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脳みそジャーニー【17】 「おしり戦争」始まる

切れてしまったおしりは、一向に回復せず、医師に事情を伝え、もらったチューブ状の軟膏を朝晩塗っても、あまり効き目はありませんでした。
(※この先、おしりの記述があるので、読みたくない方は飛ばしてください)

毎日のトイレが、恐怖の時間となりました。

便を催したら、すぐにおしり周りにワセリンを塗り、スタンバイ。便座に腰掛けながら、前日に食べたものを思い浮かべます。なにか便が固くなるようなものを食べただろうか……水分も十分にとったろうか……今日はどうかどうか、スムーズに出てください……お願いします……。

悶絶しながら、便を出します(涙)

しかし一度ひどく切れてしまったおしりは、そう簡単に元には戻りません。毎度、派手に出血し、半泣きになりながらお尻を拭きました。


(やばい……これはもはや、ガンとの闘いではない……)


借りている賃貸マンションは、古くてウォシュレットがついておらず、トイレットペーパーを水道水で濡らして、おしりをチョンチョンとたたくという、客観的に見るともの悲しい行動を毎度続けました。

(イタタタ……)

軟膏によってわずかにくっつきかけた傷が「プチッ」と開くのがわかります。
(ギャーー!!)

右も左も後ろも切れている、入り口だけじゃない、中も痛い。
(このまま一生治らないのだろうか……)


どうにか「本日の苦行」を終え、手を洗い、リビングで仕事をしている夫のところへ近づいてゆくと、長時間トイレに入っていたことから、夫が状況を察してくれます。

「痛かったの?」
 夫が悲しそうな顔をしています。

「痛かった~」
夫の前で、いつも子供みたいになってしまう私でした。


私が悲しみ、私が泣き喚き、私がくよくよし続け、ネガティブなことを言い続けても、「痛かったの?」と言葉を掛けてくれる夫。
その夫の「スタンス」が、どれほど私の心をあたためてくれたことでしょう。

「泣いてばかりいないで」という母と、「泣いたっていいんだ」という夫。
「痛いんだったら病院に行っておいで」という母と、「痛かったの? 大丈夫?」という夫。

毎日の何気ない言葉の数々。
されど、天と地ほど違う「言葉」のシャワー。

私たちは、皆、誰かの言葉によって、救われたり、励まされたり、勇気づけられたりします。そして一方で、言葉によって傷つけられたり、怒りが湧いたり、絶望に追い込まれたりもします。

言葉は、その人そのもの。
そしてその言葉に伴う行動が、その人そのものです。

私たちは、言葉と行動以外で、その人を判断することはできません。
その人が何を言い、何を言わずにおいてくれたか。
その人が何をしたか、何をせずにいてくれたのか。

その人が、内心でどのように思い、考えていようとも、
この世界に、声にして発した言葉こそが現実であり、
それに伴う行動だけがその人です。

「相手に寄り添う」とは、本来どういうことなのか。
その手本を、夫が示し続けてくれるのでした。

痛くてしんどい時には、いつもよりも感性がより鋭敏になって、「その人の本質」のようなものが、イヤと言うほど透けて見えるのでした。


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