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【8】 遺伝や生まれ持った性質・性格を強く信じる私。「だから、人は変われない」

私は小さな頃から「それは、遺伝よ」といった言葉を、母から頻繁に言われて育ちました。例えば、顔やスタイルの良し悪し、運動神経の良し悪し、学力、美的センス、性格に至るまで。名づけるなら、「遺伝教の信者」の家庭で育ちました。

なぜこんなことを書くのかと言うと、「性質も性格も、能力も、人は生まれながらにだいたい決まっている」と信じて生きている私だからこそ、この先の闘病生活は、より一層厳しく辛いものになってゆくからです。

さて、「遺伝教」の話に戻りましょう。

私は小学生のころから、体力・気力ともに平均以下であったと自覚していますが、それも「遺伝」。母は自身が仮死状態で生まれてきたことや、子供のころから朝が弱く、低血圧であったことなどを、子供の私にも説明していました。母自身も、カラダに自信がなかったのかもしれません。私に対し、「ぼろっちいカラダに生んでごめんね」と、冗談めかして言ってくることもしばしばありました。

なにげなく聞く、毎日のそんな言葉の数々。
何か致命的な発言などではありません。

しかし何度も言われるうちに、私は「ぼろっちいカラダ」の持ち主なんだと、知らぬ間に思い込んでいて、そのことにも気づかないのでした。

10歳のころ、私があまりにも朝起きられず、ぐったりとしていたため、心配した母が病院に連れてゆくと、医師から「自律神経失調症」と言われたことがありました。
診察内容は、「その場で20分、立っていてください」と言われ、その前後の血圧の差をはかるというものでした。私はその場に立たされ、20分を待っている間に、ものすごく気持ち悪くなってきてしまいました。すぐ隣のベッドで赤ちゃんが大声で泣き続けていたからでしょうか?
そうして血圧を測定すると、わずか20分で40も血圧が降下。
即「自律神経失調症」との診断がついてしまったわけです。

医者は「大人になるにつれて、だんだん良くなるよ」という見立てをたててくれましたが、「ぼろっちいカラダ」に加えて、なにやら難しい漢字の羅列「自律神経失調症」なるものに私は蝕まれているのだなあ……と、体に対して自信が持てなくなりました。

実際に、私はいつも疲れやすく、人よりも睡眠時間を多くとらなければ一日が持たず、朝も起きられず、顔色もいつも青白いと指摘され、明らかに周りと比べエネルギーが少ないように思いました。

持久走大会でも、ビリッケツ。
途中で棄権することはできずに、歩いてゴールしたら、学年全員に見守られ、拍手をしてもらうというみじめな一幕もありました。

大人になるにつれ、生理痛で悩まされることも増え、「なんでこんなに自分のカラダは言うことを聞いてくれないんだろう?」というもやもやとした状態が、私のデフォルトモードになりました。

こんなにボロッちいカラダも、「遺伝」なんだから仕方がない。
「遺伝」という言葉は、動かせない岩のように、圧倒的な存在感を持って私を支配していました。

「変われる」と信じていたなら、このカラダを、少しでも「いい感じ」にする努力をできたでしょう。

体質をはじめ、容姿、自分の学力や能力、センスも、「決まっているもの」という固定観念のまま暮らしてきましたから、何をしても「どうせムダ」ですから、変われるはずもない。

「人は変われる」なんて言葉は、私に言わせれば「きれいごと」でした。自分から一番遠い場所にある言葉ですし、変われる人は、最初から「そう」だったんでしょう? 私は、私として生きてきて、これまで何も変わらなかったし、これからも変わらない。

だって遺伝子が私を決めているんだから。
遺伝の力を舐めちゃいけない。そんな風に思って生きてきたのでした。


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