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姿を消した、親友の話。

森谷(仮名)と最後に会ってから、9年と少しの月日が経った。
連絡が取れなくなってから、僕たちの前から姿を消してから、とも言える。
森谷は、中学時代に出会った親友だ。

僕が通っていた中学は、まあよくある話で明確なスクールカーストがあった。不良がいて、運動神経が良い男女がクラスを牛耳っていて、少し目立たない生徒には「ジミ(地味)ーズ」というあだ名がつけられる、感じの悪い学校だった。僕もそのシステムに則って「ジミーズ」に転落しないように周りをキョロキョロしながら、馬鹿にされないように、細心の注意を払って学校に通っていた。
みんなが周囲との関係性にナーバスになりながら学校生活を送っている中で異彩を放っていたのが、森谷だった。

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森谷は、周りからの評価などには無頓着に見えた。
いつも少しにやにやしながら、相手が誰であっても分け隔てせず、物怖じせずに話をする。彼には、スクールカーストなど見ようとしていない、または見えていないようだった。
僕はと言うと、自分の発言や表情の1つ1つが、周りからの評価に関わると思ってビクビクしていたから、相手によって態度もコロコロ変わっていた。
だから、森谷は尊敬に値した。

不良たちは、先生や同級生に暴力を振るって暴れることがよくあった。
それは、自分の存在感を示したいがための行動だった。
一方で森谷は、人へ暴力は一切振るわなかったけれど、突拍子もなく学校のトイレを破壊したり、廊下に見本で置いてあった給食を無断で食べたりと、呑気な顔をして不穏な行動をよくしていた。
彼は、不良のように目立ちたいからという理由ではなくて、なぜそんなことをしたのかを聞かれても「だってなんか壊すと面白いから」「腹減ったんだもん」とか言う。
こうやって書くと少しサイコパスっぽいけど、先生が森谷のことを「あいつ不思議でよくわからない」と漏らして困惑しているのを聞いた覚えもある。

そんな森谷のことが中学に入ってからずっと気になっていたので、2年生で同じクラスになると僕から声を掛けて、一緒に行動するようになった。
それからというもの、中学時代の良い思い出には必ず森谷がいる。

恩田陸さんの「夜のピクニック」さながら、東海道五十三次の長い距離を歩くイベントで、馬鹿話ばかりしながら地元まで歩いたこと。
森谷の家にホームステイに来ていたアメリカ人の少年と、サッカーをしたり僕の家でゲームしたりしたこと。
遠足で博物館や美術館に行った時、騒ぐ同級生を横目に森谷と解説に目を通しながら回ったこと(森谷は勉強は全くしなかったけれど、歴史とかアートが好きだった)。
地元の祭りで民家に花火を打ち込んで、目黒川沿いを走って逃げたこと。
初日の出を見るために、自転車でレインボーブリッジまで行ったこと。

森谷といる時は、周りの視線も、自分がどう思われているかも、気にならなかった。自由で、楽しいだけだった。
受験勉強とか、部活とか、悩みはたくさんあっても、森谷といると忘れられる。驚くことに、彼との間には嫌な思い出が一つもない。

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別々の高校に進んでからも、僕たちの交流は続いた。
進学した高校に馴染めなかった森谷は、「今日もさぼった」とか「友だち全然できねえわ」という連絡をしてくることがあった。中学の時やっていたテニスも辞めて帰宅部になっていた。
高校が嫌いで悶々としていたのは僕も同じで、森谷と一緒にモヤモヤを晴らすためにたまに遊んだ。ライブに行ったりカラオケに行ったり。他の同級生も誘って、焼肉屋で「年確されたらアウトだよな」と笑いながら初めて外でお酒を飲んだのも、森谷とだった(これは時効かな)。

大学受験に向けて勉強が忙しくなってからも、森谷とは会った。
コンビニでバイトを始めたと聞いて学校帰りに寄ると、「この唐揚げやるよ」と言ってホットスナックをタダでくれた。森谷自身も取り出して平気な顔して食べている。
それは良くないよと唐揚げを返しても、ニヤニヤしながら大丈夫、食べろと言う。結局、他の同級生にもホットスナックを配ったのがバレて、クビになっていた。

ヒロの高校の文化祭にも、2人で遊びに行ったこともあった。
軽音楽部でナンバーガールを弾くヒロの姿を2人で眺めて、飯を食った。少し目を離した隙に、森谷はヒロの学校の女の子と楽しく話していた。森谷はそういうちゃっかりしたところもあった。

学歴至上主義の高校の空気に苦しんで、予備校に行ってストレスを更に上乗せしていた僕にとって、自分がいる場所の価値観から遠いところにいる、自由すぎる森谷の振る舞いを見ていると良い意味で力が抜けた。
彼の存在は、受験で緊張しきっていた僕の心をほぐしてくれた。

大学に僕が合格してからも、たくさん遊んだ。
森谷は大学受験に失敗して、パソコンの専門学校に通っていた。
飲めるお酒の数が増えて、少しだけ食べ物にこだわりができた僕らは、月1,2回は五反田の安い居酒屋に他の同級生も誘って集合した。
たまに誰かが海外旅行に行ったり、誰かに彼女ができたりと言う新しいニュースはあったけれど、流れる時間は中学生の頃のままだった。意味のない話をしてたくさん笑って、居酒屋を出てからも話足りずに公園で話し続けた。
酔いすぎた森谷が、記憶を失くして滑り台の上でうんこを漏らしたこともあった。その話で、何度もゲラゲラ笑った。

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ただ、東北で震災があった直後あたりからだろうか。
集まる頻度が段々と減って、僕らの関係は徐々に変化した。
僕自身が、やりたいことをいくつか見つけて、地元以外の世界に恐る恐る足を踏み出すようになったこともあったかもしれない。
会っていても、少しずつ距離が遠くなるのを感じていた。

そんな日々の延長線上であったのが、成人式だ。
これが、僕が森谷と会った最後の日。

区民ホールの式典に出て、昔の同級生と代わる代わる話していると、僕はそこにいるのがどんどん億劫になった。好きではなかった人たちのことを、月日が経って急に好きになれるわけがなかった。終わった後にパーティーをする予定だったけれど、嫌いだった先生たちも来るという話を聞いて、さらに行きたくなくなった。助けを求めるように成人式を欠席していた森谷に電話すると、「だから言ったじゃん、五反田来いよ」と言われて、パーティーをすっぽかした。結局、何人かのアウトローで飲みに行った。

成人式の後に五反田の居酒屋でした話の内容はほとんど覚えていないけれど、以前も同じような同窓会に行って後悔したことがあった森谷が「太、この前も嫌な思いしたんだから覚えとけよー」と笑っていたのは唯一覚えている。
一しきり話した後、森谷は五反田のアダルトショップに行きたいと言って、結構高いAV(特殊な性癖だから、市場が狭い分高いんだと言っていた)を買って、満足そうに自転車に乗って帰って行った。
それが、最後に見た森谷の姿だった。

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それ以降、森谷と会えなくなった理由は、はっきりとはわからない。
この成人式の直後、僕は携帯を壊して、森谷の連絡先が消えた。連絡が取りたくても取れなくなってしまった。
それでも僕のメアドや番号は変わっていなかったから、そのうち森谷から連絡が来るだろうと呑気にしていても、彼から連絡が来ることはなかった。
ある時、他の同級生が森谷に電話してみると、その番号は使われていなくて、メールも届かなかった。
森谷はSNSもやっていないから、ネット上で検索しても見つけられない。
結果として、僕の同級生の中に、森谷が今どこで何をしているかを知っている人は、1人もいない。

成人式にはじめから来なかった森谷は、本当は色々と抱えこんでいたのかもしれない。思い返すと、短期間の引越しを繰り返していたり、親が離婚したと聞いた記憶があったりする。森谷は多くを語りたがらなかったし、僕も彼には楽しい話ばかりを求めていた。
森谷は中学時代のことやそれに纏わる全てをさっぱり精算したいと、僕や同級生と会いながらもずっと心の奥底で思っていたのかもしれない。それに気づかずに、ただただお互い楽しんでいるとばかり思っていた自分が恥ずかしい。ひょっとしたら、単純に面倒臭くなったり、特殊な性癖を打ち明けたから会いづらくなったりしただけかもしれないけれど。

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ただ、理由は何であれ、もしも今後、なんかの拍子で森谷に会う機会があったら僕は伝えたい。

森谷があの時、深い悩みや不安を抱えてしまっていて、それに僕が気づいていなかったとしたら本当にごめん、と。
そして、僕のモヤモヤばかり押し付けていたのに、全てを受け入れてくれてありがとう、とも。

10代の頃、僕は森谷の存在に救われていて、辛い時期も頑張れていたのだ。
そして、20代になる手前でそんな森谷がいなくなってしまった分、そのあとにできた大切な人たちの手は、離さないようにしたいと強く思うようにもなった。

色々と、君のおかげなんだ。

2人でよく読んでいたクレヨンしんちゃんの作者が亡くなった時も、「元気出せよ」と連絡をくれてありがとう。森谷はすごく優しかった。
もう二度と会えなかったとしても、森谷がどこかで元気にやってくれていればそれだけで十分と思う。

でも、、、欲を言えば、もう一度だけでも良いから会いたい。
だって、最後に見たのがAVを持ってニヤニヤしている姿なんて、ちょっとあんまりだよ。森谷。


疾走 / きのこ帝国


<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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