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人生ってそんなもん

今日もお疲れ様です。今自分が食べたいものが全然分からないのん。です。
今日は、人生のどん底って何だろうねっていう話をしようと思います。

人生のどん底といっても、私は20年そこらしか生きていないので、20年の人生の中でのどん底になる。こう書くと人生100年時代、いやまだ80年なのかな、何事もなくそこまで長生きしたとしても、20年間でのどん底なんてたかが知れている気もしてきた。とはいっても、この20年間には青春も詰まっているわけだから、思春期からしたらどんなことでも一大事なんです。

20年といっても、今月で誕生日を迎えて21になります。今週成人式の日だったけれど、私は無事に去年済ませました。成人式は一生に一回経験できれば大満足ですね。1回しかないからこそ、貴重な経験になるんだろうな。


人生のどん底はいつだった?

中学2年生のとき

私の人生のどん底はいつだろう。その時その時は今が人生のどん底だと思っても、後でどんどん上書きされていく感覚がある。私自身は、中学2年生の時に、初めて死にたいという感情が生まれてしまい、その時は人生のどん底にあったといえるかもしれない。今日はその時の話をしようと思う。

死にたいという感情は本当に突然だった。自分は価値のない人間だと気が付いてしまい、なぜ今生きているのか不思議に思った。生きていい人間ではない、と。その頃から、人目も異常に気にするようになったと思う。中2の終わり頃であったと記憶しているがこの時は本当にきつかった。


突然の話になるが、自分は聴覚障害者として、障害者手帳を所持している。それまでは、自分の障害を意識することはあっても、そこまで重く捉えたりすることはなかった。しかし、中学2年生の時に障害者は生きていても仕方ないという考えに至った。今までと同様にこれからも人様に迷惑をおかけするだけだし、誰も障害者を雇ってくれないだろうと思っていた。また、仲の良い男の子はいたが、障害者と結婚したいと思う子はいないとも思って、人生に対して悲観的になっていた。死にたくて仕方がなかった。これまでの人生で、死にたいという思いにまで至らなかったことが不思議に思えた。

当時は、普通学校の普通学級で、しかもクラスの代表である学級委員を担当していた。そのため、毎日の号令は学級委員の仕事であったし、定期的に開かれる委員会にも出席していた。友達だっていたし、クラスでつるむのは男子が多くて、一部の女子からは目を付けられたこともあった。いわゆる陽キャに属していたとは思う。

自分にまだ役割があったからこそ、今思えば生きていられたのかもしれない。それでも、死にたいという気持ちは変わらず、家では毎日のように泣き、過呼吸まで起こすようになった。苦しかった。そんなつもりはなかったかもしれないが、いつまでも泣いている私を疎ましく思うようになったのか、両親は私が過呼吸を起こしていようが遠目に見て避けるようになった。彼らがとても冷たく感じ、見捨てられたように感じた。私は、過去に数回いじめにもあってきたが、それは同級生だけではなかった。教員や友達の親つまり大人からもいじめを受けた経験がある。だから、誰にも相談はできなかった。

私の生活は充実しているようにみえて、実際には近くに誰もいなかった。ただ1人だった。

相談を受けることはあっても、自分から相談することはなかった。1人だけ、仲の良い女教員の1人が、私の様子を不審に思ったのか、私の肩に手を回すと「大丈夫か? 何か話したいことがあったら聞くからな」と声をかけてくれた。それがすごく嬉しかった。本当に悩んだ。数秒おいて私が言った言葉はこれだった。
「……大丈夫ですよ、先生」とにっこり笑って答えた。下校するところだったため、さよならと声をかけると先生から離れた。今でも、あの時の事はくっきりと覚えている。

もしかしたら、あの時先生に胸の内を打ち明けていたら、何かが変わっていたかもしれない。家で過呼吸で苦しんでいる時に、母が私のことをぎゅっと抱きしめてくれたら、私は安心できて落ち着いたかもしれない。愛情を感じ取ることができたかもしれない。


過去を変えることはできないのは常識のことだ。解釈を変えることはできても、過去に起きた事実は永遠にそのままだ。



60過ぎの男性からみる人生のどん底

私は、高校時代の恩師と今でも文通をしてやり取りをしている。高校は卒業したが、手紙で今も生き方のヒントや教えを受けている。この前に出した手紙に、「先生の人生のどん底を教えてください」と書いた。すると早速、いくつか自分が人生のどん底だと感じたことを記載してくれた。その最後に書かれていた言葉が、心に残った。「色々書いたけれど、どれも大したものじゃないですね。」とあった。

そうだな、と思わず同意してしまった。ここに記載する許可は頂いていないため具体的な内容は省くが、先生の書かれたどん底は私の経験したことのない、まさにきつい環境や出来事ばかりであった。しかし、それがどれくらいの苦しみであったかは、想像でしか補うことができない。それに、自分自身で書いてみたり、口にしてみると分かるが、あれ自分が人生のどん底だと思っていたことって大したことないのではないかと思えてくるから不思議だ。

だって、どん底だった時の具合や状況を説明しようとしても、数文字や数分もあればいつかは説明しきれてしまうことだからだ。

もしかしたら、今が人生のどん底だと思って苦しんでいる人も読者の中にはいるかもしれない。でも、あとになってから振り返ると、なんだ、人生ってそんなものか、と思えるはずだ。

難しいのが、今まさに人生のどん底である場合の乗り越え方だ。それについて話すと長くなってしまいそうなので、もったいづけるようであるが、またの機会に話したいと思う。とはいっても、人生のどん底にある人を救う力は私にはないと思っているし、抜け出し方の正解はまだ私にも分からない。


とりあえずは、人生のどん底を経験してきた皆さん、まさに今経験している方も、人生ってそんなものって思って乗り切りましょう。
そんな簡単な話じゃないという怒りの声も聞こえてきそうですが。


その前に今日はここで終わりにしたいと思います。ここまで読んで下さりありがとうございました。スキ、フォロー、コメント励みになります。では、また。



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