見出し画像

黒船の軍楽隊 その19

 1853年7月8日(嘉永六年六月三日)にペリー艦隊は浦賀沖に来航投錨し、7月14日(嘉永六年六月九日)に久里浜に上陸しました。ペリーはアメリカ合衆国第13代大統領フィルモアの開国を促す親書を浦賀奉行に受け渡し、その回答を1年後に求めることを通告しました。


黒船絵巻 - 4

 ペリーの久里浜での軍事訓練の様子が函館図書館所蔵の「夷人調練等之図いじん ちょうれん とう のず」に描かれています。

亜米利加人調練之図及亜米利加兵並艦之図

亜米利加人調練之図及亜米利加兵並艦之図 (図1)

 函館図書館の解説によると、西村正信(1)の筆で「谷文一が上陸図と兵士等の人物画、浦賀与力細淵某が帆船と蒸気船画を描いた。」と図の右端の序文に記されているとのことです。

 谷 文一たに ぶんいち(つ)は一世(1786-1818)と二世(1814-1877)がいて江戸時代後期の日本の画家です。この絵巻は1853年の出来事を描いたものなので二世 谷文一の作です。ちなみに万延元年遣米使節団まんえん がんねん けんべい しせつだん(2)に二世 谷文一は随行しました。

調練之図 (図1-2)

 行列の先頭に應接与力おうせつよりき次に将校(ヲフシイールofficial)、楽隊、兵士(ソルタートsoldier) 、将校、提督、書翰しょかん(3)、将校、兵士、楽隊と続き、そして14艘のボート(ハツテーラbateira/baterira)からの上陸後に整列する将校と兵士が描かれています。

亜米利加兵之図 (図1-3)

 主に服装の解説が記されていて、右から、服が白色でパンツが紺色の兵士(ソルタートsoldier)が60人1組で3組180人 、服が紺色でパンツが白色の銃を持つ将校がおよそ60人、服が緋色でパンツが白の楽隊員、剣を持つ将校4人(キイデン)12人(ロイテフントヲフシイル)、上官(オツフルベセフルヘフホル/マツテ・ヒイ(4))将官(ヘフェルべワフル/ブカナン(5))副将(セスファンテンアトラールスタフ/アータムス(6))

艦之図(図1-4)

 解説文は右から、軍艦ユルヘツト(Full set 全装か)乗員200人余(サラトガSaratogaかプリマスPlymouth)軍艦乗員150余、蒸気船ストームシキツウ乗員300人余(サスケハナ Susquehanna) 副将乗舶蒸気船(ミシシッピ Mississippi)

上陸行列図に描かれた軍楽隊

調練之図(図1-2)の楽隊部分拡大 (図2)

 右図には7人(管楽器3シンバル1、小太鼓2、大太鼓1)、左図には8人(管楽器6、小太鼓1)、合わせて15人の軍楽隊が描かれています。

亜米利加兵之図に描かれた軍楽隊

亜米利加兵之図 (図1-3)の楽員部分拡大 (図3)

 7種の楽器名と人数そして服装が記されています。右の奏者は小太鼓奏者、左は曲リ笛(ビューグル)奏者かと思われます。小太鼓の持ち方に関しては伝言ゲームの誤りが描かれていると思われます。

 大太皷    一人 服緋股引白
 小太皷    五人 同
 横笛やうの笛 三人 同      (ファイフ)
 堅笛     二人 同      (リコーダーか)
  但長サ五寸程度         (15cmほど)
 曲リ笛    二人 同      (ビューグルか)
 チャルメル  二人 同      (オーボエかクラリネット)
 にょう       二人 同   (ドラ/シンバル)

 合わせて17名の楽器奏者がいたとされています。この奏者数は行列に描かれた15名よりも2名多い数です。


脚注

(1) 西村正信(にしむら まさのぶ)経歴など不明
(2) 万延遣米使節団は、江戸幕府が日米修好通商条約の批准書交換のために1860年に派遣した77名から成る使節団
(3) 書翰しょかんは、第13代大統領フィルモアの開国を促す親書
(4)ペリー(Matthew Calbraith Perry 1794-1858)
(5)ブキャナン(Franklin Buchanan 1800-1874)
(6)アダムス(Henry A. Adams 1800-1869)


(図1) 絵巻の全体で右端に西村正信の筆による序文が記されている
(図2) 楽隊は中頃と終頃の2グループに分かれて行進している
(図3) 谷文一が参考にした図版は不明です


他の黒船の軍楽隊シリーズ

黒船の軍楽隊 その0ゼロ 黒船の軍楽隊から薩摩バンドへ 

黒船の軍楽隊 その1 黒船とペリー来航
黒船の軍楽隊 その2 琉球王国訪問が先
黒船の軍楽隊 その3 半年前倒しで来航
黒船の軍楽隊 その4 歓迎夕食会の開催
黒船の軍楽隊 その5 オラトリオ「サウル」HWV 53 箱館での演奏会
黒船の軍楽隊 その6 下田上陸
黒船の軍楽隊 その7 下田そして那覇での音楽会開催
黒船の軍楽隊 その8  黒船絵巻 - 1
黒船の軍楽隊 その9  黒船絵巻 - 2
黒船の軍楽隊 その10 黒船絵巻 - 3
黒船の軍楽隊 その11 ペリー以外の記録 – 1 (阿蘭陀) 
黒船の軍楽隊 その12 ペリー以外の記録 – 2 (阿蘭陀の2) 
黒船の軍楽隊 その13 ペリー以外の記録 – 3 (魯西亜) 
黒船の軍楽隊 その14 ペリー以外の記録 – 4 (魯西亜の2) 
黒船の軍楽隊 その15 ペリー以外の記録 – 5 (魯西亜の3) 
黒船の軍楽隊 その16  ペリー以外の記録 – 6 (魯西亜の4)
黒船の軍楽隊      番外編 1 ロシアンホルンオーケストラ
黒船の軍楽隊      番外編 2 ヘ ン デ ル の 葬 送 行 進 曲
黒船の軍楽隊 その17  ペリー以外の記録  -7 (英吉利)
黒船の軍楽隊 その18  ペリー以外の記録  -8 (仏蘭西)
黒船の軍楽隊     番外編 3 ドラムスティック
黒船の軍楽隊 その19 黒船絵巻 - 4 夷人調練等之図


ファーイーストの記事

「ザ・ファー・イーストはジョン・レディー・ブラックが明治3年(1870)5月に横浜で創刊した英字新聞です。
 この新聞にはイギリス軍人フェントンが薩摩藩軍楽伝習生に吹奏楽を訓練することに関する記事が少なくても3回(4記事)掲載されました。日本吹奏楽事始めとされる内容で、必ずや満足いただける読み物になっていると確信いたしております。

 是非、お読みください。

「ザ・ファー・イースト」を読む その1   鐘楼そして薩摩バンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2  鐘楼 (しょうろう)
「ザ・ファー・イースト」を読む その2   薩摩バンドの初演奏
「ザ・ファー・イースト」を読む その3   山手公園の野外ステージ
「ザ・ファー・イースト」を読む その4   ファイフとその価格
「ザ・ファー・イースト」を読む その5   和暦と西暦、演奏曲
「ザ・ファー・イースト」を読む その6   バンドスタンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その7   バンドスタンド2 、横浜地図

SATSUMA’S BAND 薩摩藩軍楽伝習生


writer HIRAIDE HISASHI

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?