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「ザ・ファー・イースト」を読む その7


バンドスタンド bandstand (2)

 バンドスタンドを「屋根付き野外ステージ*1」と訳すか「バンドスタンド」とカタカナで書くのか迷います。バンドスタンドは公園・庭園その他公共の広場などに設置された円形、半円形、または多角形の構造で設計されたコンサートを行うための施設です。1760年代から1830年代までの産業革命の時代に人々がリラックスできる緑豊かな場所として整備された公園に数多く設置された建築物で、19 世紀の終わりまでには公園の必需品と見なされていました。
 1870年に開園した山手公園にも当然のようにバンドスタンドが設置され、9月にはそこで第10連隊第1大隊軍楽隊と薩摩バンドが演奏会を開催したのです。

ザ・ファー・イースト 第2巻3号 (1871年7月1日)
横浜山手外人墓地 (写真で綴る文化シリーズ. 神奈川県 ; 3) 生出恵哉 暁印書館 1984
元写真はザ・ファー・イースト 第2巻3号 (1871年7月1日)と推測
山手公園明治中期の風景(横浜開港資料館所蔵)
神奈川の写真誌 明治後期(金井円, 石井光太郎 有隣堂 1971)

 明治時代は1868年1月25日から1912年7月30日の期間なので、明治後期は1900年頃のことでしょうか。開園から30年程経ち、アメリカ人宣教師J.H.バラが本国から持ち込んだ花壇の花の種から育った花や、J.H.ブルークが公園内や山手のあちらこちらに植樹したヒマラヤ杉がバンドスタンドの周りにしっかり根付いていることがわかります。

神奈川の写真誌 大正 (金井円, 石井光太郎 有隣堂 1971)
五葉舎万寿老人製図,新鐫横浜全図  明治3年(1870)10月
赤丸の位置が山手公園

 赤丸の位置が山手公園でその部分を拡大しました。「public garden / 公園」と記されています。その左上の黒く見える敷地は「妙香寺」で、山手公園はお寺の敷地の一部を外国人居留民が借用して外国人専用公園となりました。

横浜全図 著者:市川澄, 真木千代蔵 編 [他] 出版者:北畠茂兵衛等 明治17年(1884)
赤丸の位置が山手公園

 山手公園は「公園」、左に「妙香寺 氏有地」の文字が見えます。

The Japan Directory for the Year 1889,the Japan Gazette Office, Yokohama, 1889(明治22)
赤丸の位置が山手公園

 赤丸の位置が山手公園でその部分を拡大しました。「BLUFF GARDEN *2」と記されています。「妙香寺」は「TEMPLE」とあります。
 関東大震災後の1929年(昭和4年)から山手公園は一般開放され、日本人も使用できる公園となりました。

脚注

*1 他に「野外音楽堂」というのもあるようです。
*2 BLUFF(ブラフ) は崖のこと


『「ザ・ファー・イースト」を読む』シリーズは「その7」で一区切りです。


他の「ザ・ファー・イースト」を読む

「ザ・ファー・イースト」を読む その1
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2
「ザ・ファー・イースト」を読む その2
「ザ・ファー・イースト」を読む その3
「ザ・ファー・イースト」を読む その4
「ザ・ファー・イースト」を読む その5
「ザ・ファー・イースト」を読む その6
「ザ・ファー・イースト」を読む その7

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                 writer Hiraide Hisashi

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