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歴史・武士の混戦 応仁の乱から学ぶ生き抜く術(1) 現在の日本と同様、優秀なリーダーが不在の時代だった。      

過去の歴史を検証して得られる知識は
様々な問題に対処しなければならない
現代社会に生きる私たちにとって、とても重要になります。

混迷する今の時代を日本、日本国民は
どのように生き抜けば良いのか。

今回「応仁の乱」が起こった時代から紐解いていきます。

「応仁の乱」
応仁の乱室町時代末期,足利将軍家ならびに
管領畠山(はたけやま)、斯波(しば)両氏の
後継ぎ問題に端を発し,
細川(ほそかわ),山名(やまな)氏の
有力な守護大名の勢力争いがからみあって,
東西両軍に分れ,
応仁1 (1467) 年から文明9 (1477) 年までの
11年間にわたって京都を中心に
争われた大乱。
これを機に日本は将軍を敬う「公」の時代から、
下克上、弱肉強食、私利私欲がはびこる
「私」の時代=「戦国」時代に突入します。

この時代
農民・郷民(村人)が
「足軽」として徴用される「人事改革」

貨幣経済が発達し、
高利貸しが富を独占する「金融改革」

富める高利貸しなど富裕層は、ますます栄え
弱く貧しい農民は、ますます虐げられる「格差問題」

武士の間では将軍への忠誠という概念がなくなり
下克上、弱肉強食の時代となる「公から私の意識改革」

などが表面化し、日本の歴史の中で
大きな社会転換点となりました。

【公より私が強くなった現代は応仁の乱〜戦国時代と酷似】

現在、国内外でより際立ってきた
「実力主義、保護主義、保守主義」

「公よりも私の優先」「富の独占」「貧富格差」

同じ現象が、応仁の乱から

戦国時代にかけても生じていました。

世界的な生成AIによる
社会構造、産業構造の大変革、
権威主義による他国への侵略、恫喝が
行われている現代は
戦国時代の幕開けとなった

「応仁の乱」前後の時代の状況と同じです。

だからこそ、なぜ「応仁の乱」が起こったのか。
それで人々は社会はどうなったのか。
その時代の反省点は何か。
を検証することはとても大切です。

ではそもそもなぜ、「応仁の乱」は、
起きてしまったのでしょうか。
それはリーダーの資質に原因がありました。

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