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#考える
詩・散文 「幽霊はいるの?(そしてその模範的な回答)」
幽霊はいるの?(そしてその模範的な回答)
♠♥幽霊って本当にいるの?
♥今日テレビでマジックショーをやってたよ。お金が、手を開く度に増えていくのは不思議ね。
♠テレビが映るのも不思議だね。自動車だって。一体どういう仕組みで走ってるんだろう?
♥ほら、飛行機!飛行機雲を出してるよ!飛行機が空を飛ぶのも不思議。飛行機雲も。一体どうしてできるの?
♠例えば・・・あの煙突から立ち昇る煙は雲になる事が
哲学・日記・メモ「故郷のこと」
故郷のこと
上京して夢果たせず、何十年を経て故郷に帰ってきたが、そこは故郷ではなかった。
確かに地理的にはそれはそこにあったし、文化風習は暮らしの中に残っていたが、そんなものは私の故郷ではなかった。
その「土地・地域」に私の故郷はなく(だからと言って普遍的な「大地」を故郷と呼びたいわけでもない)、私にとってのそれは、
あの日遊んだ犬であり、あの日殺したコガネムシであり、夏の空に湧く入道雲で
詩・散文 「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」
「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」
真っ平な世界は、ただ一つの面が何処までも広がっている無言の世界なのか
真っ平らな世界は、無数の山頂が等しい高さに犇めいている多弁な世界なのか。
どちらにせよ、真っ平の世界に立った時、
私は私だけが起立している事を知るのであるが、だからと言って自分を真っ平らにしようとしてはならない。
哲学・日記・メモ 「メモ 観念の独裁者としてのヘンリー・ダーカーとアドルフ・ヴェルフリ」
メモ 観念の独裁者としてのヘンリー・ダーカーとアドルフ・ヴェルフリ
●「触覚」は対象との距離が0であるとに安寧せんとする。
●「聴覚」は距離が0でない事を知っており、0に歩み寄ろうとする。
●しかし「視覚」はこの距離をどこまでもたもとうとする。対象に歩み寄りつつ距離を隔てようともする。そういうジレンマに悩み且つ愉しむのが「視覚」。
●では「観念」はどうか?「観念」はむしろ、対象との距離云々ではな