マガジンのカバー画像

詩・散文

66
運営しているクリエイター

#考える

詩・散文 「幽霊はいるの?(そしてその模範的な回答)」

詩・散文 「幽霊はいるの?(そしてその模範的な回答)」

幽霊はいるの?(そしてその模範的な回答)

♠♥幽霊って本当にいるの?

♥今日テレビでマジックショーをやってたよ。お金が、手を開く度に増えていくのは不思議ね。
♠テレビが映るのも不思議だね。自動車だって。一体どういう仕組みで走ってるんだろう?
♥ほら、飛行機!飛行機雲を出してるよ!飛行機が空を飛ぶのも不思議。飛行機雲も。一体どうしてできるの?

♠例えば・・・あの煙突から立ち昇る煙は雲になる事が

もっとみる
詩・散文「音がきこえる」

詩・散文「音がきこえる」

音が聞こえる

音がきこえる                            宇宙の「音」がきこえる かそけくかそけく              大地の「音」がきこえる ふかくふかく 
飛蝗のとぶしゅんかんの あしの力をたくわえている「音」
それから 病気で床にに伏していた人が ゆっくりと回復し 力がみなぎっていく「音」
絵を描いていると 描いていている絵に実は描かされている事に気付かせてく

もっとみる
雑考・日記・メモ「いただきますの嘘」

雑考・日記・メモ「いただきますの嘘」

いただきますの嘘

私に食われた者たちは決して私を赦してくれないだろう。

それは私が何れ死に、数多生き物の糧となる、そういう命の循環を説いてさえ赦してはくれないだろう、だとすれば、私が生きるために命を食らう事への感謝の念とか、それを言葉にして食事の毎いに命を「いただきます」等言う事は、自己欺瞞に過ぎない。本当に命を食らう事に咎を感じるのならば食わなければいいのだから、そんな文句を百万回唱え海より

もっとみる
雑文・日記・メモ「誰にも知られない花」

雑文・日記・メモ「誰にも知られない花」

誰にも知られない花

誰にも知られずに芽吹き花咲き萎れ枯れていく花は、果たして存在したのだろうか。
私はしなかったとおもいます。
もしこれが正しいならば、在るがままの自然と言われるものは嘘になる。
現象する自然は、必ず人為に依ってその様態が定まり顕在化されるのであろうから(→シュレーディンガーの猫)。

だから私は「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう(レヴィ=ストロース)」とは、私

もっとみる
哲学・日記・メモ「故郷のこと」

哲学・日記・メモ「故郷のこと」

故郷のこと

上京して夢果たせず、何十年を経て故郷に帰ってきたが、そこは故郷ではなかった。

確かに地理的にはそれはそこにあったし、文化風習は暮らしの中に残っていたが、そんなものは私の故郷ではなかった。

その「土地・地域」に私の故郷はなく(だからと言って普遍的な「大地」を故郷と呼びたいわけでもない)、私にとってのそれは、

あの日遊んだ犬であり、あの日殺したコガネムシであり、夏の空に湧く入道雲で

もっとみる
詩・散文「臍考」

詩・散文「臍考」

臍考

臍と言うのは不思議なものだ。何の役に立つでもない腹の窪み。無くとも良いが無ければきっと寂しいに違いない。何故だろうか、この、臍を失う寂しさとは何か。

私は臍ではないが臍は私の一部である。しかしじっと臍を見つめていると、ひょっとしたら臍は臍として、私ではない臍として、私の腹の真ん中で何か想う事があるような気がしてくる。
しかしやっぱり臍は私の一部なのだから、単に他人でもないのだろう。すると

もっとみる
詩・散文 「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」

詩・散文 「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」

「鏡面の真っ平らな世界から始めよう。それは真っ平らな世界の破綻を問う事であり、真っ平らな世界の信望とは異なる」

真っ平な世界は、ただ一つの面が何処までも広がっている無言の世界なのか
真っ平らな世界は、無数の山頂が等しい高さに犇めいている多弁な世界なのか。

どちらにせよ、真っ平の世界に立った時、
私は私だけが起立している事を知るのであるが、だからと言って自分を真っ平らにしようとしてはならない。

もっとみる
詩・散文「岩になり砂になり水になり空になり」

詩・散文「岩になり砂になり水になり空になり」

「岩になり砂になり水になり空になり」

真っ平らでダダ広い大地に 亀裂が入りひび割れると そこには無数のゴツゴツした岩岩がひしめいていた この岩を二つの拳が叩いて砕くと 岩岩は礫になり砂になって拡がって まるでそこは海のような砂原になった やがて風が吹いて砂の粒子を巻き上げると それは空一面に舞い散って 空のような宇宙になった そうしてそこには透明な粒子が遍いていた それはもう粒子と呼べるものでも

もっとみる
詩・散文「夢さえ見ずに眠りたい」

詩・散文「夢さえ見ずに眠りたい」

夢さえ見ずに眠りたい

あそびはやがてあきるが、あきる事にもあきた時、私はもうどうでもよくなるのだろう。

「あそびたい」はまだ「あそびたい」という欲求を目的としているが、この目的を契機として「あそび」に没入している時、「あそび」にはもう目的はなくなっているのだろう。
しかし目的なき「あそび」は永続する事は無くやがて「あきる」。
そして「あきる」とは「もうこのあそびを止めにしよう」という目的の残照

もっとみる
哲学・日記・メモ「詩? それとも物語?」

哲学・日記・メモ「詩? それとも物語?」

詩?それとも物語?

●世界の開闢の瞬間に立ち会い、「開闢」に祈りを捧げまたは賛美するのが「詩」なのだとしたら、「開闢」の現場に立ち会い、「開闢」そのものを問う、その問いのstanceに固執するのが「物語」なのではないだろうか?
●「開闢」などと書くと、それは出来事の因果をさかのぼり歴史として記述されなければならない、と考えるかもしれませんが、「開闢」はそのような歴史的遡及によって知られるのではな

もっとみる
詩・散文 「沈黙時代行」

詩・散文 「沈黙時代行」

埴谷雄高『死霊』もしくは大友克洋『アキラ』へのオマージュとして1997年に書いたもの

沈黙時代行

やがて世界が真っ平になる日に、大地をびっしりと隙間なく埋め尽くした声ならぬ声の一つがついに口を噤む。ぽっかり空いた闇一点。もしかしてそこがメビウスリングのTurning point だとしたら、迷わずその暗闇に突入せよ!そして可能性に賭けてみるがいい。正負の反転したそれぞれの宇宙が互いの宇宙史を全

もっとみる
哲学・日記・メモ 「複製技術時代の芸術・私が美大生だった頃」

哲学・日記・メモ 「複製技術時代の芸術・私が美大生だった頃」

1990年代。私が美大生だった頃。
ニューアカデミズムの余韻が残る大学生活で、ちょっと尖がってる美大生は必ず読んでいたベンヤミンの『複製技術時代の芸術』(読み込めていたかは不問)。まだ1990年代には真のものとして膾炙されていた「複製の普及によるアウラ」の消失は、2000年以降どうも違和感を覚えていたものでした。
むしろ芸術に限らず、あらゆる複製が普及し身近なものになる事によって、オリジナルのアウ

もっとみる
哲学・日記・メモ 「少しだけさみしい」

哲学・日記・メモ 「少しだけさみしい」

少しだけさみしい

「原初的なもの」あるいは「根源的なもの」を志向する方々はとっても多くて、そこへの回帰を「真理」を掛け合わせて求めていたりする事は、いや増す事態であったりする。そういうstyleを楽しんでいるだけの方もいれば、最重要事項として己の存在を真剣にそこに賭けてしまったりしている方もいたりする・・・。

でも私は違うな。私は回帰ではなく「原初的・根源的なものから原初的・根源的ではないもの

もっとみる
哲学・日記・メモ 「メモ 観念の独裁者としてのヘンリー・ダーカーとアドルフ・ヴェルフリ」

哲学・日記・メモ 「メモ 観念の独裁者としてのヘンリー・ダーカーとアドルフ・ヴェルフリ」

メモ 観念の独裁者としてのヘンリー・ダーカーとアドルフ・ヴェルフリ

●「触覚」は対象との距離が0であるとに安寧せんとする。
●「聴覚」は距離が0でない事を知っており、0に歩み寄ろうとする。
●しかし「視覚」はこの距離をどこまでもたもとうとする。対象に歩み寄りつつ距離を隔てようともする。そういうジレンマに悩み且つ愉しむのが「視覚」。
●では「観念」はどうか?「観念」はむしろ、対象との距離云々ではな

もっとみる