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どうやって言葉を習得したか

日曜日お疲れ様です。難聴の大学生です。
今回は、難聴の私がどうやって言葉を覚えたのかお話します。

私の詳しい難聴についてはこちらの記事を読んでいただけると分かります。

他の記事に飛ぶのが面倒だという人のために簡単に説明しますと、私は3歳頃から右耳に補聴器を着用して生活をしています。左耳は全く聴こえません。

私は話せたのか

そもそも、両親が私を病院へ連れていくきっかけになったのが、私がなかなか言葉を話さないからでした。また、いくつか聞こえていない音があり、その音だけ抜かして発声をしたりと、おかしな点もありました。

結果、難聴だということが判明し、補聴器を着けて生活をすることになりました。健常児ですと、周りの音を聴いて自然に言葉を覚えるものですが、私にはその段階が用意されていませんでした。

だから、補聴器を着け始めたから話せるようになったかというと、なかなかそうもいきませんでした。


言語訓練が始まった

そのため、私が幼稚園に通っているうちに言語訓練という名のもとに施設に通って、話せるようにするための訓練が始まりました。

まだ小さいのに、知らない人と小さなお部屋で二人きりにされた時の恐怖は今でも覚えています。本当に嫌でした。先生は大変辛抱強く、自分ののどや口を使って私に言葉を教えようとしてくださりました。

まずは舌の位置など真似をすることから始めたような気がします。たまに先生の口などを触ったりして、覚えていきました。

この言語訓練は小学校を卒業するまで続きました。私は言葉の発声や発音に比べ、当時の子どもに比べて語彙数も少なかったため、そこは言葉を覚える場所でもありました。

月1でここの施設にはお世話になっていたような記憶があります。幼少期は、もっと頻度が多かったのかな。

ちなみに、小学校2年生から始めている日記はここの先生に薦められたことがきっかけで始めました。日記を持参しては先生に見ていただき、文法や言葉の正しい使い方、意味について学びました。

今でも、小学生の日記を読み返してみると分かりますが、文法に加えて聞き間違えも多くありました。私がこの発音だと思って聞いていた音が実際には違う音だったりして、先生にこの言葉は何を言いたいの?と伝わらなかったりして先生を困惑させていました。


学校にて通級指導が始まった

普通校の普通学級に入学したところ、ろう学校から先生が来て下さり、週1で通級指導というのを行ってくださいました。中学校まで続き、中学校では月1の頻度でありました。

通常の授業の時間を使用して行われたので、その時間は道徳の科目にするなど、先生方が私に配慮して下さいました。

口内の図を見て、発音の仕方を具体的に学んだりしました。多分健常者の方は聞いて自然に発音できるのでしょうが、私にはどうやってその音を出しているのか分からなかったのです。

また、言葉も色々覚える練習もしました。語彙力を増やすために、学校とは別で新聞を読んで、分からない単語を調べたり、感想を書いてくるように課題が出されることもありました。

その他、授業で困っていることはないか、補聴器に問題はないか、などといいうことにも気を配っていただきました。

中学校でも、通級指導は続きましたが、思春期だったこともあり、私1人だけ教室を抜けて別の教室で男性の方と2人になるのが嫌な時期もありました。(当時は男性の方が担当して下さった)

そのために、担当の方にはつっけんどんな態度を取ってしまったこともあり、今でも申し訳なく思うこともあります。

中学でも小学校と同様やることはそこまで変わりませんでした。学校で、耳のことで困っていることはないか、という聞き込みから相談の時間が設けられていました。

また、語彙力を増やすのに、新聞記事の課題はこなしていました。

中学校にあがると、具体的に将来の話をすることも多くなりました。高校はろう学校も視野に入れているといったところ、それはもったいないと反対されました。実は中学校もろう学校が良かったのですが、普通学級に進学しました。

せっかく、こうして普通学級で生活できており学力もあるのだから、高校でも普通校に行くべきだと言われました。普通学級で、普通に生活することの大変さを知らない癖にと、当時は大変むっとしながら先生のお話を聞いていたのを覚えています。あの時は本当に失礼しました。


私は口話ができた

口話っていうのは、口の形で何を言っているか読み取ることです。口話に関しては、特に訓練を受けたわけではないのですが、発音を覚えるのに口の形を見たりしていたら自然にできるようになっていました。

逆に、皆できるわけじゃないんだと思ってびっくりしました。多分、難聴者は頭の中で聞こえた単語を繋げて足りない部分を想像で補って文章を理解することに優れているのかな、と思いました。

そのため、口話に関しても口だけではなく耳以外の相手の表情からも情報を読み取って、頭の中で文を組み立てたりするのに優れているということなのかな、と考えています。

私は、マスクを着けていても会話はできますが、マスクがないと会話がしやすいような気がします。


今振り返って思うこと

聴覚に携わっている関係者からは、発音が綺麗だねと驚かれることが多く、それらは言語訓練などで鍛えられた証なのかな、と思っています。

子どもの頃からできないのが悔しくて、一生懸命練習していたので…。子どもながらに自分で発音してみて先生に「違う、こう発音しなさい」って言われる度にむっとしてしまったんですよね。ほぼやけくそになりながらひたすら練習していました。おかげで、自分では自信はないけれどそれなりに発音は上手くなったのかな、と思います。

語彙力に関しては、子どもの時は本当に身につかなくて。読書も勧められていたのですが、外で遊んでいる方が好きな子どもだったので、校庭で思いっ切り走り回る毎日でした。

だから、本格的に本を読み始めるようになったのは、小学校の高学年からです。そこから、語彙力もつくようにはなったのかな。それでも、漢字の読み間違えは多かったです。それは今でも変わらず、たまに間違えていたことに知って、驚くこともまだあります。お恥ずかしい…。

読書だと正しくその漢字が読めなくても、文章の流れなどから読めてしまうんですが、言葉にしてみたら、読み方だけではなくイントネーションも違うと言われた事がありました。皆どうやって覚えているんだろう、不思議だ。


英語がよくできた

突然違う話題を入れてしまったようですが、そういえば私英語よくできたなというのを思い出しました。

英語のテストで良い点数を取ることが多く、それは日本語の言葉を覚える時に私の場合文法も一緒に教えてもらっていたので、その感覚で英語も覚えていたのかな、と思います。

とは言っても、英語の発音は下手くそかもしれませんが…。

高校でも英語の出来はよく、英語の科目で学年1桁を頂いたことも数回ありました。

今では、大学でも勉強したりして、日本語、英語だけではなく、ドイツ語、ポルトガル語も勉強しました。そして今は韓国語も新たに独学で勉強しています。

単に言語を勉強するのが好きなのかな。でもやっぱり発音にはどうしても自信がなくて、音で聴いても自分が同じ音を発音できているのか自分では分からないんですよね。そこがとても悔しかったです。

現在は、言語に関してはあまり復習も勉強もできていないので、日本語だけで悠々と暮らしております^^


今回はここまで。

何か、質問や意見などありましたら、コメントを下さると幸いです。


他の難聴についての記事はここから読めます。



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