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Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その4

 残念ながら詳細な記録ではないのですが、薩摩軍楽伝習生が使った楽器購入に関わると思われる契約の経緯に関するちょっとした歴史資料から読み取れるお話です。


鹿児島県史料  忠義公ただよしこう史料

 鹿児島県は1968年(昭和43)から「幕末維新」等に関する史料を令和5年度までに108冊刊行し、その多くを公開しています。その中の忠義公ただよしこう史料 第6巻には薩摩バンド楽器購入に関わると思われる記述があります。 

島津忠義しまづ ただよし

 島津忠義*1)は薩摩藩12代藩主で、廃藩後も明治23年(1890)2月の帝国議会開設際には貴族院公爵議員を務めました。「忠義公史料」は安政六年から明治五年までの期間の従来集録されていた史料を明治21年から23年の間に、市来四郎*2)が整理したものです。

輸入契約

 薩摩藩は1869年6月22日(明治二年五月十三日)にオランダ商社と輸入契約を交わしました。

項目 283 番

 鹿児島県資料「忠義公史料 第六巻」によると、オランダ商社(Nederlandsche Handel Maatschappij)代表者バン・デル・タツク(W.M.Van Der Tak) *3)と薩摩藩は、銃器購入などの輸入契約を手付金洋銀六千ドルで結びました。(図1)
 ・英国製アルヒニー銃*4) 1500ちょう
 ・パトロン*5)製造機械一式
 ・ラッパ、太鼓各々それぞれ35個

 二八三 銃器等購入ノ約定書ヲ和蘭商社ト交換ス (図1)

 (図1)の楽器関連部分には、イギリス製の「散兵ラッパ」*6)を備品付きで35人分、イギリス製の「小隊太鼓」*7)を替皮10枚と必要備品付き(バチとかストラップとか)で35人分と記されています。

項目 283 番の2

 1869年6月24日に手付金 洋銀六千元 をハン・デル・タツクに手渡しました。(図2)

二八三 ノ 二 (図2)

 (図2)の楽器関連部分には、「喇叭らっぱ」35、「太鼓」35ただし1台につき皮10枚と(図1)よりも数が具体化しています。

項目 283 番の3

 1869年12月12日(明治二年十一月十日)には契約内容の部分修正を行いました。(図3)

二八三 ノ 三 (図3)

 (図3)の楽器関連部分には、喇叭らっぱ35個のうち15個は他の楽器に振り替え、さらに20個を追加注文するとあります。計35台の金管楽器を注文するようにも読み取れます。フェントンによる洋楽伝習は10月頃から開始されていましたので、この契約内容の部分修正は薩摩バンドのための修正と考えても良いのではと思います。

 契約書(図1)には、「其本国ニて新規製造、可成速ニ蒸気を以、横濱ニ到着之上(イギリスで新規製造品を船速の優れた蒸気船に乗せて横浜に到着し・・・)」、(図2)には、「極上之品ニして、可成速ニ飛脚蒸気船を以、横濱江取寄べし、但凡五六ケ月内之事(最高品質楽器を特急蒸気船で横浜港まで5,6ヶ月以内に取り寄せること)」と指定された楽器は、1870年7月31日(明治3年7月4日)にチーフテン号に搭載されてロンドンから横浜港に到着しました。

 なお、鹿児島県資料「忠義公史料 第六巻」に薩摩バンドの指導にあたったフェントンの名前や楽器がロンドンから届いたという話、そして薩摩バンドの公開演奏のビックイベントとなった1870年10月2日(明治3年9月8日)越中島えっちゅうじま操練場そうれんじょうでの天覧練兵に関する記述の中でもバンド演奏には触れられていません。ちなみにこの訓練は暴風雨の中実施され、訓練途中で明治天皇は退席(還幸かんこう)となりました。


脚注

(1)島津忠義(しまづ ただよし 1840-1897)第12代薩摩藩主 1890年(明治23)帝国議会開設に伴う貴族院公爵議員
(2)市来四郎(いちき しろう 1829-1903)島津家に関わる史料の収集し忠義公《ただよしこう》史料の編者となった
(3)ハン・デル・タツク(W.M.Van Der Tak)オランダ領事 オランダ商社 (Nederlandsche Handel-Maatschappij)代表
(4)アルビニ・ライフル(Albini-Braendlin rifle)は、イタリア人 A.アルビニ(August Albini)が設計し、英国で完成した単発 11 mmライフル
(5)紙製薬莢やっきょうのこと、「パトローネ」とも言う
(6)「散兵ラッパ」の「散兵」とは歩兵の戦闘隊形の一種で銃の性能向上によりそれまでの密集隊形の戦術を改めたもの。「散兵ラッパ」はビューグル(信号ラッパ)であろう
(7)「小隊太鼓」はスネアドラムのことであろう

アルビニ・ライフル (図4)

(図1) 1869年6月22日(明治二年五月十三日)契約書
(図2) 1869年6月24日(明治二年五月十五日)契約書の2
(図3) 1869年12月12日(明治二年十一月十日)薩摩バンド楽器注文
(図4) アルビニ・ライフル


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writer Hiraide Hisashi

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