マガジンのカバー画像

雑考・メモ・日記

124
運営しているクリエイター

#文芸

片山健『えんそく』が示したもの

片山健『えんそく』が示したもの

片山健『えんそく』が示したもの

なんだこりゃ?!

これが第一印象である。
何故って、この絵本はこんな風に始まるのだから。

「えんそくにいきました。あさ早く私たちは学校から富士山に乗りました」

何と!富士山に「登る」のではなくて「乗る」のである。
しかも富士山も乗っている!
何に?
大きな雲に!
そんな大きな「富士雲」に「乗って」子供たちが遠足にいくのだから、「なんだこりゃ?!」なのである。

もっとみる
対話篇「羽とは何か?」

対話篇「羽とは何か?」

羽とは何か?

半田さん 名梨くん。何を考えこんでるの?
名梨くん あ。半田さん。いいところに来た。みちこ先生からね、また宿題出されちゃったんだよ。今度は「羽」について考えなさい!って。まいったなー。
半田さん とか言いつつ、嬉しそうだね!。それで、どこまで考えたの?
名梨くん 「羽があるから飛ぶ」のかな?それとも「飛ぶ必要があったから羽がある」のかな?って。半田さんはどう思う?
半田さん どう思

もっとみる
詩・散文「二匹のどじょう」

詩・散文「二匹のどじょう」

二匹のどじょう

二匹のどじょうが二匹のどじょうが 
右にくねくね左にくねくね 
とびあがってぴょん
そして再び水の中 

二羽のちようちょが弐羽のちょうちょが
空にのぼらずひらひらふわふわ
地にもおりずにぴたり 
菜の花にとまって菜の花になった

二人の子どもは二人の子どもは  
くるくるくるくる追いかけっこ 
どっちが追いかけてるのかわからなくなってじゃぶじゃぶ 
河を渡って二度と戻って来なか

もっとみる
雑考・日記・メモ「生活・暮らし・在り方」

雑考・日記・メモ「生活・暮らし・在り方」

メモの前のメモメモ「生活・暮らし・在り方」

「生活と暮らし」と、「存在論」を分けるべきだ言うと、それは違うという人が多い。しかし存在を問うていくと、生活や暮らしを破綻させる在り方に赴いていき、暫定的にせよそれを「然り!」と答えざるを得ない時がくる。この答えはだから暫定的であるのだけれども、暫定的であってもそれは、生活と暮らしに支障をきたす。だから意識的に「生活と暮らし」と「存在論」を分ける必要が

もっとみる
雑考・日記・メモ「『もののかたり』と『物語』の事」

雑考・日記・メモ「『もののかたり』と『物語』の事」

「もののかたり」と「物語」の事

「もののかたり」はそのつどの「もの」との対話である。
それは単なる「出来事」である。
そしてこの「出来事」の痕跡が収集されるとそれは「記録」となる。
さらにこの「記録」に意味が付与される事でそれは「歴史」となる。
しかしこの「歴史」には意味が付与されてはいるが、「目的」は付与されてはいない。
そうして、「歴史」に目的が付与される時、歴史は「物語」となるのだろう。

もっとみる
雑考・日記・メモ「いただきますの嘘」

雑考・日記・メモ「いただきますの嘘」

いただきますの嘘

私に食われた者たちは決して私を赦してくれないだろう。

それは私が何れ死に、数多生き物の糧となる、そういう命の循環を説いてさえ赦してはくれないだろう、だとすれば、私が生きるために命を食らう事への感謝の念とか、それを言葉にして食事の毎いに命を「いただきます」等言う事は、自己欺瞞に過ぎない。本当に命を食らう事に咎を感じるのならば食わなければいいのだから、そんな文句を百万回唱え海より

もっとみる
雑考・日記・メモ「しかしコミュニティだけあってもまちづくりにはならない」

雑考・日記・メモ「しかしコミュニティだけあってもまちづくりにはならない」

コミュニティがなければまちづくりは出来ない。
しかしコミュニティだけあってもまちづくりにはならない。
まちづくりの活動は自然発生的なコミュニティの活動ではないのだから。
まちづくりはコミュニティの連合した、あくまでアソシエーションの活動だ。それはパブリックな協働であるものの、けれども単に行政とコミュニティが協働すればパブリックになるわけでもない。
コミュニティにもシチズンシップが必要だ。
と、同時

もっとみる
詩・散文「林檎を描く」

詩・散文「林檎を描く」

リンゴを描く

絵筆をとって何十年
林檎がそこに在るような林檎の絵を描きたかった
いや
林檎そのものが在ると言う事を描きたかった
今でもそうだ
しかし未だ描けてはいない

いくらかは林檎がそこに在るかのような絵は描けるようになったが
林檎そのものが在るというにはほど遠い
いったい林檎が在るとはどういう事か
そして何故私はその「問い」に「描く」事で答えようとするのだろうか

もう何十年も絵を描いてい

もっとみる
雑考・日記・メモ「良い事をしたい?それとも貴方を喜ばせたい?」

雑考・日記・メモ「良い事をしたい?それとも貴方を喜ばせたい?」

良い事をしたい?それとも貴方を喜ばせたい?

良い事をしたい❗と貴方を喜ばせたい❗は明らかに異なるのに、混同することは多く、あるいは両立させようとする人も多く、しかしやっぱりそれは無理なんだと思います。3人称の倫理と2人称の倫理は噛み合わない。別物と割り切って、その齟齬をどうやって調停するかと言う方法論のステージに目を向けるべきかな。と思います。だからそれは倫理としては次善でしかないのだろうけれど

もっとみる
詩・散文「Natural born killers」

詩・散文「Natural born killers」

Natural born killers

誰かとつながり生きている支え合って生きている
喜びを分かち合ったり悲しみを拭いあったりと
それはとても素敵なことなのだ
と同時に例えばそれは
一匹の蝶の羽ばたきがその地球の裏側で台風を引き起こす因子の一つでもあるように
例えば私の些細な振る舞いは
遠く何処かで知らない誰かを踏みにじり傷つけ殺しているに違いない
環境と共に在り関係の網の目の中に生きるとはそ

もっとみる
雑文・日記・メモ「誰にも知られない花」

雑文・日記・メモ「誰にも知られない花」

誰にも知られない花

誰にも知られずに芽吹き花咲き萎れ枯れていく花は、果たして存在したのだろうか。
私はしなかったとおもいます。
もしこれが正しいならば、在るがままの自然と言われるものは嘘になる。
現象する自然は、必ず人為に依ってその様態が定まり顕在化されるのであろうから(→シュレーディンガーの猫)。

だから私は「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう(レヴィ=ストロース)」とは、私

もっとみる
雑考・日記・メモ「音楽が『呪術により近い技術』なら『絵画』は・・・」

雑考・日記・メモ「音楽が『呪術により近い技術』なら『絵画』は・・・」

「音楽が『呪術により近い技術』なら『絵画』は・・・」

音楽は「呪術に向かう技術」であり「絵画」は「方法に向かう技法」であろう。

「呪術⇔技術⇔技法⇔方法⇔方策⇔策略⇔謀略」と言う「企ての序列」を考えるならば。
因みに「謀略」の先はもはや企てを介さない「略奪」。

2022年1月16日 岡村正敏

哲学・日記・メモ「故郷のこと」

哲学・日記・メモ「故郷のこと」

故郷のこと

上京して夢果たせず、何十年を経て故郷に帰ってきたが、そこは故郷ではなかった。

確かに地理的にはそれはそこにあったし、文化風習は暮らしの中に残っていたが、そんなものは私の故郷ではなかった。

その「土地・地域」に私の故郷はなく(だからと言って普遍的な「大地」を故郷と呼びたいわけでもない)、私にとってのそれは、

あの日遊んだ犬であり、あの日殺したコガネムシであり、夏の空に湧く入道雲で

もっとみる
詩・散文「赤猫」

詩・散文「赤猫」

赤猫

〇猫、夕日を見ているの?
●まさか、西を向いているだけさ。
〇あら?寝ころんだ。
●寝そべった。
〇そうしてじっとアスファルトの熱を体に吸い込んでいる。
●最後の温もりを味わいながら。
〇猫、ないている?
●どうして?
〇わからない。でも、睫毛がキラキラと濡れているみたい。
●錯覚さ。
〇でも、私の影はこんなにも伸びてゆらゆらと・・・
●揺れている?
〇1ミリの厚みもなく。
●幽霊みたいに

もっとみる