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おなじのもってるでしょ。

僕の働いている書店には、絵本コーナーがある。

そこにはよく家族連れのお客さんがやってくる。当然といえば当然だけど。

子供は絵本コーナーに脱兎のごとく向かっていき、売り場にひろげて読み始める。

「これ幼稚園にあるやつだ!」そう言いながらも読み始める。きっと園では、死屍累々、血で血を洗う奪いあいが起きているにちがいない。


そんなときによく見かけるやりとりがある。

「これ買って!」
子供が言う。

「おなじのもってるでしょ。これ。お家にあるよ?」
とお母さん。

「もってない!」
子供の表情に不穏な影が見え始める。

「このまえ買ってあげたじゃない」
困り始めるお母さん。

「いやだ! これがいい!」
子供は早くも泣きそうになる。

こんなやりとりだ。

僕はもはや、このやりとりは『子育てあるある』に分類されているのではないか、と思う。それくらいこの光景に出くわす頻度が高い。

そしてこのケースのよくある帰結としては、駄々をこね始め、大泣きする我が子をひきずるように、店をあとにする母。

その後姿はどこか、狩りを終え獲物を持ち去るマタギにも似ている。しらんけど。


こういうことがあるたびに、僕は心中でひっそりと思う。

『買ってあげてもいいのに……』

僕の場合、我が子にあれだけ泣きつかれたら、財布の紐も緩んでしまうだろう。

そして、考える。
もし本当に買ってあげたらどうなるのだろう、と。

子供は、自分の欲しい絵本を買ってもらう。家にかえる。満足気にその絵本を読む。

するとそれに興味が失せた時点で、ふと気づくだろう。

「なんでおなじのふたつあるん?」

子供は考えるはずだ。

「ぼく、おなじの買っちゃったんだ。そういえば、おかあさんがお店で『おなじのもってるでしょ』って言ってたっけ。おなじの買っちゃった」

彼はたぶん、どこかの時点でそのことに思い至る。

それは同じ絵本を二冊開いているときかもしれないし、本棚に五冊くらい同じものが並んでいるときかもしれない。

でも僕は思う。

『本人がほしかったなら、それでもいいじゃないか』と。

世の中には、ananやMyojoなんかを大量に買い込む大人もいるんだから。(僕の妹とか)

それに同じものが何冊もささった本棚をみて、子供はこう思うこともできる。

『ぼくはそれだけ、この絵本が好きなんだ!』

そういうものに出会える幸運。それはこれから大人になっていく彼の、重要な一部になるのではないか。


ただこの想像にはひとつ、重大な見落としがある。

お母さんがそもそも『今日はなにも買わない』という約束をしているかもしれないことだ。

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