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黒船の軍楽隊 その4

 日米和親条約の締結が近づいた1854年3月27日に旗艦ポータハン号を会場にエチオピアン・コンサートが開催されました。


歓迎夕食会の開催3月27日(嘉永7年2月29日)

 ペリー提督が横浜に上陸してから19日後の3月27日(月)にポーハタン号では、日本側交渉人とその随行員を招待した夕食会が開催されました。後甲板は多種多様な旗で飾られ、フランス人シェフの手による料理や各種アルコール、そして船員による余興(1)や軍楽隊の演奏で持て成されました。

ポーハタン号甲板での日本交渉委員歓迎夕食会 (図1)

 ヴィルヘルム・ハイネ作の石版画には、左上奥に描かれた15人編成ほどの軍楽隊を確認することができます。

軍楽隊演奏拡大(図1-2)

歓迎夕食会のプログラム

 1954年の日本再訪に際し、艦隊には香港で印刷機が積み込まれ(a)調査した日本や沖縄の港や海岸の航路を記した公式報告書を配布する。(b)フィルモア大統領の天皇宛書簡や沖縄との条約などの公文書のコピーを戦隊全体に配布する。(c)船上で上演する公演のチラシを印刷する。という目的で「日本遠征出版(Japan Expedition Press.)」の名称で印刷業務を行いました。
 この歓迎夕食会のプログラム(図2)が残っていて、当日のプログラムを確認することでできます。

第1部 「北部の黒人紳士風に」

 大序曲(GRAND OVERTURE.) 不詳
1.  ピカユーン・バトラー(PICAYUNE BUTLER COM TO TOWN) (図3)
    P.バトラー作曲
2.  お嬢さん、結婚しませんか(LADIES WON’T YOU MARRY) (図4) 
    作曲者不詳
3.  サリー・ウィーバー(SALLY WEAVER) (図5)
 正しい曲名は「SALLY STEELE AND JENNY WEAVER」
4.  アンクル・ネッド(UNCLE NED) (図6) 
    S.フォスター作曲
5.  サリーは最高(SALLY IS DE GAL FOR ME) (図7)
  不詳
6.  オー・ミスター・クーン(OH! Mr.COON) 
    クリスティーズ・ミンストレルズ作曲

第2部 「南部の農園黒人風に」

 大序曲(GRAND OVERTURE.) 不詳 
1.  オールド・ター・リバー (OLD TAR RIVER)(図8)
   不詳
2.  主人は冷たい土地の中に(MASSA’S IN DE COLD! COKD GROUND)(図9) 
   S.フォスター作曲
3. オールド・グレイ・グース(OLD GREY GOOSE) (図10)
   不詳
4. サリーおばさん (OLD AUNT SALLY)(図11)
   不詳
5. キャナルボーイズ(CANAL BOYS) ( 図12)
   正しい曲名は「DE CANAL BOAT NIGGER’ SONG」
6. バージニア ローズ バッド(VIRGINIA ROSE BUD) (図13)
   チャールズ・グローブ作曲

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ソロ・ヴァイオリン 演奏 C.マクルーイ (3)
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 最後にブルワーの有名な風刺劇『リヨンの淑女』のパロディーを3人の役者がバンド音楽伴奏付きで上演

*「サリー・ウィーバー(SALLY WEAVER)」と「キャナルボーイズ(CANAL BOYS)」については、「バンジョー奏者・黒船音楽探索者 原さとし氏」の調査で正しいと思われる曲名が明らかになりました。

3月27日歓迎夕食会プログラム (図2)

演奏曲の楽譜

1部-1 PICAYUNE BUTLER (図3)
1部--2 LADIES WON’T YOU MARRY (図4)
1部--3 SALLY WEAVER (図5)
1部--4 UNCLE NED (図6)
1部--7 SALLY IS DE GAL FOR ME (図7)
2部--1 OLD TAR RIVER (図8)
2部--2 Massa's In the Cold Ground (図9)
2部--3 OLD GREY GOOSE (図10)
2部--4 OLD AUNT SALLY (図11)
2部--5 CANAL BOYS(図12)
2部--6 VIRGINIA ROSE BUD(図13)

 なお、少なくても横浜・箱館・下田・琉球・香港の5ヶ所で同様のエチオピアン・コンサートが開催されました。(2)

日米和親条約の締結

 3月31日に日米和親条約が締結し下田・箱館の2港を開きアメリカ船に燃料・食糧を供給することやアメリカの難破船や乗組員を救助することなどが定められました。

1854年3月31日(嘉永7年3月3日)

 ペリー日本遠征随行記(S.ウィリアムズ17)著P.158)によると締結した条約文書を携えて4月4日に「サラトガ号」が出航する時に「ミシシッピ号」の軍楽隊が「埴生の宿(Home, Sweet Home)」を演奏しました。

 その後、4月18日(嘉永7年3月21日)に下田に移動し、港内の測量、上陸行動の自由・陸上宿所(了仙寺)の設定・通貨価格の協定等を行いました。5月13日(嘉永7年4月17日)には運送船1隻を下田港に残し、函館に向け出港し、4日間かけ5月17日(嘉永7年4月21日)に箱館に到着しました。


【脚注】


(1)「アメリカ艦隊の中国海域および日本遠征記」(Narrative of the expedition of an American squadron to the China Seas and Japan)P.374–P376によると「水兵たちは顔を黒く塗り、衣装を身にまとって、ニューヨークのクリスティ2)でも拍手喝采を浴びるようなユーモラスな演技を披露した。」
(2) クリスティ(Christy's Minstrels)は、エドウィン・ピアース・クリスティ(Edwin Pearce Christy)により1843年に結成された黒塗りのグループが演ずるショーで、1846年にニューヨークで初演した人気の公演
(3) C.マクルーイ(Charles McLewee)はこの演奏会の音楽監督 ヴァイオリンの専門家ではなくフィドルで民族音楽を演奏していたと推察


(図1)  W.ハイネ作の手彩色石版画
(図1-2) ドラム奏者がおそらく2名いて、金管楽器奏者も10人以上いるようです。
(図2) 横浜歓迎夕食会プログラム 
(図3) ピカユーン・バトラーは、フランス出身の黒人歌手兼バンジョー奏者 ミンストレル・ソング
(図4)  ミンストレル・ショー(顔を黒く塗った白人によって演じられた、踊りや音楽、寸劇などのショーの音楽 ミンストレル・ソングの一つ 
(図5) The Ethiopian Glee Book: A Collection of Popular Negro Melodies P.34
(図6) フォスターの初期の作品(1848)ミンストレル・ソング
(図7) ミンストレル・ソング
(図8) ミンストレル・ソング
(図9) フォスターの作品(1852)黒人霊歌風プランテーション・ソングの一つ ミンストレル・ソング
(図10) ミンストレル・ソング 
(図11)  ミンストレル・ソング 
(図12) The Ethiopian glee book P.148
(図13)  ミンストレル・ソング 


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ファーイーストの記事

「ザ・ファー・イーストはジョン・レディー・ブラックが明治3年(1870)5月に横浜で創刊した英字新聞です。
 この新聞にはイギリス軍人フェントンが薩摩藩軍楽伝習生に吹奏楽を訓練することに関する記事が少なくても3回(4記事)掲載されました。日本吹奏楽事始めとされる内容で、必ずや満足いただける読み物になっていると確信いたしております。

 是非、お読みください。

「ザ・ファー・イースト」を読む その1   鐘楼そして薩摩バンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2  鐘楼 (しょうろう)
「ザ・ファー・イースト」を読む その2   薩摩バンドの初演奏
「ザ・ファー・イースト」を読む その3   山手公園の野外ステージ
「ザ・ファー・イースト」を読む その4   ファイフとその価格
「ザ・ファー・イースト」を読む その5   和暦と西暦、演奏曲
「ザ・ファー・イースト」を読む その6   バンドスタンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その7   バンドスタンド2 、横浜地図

SATSUMA’S BAND 薩摩藩軍楽伝習生


writer HIRAIDE HISASHI


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