能澤英樹(のざわひでき)/著書『先生2.0:日本型「新」学校教育をつくる』発売開始
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#27 中教審「質の高い教師の確保」特別部会の議論は本質を見落としている
現在、中教審「質の高い教師の確保」特別部会において給特法の在り方が議論されているが、4月4日の教育新聞の報道を読む限り、論点がズレているとしか思えない。
教員の時間外勤務手当、否定的な意見相次ぐ 中教審特別部会(教育新聞)
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いったい何の議論をしているのかと思う。給特法とは、労働法である。労働法とは、労働者が安全に働き、労働に見合った賃金を保障するための法律である。
#20 教員は「聖職者」なのか
※この記事は書籍からの引用です。
①法律上の位置づけ
学校の論議を噛み合わなくさせる要因の一つに、教員は「聖職者」か「労働者」かという問題がある。「聖職者」論に基づけば「子どものために何時間でも働け」「教員はお金のことは言うな」、つまり無償労働に文句を言うなという主張が生まれる。「労働者」論に基づけば「教員の働く時間にも上限はある」「働いた分の賃金を支払え」となる。
また、「聖職者」として求
#14 「完璧主義」による首の締め合い
※この記事は書籍からの引用です。
ウィキペディアによれば完璧主義とは、「万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと」という個人の特性を指すが、学校は完全にこの病魔に蝕まれている。なぜこのようなことになったかの説明は少々長くなるが、これは学校に限らず社会全体の傾向である。
昭和の時代は社会全体に、完璧を求める
#25 「学級経営」は必要か
※著書『先生2.0:日本型「新」学校教育をつくる』には含まれない内容です。
学校教育において学級経営の重要性は誰もが認めるところです。
担任の学級経営によって、教室に子どもたちが安心して居られる空間が生まれ、学習に向かう雰囲気を醸成できれば、子どもたちはのびのびと自分の力を伸ばすことができます。
僕自身も学級経営に大変な力を注いできましたし、その成否によって、子どもたちの満足度に大きな違いが生ま
#23 部活動の「適正値」
部活動をめぐる議論はなかなか噛み合わない。それは制度設計が曖昧なまま、「部活動をやりたい」という感情に左右されて運営されてきたからだと僕は考えている。今回は、現行の制度下での適正な部活動のあり方について考える。
制度はどうなっているのか
改めて制度を確認してみよう。学校教育における部活動の位置づけは学習指導要領に示されている。
「学校教育の一環」と示されてはいるが、学校には「やらない」という
#22 通知表は必要か
通知表はマストではない通知表は、法的な規定がない。通知表を発行するかしないか、またどのような形式にするかは校長の任意だ。マスト業務かベター業務かと言えば、ベターの王道である。
学校外部からはなかなか見えないが、これらの評価作業にかけられる労力は相当である。これらの作業は、小学校で月平均12時間、中学校では14時間時間(文部科学省調べ)、学期末には推定で月30時間ほどを要する大作業である。通知表に
#21 教員の職務は何か
勤務時間
教員の勤務時間は、多くの学校で8時〜8時20分ごろの開始。そこから8時間30分後の16時30分〜16時50分ごろが終了となる。途中に45分の休憩がある。休憩は会社員や一般の公務員とは違い昼食時ではない。昼食時には給食指導(自ら食事をしながらの指導というアクロバット)があるため、そこは勤務時間となる。教員の休憩は、給食が終わった子どもたちの昼休み時間に設定されることが多い。そこでは45分
#18 学校は何を教えるところか
ある小学校の校長が、コロナ禍の感染予防のために学校行事が軒並みできなくなったと保護者に説明した時のことである。PTA役員が校長にポツリと言ったという。
「学校って何を教えるところなんでしょうね」
つまり行事がなくなって学校の存在意義はあるのかという問いかけである。
その校長は、言葉に詰まり、何も言えなかったと言う。
僕は、そのエピソードを聞いて、少々ショックを受けた。この校長は、学校が何を教
#16 ブラック校則の見直しが意味すること
僕は、子どもたちの人権を無視したブラック校則を廃止することは当然だと思っている。一方で、ブラック校則ができた背景も理解できる。
そもそも、学校はなぜブラックと揶揄されるほどの理不尽な校則を作ったのか。日本の教員は、子どもたちの成長のために、献身的な長時間労働をしている。血のつながった我が子より、学校の子どもたちに生活時間を捧げるような生活をしているのだ。そこまで子どもたちを大切にしている教員が、
#15 抑え続けられた「多様性」
時代は令和に入った。学校教育は今大きな地殻変動を起こしつつあるのを僕は感じている。キーワードは「多様性」である。
「みんな違ってみんないい」
3年生の国語の教科書にある金子みすゞの「私と小鳥とすずと」にある一節である。
教員が子どもたちにこの言葉を引用して話をすることもよくある。その話の趣旨は、一人一人違うのだから、その違いを認め合うことが大切だということになる。残念ながら、「みんな違ってみん
#9 子どもたちを支えきれない保護者
ここまで、学校の建つ地盤である、「国」「文部科学省」「教育委員会」が、学校を支えきれないほど、もろく、地盤沈下を起こしていることを述べてきた。
保護者は言うまでもなく「子ども」を支える地盤である。その保護者が立つのは、地盤沈下を起こしている国であるとすれば、この論の展開は容易に想像がつくであろう。
「パートナー」から「顧客」へ保護者と言っても、地域や経済状態、学校への期待度などによって、子どもや