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自分の難聴について話します

お疲れ様です。夜ご飯はもう食べましたか?

今日は、自分の障害でもある難聴についてお話します。いつかは話したい話題だったので。

はじめにお読みください

障がいや障がい者が苦手な方はご注意ください。

今回は、かなり重い内容で、場合によってはショッキングな内容もあるかもしれないので、ご注意ください。

また、かなり過激な発言もあるかもしれませんが、そのことに関しては先に謝らせていただきます。申し訳ございません。作品に対してもそれぞれ意図はあるでしょうし、批判がしたいわけではないことはご理解ください。あくまで、個人の意見です。


自分の難聴の程度


一口に難聴と言っても、症状や程度は人それぞれ異なります。私の場合は、左耳は全く聴こえず、右耳は少し聴こえる状態です。普段は、右耳に補聴器を着用して生活しています。補聴器がない状態だと、大声で話しかけられれば聴こえる程度です。内容まで理解できるかは分かりかねますが。

自分は、難聴の原因はよく分かっていません。生まれた病院が当時検査をしてくれる所ではなかったため、生まれつきなのかも分かりません。乳児期に、高熱を出していたのでその時が原因なのかもしれません。

私は大声で呼べば反応をするので、遊びに夢中になってしまっているのかな、と両親は思っていたそうです。それでも、なかなか言葉を話さなかったため、2歳頃に病院に連れていかれて難聴であることが判明しました。

両混合難聴で、身体障害者手帳は6級を所持しています。

難聴ではありますが、幼少期から中学校に上がるまで、言語訓練に通っていたのもあり、自分の声を使って人と会話をすることはできます。それでも、今でも違いのよく分からない発音はいくつかある状態です。

私の入った幼稚園では、難聴の子を入れるのは私が初めてでした。でも、そんな私を受け入れてくれました。小学校入学前には、地元の小学校だけではなく、いくつかの学校を見学しました。結果、地元の普通学校で、普通学級で過ごすことになりました。そこから、中学校、高校、大学と普通の人達と共にしてきました。



障がい者について思うこと


私は自分も含めて障がい者が嫌いでした。それは正直今も変わらないかもしれまん。周りの環境や固定概念によってそう思ってしまったのだと思います。


例えば、父親は障がい者を小馬鹿にするような発言をすることがありました。聴覚障碍者を傷つける発言ではなかったとしても、同じ障がい者としては私も傷つきました。 

また、小学校などで、障がい者の方がゲストに来たり、障がいの体験をする機会がありました。その時の周りの可哀想という雰囲気や同情で私は可哀想な存在なのか、と思いました。別物なんだ、と思いました。決して皆と同じ場所には入れないのだ、と。

中学校で、クラスメイトにコメントを書こうというような機会には、複数人から「耳が悪いのに頑張っててすごい」というようなコメントを頂きました。彼らにとっては悪気はなかったのかもしれませんが、私は人として見られていないような感覚になりました。

下記の記事でも少し触れていますが、中学生の時に障がい者は無価値だと思うようになりました。


中学2年生の時に、立志式または立志の会というものがありました。その時に数人の生徒が選ばれ、代表として全体の前でちょっとした自分の事を語ることが決まっていました。

私は、光栄なことに代表として選ばれました。ですが、その内容には自分の障害について書かれていました。そのため、私は両親に確認を取るように言われました。両親の承諾を得て、立志の会に向けてすらすら朗読できるように何度も文章を読み上げる練習をさせられました。


他にも何かきっかけはあったと思います。ただでさえ、中学生は多感な時期です。今まで障害について重く考えたことはなかったのに、ふと障がい者なんて必要とされていないと感じてしまったのです。だって、要らない存在ですよね。なんでまだ私は生きているんだろうとはっとして、死にたくなりました。障がい者である自分が生きていることが申し訳なく思いました。



難聴について思うこと


私は本当に健常者が羨ましかった。聴こえる耳を持っている人達が羨ましかった。何も聴覚に関して心配をしたことがない人達が羨ましかった。羨ましくて仕方がなかった。

1対1で会話はできても、グループになると隣の人の声を聴き取るのも困難でした。勉強を頑張りたくても、グループ活動になってしまうと周りの意見が分からないから参加できないのが悔しかった。諦めて、なんとかその場をやり過ごすことだけを考えていました。

部活でも、私だけ指示が聞き取れないということもありました。優しい先生もいたので、私がやりやすいように、と方法を考えてくれたこともありました。でも、私にはその気づかいをさせなければならないことも恥に感じていました。周りにも迷惑をかけていることが、居心地を悪くさせました。

音楽の授業や、文化祭などで合唱の機会があるときは最悪でした。私が皆と同じように並ぶと、「え、そこで歌うの」と言われました。ある時は「補聴器着けているから、音楽がずれて聞こえてるんじゃないかな。だから仕方ないよね」と同級生に言われました。屈辱でしかありませんでした。



障がいを作品に扱うことに関して


私は大嫌いです。一体誰が読むのでしょうか。別にそういった類の作品を読んだり見ている人を批判したいわけではありません。でも、せっかく健常者として過ごせているのに、わざわざ障がい者を知ろうとしたり、気持ちに寄り添おうとしているのが気持ち悪く思います。

とある番組では障がい者を採用してバラエティー番組として見せ物にしているのには吐き気がします。

『聲の形』という漫画が映画にもなりましたよね。その中にはいじめの描写があります。なぜか母親はその漫画を図書館から借りてきました。彼女としては良かれと思って借りたんだと思います。ですが、私にはその考えが理解できなかったし、漫画は全巻に目を通しましたが、死にたくなりました。いじめられていた時のことも思い出しました。その映画のポスターが中学校にでかでかと貼られているのを見たときはショックでした。


最近では『silent』というドラマが話題になっていましたね。私はどうすればいいんでしょうか。私はテレビは見ないので、自然にドラマは観てはいません。ですが、友達がそれを見て何かしら私のことを考えたり同情したりしているのかなと考えたら、すごく辛くなりました。悲しくなりました。

手話を学んでみようかな、と思ったというコメントを見かけたりもしました。私には手話を学んでどうするんだろうと理解ができませんでした。


髪を下ろさずにお団子にしたりすると、私の着けている補聴器が露わになります。外に出かける度に誰かが私の補聴器に気が付いて何か思われているのではないかと思うようになりました。

友達も、話題にはしないけれど、ドラマをきっかけに私に対しての態度が変わったのではと思うようになりました。


不思議ですね。これは誰にも話していなかったのにnoteには書けてしまいました。ちょうどその頃です。

私は学校が怖くなり、そして学校では平常心を保てなくなり発作を起こしました。実家に連絡が行く事態にまで発展しました。おかげで、私は学校に行けなくなりました。

私の人生計画は消え去りました。全て私の考えすぎが原因なのかもしれません。それをただ私は無責任に他のせいにしようとしているだけなのかもしれません。

それでも、正月明け講義は再開されたのに、受講できずに実家にいるのは確かです。



現在の私


今まで20年死ぬことなく生きてきたけれど、いまだに難聴は自分の個性だとは思えません。それは、向き合わずに、逃げているだけかもしれません。

今では「色々な言葉をしっていて、使っている言葉が大人だし、賢いね」と知人に声を掛けられることもあります。だけれど、ふつうは周りの会話を盗み聞きしたり、コミュニケーションを取る中で語彙力を身につけていくという方法が私にはできませんでした。だから、今になっても語彙力が低いのでは、言葉遣いがおかしくはないか、発音が変ではないかとコンプレックスに思っています。

何度も、同じ難聴者はどう過ごしているのか検索にかけました。ですが、得られる情報は僅かで、その度に孤独を感じました。


だから、参考になるかは分かりませんが、難聴の私がこれまでどうやって過ごしてきたか、乗り越えてきたかをまた記事に書いていこうと思います。

誰かの参考になれば、幸いです。



ここまで読んで下さりありがとうございました。
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