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「ザ・ファー・イースト」を読む その2


第1巻8号 1870年9月16日(明治3年8月21日)


山手公園での薩摩バンドの最初の演奏(9月7日 : 明治3年8月12日)

《筆者Hiraideのあやしい翻訳》
 1870年9月7日に山手公園*1の野外ステージ*2で夜会が開催され大英帝国第10連隊軍楽隊が出演しました。
       (中略)
 その夜の大きな関心は、「ザ・ファー・イースト」紙のコラムや写真で紹介していた薩摩バンドの出演です。わずか8週間前には10連隊軍楽隊長のフェントン氏が太鼓や笛、ラッパを指導していて、ロンドンのディスティン社からの最高級軍楽隊用楽器が届くのを毎日待っているという話でした。これらの楽器は7月31日(明治3年7月4日)にチーフテン号で横浜に到着しました。
 読者は9 月 7 日に庭園で薩摩バンドが演奏したことを知った時、薩摩の若者たちとフェントンの勤勉さを実感しました。最初は少しもたつきましたが結局素晴らしい演奏でした。彼らへの拍手は盛大で本物でした。これは日本人が外国の楽器で演奏した最初でしたがおそらくすぐに他の日本バンドが続くことになるでしょう。
       (以下略)


「ザ・ファー・イースト」紙には薩摩藩軍楽伝習生に関する記事が少なくても3回(4記事)掲載されました。

 ・1870年7月16日 第1巻4号 「鐘楼」「薩摩バンド」
 ・1870年9月16日 第1巻8号 「山手公園での最初の演奏」
 ・1871年7月 1日 第2巻3号 「山手公園の野外ステージ」


*1 当時は外国人専用の公園で、彼らは「ブラフガーデン」と呼んでいた(ブラフは崖の意味で、急傾斜地の多い山手地区を指す)
*2 バンド・スタンドと呼ばれる小屋根がついた野外ステージ      

            

他の「ザ・ファー・イースト」を読む

「ザ・ファー・イースト」を読む その1
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2
「ザ・ファー・イースト」を読む その2
「ザ・ファー・イースト」を読む その3
「ザ・ファー・イースト」を読む その4
「ザ・ファー・イースト」を読む その5
「ザ・ファー・イースト」を読む その6
「ザ・ファー・イースト」を読む その7

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                     writer Hiraide Hisashi

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