展覧会レポ:渋谷区立松濤美術館「杉本博司 本歌取り 東下り」
【約3,400文字、写真約40枚】
渋谷の松濤美術館で行われている「杉本博司 本歌取り 東下り」に行きました。その感想を書きます。
結論から言うと、
❶杉本博司の考えや「本歌取り」の理解が進んだ、❷色んなジャンルの作品があるため見応えあった、❸いつ行っても松濤美術館の建築は格好いい、❹鑑賞する側に立ったキュレーションの工夫がもう少しほしい。
▶︎訪問のきっかけ
今年、杉本博司の展覧会などに何度か足を運んだ際、彼の表現の幅の広さに驚きました。幅の広さゆえ、彼のメッセージや本質は何なのか理解しづらかったです。そのため、もう少し彼を理解したく、この展覧会に来ました。
▶︎「杉本博司 本歌取り 東下り」
そもそも「本歌取り」とは何なのか?
つまり「本歌取り」はオマージュだと理解しました。杉本博司はそれを「援用」と表現し、「日本文化の本質的な営み」と言います。その意味だと「本歌取り」は、森村泰昌、福田美蘭などにも通じるのでしょうか。
展覧会全体を通して、杉本博司のことが少し理解できた気がしました。キャプションにチラッと書いてあった言葉が私にとって重要でした。
上記の考えは、杉本博司の作品全てにつながると思いました。
私の中で杉本博司といえば「海景」シリーズ。これは「古代人が見ていた風景を現代人も見ることは可能なのか」という問いから生まれた作品だそうです。今までは何となく「幽玄な作品だなぁ」と感じていましたが、背景を理解すると、納得感がありました。
約8分の動画で、ローマで行われた文楽(操人形浄瑠璃の芝居)や、姫路城で行われた能楽(仮面をつけて演じる歌舞劇)が映されていました。
私が今、偶然にも読んでいた本の中に、
とありました。まさに「本歌取り」の考えをもつ杉本博司が、文楽や能楽を企画することはぴったりです。昔のままを継承しながら、一部を現代にアレンジすることに挑戦する杉本博司の性癖がよく分かりました。
展示室内に杉本博司が、自身の作品の解説を載せた『本歌取り』が置いてありました。作者自身の言葉は、学芸員やライターの方が書いた文章よりも心に響き、腑に落ちます。とても丁寧に長い文章が綴られているため、この本を隅から隅まで読めば、展覧会に行く以上に杉本博司のことが理解できると思いました。千住博のように、新書も多く執筆してくれると嬉しいです。
キャプションを読んだり、過去の作品を思い返しながら展示品を見ていると、杉本博司の本質のようなものが少し理解できた気がしました。
一方で、作品1つ1つから気付きはありましたが、展覧会全体を通して「何を伝えたいのか、何をもって帰ってほしいのか」が曖昧だと感じました。
「杉本博司はどういう考えをもっているのか?」「そもそも"本歌取り"とは何なのか?」キャプションの中にしれっと書くのではなく、展示室入り口や室内で、もっと分かりやすく端的に伝える工夫がが必要だと思いました。
私が行った日、偶然、渋谷区民は入館無料でした。そのためか、館内に人が多いことに驚きました。普段より親子や外国人の方が多かった気がします。
以下、そのほかに撮影した作品など。
▶︎まとめ
いかがだったでしょうか?杉本博司の「本歌取り」した作品を初めて見ることができました。今まで彼の考えを深く慮ったことはありませんでした。今回の展覧会で、その一端を理解することができました。また、作品のジャンルが多岐に渡るため、見応えもありました。なお、作品1つ1つは良かったものの、展覧会全体を通したメッセージをもっと端的に表現する工夫、観覧者に伝える工夫があった方が良いと思いました。
▶︎松濤美術館の風景
毎回、松濤美術館に来るたびに館内の写真をつい撮ってしまいます。美術館側が「建築ツアーイベント」を企画するほど、建築は人気があるようです。
▶︎今日の美術館飯
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