見出し画像

黒船の軍楽隊 その16

 18世紀後半の産業革命による工業の飛躍的な発展は、金管楽器の大量生産にもつながりました。木管楽器のような有鍵や有穴の金管楽器も、19世紀初頭の金管楽器用ヴァルブの開発によりアンサンブル旋律楽器として活用場面が広がりました。


ペリー以外の記録 – 6 (魯西亜 の4)

 来航したロシアの軍楽隊は金管楽器と打楽器を主として編成されていました。そこで使用されている金管楽器は、チェルベニー製の可能性が高いのではないかと推測します。それは、А. レヴァーシキン(А.Левашкин)氏の「ロシアのチューバ、その歴史と写真」を読んだからです。そこで、その第4ページを迷訳してみました。


ロシアのチューバ、その歴史と写真

 V. F.チェルヴェニー(1)は(息子のヤロスラフと同様に)金管楽器ビジネスにおける革新者でした。彼は多くの新しい楽器やその改良、そして楽器機構を発明しました。チェルヴェニーは真鍮からさまざまな大きさや形の円錐形のパイプを制作し金管楽器を製造し、楽器機構を絶えず改良しました。「音可変機構(図1)は、チェルヴェニーの才能の頂点である。1846年、彼はこの発明の特許を取得し、自分の楽器に応用し始めた。」とシャフガイテル(2)は書いています。このメカニズムによって、全体的に調が変化する楽器、つまりダブル、トリプルなどの楽器を作ることが可能になりました。フラデツ・クラーロヴェー(3)で製造された楽器の種類と構造については、1845年のカタログ(図2)から、ある程度の見当をつけることができます。チェルヴェニー社の支店は、後にキエフとニューヨークに設立されました。 

 1845年、チェルヴェニーはC管のコントラバス・チューバを開発し、たちまちオーケストラで活躍する楽器の一つとなりました。ドイツのいくつかの歌劇場では、2人のテューバ奏者を置くのが慣例となり、1人はC管で低音パート、もう1人はF管で高音パートを演奏しました。

(図2)

 ヘリコン(4)(図3)は1845年頃にロシアで発明され、その4年後にウィーン出身のイグナーツ・ストヴァッサー(5)によって、主に行進や騎兵連隊楽団のために製作されたと考えられています。楽器製作者の中の「クリビン(6)」のような発明家が、ロシアンホルン・オーケストラ(7)で使われるまっすぐなホルンを「牡羊の角」のようにリング状や渦巻き状に曲げて、行軍中や馬上での持ち運びを容易にしようと考えたのではないでしょうか。

(図4)

 オデッサ(8)には管楽器工場があり、テューバやバス・ヘラクレソフォン(ヘリコンの一種)などを生産していました。この工場の創設者でありオーナーであったI. I. シェディブ(9)は、1896年に、多くの写真、図、表、図面が掲載された「金管楽器の製造と注文に関するガイドライン」を発行しました。彼が表紙に記しているように、「これは管楽器が誕生して以来、およそ150年ぶりのマニュアルです。」

ヘリコン (図3)


チェルヴェニーの「音可変機構」1846年

チェルヴェニーの「音可変機構」1846年  (図1)

チェルヴェニー金管楽器カタログ楽器形状


 チェルヴェニーの金管楽器カタログに示された楽器の形状がプチャーチンの軍楽隊に描かれている楽器に似ているようにも見えます。

(図2-1)
図(2-2)
図 (2-3)
(図4-1)

脚注

(1) V. F.チェルヴェニー(Vaclav Francisek Cerveny 1819–1896)は、1842年創業の楽器メーカーの創業者 金管楽器製造・開発で有名
(2)シャフガイテル(Шафгайтель) 不詳
(3) フラデツ・クラーロヴェーは、チェコ、フラデツ・クラロヴェー州の都市でチェルヴェニーの管楽器工場が1842 年に設立された
(4) ヘリコンは、パレードに使うことができるように作られた肩に乗せる低音金管楽器。この楽器が改良されてスーザフォンとなった。
(5) イグナス・ストウァッサー(Игнажем Штовассером)
(6) イワン・ペトロヴィチ・クリビン(Ива́н Петро́вич Кули́бин 1735-1818)は、ロシアの著名な機械発明家
(7)ホルン・オーケストラは、狩猟用の角笛 で音楽を演奏するロシアの音楽グループ
(8) オデッサ(Одессе)はウクライナの首都キーウから約443km南に位置する黒海に面した港湾都市
(9) シェディブ・ジョセフ・イオシフォビッチ(Шедив Иосиф Иосифович) 不詳


(図1) 楽器全体の調を変えるシステム
(図2) チェルヴェニー1845年カタログ
(図3) 「ロシアのチューバ、その歴史と写真」第4ページに記されているヘリコン
(図4) チェルヴェニー1859年カタログ


他の黒船の軍楽隊シリーズ

黒船の軍楽隊 その0ゼロ 黒船の軍楽隊から薩摩バンドへ 

黒船の軍楽隊 その1 黒船とペリー来航
黒船の軍楽隊 その2 琉球王国訪問が先
黒船の軍楽隊 その3 半年前倒しで来航
黒船の軍楽隊 その4 歓迎夕食会の開催
黒船の軍楽隊 その5 オラトリオ「サウル」HWV 53 箱館での演奏会
黒船の軍楽隊 その6 下田上陸
黒船の軍楽隊 その7 下田そして那覇での音楽会開催
黒船の軍楽隊 その8  黒船絵巻 - 1
黒船の軍楽隊 その9  黒船絵巻 - 2
黒船の軍楽隊 その10 黒船絵巻 - 3
黒船の軍楽隊 その11 ペリー以外の記録 – 1 (阿蘭陀) 
黒船の軍楽隊 その12 ペリー以外の記録 – 2 (阿蘭陀の2) 
黒船の軍楽隊 その13 ペリー以外の記録 – 3 (魯西亜) 
黒船の軍楽隊 その14 ペリー以外の記録 – 4 (魯西亜の2) 
黒船の軍楽隊 その15 ペリー以外の記録 – 5 (魯西亜の3) 
黒船の軍楽隊 その16  ペリー以外の記録 – 6 (魯西亜の4)
黒船の軍楽隊      番外編 1 ロシアンホルンオーケストラ
黒船の軍楽隊      番外編 2 ヘ ン デ ル の 葬 送 行 進 曲
黒船の軍楽隊 その17  ペリー以外の記録  -7 (英吉利)
黒船の軍楽隊 その18  ペリー以外の記録  -8 (仏蘭西)
黒船の軍楽隊     番外編 3 ドラムスティック
黒船の軍楽隊 その19 黒船絵巻 - 4 夷人調練等之図


ファーイーストの記事

「ザ・ファー・イーストはジョン・レディー・ブラックが明治3年(1870)5月に横浜で創刊した英字新聞です。
 この新聞にはイギリス軍人フェントンが薩摩藩軍楽伝習生に吹奏楽を訓練することに関する記事が少なくても3回(4記事)掲載されました。日本吹奏楽事始めとされる内容で、必ずや満足いただける読み物になっていると確信いたしております。

 是非、お読みください。

「ザ・ファー・イースト」を読む その1   鐘楼そして薩摩バンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2  鐘楼 (しょうろう)
「ザ・ファー・イースト」を読む その2   薩摩バンドの初演奏
「ザ・ファー・イースト」を読む その3   山手公園の野外ステージ
「ザ・ファー・イースト」を読む その4   ファイフとその価格
「ザ・ファー・イースト」を読む その5   和暦と西暦、演奏曲
「ザ・ファー・イースト」を読む その6   バンドスタンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その7   バンドスタンド2 、横浜地図

SATSUMA’S BAND 薩摩藩軍楽伝習生

2024.04.5 HIRAIDE HISASHI

ここから先は

0字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?