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手話を使うか、使わないか

お疲れ様です。補聴器を着けているのん。です。

普段は自分が難聴だということは意識することはないのですが、たまに、あ自分ってそうだったなって思う時があって、昨日ふと思ったことがあったので書きます。

突然、今世の中、手話はどうなっているんだろうと思いまして。

ということでTwitterで「#手話」で検索してみました。

最新のツイートが沢山出てきてびっくりしました。


こんなにも手話が認識されて広まっているんだな、って思いました。


身体障がい者手帳6級を所持している私ですが、幼稚園の時から普通学級でした。とは言っても、色々ありまして、幼稚園は途中入園をしているんですよね。これは、またお話します。

小学校、中学校では、通級指導というものがあり、小学校では週に1回、中学校では月に1,2回ほどろう学校の先生が自分が所属している学校に来てくれました。

そこで、言葉や発音、聞こえのことについて二人でお話したりしていました。

それとは別で言語訓練にも幼稚園の頃から通っていました。

それに関しては記事にしてあるのでこちらをご覧ください。


私が幼稚園の時から色々な検査などでろう学校に何回か行っていたので、ろう学校には馴染みがありました。

小学生の時には、数回、ろう学校と交流する機会があって、数日ろう学校で同じ学年の子と勉強をすることがありました。

そうすると、そこでコミュニケーションに何を使うかと言ったら手話なんですよね。

その時、私はろう学校の友達と手話で話していた記憶はあるのですが、私がいつから手話を知っていたのかが分からない…。

その友達とは今では連絡が取れなくなってしまって悲しいです。同じような子たちと関われる機会がないから。元気にしているのかな。


家族の中で私だけ障がい持ちなのですが、両親が手話を勉強していました。

もちろん、私が健常児だったら手話を勉強することはなかったと思います。


というのも、私は物心ついたときから聞こえなかったわけだけれど、お医者さんに何度も「(定期的に聴力検査をして)急に聴力が下がるようなことがあったら、すぐに来て下さい」と言われていたので。

私の予想だけれども、もしものことを考えて手話を勉強してくれたのかな、と。


確かに子どもの頃、テレビで手話講座を親が見ていた記憶がありますし、手話辞典も家にあって、普通の手話辞典と子ども用の手話辞典もあったので、分からない手話は自分でも調べていました。

あとは、小学生の時に、父親と一緒に地域の手話サークルに参加していたことも今思い出しました。

色々と私に尽くしてくれていたんだなと思うと、なんだか今書きながら泣きそうです。

色々思い出しました。

手話サークルでは、子どもは私だけしかおらず、大変可愛がってもらいました。父親と一緒に参加していたので、時間帯も夜で眠かったりして、うとうとしてしまうこともあったけれど、手話サークルの人たちや雰囲気が好きで連れて行ってもらっていました。

帰りに車の中で父がカセットテープ(伝わりますかね)を差し込んでくれて、子ども向けの歌を流してくれたんですね。

その時に父が音を大きくしているのを見て「お父さん、音大きいんじゃない?大丈夫?(お父さんの耳に悪いんじゃないか)」って何度も聞いていたのを思い出しました。

その度に父は「大丈夫だよ」と言ってくれて。


いやあ駄目ですね、いつからこんなに涙もろくなっちゃったのか。

もう少しお父さんと関わろうと思いました。色々と申し訳ないことをしてしまったなと思うし、反省しました。

本当に自慢の素敵でかっこいい良いお父さんです。ありがとう。

ここに書いてないで直接言えという話だけれど、まだ涙が出ているので。



話を戻すとツイッターで新年度が始まったからか、いくつかの大学が手話サークルの部員を募集するようなツイートをしていて。

そうか、大学に手話サークルがあるところがあるのか、と思いました。

私の大学はないんですよね。でも、もしあったら私はどうするんだろう、と思います。入るのか、んーでも勧誘されそうな気もします。

大学の友達は多い方ではあるので、その友達の中では手話サークルに入る子が何人かいそうだから誘ってくれそう。

でも、どうだろうな、私が入って辛くなったりしないかが心配。

とは言っても、私は今休学中で同期たちは私より一足先に卒業していくわけですけどね。


今は、家で私が補聴器を外していたりするので、そういう時に両親が手話を使って、私が口頭で答えるという使い方が多いです。

多分、ドラマの影響で手話を勉強しようとした人たちが多いのかな、とは思っているんですが、どうなんでしょう。

私はそもそもテレビをあまり見ないし、最近やっていたそれらのドラマも見ていないんですけれど、母が漫画を買ったり借りてきたりしたので、それで聴覚障害の人が出てくる物語を見たりしたことはあります。

あとは母と一緒に聴覚障害の女の人が出てくる映画も。

私が小さい時に読んでいた漫画をひとつ紹介します。『君の手がささやいている』というもの。絵柄が懐かしい。


続編も、全て読みました。子どもだったので、何回か読みました。

今はもう読む勇気もありません。きっと泣いてしまうから。

まだ何も知らない子どもだったから読めただけで、今では色々なことに重ねてしまって、辛くて読めません。ああ、私は一生このまま変わらない、もしくは悪くなるかもしれない耳を抱えて生きていくんだな、と思うと。

この漫画のヒロイン、女の人が聴覚障害を持っています。同じ会社の、健聴者である男性が彼女に見惚れて、という感じで物語は進みます。


母は、最近のドラマを観ていました。だから、偶然私も目にしてしまうことは数回ありました。

私がドラマを見たくないのは同じ理由です。

どうしても、冷静になって見ることができません。動揺してしまうし、なぜか辛くなってしまう。誰も悪くはないのに。

難しいな、と思います。


それでいて、手話を勉強し始めた人がいますが、どうするんだろう、と私は思ってしまいました。

手話も言語と同じようなものだとは思います。私も英語以外の他の言語を勉強することがありますが、それも言ってしまえばそんな言語覚えてどうするの?何に使うの?となるわけですよね。

でももしかしたら何かに使うかもしれない、役に立つかもしれない。

手話も同じなのかなって思いました。必要な人は使っているけれど、そうでない人にとってはそうなのかなって。


もちろん、周りの人たちが皆手話を使用していたら私も手話を使いますよ。要はそういう話なんですよね。


私、本当に小学校の義務教育で手話、せめて指文字を教えて欲しいっていうのずっと思っているんですけれど、これ叶えられないのかな。

そうしたら、本当に楽になるのに。

自分でうまく発音できない音があるから、指文字でこの音が言いたくて、この言葉が言いたくてって相手に伝えることができるし。

伝わらないのが嫌だった。

だから小さい時は嫌だった言語訓練も小学生になってあんなに必死に勉強して、話せるようにしようとしたんだと思う。

「うるさい、静かにして」っていうのもあるけれど、そのときも手話で話をすれば、まあ笑い声は声に出ちゃうけれどだいぶ騒音はなくなると思います。


とこんなかんじで長くなってしまいました。今回はここまで。また難聴のことに関しては書きます。

ここまで読んで下さりありがとうございました。

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