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黒船の軍楽隊 その7

 ペリーは下田そして那覇でもエチオピアン・コンサートを開催します。


下田での音楽会開催6月16日(嘉永7年5月21日)

 3月31日に締結した日米和親条約の細則を定めた「下田条約」が締結される前日の6月16日にポーハタン号船上で演奏会が開催されました。そのプログラムは、横浜そして箱館でのものと同様のミンストレルショー(1)です。

「1854年ペリー提督の日本使節団絵巻物」よりミンストレル・ショーの様子 (図1)

 わずかな時間であろうミンストレル・ショーの様子がとても的確に日本の絵師によって描かれているのは、ペリー艦隊が持ち込んだ出版物の図版も参考にした可能性もあるのではないかと推測して、プログラムに含まれる曲の楽譜の表紙絵のいくつか(図2)を集めました。

様々な楽譜に描かれたミンストレル・ショーの様子(図2)

下田公演プログラム

第1部    「北部の黒人紳士風に」

 大序曲(GRAND OVERTURE.) 不詳

1.さあ始めよう、黒人さん(COMMENCE YE DARKIES ALL) (2)
   W.D.コリスター(W.D.Corrister)作曲
2.おぉ、友よ私を連れてって(OH, BOYS CARRY ME LONG) (3) 
  S.フォスター(S.Foster)作曲
3.スージー ・ブラウン(SUSEY BROWN)
  不詳
4.陽気に行こう(Let's be gay)  (4) 
  H.ラッセル(Henry Russell)作曲
5.親愛なるメイ(DEAREST MAE) (5)
  J.パワー(James Power)作曲
6.アンジェリナ・ベーカー(ANGELINA BAKER) (6)
  S.フォスター(S.Foster)作曲 

第2部 「南部の農園黒人風に」

 大序曲(GRAND OVERTURE.) 不詳
1.調理場の火のそばで(LIFE BY DE GALLEY FIRE) (7)
   C.ジョスリン(C.Josslin)作曲
2.ネリーはレディです(NELLY WAS LADY) (8)  
   S.フォスター (S.Foster)作曲
3.草競馬(CAMPTOWN RACES) (9) 
  S.フォスター (S.Foster)作曲
4.朝です起きましょう(GET UP IN DE MORNIN) (10)
   不詳  
5.ジンジャー・ブルー(GINGER BLUE) (11)
  R.W. ペルハム氏 / フリートウッド リス(R.W.Pelham/Fleetwood lith) 作曲
6.  読み取れず(JERSKY SUE ?)
   不詳

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ソロ・ヴァイオリン 演奏 C.マクルーイ
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ブルワーの有名な風刺劇『リヨンの淑女』のパロディーを3人の役者がバンド音楽伴奏付きで上演

下田公演プログラム(図3)

 なお、伊豆下田100景 第15話「ほらっ、軍楽隊が行くよ」によると、下田では「ヘイル・コロンビア」(12)「星条旗」(13)「ホーム・スイート・ホーム」(14)「ベン・ボルト」(15) が演奏されたとあります。

那覇での音楽会開催7月14日(嘉永7年6月9日)

「下田条約」の締結(6月17日)後に琉球へ渡航したペリーは、那覇でも音楽会を開催しました。

 この音楽会のプログラムではこれまでの公演と異なりマネージャーがW.J.ダブニー(W.J.Dabney)からR.バークス(R.Burks)に交代し、これまで音楽監督として記されていたC.マクルーイ(C.McLewee)の名が無く、音楽監督を務める人物名も記されていません。また、これまで必ず出演していたW.J.ダブニー氏の歌とC.マクルーイ氏のヴァイオリン演奏も、風刺劇『リヨンの淑女』のパロディー上演もありません。新たなプログラムは、幕間のダンス・バンジョー演奏などと、演奏会締めくくりの理髪店の寸劇です。

那覇公演プログラム

第1部「北部の黒人風に」

オープニング・コーラス「マニラ・ポルカ」(MANILLA POLKA) (16)
  バンド伴奏

1.ファンシー・ボール(FANCY BALL)  (17)
  不詳
2.バージニア・ローズ・バッド(VIRGINIA ROSE BUD)  (18)  
  F.H/カバナゥ(F.H.Kavanaugh)作曲
3.ニューヨーク・ガールズ(NEW YORKE GALS)  (19)
  不詳
4.ネリーはレディです(NELLY WAS A LADY) (8)
  S.フォスター (S.Foster)作曲
5.今夜はちょっとダンスをしましょう(WE’LL HAB A LITTLE DANCE TO-NIGHT) (20)  
  不詳

幕間

ダンス(Trial Dance)
バンジョー・ソロ 
バージニア・ブレイクダウン(VIRGINIA BREAKDOWN) (21) 内容不明

第2部 「農園の黒人風に」 

ポルカ・リドワ(POLKA REDOWA)  (22)  バンド演奏

1. ホイッパーウィルの声(VOICE OF THE WHIPPOORWILL) (23)
    不詳
2. オハイオの岸辺で(BANKS OF OHIO) (24)
    不詳
3. ケイティ・ディーン(KATY DEAN) (25)
    不詳
4. リンダ・ラブ(LINDA LUB)
   不詳
5. ドリー・ディ(DOLLY DAY) (26)
   S.フォスター (S.Foster)作曲
6. ウォーク・ジョーボーン(WALK JAW BONE) (27) バンド伴奏
  不詳

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理髪店の寸劇(Barlesque Scene of A New In a Burber’s Shop)
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那覇公演プログラム(図4)

マシュー・ペリー提督の黒船行程

1852年
11月24日 アメリカ東海岸ノーフォークを出航
12月12日 マディラ諸島に到着

1853年
1月10日 セントヘレナ島に到着
   1月24日 喜望峰のケープタウンに到着
   2月18日 モーリシャス島に到着
   3月10日 ポイント・デ・ガルに到着
   3月25日 シンガポールに到着
   4月 7 日 香港に到着
   5月17日 上海に到着
   5月23日 上海を出航
   5月26日(咸豊3年4月19日)サスケハナ号など5隻の艦隊が琉球王国那覇沖に投錨
   5月28日(咸豊3年4月21日)総理官摩文仁按司尚大模と面会
   5月30日(咸豊3年4月23日)沖縄島を6日間かけての調査開始(173km踏破)
   6月 6日(咸豊3年4月30日)首里城に入城しフィルモア大統領からの文書を手渡
   6月 8日(咸豊3年5月 2日)琉球国王などへ品物贈呈
   6月 9日(咸豊3年5月 3日)ミシシッピー号を停泊させたままで小笠原諸島を探検
   6月18日(咸豊3年5月12日)那覇帰港
   7月 2日(咸豊3年5月26日)サプライ号を停泊させたままで琉球出港し浦賀に向う
   7月 8日(嘉永6年6月3日)浦賀沖投錨 浦賀奉行所から与力 中島三郎助が派遣され乗船
   7月 9日(嘉永6年6月4日)武装短艇による浦賀湊内の測量
   7月11日(嘉永6年6月6日)江戸湾内に20キロほど侵入し測量実施
   7月12日(嘉永6年6月7日)幕府がフィルモア大統領からの文書を受け取ることを決定
   7月14日(嘉永6年6月9日)ペリー提督が久里浜に上陸し、浦賀奉行 戸田氏栄・井戸弘道と会見
   7月15日(嘉永6年6月10日)ミシシッピ号が浦賀沖から江戸湾奥まで北上し幕府を威嚇
   7月17日(嘉永6年6月12日)黒船は小芝沖(現在の横浜市金沢区柴町海岸沖)から出航、
   7月25日(咸豊3年6月20日)浦賀から那覇港に帰港 
   8月 1日(咸豊3年6月27日)那覇港から香港に向け出港 

1854年
   2月 7日(嘉永4年1月14日)ペリーは琉球那覇港から浦賀に向け出港
   2月13日(嘉永7年1月16日)浦賀沖に到着し交渉場所の折衝を日本側と開始
   2月27日(嘉永7年1月30日)日本側が当初設定していた浦賀の館浦からアメリカの要求で交渉の場を横浜に決定
   3月 6日(嘉永7年2月 8日)横浜応接所が完成
   3月 8日 (嘉永七年2月10日) ペリー提督横浜上陸し交渉開始
   3月 9日 (嘉永7年2月11日)海兵隊員の埋葬式
   3月27日(嘉永7年2月29日)旗艦ポータハン号を会場にエチオピアン・コンサート開催
   3月31日(嘉永7年3月3日)日米和親条約が締結
   4月4日(嘉永7年3月7日)条約文書を携えてに「サラトガ号」がアメリカハワイ諸島に向け出航
   4月18日(嘉永7年3月21日)に下田に移動し、港内の測量、上陸行動の自由・陸上宿所(了仙寺)の設定・通貨価格の協定等を行う
   5月13日(嘉永7年4月17日)には運送船1隻を下田港に残し、函館に向け出港し
   5月17日(嘉永7年4月21日)に箱館に到着し松前藩と交渉
   5月26日(嘉永7年4月30日)船員の埋葬式
   5月28日(嘉永7年5月2日) 船員の埋葬式
   6月3日(嘉永7年5月8日)箱館を出港
   5月29日(嘉永7年5月3日)箱館エチオピアン・コンサート開催
   6月8日(嘉永七年5月10日)下田港に上陸
   6月16日 (嘉永7年5月21日)ポーハタン号船上で下田エチオピアン・コンサート開催
   6月17日(嘉永7年5月22日)下田追加条約(日本国米利堅合衆国和親条約附録)発効
   6月25日(嘉永7年6月1日)下田を出発
   7月 1日(咸豊4年6月 7日)那覇到着 
   7月11日(咸豊4年6月17日)琉米修好条約締結
   7月14日(咸豊4年6月20日)那覇エチオピアン・コンサート開催
   7月17日(咸豊4年6月23日)那覇出発
   7月20日中国寧波到着
   7月23日 香港到着
   9月11日 ペリー任務終了により提督辞任 イギリス定期船を乗り継いで帰国
   9月12日 ミシシッピは香港を出港、下田に寄港後に太平洋を横断、南米のホーン岬を回ってニューヨークへの帰港の途につく
   11月20日 ペーリーは、イギリス定期船を乗り継いでオランダのハーグに到着 オランダ滞在
        イギリス滞在を経て

1855年
   1月12日 ペリーはニューヨークに到着
   4月23日ミシシッピ号はニューヨークに帰港


脚注

(1) ミンストレル・ショー(minstrel show)は顔を黒く塗った白人によって演じられた踊りや音楽、寸劇などを交えるアメリカ合衆国で1830年代に始まる演芸
(2) さあ始めよう、黒人さん(COMMENCE YE DARKIES ALL)
(3) おぉ、友よ私を連れてって(OH, BOYS CARRY ME LONG)
(4) 陽気に行こう(Let's be gay) 
(5) 親愛なるメイ(DEAREST MAE)
(6) アンジェリナ・ベーカー(ANGELINA BAKER)
(7) 調理場の火のそばで(LIFE BY DE GALLEY FIRE)
(8) ネリーはレディです(NELLY WAS LADY)
(9) 草競馬(CAMPTOWN RACES)
(10) 朝です起きましょう(GET UP IN DE MORNIN)
(11) ジンジャー・ブルー(GINGER BLUE)
(12) ヘイル・コロンビア(コロンビア万歳) Hail, Columbia
(13) 星条旗 The Star-Spangled Banner
(14) ホーム・スイート・ホーム(埴生の宿/楽しき我が家)
(15) ベン・ボルト(Ben Bolt by R. Sinclair)
(16) 1830年代初頭にチェコのボヘミア地方で始まったとされるポルカは、多くの地域にも広がり、1844 年にポルカが伝来した米国で、19 世紀後半まで非常に人気がありました。
(17) 可能性のあると思われる曲「De color'd fancy ball」 
(18) バージニア・ローズ・バッド(VIRGINIA ROSE BUD)
(19) ニューヨーク・ガールズ(NEW YORKE GALS)
(20) P14に歌詞のみ掲載
(21) バンジョー演奏「OLD VIRGINIA BREAKDOWN」
(22) ポルカ・リドワ(POLKA REDOWA) 
(23) ホイッパーウィルはアメリカ産ヨタカ鳥 ホイッパーウィルの歌(SONG OF THE WHIPPOORWILL)
(24) オハイオの岸辺で(BANKS OF OHIO) 
(25) ケイティ・ディーン(KATY DEAN)
(26) ドリー・ディ(DOLLY DAY)
(27) ウォーク・ジョーボーン(WALK JAW BONE)演奏  


(図1) 絵師 日畑翁輔「船中黒坊踊ノ図」 大英博物館 蔵
(図2) 様々な楽譜に描かれたミンストレル・ショーのイラスト
(図3) 下田公演 
(図4) 那覇公演 


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「ザ・ファー・イーストはジョン・レディー・ブラックが明治3年(1870)5月に横浜で創刊した英字新聞です。
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writer HIRAIDE HISASHI

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