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詩・散文「夢さえ見ずに眠りたい」

夢さえ見ずに眠りたい

あそびはやがてあきるが、あきる事にもあきた時、私はもうどうでもよくなるのだろう。

「あそびたい」はまだ「あそびたい」という欲求を目的としているが、この目的を契機として「あそび」に没入している時、「あそび」にはもう目的はなくなっているのだろう。
しかし目的なき「あそび」は永続する事は無くやがて「あきる」。
そして「あきる」とは「もうこのあそびを止めにしよう」という目的の残照が幽かに揺れて仄めいている、という点で未だ目的の鉄鎖が断ち切れてはいない(あるいは意味の求めが色づいている)。

「あきる」をあと100億回繰り返せば、やっと私は「どうでもいい」という透明な気持ちに到達するのだろう、か。
それはきっとあまりにも透明なので、目的と言う光が反射するものは何も無い。総て並べてが透過する、夢さえ見ない眠りが遍く広がり目覚めの契機も消沈してる、それは、死ではなく生でもない「ただ純粋な眠り」なのだろう。
ああ、夢さえ見ずに眠りたい。

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「描くのが楽しいから描く!」から「描くのは何か役に立つ!」になって「描くという行為そのものが描く(≒あそび)」になって「どーでもよくなるために描く」に向かいつつあるのかな。30年かかりました。

で、その先がまたあるんですが・・・まだうまく言葉にはならない。

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