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勤務時間

教員の勤務時間は、多くの学校で8時〜8時20分ごろの開始。そこから8時間30分後の16時30分〜16時50分ごろが終了となる。途中に45分の休憩がある。休憩は会社員や一般の公務員とは違い昼食時ではない。昼食時には給食指導(自ら食事をしながらの指導というアクロバット)があるため、そこは勤務時間となる。教員の休憩は、給食が終わった子どもたちの昼休み時間に設定されることが多い。そこでは45分のうちの20分ほどしか取れないため、放課後に残りの25分ほどが設定されるというのが一般的だ。

「給特法」により、時間外勤務を命じないことになっているので、「定時出勤、定時退勤」が基本である。本人の意思次第で時間外に業務を行うことはやぶさかではないが、時間外勤務手当は支払われない。

2020年4月から、時間外の業務時間(正確には在校等時間から所定の勤務時間を差し引いた時間)に月45時間、年間360時間の上限が設定されることとなった。これに対して罰則はないが、長時間労働が放置されあまりに改善がない場合は管理職が「信用失墜行為」として処分を受ける可能性があると文部科学省は通知で示している。「45時間まではOK」であるが本来は「0時間」であるべきで、やはり基本は「定時出勤、定時退勤」となる。

教員の業務

学校教育法第37条に教員の業務が示されている。

(11)教諭は、児童の教育をつかさどる。

学校教育法

これは小学校の規定であり、中学校、高等学校では「生徒の教育をつかさどる」となる。

ここにある「児童・生徒の教育」は、当然、学校教育の範囲内であり、家庭教育や社会教育を含むものではない。また、教育の範囲は、勉強を教えることだけでなく、生活指導(廊下歩行、休み時間の過ごし方など)や生徒指導(狭義では問題行動に対する指導、広義では社会的資質や行動力を高める指導)も含む。中学校では進路指導も含まれる。

また子どもたちが学校生活を営む上で必要な、座席の配置や掲示物の整備、下駄箱の割振り、授業で必要な教具の準備、保護者への連絡なども包括的に「児童・生徒の教育」に含まれると解釈できる。

教員の本務は授業である。教員に与えられたミッションは、学習指導要領に示された内容を全て「指導する」ことにある。子どもたちがどれだけの内容を習得したかという「成果」は基本的に問われない。極端な言い方をすれば、子どもたちが騒いでいようが寝ていようが淡々と授業をすすめ、教科書の内容を全て終われば、責任は果たされることになる。

子どもたちの安全管理

「児童・生徒の教育」は学習指導だけではない。学校内での子どもの行動を放置していては授業が成立しないだけでなく、子ども同士の暴力やいじめが発生し、安全管理上の問題が発生する。安全管理は、「児童・生徒の教育」に伴って自動発生する重要な教員の責務となる。

子どもたちの安全管理のためには、基本的に子どもの逸脱行動を抑止する必要がある。その方法として、法規上に示されているのが「懲戒」である。具体的には言葉で叱責したり、居残り掃除をさせたり、反省文を書かせたりすることだ。ただし、子どもの人権を守る意識は加速度的に強くなり(もちろん、それはよいことであるが)、近いうちにどんな軽微な懲戒もハラスメントとして禁止される日が来るだろう。

また、これらの懲戒に従う義務は子どもたちにはない。叱られても罰金が課されることはないし、反省文を書けと言われて「いやです」と拒否してもよいし、居残り掃除をするフリをして目を盗んで脱走しても補導されることはない。昭和の頃は懲戒にも一定の効果があったことは間違いないが(それでも校内暴力という子どもからの猛反撃も受けたが)、平成の中頃からは叱れば叱るほど手に負えなくなる子が目立つようになった。保護者からの反発も強い。

それでも授業の邪魔をしたり、同級生や教員に危害を加えたり、学校施設を破壊したりする子どもがいた場合は「出席停止」という処分を保護者に下すことになる。「お宅のお子さんは迷惑をかけるので学校に来させないでください」という制度だ。しかし、それは「伝家の宝刀」となった。十分な配慮がないと教育的な効果が薄いばかりか、逆に子どもの成長にマイナスになる可能性が高い。発達障害をもつ子は、危険行為や授業妨害となる行動を取りがちだが、そのような子らを次々と出席停止にしては教育そのものが成り立たない。
そのような中、平成19年に文部科学省は「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」を都道府県教育長や知事らに発出している。

教育委員会及び学校は、問題行動が実際に起こったときには、十分な教育的配慮のもと、現行法制度下において採り得る措置である出席停止や懲戒等の措置も含め、毅然とした対応をとり、教育現場を安心できるものとしていただきたいと考えます。

問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)

文部科学省のスタンスは「懲戒」「出席停止」を行えというものだ。僕にはこれは、文部科学省の「逃げ道」に思える。いじめや暴力行為の大きな事案が発生し、その矛先が国に向かった時に「出席停止にしておけばこのようなことにならなかった」という言い訳が立つ。日本中の教室が混乱していてもまともな増員をしない言い訳にもなる。

となると教員は窮地に追いこまれる。子どもは言うことを聞かないし、強権も発動できないし、責任は自分にのしかかる。ただ、実は教員にも責任からの「逃げ道」はある。それは常に管理職に報告し、支援要請をするということだ。管理職には教職員と子どもに対する安全管理義務があるため要請があっても何もしなければ責任を問われる。さらに、管理職は教育委員会に報告と支援要請をすれば、その責任は教育委員会に転嫁される。ただ、学校におけるこの「責任の所在」の機能は実に曖昧になっている。管理職の中には、ヘルプを出す教員に対して、適切な措置もせずに「びしっとやれ」「あなたの指導がダメだから子どもが言うことを聞かないんだ」などと担任に責任を押しつけるケースもある。また管理職が教育委員会に人員支援を求めたとして、それには人件費が必要であり「はいどうぞ」と簡単に配置されるものではない。結果「学校で適切に対処せよ」となる。

教員の最低職務

ここまでで明らかになった教員の職務は、「勤務開始時間までに出勤し、授業を確実に進行させ、子どもの問題行動には懲戒と出席停止で対応し、子どもが荒れた場合は管理職に支援を求め、勤務時間が終了すれば退勤する。」というものである。保護者が「子どもがいじめられているようだ」と勤務時間後に相談を求めて来ても、教員は管理職に「後はお願いします」と退勤しても差し支えない。管理職は勤務時間終了後も対応せよと命令することができない。

これを読む方の中には「そんな先生は許せない」「そんな人間は教員になるべきではない」などと憤る人もいるだろう。しかし、考えてみてほしい。定時しか働かず、淡々と授業や問題行動対応をする教員は「間違っている」のだろうか。社会の多くの職場では、与えられた業務をするのみだ。飲食店の従業員が退勤後も店の前で呼び込みをするだろうか。警察官や消防士が非番の時も、街を見回るだろうか。確かに教員には「こうあってほしい」という期待が高くなることは否定しない。
しかし、現在の学校は、教員の「使命感」「責任感」「モチベーション」というマインド面の補完がないと成立しない。また予測不可能な行動をする子どもを対象としながら、配置される人員数は「決められた授業が行えるか」が基準となっている。子どもがトラブルを起こしたらそれに対応する余剰人員は「ない」。病気で休む教員がいたらそれを補完する人員も「ない」。時間外勤務命令も出せない。
熱意や長時間労働に頼らなければ成立しないのだとすれば、学校は「制度設計そのものが破綻している」と言える。

制度設計の破綻は、教員の多忙化を引き起こし、ついに教員の志願者減少に至っている。問題は前々から指摘されてきたのにずっと先送りされ山積し、どこから手をつけていいのか分からない状態だ。日本の教育施策の明らかな失敗である。

失敗は教育施策だけではない。学校現場も破綻した制度に声を上げることもなく、自らの首を絞めるような運用に流されている。例えば現在、年間1100時間近く行われている授業時数を1050時間程度に抑えることで、教員にゆとりが生まれる。通知表、部活動、定期テスト、家庭訪問など「マスト」ではないベター業務はまだまだ見直しが可能だ。
制度の建てつけはどうしようもなく悪いが、今ここで教員が思考停止になってはいけない。必要なのは制度を運用でカバーすることだ。

※執筆中の書籍の原稿の一部を引用して記事にしています。
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