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361.人間はいるべき場所に、いるべきときにいて、人は会うべき人に出会い 会うべきときにいる。そして、離れる場所に、離れるべきときにいる。

(14)人生に奇跡を呼ぶ方法

1.ゆがんだ こころ


coucouさんはね、子どもの頃から、「頑張れ」「頑張るんだ…」「おまえは人よりも劣っているのだから人の数倍頑張らなければならない!」と言われて育った。
coucouさんはそのことで反発は何もない。
だって、その通りなのだもの。

でも、やがてその言葉に違和感を覚えるようになった。
その理由は、本当に頑張って、頑張って、頑張り続けてきたからさ。

そのために、無理をして無理をして、本当に頑張り続けたのだけど、残念ながら良い結果など得られなかった。

それなのに、社会に出ても「頑張れ」と言われ続ける。

随分と時が過ぎた頃、その言葉は私を蝕み、
深く傷つくようになりはじめた。

coucouさんに、そのような言葉を投げかけた人たちは決して悪意などなく心底頑張ってほしいというエールのはずなのに、私の心はボロボロになってしまうようになった。

特に病気の治療などはいつも「頑張って」「頑張らないと良くならないから…」という言葉の連続で、今思うと虐待に近い言葉のような気がする。

もちろん、声をかけてくれる両親も悪意などないことはわかっているよ。

でもね、こんなに頑張っているのに…
 
「あなたは馬鹿だね…」
「私に相談してくれれば良かったのに…」
「私のいうことを信じないからよ…」
「だからあのときにこう言ったのに、聞いてなかったの…」
「あれだけ教えたのに、ちゃんと言うことを聞かないからこうなるのよ…」
「自業自得ね…」
「懲りないのだから…」
「同じ失敗ばかり繰り返して…」
「あなたにはわからないわね…」
「こんなにあなたのためにしてあげたのに…」
「こんなに尽くしてあげたのに…」

一見、相手に対しての思いやり、エール、注意のような言葉に聞こえるけれど、結果自分の思い通りに相手が動かなかった場合に、不満(捨てセリフ)として出る言葉だよね。


 
coucouさんの父がある病院に入院した時のこと。

医師がcoucouさんたち家族を呼び出して、こんな言葉を言いった。

「あなたたち家族は何をしていたの?あなたたちのお父さんは肺炎を起こしているのよ!ちゃんと管理ができていなかったあなたたちの責任よ!こんなんじゃあ死んでしまうから…」

この医師は悪意で話してはいないと思うのだけど、coucouさんたち家族を深く傷つけた。
確かに家族の管理状態が悪かったのだけれど、coucouさんたち家族は、それでも全力で父の世話をした。

当時、みんな限界を超えていたかもしれない…。
その吐かれたことばによって、coucouさんたち家族には罪意識しか残らなかった。

その医師の顔は今でも思い出す。

その顔は、怒りの顔、四角い顔でした…。
 
とても悲しい言葉。

いや、悲しい心の姿だった…。

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.人生に奇跡を呼ぶ まあるいこころ


 
私たちの人生って、何が正しくて、何が誤りかは誰にもわからないよね。

それに善悪などない、正邪もない、正しいとか間違いなどもないという考え方もある。

でもね、私たちの人生の旅時には必ず終わりが訪れる。

嫌な事も、良い事もすべてが私たちの人生に欠かせない必要なものだったとしたら、私たちの人生観はまるで変ってしまうかもしれない。
 
私たちが「まあるいこころ」を持つためには、
そのすべての人生を認めて受け入れることかもしれないよ。

その理由は、人生の
「いるべき場所に、いるべき所にいた」ということなんだ。

まるで難解なパズルのような世界(人生)だけどが、最終的にはすべてが1本につながるのさ。その1本は人生の最後にならないとわからないものなんだけれど、意識すれば今でもその1本道を感じる事ができると思う。

 
私たちが、好きな人との出会い、嫌な人との出会い、それらのすべては今の自分に必要なものなのだからね。
 
「まあるいこころ」を得るためには、人のせいにしたり、不平不満、文句、批判などよりも、心からの感謝することしかないよね。
 
「感謝」という言葉が、随分と薄っぺらな言葉の時代になった気がするけど、本当の感謝の心があれば、他の何もののせいにしたりしない、幸せのせいもなく、不幸のせいもない、幸せも不幸をも感謝できるようになることが素直な「まあるいこころ」に変える方法なんだからね。
 
だからね、〈感謝の思いをさらに強く持つこと〉なのさ。

感謝の気持ちまでも、当たり前となった世の中だけど、さらに強く持つことしかないような気がする。
本来、感謝というのは自分がしてもらったことに感謝をするのだけど、してもらわなかったことにも感謝できることも必要な事だと思うんだ。

してもらったことだけが感謝ではなく、
させてもらったことにも感謝が必要なんだよね。

両親からしてもらったこと、
娘や息子にしてもらったこと、
孫のことを思ってもらったことなども。

そして、させてもらったこと、
させていただいたこと、
やらせていただいたこと。

自分以外に対しても感謝の念が必要なのさ。

本当の感謝は、自分の我儘という欲望を消し去り、相手を理解して大切に思える、支えてもらっていることを知るという、こころを育ててくれるものなのさ。

それが、あたたかな、「まあるいこころ」を作るのさ。

©NPО japan copyright association Hiroaki



 3.人間はいるべき場所に、いるべきときにいて、人は会うべき人に出会い 会うべきときにいる。そして、離れる場所に、離れるべきときにいる。


 

coucouさんの母は88歳(約2年前当時)。
 
当時は自宅に一人で住み、弟とcoucouさんで毎日介護をしている。

毎朝の体温測定、室内温度調整、体重測定、身体検査、血圧、脈、排便の管理、尿検査、水分補給、薬の管理(心臓病、腎臓病、肺水)と出来る限りを仕事の合間にし続けている。

腰の骨を折って数か月入院し、退院後認知症を患い現在に至っている。

coucouさんたちの仕事は日々、掃除、洗濯、便所掃除、ゴミ掃除、入れば掃除、朝昼晩の食事の連続。

認知症たったけれど、良かった事もある。

それは、腰の骨を折ったためその痛みで徘徊できないため、外に出る事は不可能。さらにトイレだけは何とか自分で行けるが勝手に出歩くことはない。ただ、お風呂に入れる事ができませんのでデイサービスにお願いして週3回は入る。病院は月に1回。歯医者は訪問月に1回。
 
この頃、coucouさんはシンクロし続けていた。

それは母に注意するたびに、
coucouさんが子どもの頃に、
母に言われ続けて来た言葉と同じことを言うから。

同じ言葉を繰り返す母に最初は怒鳴ってきたのですが、
今は、面倒でも同じ返事を数十回繰り返すようにしている。

だって、自分で話したことをすべて忘れてしまうからね。

毎日、毎日同じ会話が続く。

coucouさんの子どもの頃は、認知ではないけれど、不安だったのかもしれないけど、同じことを言い続けていたことを思い出す。

母の世界は、4畳半一間の椅子の上が自分の世界だ。
 
あと何年生きれるのかな?

病気を抱えていなければ、
まだまだ長生きできるはずなんだけれど、すでに肺の中の水は半分を超えている。

coucouさんたちは毎朝家に顔出すたびに、
今日は生きていてくれると、弟と二人で胸を撫で下ろす。

coucouさんたち兄弟は、
自分たちができる事を最後までやろうと誓っていた。

丁度父が亡くなる4年間の介護の時と同じ、最後まで施設に預けずにできる限りやると決めた。
自由に動けなくなって約2年を過ぎようとしているけれど、coucouさんたちにとって、まだまだ、いまでも母親だ。

本人も、母親だということだけは忘れていないようだ。

食事を作れば同じ会話が続く。
「お前が食べなさい」と。果物を買えば、その果物を食べさせようとする。そして、coucouさんたちに「仕事は大丈夫か?」と聞く。

毎日の曜日と時間と天気を何度も聞く。
そのたびに初めて聞いたようにcoucouさんたちは、同じ答えをした。
 
毎日が、最後の一日のように接しています。

毎日が、はじまりで毎日が終わりなのです。

母はcoucouさんたちに、一体何を残そうとしているの?

何をどう考えてもそのことがわからない。

もしかすると、バラバラな日々の最後には、
1本の道となり何かしらの答えを頂くのかもしれませんね。

母は最期まで母を演じて生きるのだろうね。
coucouさんたちは、最後の最後まで子どもを演じるんだろうね。
 
ただ、人は歳と共に「まあるいこころ」になる。

父や母の似ているところは、
coucouさんたちに何も求めてはいなかったこと。

ただ、父や母でいた…。

誰のせいにするわけでもなく、
世界や経済など関係なく、
何もいらない。

見栄や恰好つけもない。
欲しいものや食べたいものもない。
食べれるものを食べるだけ。
今は、何を求めているのかはわからない。

何を目的として生きているのかもわからない。
 
もしかすると、
母は、父と同じ生きているだけで、
子どもたちを支えていると勝手に信じているのかも。

毎日が時間と共に、まあるく、まるく、まんまるになっていくことがわかる。このように生きよ、ということなのかな?

©NPО japan copyright association Hiroaki


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〈人間はいるべき場所に、いるべきときにいる〉
Humans are where they should be, when they should be

人は会うべき人に出会い 会うべきときにいる〉
People meet people they should meet, and they are when they should meet
そして、
〈離れる場所に、離れるべきときにいる〉
I'm in a place to leave, when I should leave

そのときが、まあるいこころとなるのでしょうね。
 That time will be the heart of the world.


                    coucouさんの言葉より
                     From coucou's words


ここまで、読んでくれて、
読んでいただいて、ありがとう!

みんなの記事も読ませてくれて、ありがとう!

また、あしたね~

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