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通知表はマストではない

通知表は、法的な規定がない。通知表を発行するかしないか、またどのような形式にするかは校長の任意だ。マスト業務かベター業務かと言えば、ベターの王道である。

学校外部からはなかなか見えないが、これらの評価作業にかけられる労力は相当である。これらの作業は、小学校で月平均12時間、中学校では14時間時間(文部科学省調べ)、学期末には推定で月30時間ほどを要する大作業である。通知表に書かれている「1・2・3」「◎・○・△」などの評定を一つつけるために、通常5~10ほどの情報(テストの点数、ノートの書きぶり、授業中の挙手、作品、成果物、掃除の様子、休み時間の様子など)を測定、観察、数値化し「2」「○」などに集約する。子ども1人あたり数百に上るデータを集めながら、「2」「○」に集約することで具体的な姿が見えにくくなっていることに気づいている人は少ない。多大な労力の割に分かりにくいという謎業務。民間であれば真っ先に改善の対象となるだろう。

また、通知表の機能不全は「所見欄」にもある。所見とは子どもの様子を文章で評価するものであるが、保護者のクレームが強くなり始めた平成の中頃から当たり障りのないの文章表現が増えた。さらに、働き方改革が叫ばれるようになってからは文章表記は縮小される傾向にある。すでにあってもなくても大差ないレベルである。

また、一般にはあまり知られていないが、令和の学習指導要領の改訂に伴い、通知表の評価項目が変わった。これまでは例えば国語であれば、「関心・意欲・態度」「話す・聞く」「書く」「読む」「言語」の5観点での評価をしていたものが、現在はそれらをすべてまとめて、「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3観点になった。つまり「書く」がA判定で「読む」がC判定なら、合わせてB判定になるという「どんぶり勘定」で、子どもの姿はさらに見えづらくなっている。こうなると、やはり、テストの点数、ノート、作品などをそのまま見せる方がよほど子どもについた力が分かるというものだ。

「指導要録」というマスト業務

では通知表をなくせば評価から解放されるかというとそうではない。学校には「指導要録」というマスト業務があるからだ。指導要録とは、個々の子どもの住所や保護者名、出席日数、学習の評定、行動の評定、学習や行動の所見など「その子が確かに在籍し、学習や学校生活を行った事実と結果」を記録するもので、法で義務づけられた公簿である。各学年が終わる3月末に1年間の記録としてまとめられるものだが、慣例で1・2・3学期の通知表への記録を補助簿として総合的にまとめたものを指導要録に記載するという仕組みが多くの学校でできあがっている。

指導要録は情報開示請求がなければ保護者や子どもが目にすることはなく、どんなに時間をかけて作成しても子どもの成長には影響がない。しかし、学校にはこのような公簿を体裁よく整えたいと願う管理職や教務も実際にいる。誰も目にすることのない書類に何度もチェックが入り、書き直しが発生することもある。現在、学校の働き方改革の観点から、指導要録の記載を最小限にするように平成31年に文部科学省から通知が出ているが、学校現場には慣性の法則が働き、なかなか縮減されない。

結果として、1・2・3学期の評価とそれをまとめた指導要録の評価の4つが毎年、教員に課されることになる。もし通知表を年間1回にし、それを指導要録と同期させれば、評価は年1回となり、労力は半分以下になる。現行制度ではこれが適正解と僕は考えている。

高校入試という壁

しかし通知表の簡素化や廃止は簡単ではない。その理由の一つが高校入試だ。高校に提出する調査書、いわゆる内申書は、「その子の一生を左右しかねない」書類であり、そこには一定の精確性や客観性が求められる。情報開示請求の対象にもなる。そしてこの調査書も通知表を基礎資料として作成されているため、各学期の通知表の段階でかなり厳格にチェックが入る。

悩ましいのは評定をつける割合である。どのようなレベルの子にAやCをつけるのかという問題だ。「絶対評価」と言って、例えば「90点以上はA評定」と絶対値を決めて評定する方法がある。もう一つは「相対評価」と言って、「上位20%にAをつける」という方法もある。
文部科学省からは指導要録は「絶対評価を用いよ」と示されており、調査書もそれに則ることになるが、各中学校から集まる調査書の基準がまちまちでは、入試に不公平が出る。仕方なく中学校では、暗黙のうちに相対評価に軸足を置いて評価することになる。学習の評価ならまだいいが、行動面の評定にもこれらの「数合わせ」が必要になり、そうなると担任らが膝を突き合わせての調整会議が必要となる。

そもそも高校入試に調査書を提出する制度を作っているのは高校を設置した教育委員会であり、教育委員会がもっとゆるやかな制度を作れば済む話だ。多くの県では推薦入試もあり、面接や小論文の指導をするのは結局中学校の教員となる。とても勤務時間内に処理しきれないこれらの業務によって中学校3年生の担任らは冬休みの期間も深夜におよぶ作業を余儀なくされることもある。もしも制度通り、教員が「定時出勤・定時退勤」を選択すると、できなかった業務はすべて管理職が行うことになる。「調査書が提出できない」か「管理職が倒れる」のどちらかだ。

また一方、この調査書は別の側面から見ると、教員にとって「ありがたい」制度でもある。すなわち調査書という「手綱」を手にすることで、子どもを統率しやすくなるということだ。富山県では、中学校1年時の成績は調査書に反映されない。1年生では学年崩壊を起こした学年が2年生になって手のひらを返したように大人しくなるということが本当にある。「2年生からの行動は入試に響く」ことを知っているからだ。
小学校の通知表でも同様の効果はある。授業の開始時に「今日は最後にノートを集めます」と宣言すると、子どもたちの学習に向かう姿勢がよい方向に変わる。「きちんと書いていない場合は成績に響きます」などと言わなくとも、きちんと書いている子と書いていない子が同評価でないことくらい子どもたちには察するからだ。

制度と制度のバッティング

ここで少し整理する。

通知表は法律で定められた制度ではない。制度ではないものが「定時出勤・定時退勤」「時間外命令なし」という法定制度を乗り越えることはあってはならず、是正が必要だ。例えば「通知表は作成しない」「通知表は年1回で内容は指導要録と同じ」というのであれば教員の超過勤務を発生させない道も見えてくる。

高校入試は制度だ。だから定められた方法に従って行わなければならない。しかし、定められたとおりに書類を作成すると勤務時間を確実にオーバーする。前に示したように教員は定時出勤・定時退勤が制度だ。もしそれを上回ることがあったとしても月45時間が上限というのが制度である。制度と制度が相容れない
ただし「時間外命令なし」を定めた給特法は労働法の一つであり、高校入試制度より上位の法律である上位法にそぐわない制度は是正されるべきというのが僕の考えだ。

制度と制度のバッティングがある場合は苦情処理制度措置要求制度を活用すればよいと僕は考える。「入試業務に携わると月45時間の上限を守れない」という訴えが、同時多発的に発生すれば、人事委員会、公平委員会は現行制度の不備を指摘せざるを得ないだろう。つまり入試業務を軽減せよという結果が導き出せる。(できることなら僕がやりたいのだが、苦情処理も措置要求も不利益を受けている当事者しか活用できない。)

評価の過重負担が、新採教員の離職につながった事例もある。教員の確保の観点からも通知表や高校入試の内申書のあり方を検討する時期に来ていることは間違いない。

※執筆中の書籍の原稿の一部を引用して記事にしています。

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