものであるが、(微妙で奥深いとか活動しているとかいうように)違った言い方をされる。同じ根元から出てくるので、ほの暗く奥深いものと言われるが、(そのように言うと道の活動も万物の活動も同じになるから、)ほの暗く奥深いうえにも奥深いものが措定されていき、そのような奥深いうえにも奥深いものから、あらゆる微妙なものが生まれてくる。

同前

「有為」によって打ち立てられた人間の言葉は、決して文字通りに現象世界を言い表しているわけではない、「名」と「実」は人間が考えるようにきれいに一致しているわけではない、「道」という真理を言葉によって捉えることはできない――ここにはそのような発想がみてとれるということは既に述べたとおりです。この「道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず」という一節は、いろんな解釈がありうるのでしょうが、ひとまず次のように解釈できます。

 これが「道」である、と把握したその瞬間からかえって「道」の把握として不確実になってしまう。概念化(「名とす」)したその瞬間から、かえって概念として不確実になってしまう。言葉と対象とをきれいに一致させようとする論理それ自体のなかに、その論理をかえって破綻に追い込む根が孕まれている。「名」と「実」を一致させようとするそのような論理を徹底的につきつめると、逆説的にかえって内部から破綻してゆく。すなわち、ことさらな作為によって意識的に「道」という真理を見ようとしたり、「それ」に触れようとしたり名前をつけたりしようとすると、かえってわからなくなり、「道」という真理から遠ざかることになる。だから、「有為」を取り払って「道の微妙で奥深いありさま」を「あるがまま」に受け取るのがよいということになるわけです。春秋戦国時代には、儒家をはじめとする諸子百家が「正しい生き方」=「道」を言語によってうち立てて世の中に広めようとしましたが、『老子』はそのような様々な「有為」の「道」すべてを批判しているわけです。

 ちなみに、この章にはテキストをめぐる問題もあるので簡単に紹介しておくことにします。「名無きは天地の始め」という部分の「天地」は、馬王堆甲本・乙本だといずれも「万物」になっています。現行本のように「名無きは天地の始め、名有るは万物の母」でいくと、「道」がまず宇宙の始原として存在し、そこから天地が生じ、さらにそこから人為的な「名づけ」によって区別された万物が生じるという話になります。でも、より古い甲本・乙本のように「名無きは万物の始め、名有るは万物の母」だとすれば、人間が名前をつけない(「知」によって世界を「分別」しようとしない)ところに万物の始原があり、そこに名前をつけて世界を秩序立てて「分別」していくと万物が認識される、と解釈できることになります。

 前者だと「道」から万物が流出したという話ですが、後者だと「人為」的な「分別」によって世界を秩序立てて意味づけていくことによって人間は「あるがまま」の世界から疎外されるといったような話になります。こういうこともあってこの章は、流出論を語っている他の章との整合性をとるために、後世の人によって「万物」から「天地」に改変されたんじゃないかと言う人もいます。

 なお、『老子』第16章には、「有為」を取り去って「道」に至った者の立場から現象世界を眺めた者の次のような言葉があります。 

 虚を致すこと極まり、静を守ること篤し。万物並び作り、吾れ以て其の復るを観る。夫れ物の芸芸たる、各おの其の根に復帰す。
 根に帰るを静と曰い、是れを命に復ると謂う。命に復るを常と曰い、常を知るを明と曰う。常を知らざらば、妄作して凶なり。
 常を知らば容なり、容ならば乃ち公なり、公ならば乃ち王なり、王ならば乃ち天なり、天ならば乃ち道なり、道ならば乃ち久し。身を没するまで殆うからず。

 心をできるかぎり空虚にし、しっかりと静かな気持ちを守っていく。すると、万物は、あまねく生成変化しているが、わたしには、それらが道に復帰するさまが見てとれる。そもそも、万物はさかんに生成の活動をしながら、それぞれその根元に復帰するのだ。
 根元に復帰することを静といい、それを命つまり万物を活動させている根元の道に帰るという。命に帰ることを恒常的なあり方といい、恒常的なあり方を知ることを明知という。恒常的なあり方を知らなければ、みだりに行動して災禍をひきおこす。
 恒常的なあり方を知れば、いっさいを包容する。いっさいを包容すれば公平である。公平であれば王者である。王者であれば天と同じである。天と同じであれば道と一体である。道と一体であれば永遠である。そうすれば、一生、危ういことはない。

同前

「有為」を取り去った立場から現象世界を眺めれば、あらゆる「もの」が「道」から生じて、やがて「道」へと帰っていくという摂理をみてとることができる。そこで、己の欲望や外界の刺激に惑わされることなく「有為」を取り去って「無心」に至り、万物の根源にある「道」へ復帰し「道」と一体になれば、己の本来的なあり方へと立ち戻ることができ、「一生、危ういことはない」。そのように言っているわけです。

 さて、「道」という概念についてあれこれみてきましたが、先ほど引用した第1章には「此の両者は同じきより出でて而も名を異にす」とあるのも興味深いところです。両者、つまり「道」の微妙で奥深いありさまと、現象世界の万物が活動しているありさまは同じ根源から出てくるものだと言っているのです。ここはものすごく重要なポイントです。このような発想は、『老子』にとどまらず中国思想史全体を深く貫いているといっても過言ではないからです。

 西洋だと、例えば紀元前5~4世紀頃のギリシャの哲学者であるプラトン(『老子』や『荘子』が成立していく頃とほぼ同時代の人ですね)という人は、イデアの世界がこの現実世界を超越したところにあり、現実はイデアを原型とする不完全なまがいものにすぎないと考えました。それゆえ、人間の魂はイデアの知を求めることではじめて善きものになるとしました。表面的な現象の背後に隠れた本質や本体=イデアは知によって捉えられるというわけです。ここでは、現象と本体は別物であり、両者が溶け合うということはありません。キリスト教でも、神は人間を超越しており、神と人間とは完全に隔絶しています。神と人が合一するとか溶けあうなどと言うと、異端扱いされたりします。

「道」と万物の関係は、このような西洋哲学でいう本体(本質)と現象の関係とは異なるところがあります。中国思想では、「この世界を貫く真理や理法は、我々のいる世界から遠く離れたところにあるのではなく、目の前の現象世界に“即”してある。目の前の現実を離れたところに真実の世界があるのではなく、真理は目の前の世界すべてを貫いており、いまここで顕現している」という発想が非常によくみられるのです。これは中国思想史を深く貫く思想だといっても過言ではなく、立場が全く違う様々な学派を通じて見い出すことができる発想です。

 例えば、『老子』や『荘子』とは全く逆の立場だと言われる儒家の書物である『論語』には、「仁、遠からんや。我れ仁を欲すれば、斯に仁至る」とあります。同じく儒家の書物である『孟子』にも「道はちかきにあり、しかるにこれを遠きに求む、事は易きにあり、しかるにこれを難きに求む」とあります。『中庸』(これも儒家の書物です)にも、「道なるものは須臾も離るべからず。離るべきものは道にあらざるなり」とあります。「道」は目の前にあるのだというのです。また、日本でも興味を持つ人がいる『易』の世界にしても、太極という一なる根源と、六十四の卦によって織りなされる現象世界の変化とのあいだの関係を説明しようとするものです。そこでは、現象世界と太極との距離が非常に近いものとして捉えられています。ちなみに『易』繋辞上伝には、「形而上なる者は、之を道と謂い、形而下なる者は、之を器と謂う」という有名な言葉があります(これは先ほど引用した現行本『老子』第51章の馬王堆甲本・乙本バージョンにみられる「道、之を生じ、徳、之を畜う。物之に形われて、器之に成る」というフレーズに非常に近いです)。

 また、後世においては、このような万物を貫く真理・理法を「」と呼び、移ろい流れゆく現象世界の万物を「」と呼ぶことがあります。はるか後世の宋の時代に出てくる朱子学には、「理一分殊」という思想がみられます。これは大ざっぱに言うと、宇宙の根本原理である「理」は「一」つであり、あらゆる「もの」(「事」)に宿っているが、その具体的なあらわれかたは個々の事物によって殊(こと)なるという思想です。

 繰り返しになりますが、このような「真理は目の前の現実を離れたところにあるのではない。真理は目の前の世界に顕現しており、万物を貫いている。目の前の世俗世界が“即”真理の世界である」という発想は、中国思想史を貫いています。この発想でいくと、目の前の現象世界と、「道」とか「理」といった言葉で呼ばれる真理の世界との距離は限りなく近いということになるわけですが、その距離感をどのように捉えてどのように語るかということが、中国思想史の一貫した課題であったとさえ言えます。そして、このような中国的な思惟の傾向は、中国仏教にも大きな影響を与えることになります。この問題は、私がこの雑文を書いている理由とも大きく絡んでいるのですが、ここでは深入りせずに後ほど述べることにします。

 話を『老子』に戻しましょう。これまで述べてきたように『老子』は、「有為」を取り去って“余計なこと”“ことさらなこと”をしない(「無為」)で「道」へと復帰するという話をしている書物だということになります。それでは、そうやって恣意的な「有為」を取っ払って「道」に基づいて世界をみると、現象世界はどのようなありかたをしているのか。また、その世界のなかでどのように生きればいいのか。例えば第78章に次のようにあります。

 天下に水より柔弱なるは莫し。而も堅強を攻むる者、之に能く勝る莫きは、其の以て之を易うる無きを以てなり。
 弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下、知らざる莫くして、能く行なう莫し。
 是を以て聖人云く、「国の垢を受く、是れを社稷の主と謂う。国の不祥を受く、是れを天下の王と謂う」と。正言は反するが若し。

 この世の中には水よりも柔らかでしなやかなものはない。しかし堅くて強いものを攻めるには水に勝るものはない。水本来の性質を変えるものなどないからである。
 弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが剛いものに勝つ。そのことは世の中のだれもが知っているが、行なえるものはいない。
 そういうわけで聖人は、「国中の汚濁を自分の身にひきうける、それを国家の君主という。国中の災厄を自分の身にひきうける、それを天下の王者という」と言う。正しい言葉は、常識に反しているようだ。

同前

 常識的に考えると、堅くて強い者とやわらかくて弱そうな者が勝負したら、堅くて強い者が勝ちそうです。しかしそうではないと言うのです。剛強という状態は、意識的に緊張状態を持続させることによって成立します。剛強とは「有為」の連続であり、“ことさらなこと”“余計なこと”をしないという「無為」の立場に反する態度です。剛強は、不断の緊張という「不自然」によって支えられているがゆえに、無理に無理を重ねた末に、ふとしたきっかけでボキっと折れたり崩れたり挫折したりしやすい。2000年以上前の『老子』の時代であっても現代であっても、そうやって折れてしまう人はいっぱいいます。

 ここには、先ほど紹介した第1章の「道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず」と同じような逆説的な論理を見い出すことができるように思います。これが「道」である、と「有為」によって把握したその瞬間からかえって「道」の把握として不確実になってしまう。「有為」によって概念化(「名とす」)したその瞬間から、かえって概念として不確実になってしまう。言葉と対象とをきれいに一致させようとする「有為」の論理それ自体のなかに、その論理をかえって破綻に追い込む根が孕まれている。「名」と「実」を一致させようとするそのような論理を徹底的につきつめると、逆説的にかえって内部から破綻してゆく。それと同様に、ことさらに剛強であろうと努めることそれ自体のなかに、剛強であることを破綻に追い込む根が含まれている。剛強であることをつきつめていくと、剛強は逆説的に内部から破綻し、かえって弱へと転じる。そういう論理です。この章の最後に出てくる「正言は反するが若し(正しい言葉は、常識に反しているようだ)」という言葉についても、そのような逆説的な論理として解釈できるように思います。

 この章には「天下に水より柔弱なるは莫し」という言葉も見えますが、これに絡んでくる言葉が第66章にもあります。

 江海の能く百谷の王為る所以の者は、其の善く之に下るを以て、故に能く百谷の王為り。
 是を以て聖人は、民に上たらんと欲せば、必ず言を以て之に下り、民に先んぜんと欲せば、必ず身を以て之に後る。
 是を以て聖人は、上に処りて而も民重しとせず、前に処りて而も民害とせず。
 是を以て天下推すを楽しみて而も厭わず。其の争わざるを以て、故に天下能く之と争う莫し。

 大河や大海が幾百もの河川の王者でありうるのは、それらが十分に低い位置にあるからである。だから幾百もの河川の王者でありうるのだ。
 そういうわけで聖人は、人民の上に立とうと思うなら、かならず謙虚な言葉でへりくだり、人民の先に立とうと思うなら、かならず我が身のことを後にするのだ。
 そういうわけで聖人は、人民の上にいても人民は重いとは思わず、人民の前にいても人民は障害とは思わない。
 そういうわけで、世の中の人々は喜んで彼を推戴して、いやだとは思わないのだ。そもそも誰とも争わないから、世の中の人々は彼と争うことができないのだ。

同前

 他にも、第34章にはこうあります。 

 大道は氾として、其れ左右す可し。万物、之を恃みて生ずるも辞せず。功成りて有を名のらず。万物を衣養して主と為らず。常に無欲なれば、小と名づく可し。万物、焉に帰して主と為らず。大と名づく可し。
 是を以て聖人の能く大を成すや、其の終に自ら大と為さざるを以て、故に能く其の大を成す。

 大道は、あふれ出た水のように、左にも右にも行きわたる。あらゆる物は道を頼りに生まれるが、道はそれらの自生に任せるだけであり、造化の働きが成しとげられても、自分の所有だと言うわけではない。あらゆる物をはぐくみ養うが、しかし道はそれらの主人とはならない。いつでも無欲であるから、小と名づけることができる。あらゆる物は道に帰っていくが、しかし道はそれらの主人とはならない。大と名づけることができる。
 そういうわけで聖人が大なるものとなりうるのは、そもそもいつも自分から大とはしないから、だから大なるものとなりうるのだ。

同前

 この二つの章にも逆説的な論理がみとめられます。常識的に考えると、ひたすら「謙虚な言葉でへりくだ」って「我が身のことを後に」して「無欲」でいると、この世は弱肉強食がまかりとおっているところである以上(『老子』が書かれた戦国時代も、戦国七雄と呼ばれる強大な七つの国々が互いに争ったり、周辺の小国を侵略して併合していく乱世でした)、他人にいいように利用されたりつけこまれたりして損をすることが多そうだし、ロクなことにならないと思う人もいるかもしれません。しかし、それでは俺が俺がと言わんばかりにやれ名声だ金儲けだ地位だ権力だ勢力拡大だと言って、競争心や嫉妬や偽善や虚飾や狡知や姦計といった欲望が渦巻き修羅が蠢く「有為」の文化的な世界に飛び込んでいき、他人を押しのけ時にはSATSUGAIして、(嫌な言葉ですが)「勝ち組」になろうとすれば、ロクなことになるのか。

 たとえそうは思わないにしても、「自分」の存在を人に知ってほしいとか、人に認められたいという人は多いでしょう。しかし、そのようにして己の外にある「もの」を求め、己の外にある「もの」に翻弄されることで人間はシアワセになれるのか。そうやって手に入れた「もの」も「文化」も、「有為」によって築かれた「もの」である以上はいつかは滅びざるをえない。人間は「有為」による「不自然」によって何かを得たら、いつかはそれを失わざるをえない。何かを得ることそれ自体のなかに、何かを得ることを内部から破綻に追い込む根が逆説的に孕まれている。地位をひけらかしたり権力を笠に着たり支配欲や名誉欲をむき出しにして多くを求めれば、多くの敵を作って最後は逆説的に地位も権力も失う。だからこそ、「謙虚な言葉でへりくだ」って「我が身のことを後に」して「無欲」に、自分が最初から最後まで何も持っていないかのように振るまうのがよい。先ほど引用した第78章にもあったように、王様はひたすらへりくだって「国中の汚濁を自分の身にひきうける」のがよい。そうやって“ことさらなこと”“余計なこと”をせずに柔弱にへりくだれば、権力だの地位だのは逆説的におのずとついてくる。そういったことを言っているのだと解釈できそうです。日本語でも「負けるが勝ち」などと言ったりしますが、そういう発想が見てとれるように思います。

『老子』が、高いところから低いところへ流れていつも低いところに存在する柔弱さをもった水というものを称揚するのはこういう理由からです。鍛えて鋭くした刃物が長持ちしないように、剛強は剛強であるがゆえにかえって逆説的に脆い。それに対して水は、剛強なもののようにボキっと折れることもなく、四角い器に注げば四角くなり、丸い器に注げば丸くなるという具合で、相手に応じて柔軟に姿を変えることができる。日本語に「雨だれ石を穿つ」ということわざがあるように、長い間同じところに落ち続ければ、ついには剛強な石に穴をあけたりするなんていう話もあります。かくして、「強い/弱い」という「有為」の価値判断は、逆説的な論法によってひっくり返されることになります。さかしらな「有為」にもとづいた「強い/弱い」などという相対的な価値判断を絶対的なものだと錯覚し、強者や弱者が現象世界に固定的に存在すると考えてしまう人間の「知」の驕りを批判していると言ってもいいでしょう。

 さて、『老子』は以上のように、読む者を「深遠な」世界に引っぱり込むようなことを言うのですが、その一方で世俗世界で成功して立派な成果をあげたり天下を治めたりといった、俗な処世術や政治への関心も非常に強い書物です。超俗的で雲をつかむようなことを言いながらも、同時に世俗の政治についてもあれこれと積極的に語っているのです。そのことは、今まで引用してきた章にも、「国中の汚濁を自分の身にひきうける、それを国家の君主という」とか、「人民の上に立とうと思うなら、かならず謙虚な言葉でへりくだり、人民の先に立とうと思うなら、かならず我が身のことを後にする」などといった言葉があることからも読み取っていただけるかと思います。他にも、第60章にはこうあります。

 大国を治むるは、小鮮を烹るが若し。

 大国を治めるのは、小魚を煮るようにする。

同前

 人間のさかしらな「知」によって、複雑極まりない大国の全貌を隅々まで理解し把握し尽くすことができる――そんな「致命的な思いあがり」に基づいて設計した「ぼくのかんがえたさいきょうの制度」によってさかしらに大国を治めようとしてもかえってうまくいかない。小魚を煮るときは、つつきまわすと身が崩れてしまうからなるべく触らないようにするのがよい。それと同様に、大国を治める際にはさかしらな「知」によって手を加えるようなことをせず、自由放任するのがよい、という発想です。“ことさらなこと”“余計なこと”をしない「無為」の政治をよしとするわけです。また、第3章には次のようにあります。

 賢を尚ばざらば、民をして争わざら使む。得難きの貨を貴ばざらば、民をして盗を為さざら使む。欲す可きを見さざらば、心をして乱れざら使む。
 是を以て聖人の治は、其の心を虚しくして其の腹を実たし、其の志を弱くして其の骨を強くし、常に民をして無知無欲なら使め、夫の知者をして敢て為さざら使む。為す無きを為さば則ち治まらざること無し。

 人君が才能ある者を尊重しなければ、人民は争わないようになる。人君が珍しい財宝を尊重しなければ、人民は盗みをしないようになる。人君が多くの欲望を持たなければ、人民は乱れなくなる。
 そういうわけで聖人の政治は、心を単純にさせて腹をいっぱいにさせ、こころざしを弱めて筋骨を丈夫にさせ、いつでも人民を無知無欲の状態におき、あの賢しらな者には行動をさせないようにする。無為によって事を処理していけば、治まらないことはないのだ。

同前

「無為」の政治によって人々を無知無欲にすべきだというわけです。『老子』は、個人のレベルでは「有為」を取り払って「あるがまま」の世界へと復帰することを説いていますが、政治のレベルでも「有為」によって飾りたてるようなことはせずに、人々を「あるがまま」にあらしめるのがよいと言っていることになります。繰り返しになりますが、人間は「知」があって賢い方がよい、欲望の実現のために努力するところに進歩があるということになりそうですが、『老子』はそう考えません。第19章にも「学を絶たば憂い無し」とあったように、人間は「分別」に基づく「有為」の「知」を手にすることで賢くなったと錯覚し、狡猾になり“余計な”欲望も増して外界の現象に翻弄され追い回されるようになり、悩み苦しみも増すと考えるのです。だから、小賢しい「知」や無用な欲望が人々の間にはびこらないようにするという話になってきたりするのです。

『老子』のこのような主張は、人々に情報を与えず、為政者にとって都合がいいように従順にさせて統治する愚民政策ではないかと言われることもあります。この点についてはいろいろと議論があるようですが、一つ言えそうなことは、ここで言われているのは民“だけ”を無知無欲にするという話ではないということです。『老子』にとっては、無知無欲であることは為政者の理想でもあります。文化(もちろんそこには人間の「知」も含まれます)はスバラシイものだという前提を根本から批判しようとするのが『老子』です。ですから、民“だけ”を愚民化しておき、自分だけはさかしらに民を将棋の駒のようにいいように利用してやろうという話ではなさそうだとは言えます。とはいえ、為政者に都合よく曲解されて利用される可能性はあるとは言えるかもしれません。ともかく、『老子』が政治について語っている章を他にも拾ってみると、第17章には次のようにあります。

 太上は、下、之有るを知るのみ。其の次は之を親しみ誉む。其の次は之を畏る。其の次は之を侮る。

 最高の支配者は、人民はその存在を知っているだけである。その次の支配者は、人民は親しんで誉めたたえる。その次の支配者は、人民は畏れる。その次の支配者は、人民は馬鹿にする。

同前

 民がただ漠然と君主の存在を感じるぐらいの政治こそが最善であると言っています。ここで思い出されるのは、先ほど紹介した第5章です。

 天地は仁ならず、万物を以て芻狗と為す。聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す。
 天地の間は、其れ猶お槖籥のごとき乎。虚にして屈きず、動きて愈いよ出ず。
 多言は数しば窮す、中を守るに如かず。

 天地には仁愛などはない。万物をわらの犬として扱う。聖人には仁愛などはない。人民をわらの犬として扱う。
 天と地とのあいだは、ふいごのようなものであろうか。からっぽだが尽き果てることなく、動けば動くほど、ますます万物が生まれてくる。
 言葉が多いとしばしば行きづまる。虚心なのが一番よい。

同前

「道」は、いろんな宗教で説かれている神様のごとく、自分だけを信じて祈りや供物を捧げるように要求したり、自分の命令に背いた者を憎んで罰を与えるなどということはない。それと同じく、「道」を把握した君主も、自分だけを敬うように要求したり、地位をひけらかしたり権力を笠に着るような「有為」の振る舞いをすることはない。「道」は「万物を以て芻狗と為」し、平等に無頓着に扱う。しかし「道」は、そのようにして「有為」のえこひいきを一切せず空虚であるがゆえに、逆説的にこの世のすべてを貫く真理たりえている。それと同じく、「道」を把握した君主も、“ことさらなこと”“余計なこと”をせず、「百姓を以て芻狗と為」し、「有為」のえこひいきを一切しないからこそ、逆説的にうまく世を治めることができる。そういうことになります。

 さて、このような政治思想を語る『老子』は、自らが理想とする「社会」を第80章で次のように描いています。

 国を小さくし民を寡なくす。什伯人の器有るも而も用いざら使め、民をして死を重んじて而して徒るより遠ざから使む。舟輿有りと雖も、之に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳ぬる所無し。民をして復た縄を結びて之を用い使む。
 其の食を甘しとし、其の服を美しとし、其の居に安んじ、其の俗を楽しとす。隣国相い望み、鶏犬の声相い聞こゆるも、民は老死に至るまで、相い往来せず。

 国は小さくし、住民は少なくする。人力の十倍百倍の機能を持つ道具があっても用いないようにさせ、住民には生命を大切にさせ、移住しないようにさせる。舟や車があっても乗ることはなく、甲や武器があってもつらねて使うことはない。住民には、むかしのように縄を結んで記号として使わせる。
 自分たちの食べ物をうまいとし、自分たちの衣服をいいものとし、自分たちの住居に安んじ、自分たちの習俗を楽しいとする。隣国が見えるところにあり、鶏や犬の鳴き声が聞こえてきても、住民は老いて死ぬまで、お互いに行き来することがない。

同前

 これは古くから「小国寡民」(小さな国で少ない人口)と呼ばれている、『老子』が描く理想郷です。ここでは、人々が「知」や欲望に追い立てられたり、あくせくとここにはない何かを羨んで求めることで己の外にある「もの」に翻弄されてしまうこともなく、進歩も競争もなく知足(満足することを知る)している。

 このような『老子』の理想は、西洋語で言うアナキズム(無政府主義)ではないかと思う方もおられる方もいるかもしれませんが、『老子』全体をみるとそうとも言えません。というのは、『老子』には「天下」とか「大国」といった言葉がよく出てきますし、大国をいかに治めるかを論じていることは明らかだからです(第60章に「大国を治むるは、小鮮を烹るが若し」とあることは先ほどみたとおりです)。そうである以上は、『老子』が大国を治める君主や統治機構それ自体を否定しているとは考えにくいのです。

 それでは、一見すると矛盾しているかのようにも見える「小国寡民」の理想と大国はどのような関係にあるのでしょうか。この点については、『老子』が言う「小国寡民」の村落共同体は大国を構成する基礎単位であり、大国は多数の村落共同体の集まりから成る連合体なのではないかという説があります。その大国には君主はいてもそれぞれの共同体の自治に任せられ、それぞれの共同体は互いに独立しており、他の共同体から侵犯されることもない。支配者による統制や干渉はなく、小鮮=小魚たちはつつきまわされることなくそれぞれの「あるがまま」の形を全うする、というわけです。確かにそのように考えれば矛盾はしません。文脈が全く異なる西洋の思想と安易に比較することは控えるべきかもしれませんが、それでもあえて申し上げると、西洋の政治哲学でいうリバタリアニズムにどこか通じるものがあるように思います。

 ちなみに、後世の魏晋南北朝時代の文人である陶淵明に『桃花源記』という作品があり、そこにはこの「小国寡民」を元ネタにした「桃源郷」が描かれています。とある漁師が道に迷って、桃の花の咲く谷あいの川をさかのぼっていき、そのつきあたりの洞窟を抜けたらそこに穏やかな別天地が広がっていたというあのお話です。有名なのでわざわざお話しするまでもないかもしれません。

『老子』が書かれた戦国時代は、諸国が富国強兵を掲げて自国の強大化をはかる、血で血を洗う弱肉強食の時代でした。陶淵明は田園詩人とも言われ、農村の自然のなかで平穏な生活を送ったかのようにもみえますが、その一方で不安定な政治状況や相次ぐ戦乱のなかで悩み続けた人でもあるようです。『老子』が描く世界も陶淵明が描く世界も、時代を裏返しにしたものであるかのようです。

 ともあれ、『老子』が語る政治思想を21世紀の現代においてそのまま実行することはまずできないでしょうし、『老子』の思想がそのままの形で政治的な問題の解決に役立つなどということはもはやありえないでしょう。ですが政治の問題に限らず、現状をカイカクしようとしてことさらな「有為」によって小魚をつつきまわしていたら、事態がますます悪化していた……などということは現代でもどんな分野でも起こりうることです。そういう意味では、“ことさらなこと”をしないという『老子』の思想からは、現代でもまだいろんなアイデアをくみ出すことができそうです。いずれにせよ、『老子』は現代でも読み継がれ多くの人を惹きつけ続けている書物ではあります。

 さて、これまで述べてきたように、『老子』という書物は超俗的で深そうな「道」について語っていたかと思えば、いきなり大国や天下がどうとか、王様はこうすべきだといったような政治的で俗なことを言い出したりもします。そこで気になるのは、「弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが剛いものに勝つ」(第78章)とか「聖人が大なるものとなりうるのは、そもそもいつも自分から大とはしないから、だから大なるものとなりうる」(第34章)とか「人民の上に立とうと思うなら、かならず謙虚な言葉でへりくだり、人民の先に立とうと思うなら、かならず我が身のことを後にする」(第66章)といったような、これまでに何度も出てきた逆説的な論理です。これらの言葉は、「勝つためには剛強ではなく柔弱に徹するべきだ。そうすれば勝てる」とか、「人々の上に立つためには、謙虚な言葉でへりくだるべきだ。そうすれば上に立てる」と言っているととれなくもありません。そのように見ると、『老子』は実は「有為」の世界における競争を全否定しているのではなく、老獪な術策によって他人との競争に勝利をおさめて、世俗世界で成功することを目指す思想なんじゃないかと解釈できなくもないように思えてきます。

『老子』にはそういう一面があります。もちろん今まで見てきたように、『老子』はそのような権謀術数を弄するだけではないのですが、超俗的で宗教的な世界を語りながらも、常に現実世界との関係を考えていることは確かでしょう。そのせいか、『老子』という書からは、「世間の人はなんで私の言うことを理解してくれないんだろう」という寂しさがそこはかとなくにじみ出てくるようなところがあったりもします。例えば、第20章にはこうあります。

 学を絶たば憂い無し。唯と阿と、相い去ること幾何ぞ。善と悪と、相い去ること何若ぞ。人の畏るる所は、畏れざる可からず。
 荒として、其れ未だ央きざる哉。
 衆人は煕煕として、太牢を享くるが如く、春、台に登るが如し。我れ独り怕として、其れ未だ兆さざること、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として、帰する所無きが若し。
 衆人は皆余り有り、而れども我れ独り遺しきが若し。我れは愚人の心なる哉、沌沌たり。
 俗人は昭昭たり、我れ独り昏たるが若し。俗人は察察たり、我れ独り悶悶たり。
 澹として、其れ海の若し。飂として、止まる無きが若し。
 衆人は皆以うる有り、而れども我れ独り頑なにして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、食母を貴ぶ。

 学ぶことをやめれば、憂いがなくなる。ハイと、コラと、どれほどの違いがあろうか。美しいのと醜いのと、どれほどの違いがあろうか。人々が恐れることは、恐れないわけにはいかない。
 (道のありさまは)ひろびろとして、どこまでいっても果てしがない。
 誰もがみな浮きうきとして、宴会の最高のごちそうを楽しむかのよう、春に高台に登って景色を眺めるかのよう。ただわたしだけが、ひっそりとして何の気持ちも起こさず、まだ笑いもしない赤子のよう。くたびれて、帰る家さえない者のよう。
 誰もがみなゆとりがあるのに、それなのにただわたしだけが、貧しい人のよう。わたしは、心愚かなことよ、何も分からぬ。
 世間の人々は眩いことよ、ただわたしだけが薄ぼんやりだ。世間の人々は目端が利くことよ、ただわたしだけがぼーっとして大まかだ。
 静かなことよ、海のようだ。強い風が吹くように、止まることがないようだ。
 誰もがみな有能であるのに、それなのにただわたしだけが、鈍くて田舎くさい。ただわたしだけが人々と違って、道という乳母を大切にしたいと思っている。

同前

 無限の「道」の前に孤高に佇む一個の有限なる存在者が抱く深い憂愁を湛えた独白であります。「有為」の仮面をかぶってさかしらに立ち回り、そのことに何の疑問も抱いていないように見える楽しそうな世俗の人々と、もたもたしている己との間にある深い断絶。「ただわたしだけが人々と違って、道という乳母を大切にしたいと思っている」が、「人々が恐れることは、恐れないわけにはいかない」。「誰もがみな浮きうきとして、宴会の最高のごちそうを楽しむかのよう」だ。埋めがたき世俗との懸隔を覚えながらも、「有為」という名の岩にせかるる滝川のごとき万物が、われても末に「一」なる「道」のもとに逢ふことを願う者の姿を思わせるものがあります。

『老子』という書物をめぐってよく言われる重要な問題は他にもありますが、この雑文の目的に必要だと思われる範囲では、『老子』にまつわるお話は一通り述べ終わったと考えます。今度は『荘子』にわけいっていきたいところではありますがその前に、『老子』と『荘子』の違いを考える上で参考になると思われる箇所が『老子』のなかにあるので、その点に触れておきたいと思います。それは『老子』第40章の次のような記述です。

 天下の物は有より生じ、有は無より生ず。

 世の中の物は形のあるものから生まれ、形のあるものは形のないものから生まれる。

同前

 また、第42章にはこうあります。

 道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。

 無という道は有という一を生みだし、一は天地という二を生みだし、二は陰陽の気が加わって三を生みだし、三は万物を生みだす。

同前

 ここでは「道は一を生じ」と言っています。この二つの章だけをみると、「無」と「道」は同じであり、そこから「一」が生じると言っているようにみえます。しかし他の章では、「一」と「道」が同じような意味で用いられていることが多いことは先ほど述べたとおりです。また、ここでいう「二」とか「三」とかいうのが具体的にどのようなものを指しているのかについても多くの解釈があり、確かなことは言い難い部分もあります。

 そういった厄介な問題はともかく、ここで注目したいのは、『老子』はすべての「もの」は「無」や「道」や「一」と仮に呼ばれている「もの」から生じるとはっきり言っているということです。「無」や「道」は人間の「有為」の認識によって捉えることはできない「もの」だけど、ともかくもそれはこの世界の根源として確固として実在するのだと言っているわけです。ということは、『老子』が語る「無」というのは、この雑文の第12回以降に述べてきた、大乗仏教で説かれる空とは異なるということです。大乗仏教の空の思想のように、「有」も「無」も人間の言葉の世界にしか存在しない「もの」であり、「無」もまた「有」との関係(≒縁起)によって蜃気楼のように成立する「もの」でしかないといったようなことは言っていないわけです。『老子』にとって「無」は実在する「もの」なのです。

 確かに「無」という字面だけをみると、「存在しない」ということを意味しているようにみえます。しかし、『老子』で「無」という言葉が用いられるときには、猫とか犬といったような人間の常識的な認知で捉えられる形のある「もの」=「有」と異なり、「道」という理法は形が「無」く捉え難いから假に「無」と呼ぶという文脈で用いられているように思われます。『老子』が言う「無」は、「全く存在しない」という意味ではなく、「道」には形が「無」く捉え難いということを言い表したもののように思われるのです。そういうわけで、『老子』の言う「無」というのは字面のイメージと異なり、目に見える形こそないものの実は「有」に近く、「結局のところ“何か”がある」という話なのです。『老子』では「無」や「道」は、永遠に不滅な「もの」として実体視されているわけです。

 先ほどもみたように、『老子』第2章には「有ると無いとは相手があってこそ生まれ、難しいと易しいとは相手があってこそ成りたち、長いと短いとは相手があってこそ形となり、高いと低いとは相手があってこそ現われ、音階と旋律とは相手があってこそ調和し、前と後とは相手があってこそ並びあう」とありますし、「有為」の「分別」に基づく相対的で差別的な「知」を批判する思想を見い出すことはできます。しかし、それでも「無」や「道」はともかくも実在し、そこからこの世の万物すべてが流出してくるのだと言っている。この「無」は、万物=「有」の働きを裏から支えるという、いわば「有」の裏方のような役割しか果たしていないとも言えます。ということは、『老子』の「無」は、「有」との関係によって成り立つ相対的な「無」であり、「無」という人間の言葉を実体視した「もの」にすぎないのではないか。『老子』の言う「無」も、「有」の一種にすぎないのではないか。『老子』は、人間の言語的で分析的な「知」の孕む問題に足を踏み入れたものの、「無」もまた「有」と同様に言葉であり、人間の概念の世界にしか存在しないとまでは言っていません。このような問題をより深く考え抜いているのが、『荘子』の内篇です。

 そういうわけで次は『荘子』にわけいっていきたいところですが、次回はいったん道家思想を離れて少しだけ「寄り道」をしてみたいと思います。ともあれ今回はこのくらいにしましょう。

(つづく)

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