見出し画像

子どもと大人のすれ違い

仕事で沢山子どもたちと話していると大人に対する不満など出る訳ですが、子どもたちの方が正しいなと思う意見も多いです。家で娘と妻の仲裁に入ると娘の方が正しいと感じることもあります。


ステレオタイプ的な固定概念で言うと大人の方が正しいと思いがちなのですが、よく考えてみると


大人の方が情報量が多くて本質で正しいことが言えていない



ことがあるのかなと感じた訳なんです。少し例えが難しいのですが、例えば片付けにしてもですね


片付けなさい


っと大人が言うとそこには色々な思いが詰まっている訳じゃないですか。将来のことを考えてだったり学校でのことを考えてだったり、色々な思いが詰まって吐き出している言葉だと思うんです。それに対して子どもが


あとでやるからええやん


っと言った場合、色々とあるとは思いますがこれは怒られる展開な訳なんです。ただ、よくよくその物事だけで考えると


まあ確かに後でやるならええよな



っとも思う訳なんです。片付けという物事自体は解決する訳ですからね。そこだけを考えると決して間違っていないんです。子どもはまだ情報量も少なく真っ直ぐさを持っています。なので


本質としては正しいことを言っていることが多いです



これは大事なことで気付かないとあかんことやな〜っと思っている訳なんです。価値観や倫理観がちゃんとした意見のことも多い訳ですよ。ルールの範囲内だし間違ってもいない。じゃあ大人が言っていることが間違っているかというとそれも違う訳です。さっきの片付けの例で言いますと、大事なのは


片付けなくてはいけないと言う考えは一致していて反対意見ではない



ということなんです。この大人と子どものすれ違いを子どもたちと話していると感じることが多い訳なんです。うまくすれ違わないコツとしましては、


後だろうが何だろうが片付けをしようと思っている気持ちを認めて受け止めてあげることが大切



なのだと思います。そこを糸口にしたりスタートラインに立つことがスムーズに話しが進むコツなのかなと思います。まあなぜこういう話しを言うかと言いますとそのすれ違いの歯痒さみたいなものを感じることも多いんです。子どもたちから


わかってはいるんだけどね


言い方ってあると思う


言ってることを理解出来るけど否定から入られるとそれもどうでも良くなる



など色々と聞いているとうまくいけばなと思うことも少なくないです。保護者の方や先生がこう言ってて私はこう思うと不満を聞いていても、聞いている私からしたら


それあなたも保護者の方も先生も考えてること一緒やねんけどなぁ



と思うことはしばしばある訳なんです。本来同じ考えで分かり合えるものがすれ違ってしまって大きな衝突になってしまうのはもったいないなと時折感じます。なぜ時折かと言いますとぶつかって良い時もあると思うからです。ぶつかる事によって自分で気付くことも大切なことの一つです。難しい所はこのすれ違いはどこかで気付くタイミングを見失うと段々と離れていってしまい大きな衝突にもなりかねない面があります。そういう意味でもどこかでお互い歩み寄るタイミングを意識して作っても良いのかなと私は感じています。反抗期や思春期も言ってることの本質は正しいこともありますからね。大人もご自身の思春期の考えを思い出した時全部が間違っていると今考えても感じないと思うんです。子どもたちのそういう所を見つけていければええなと私は仕事を通して思っています。子どもたちが大人になってもあの考えは正しかったと感じることが出来るような考えを大切にしていければと思います。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?