愛しのパン・コン・トマテ。
「パン・コン・トマテ」という料理がある。
これは、スペインでもカタルーニャ地方でよく食べられる郷土料理だ。
私がパン・コン・トマテの存在を知ったのは、多分テレビ番組の「アナザースカイ」だったと思う。
グルメ雑誌dancyuの編集長である植野広生さんがバルセロナに行った回があって、世界一のパン・コン・トマテを求め、あるレストランを訪ねていた。
その番組内で植野さんは「最後の晩餐にするならパン・コン・トマテ」と言っていたのが、とても印象的だった。
そんな美味しいものをたくさん知る方が選ぶ料理なのだから、さぞかし豪勢なものなのかと思いきや、基本の材料はパン・トマト・オリーブオイル・塩のみ。
(お店によって、にんにくやコショウなどのスパイスが使われる)
熟れたトマトをカットしたパンにこすりつけて果汁を適度に染み込ませ、塩とオリーブオイルをかけて完成。
アナザースカイでは、レストランのシェフがテーブルについた植野さんの目の前でささっと作っていた記憶がある。それくらい、火も使わずに完成してしまう、シンプルな料理なのだ。
実際、カタルーニャ地方でいう「 おにぎり 」や「 お味噌汁とごはん 」のような、家庭でも作られる一般的な食べ物らしかった。
そんなシンプルで、文化を越えて人を魅了する料理「 パン・コン・トマテ 」。
私もいつか、どこかで出逢えたらいいなと思っていた。
そんなことを思ってから4年以上経った先日、私はついにスペインのバルセロナに行くことになった。
出逢ったのは、バルセロナに到着した初日に行った、旧市街にひっそりと佇むタパスバル。
パエリアが美味しいという口コミを見て来たのだけれど、半年ほど前にお店のボスが変わってパエリアを出すのをやめてしまったと告げられてがっかり。とりあえず来てしまったし、タパスだけでも楽しもうということになった。
そこで何気なく頼んだのがこのパン・コン・トマテ。
メニューには「パン・コン・トマテ」とは書いてなくて、カタルーニャ語の「Pa amb tomàquet」で書かれていた。
バルセロナのローカルなお店は、カタルーニャ語とスペイン語で書かれたメニューが多い。英語のメニューが別にあるところもあるけれど、併記されているお店はかなり少ない。
そして英語メニューを見たとて、メニュー名はそのままなこともあるし(メニュー名なので仕方がない)、材料と調理法などに変わるだけで写真が添えられることはほぼない。なので、文面からこんな料理ではないかと察することしかできないのだ。
不便だけれど、正直これはヨーロッパあるあるなので今はもう気にならない。
私は夫とスマホの翻訳などを駆使しながら、いくつか頼んだメニューのうち、偶然パン・コン・トマテが混ざっていたらしい。
「それ6個あるけど平気?」と店員さんに聞かれたので(店員さんは英語が使えた)、どんなものが出てくるのかと思ったら、ものすごくシンプルなものが出てきたなというのが最初の印象だった。
ご覧いただくと分かると思うけれど、トマト漬けパンという感じだ。
そしてこの姿を写真におさめながら、ふと記憶が蘇ったのだ。
これ、もしかして「パン・コン・トマテ」じゃない!?
私の記憶の中では、パン・コン・トマテがいつの間にかイタリアかフランスの食べ物になっていて、「パン・コン・トマテ」というなんともクセになる文字並びの名前だけを覚えていたのだ。
改めて名前を調べてみると、それが本当にパン・コン・トマテであることがわかった。
テレビで見たものとは少し雰囲気が違う。でも使われている食材はほぼ同じのように見えて、私はおそるおそる手に取る。
このお店のパン・コン・トマテはトマトの果汁とオリーブオイルがたっぷりとかかったかなりジューシーなタイプで、手を汚しながら一口かじった。
最初、焼かれてパリパリになったパンの香ばしさを感じる。
そこからかじったことで出てくるトマト果汁が口いっぱいに広がり、オリーブオイルと塩、そして少しガーリックか何かの風味が後を追うように広がって鼻に抜けていく。
オリーブオイルがかなりかかっているはずなのに、脂っこさをほとんど感じない。むしろ、オリーブオイルの風味が美味しい。
オリーブオイルの風味と生のトマト果汁の旨味が、パンの小麦の風味と合わさってシンプルなのにコクのようなものを感じさせる。
塩もしょっぱすぎないちょうどよい加減で、お酒が進むのだ。
オリーブオイルとトマトの組み合わせはパスタやピザでは鉄板なので、美味しいだろうと思ってはいたけれど、想像以上だった。
これは美味しい。
美味しすぎて、「6つあるけど大丈夫?」と聞かれたパン・コン・トマテを夫とあっという間に食べきってしまった。
そしてバルセロナ初日から、
私は「 パン・コン・トマテの虜 」になってしまったのだ。
このスペイン旅行のうちに、私は6つのお店でパン・コン・トマテ(とそれに似たもの)を食べることになった。意図的なものもあれば、たまたま添えられていたものもある。
一言に「パン・コン・トマテ」と言っても、色々な種類や存在感の具合(?)のようなものが違っていたので、傾向や気づいたことをまとめていこうと思う。
「Bodega Vasconia」のジューシー系パン・コン・トマテ
先程紹介した、私がバルセロナで最初に食したパン・コン・トマテ。
かなりジューシーで、ひたひたのパンをかじる感覚が新鮮だった。
ただ、Googleの口コミを見る限り、バケットを輪切りにしたパン・コン・トマテの写真もあって、必ずしもこの形状で出てくるわけではない様子。もしかしたら量を少なくしたいとリクエストすると、輪切りバケットになるのかも。
これだけで結構お腹にたまるけれど、後悔のない胃の満たし方を味わえる。
「Restaurant Palermo」の素朴なパン・コン・トマテ
こちらは、グラシア通りというガウディ建築と高級ブティックが並ぶ通りから一本内側に入ったあたりにあるレストランのパン・コン・トマテ。
パエリア目的で行ったお店なのだけれど、地元のおじさんたちがランチに来るようなややローカル感があるお店で、気のいいお姉さんが「パエリアが出来上がるまでに25分かかるから、トマトブレッドはどう?」と英語で勧めてくれた。「『トマトブレッド』ってなんだろう?」と思っていたら、出てきたのはパン・コン・トマテだった。
そうか、英語だと「パン・コン・トマテ」は「トマトブレッド」だったんだと知る機会にもなった一品でもある。
パエリア前におすすめするからもっと軽いものかと思ったら、日本で売っているフランスパンを半分以上使っていそうなパンの量に笑ってしまった。
これからパエリアを食べるというのに!!と思ったけれど、いざ食べてみたらこれが全然問題なくいけてしまうのだ。
味はとっても素朴で、パン・トマト・オリーブオイル・塩のみ。
塩も薄めなので全体的にあっさりとした感じだった。
パンもかなり軽めでカリッとしている。
一緒に頼んだツナサラダのツナがオイリーだったので、ちょうどいい塩梅に。オイルもそこまで使われていない感じで、家庭的な雰囲気があった。
しっかりとパン・コン・トマテを味わってしまったけれど、そのあとに食べた後のパエリアも、とっても美味しかった。
おすすめしてくれたお姉さんありがとう。
「Nou Celler」の朝ごはん系パン・コン・トマテ
こちらはピカソ美術館の近くにあるカタロニア料理店の「パン・コン・トマテ」。朝はカフェのような感じになっていて、朝ごはんメニューがあったので、寄ってみたお店だった。
(正確には、どうしようかな~とお店の窓に貼られていたメニューを見ていたら、お店のマスター的な女性に強めの手招きをされ、面白くてつい入ってしまった。笑)
メニューにはしっかりと「 パン・コン・トマテ 」の文字。
私は迷わず頼んで、スパニッシュオムレツと一緒に食べることにした。
こちらのパン・コン・トマテはパンが「THE パン・ド・カンパーニュ」という感じの、大きくてしっかりしたパンを薄切りにし、これまたしっかりとトマトが塗られていた。
塩だけ少しかかっていて、オリーブオイルはほぼかかっていない。テーブル置かれたオリーブオイルをお好みでかけるスタイルになっていた。
朝食べるにはオイル調整ができるスタイルが助かる。
朝からオイルバリバリの食事に慣れていない日本人の強い味方ともいえる、素敵なパン・コン・トマテだ。
パンがしっかりしているので、トマトの果汁がしっかりと染み込んでいても形が崩れない。小麦の味も濃い。
今まではどちらかというとバケットのような軽めのパンをパン・コン・トマテにしたものばかり食べていたので、新鮮だった。
ちなみに、私達を招き入れたお店の店主の女性はオレンジジュースが自慢だったらしく、「オレンジジュースはいかが??」と飲み物を頼む前から聞いてきたのが印象的だった。
夫の食べた朝食メニューにオレンジジュースがついていたので、少し飲ませてもらったのだけれど、お店で絞っているフレッシュなオレンジジュースらしく、とても美味しかった。
自慢したい気持ちが良くわかる。
「Afecte」のサンドイッチ(に隠れたパン・コン・トマテ)
こちらはカフェの朝ごはんのサンドイッチ。
どうやらこの国では、パンにバターを塗るような感覚でトマトを塗る文化があるようで、こういうパンが他のカフェでも結構並んでいた。
「パン・コン・トマテ」というネーミングを見ると、つい特別な食べ物のように感じてしまっていたけれど、バルセロナでは本当に一般的な食べ物のようだ。
多分、日本人で言うところの、ごはんにちょっとごま塩を振っておく……くらいの感覚なのだろう。
こちらはオリーブオイルはおそらく使われていないので、厳密にはパン・コン・トマテとは言えないのかもしれない。なによりサンドイッチだし。
でもトマトとチーズの組み合わせは、ほとんどの人がご存知の通り美味しいので、こちらもとても美味しかった。
こういうライ麦が入ったようなパンでも、パン・コン・トマテは美味しいという可能性に気づくことになった。
「Cerveceria Catalana」で人気タパスの影の立役者となったパン(・コン・トマテ)
こちらは、バルセロナで大人気なタパス料理店「Cerveceria Catalana」のタパス……に添えられたパン(・コン・トマテのようなもの)。
こちらがお店の人気メニューのタパスで、牛肉にフォアグラが添えられている。タパスは日本の小皿料理のようなもので、1品1品が小さめでどこのお店も比較的お安めなのだけれど、こちらはちょっとリッチな一品。でも美味しい。
そしてお皿のように牛肉とフォアグラを支えるパンには密かにトマトが塗られているのが分かるだろうか。フォアグラと牛肉がややオイリーな分、このパンに塗られたトマトのあっさり感が心地よく後味を良くしていた。
味のバランスを意識してこのパンにもトマトが塗られているのだろうけれど、バルセロナ以外で「じゃあこのパンにトマトを塗っておこーっと」ともなかなかならないような気がして、「パンにトマトを塗る」という文化が定着しているのだと気付かされる。
このお店は本当に大人気なうえ予約もできないため、19時以降は平日もお店の前で待つお客さんで人だかりができていた。かなり席数のあるお店だけれど、口コミによると1時間位待つこともあるのだとか。
バルセロナの夕食のスタート時間はゆっくりめで20時半以降がピーク。
平日の18時台は待たずに入れたので、旅行の際は平日夕方を狙うことをお勧めする。
「ALAS by Hermanos Torres」のハモンイベリコに添えられたパン・コン・トマテ
こちらは帰りの空港で偶然出逢ったパン・コン・トマテ。
ハモン・イベリコを頼んだらついてきたものだけれど、このパン・コン・トマテも興味深い。
パン・コン・トマテのパンを焼く場合は、トーストしてからトマトを塗るらしいのだけれど(焼かない場合もある)、こちらはパンにトマトを塗ってから焼いているように感じられた。
だからトマトもフレッシュというよりは、ちょっとトマトソースのようなまろやかさがあった。
生ハムとのバランスを考えて調整をしているのか、トマトに酸味があまりないものを使っているからなのか確かなことはわからないけれど、組み合わせるものに応じて調理法を調整していくものなのかもしれない。
日本料理でいうところの、おにぎりの真ん中に具を入れるか、炊き込みご飯をおにぎりにするか、みたいな差なのではと思った。
バルセロナの旅から帰ってきてから、私は家で朝食として「パン・コン・トマテ」を作るようになった。
これが簡単な上に美味しく、そして体に負担がない。
私のドイツ生活に、革命的な変化を起こしている。
というのも、ドイツは乳製品が安いので、朝食のパンとの組み合わせはバターを筆頭にチーズ(といってもとんでもない種類がある)、クリームチーズ、ヨーグルトのほか、とにかく乳製品であることがい。
毎日バターを塗るのは乳製品があまり得意ではない私には厳しい。
でも毎食お米を食べるのも経済的に厳しいので、あっさりめのスライスチーズかハム、脂肪分少なめのクリームチーズという感じで、脂肪分控えめの乳製品 + パンで過ごしてきた。
ドイツのパンはぎっしりとしているものが多くて、それはそれで美味しいのだけれど、ハムやチーズなどをプラスしないと少し食べにくいのだ。
そして、胃が少し疲れているときは低脂肪の乳製品すらしんどいので、朝ごはんに困る、ということが度々あった。
しかし「パン・コン・トマテ」は乳製品を使わない。
トマトさえ常備してしまえば、パンにトマトを塗って塩をふり、体調に合わせてオリーブオイルをかければ十分美味しく食べることができる。
そして素朴な味なので飽きが来ないし、オイルの加減やハーブソルト、コショウやガーリックパウダーなどを少し振りかけるだけで風味が一気に変わるのも良い。
今のところほとんど毎日パン・コン・トマテを作って食べているけれど、まったく飽きないし、トマトが売っている限り当面この朝食を続けようと思っている。
植物性脂肪をよく取ってきた人には、「 パン・コン・トマテ 」は体に馴染みやすい料理なのかもしれない。
バルセロナでようやく出逢えた、愛しの「パン・コン・トマテ」は、今日も私の食生活を支えてくれている。
パン・コン・トマテよ、ありがとう!
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