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「ザ・ファー・イースト」を読む その4


 『「ザ・ファー・イースト」を読む その1 』で「4鍵の笛は1つ1ドル半で江戸と横浜で作られたものでしたが、ロンドンで作られた元の笛の値段は12シリングです。」と訳した1文があります。( 原文は「The fifes are 4 keyed instruments, and cost one dollar and a half each — some being made in Yedo and some in Yokohama. In London the originals after which they were made cost twelve shillings.」)
 この記事を書いたブラック氏が貨幣単位を揃えなかったことで、筆者は笛の値段に関わるこの文がどのような意味を持つのかが全く理解ができませんでした。

ファイフ(fife)

 ファイフはピッコロに似た小さな横笛です。これはエドゥアール・マネ*1の「笛を吹く少年」で描かれている笛で鼓笛隊等で使用されます。ちなみに原題に「・・・を吹く少年」という記述はなく、単に「笛 *2」が絵の題名のようです。

笛を吹く少年(1866;Paris France 油彩 160×98cmオルセー美術館蔵)

4鍵の笛(4 keyed instrument)

 マネの絵の右手小指の箇所を見るとキー(鍵:管側孔の開閉装置)が描かれているのがわかります。左手指を見るとキーが描かれていないので「笛を吹く少年」に描かれているファイフは4キー(鍵)ではないようです。

手前に管側孔の開閉装置

 製造年は不明ですがブージー・アンド・フォークス*3社製の4鍵ファイフが$499.99で販売(Sold Out 65000円)されていました。

Boosey & Hawkes 4-Key Fife (Bb)

笛の値段

 コインの散歩道を見ると様々な時代の外国為替相場についての記述があり、「1ドル半」と「12シリング」がどのような関係でどういう価値なのかを知ることができます。

「米欧回覧実記」*4

1871~73年 (明治4~6)ころ 

(*1)「(英国の磅(ポンドステルリンク)は、)我新貨5円に比較したれども、大抵横浜及び桑港(サンフランシスコ)にて、4円56拾銭の価に交換すれば、我5円の10分の9と概算すべし。」

「造幣寮首長年報書」*5

1874年(明治7) 

単位を円に揃えて訳し直すと

 明治信託UFJ銀行によると明治時代の1円は現代の2万円の価値があったと考えられるとのことです。したがって、「米欧回覧実記」に基づけば「1ドル半は1.5円」(現在価格3万円)「12シリングは3円」(現在価格6万円)、「造幣寮首長年報書」に基づけば「1ドル半は1.5045円」(現在価格3万90円)、「12シリングは2.928円」(現在価格58560円)となります。

「4鍵の笛は1つ1円50銭(現在価格3万円程)で江戸と横浜で作られたものでしたが、ロンドンで作られた元の笛の値段は3円(現在価格6万円程)です。」 

現代中古価格がおよそ6万5000円ですから150年前の値段とほぼ同じです。

ああすっきりした。


一圓銀貨

 1871年(明治4)に貨幣単位として「圓(円)」が正式採用され、それまでの江戸時代の貨幣制度*6を改めて全国的な貨幣流通制度の統一がなされました。そのなかで「一圓銀貨」が対外貿易専用銀貨として発行されました。なお銀貨の鋳造は明治3年に始まりました。
 「ザ・ファー・イースト」の創刊が1870年5月30日(明治3年5月1日)なので、日本の貨幣制度転換点にブラック氏は横浜に暮らしたということです。

 ちなみに、明治3年銘の一圓銀貨は貿易専用の銀貨で、品位は銀900、銅100、重さ26.96gです。ということは銀24.264g、銅2.696gが含まれています。
 佐藤金属(株)で地金価格を調べました。

 一圓銀貨の金属としての価値は現在2369円程になりますが、ヤフーオークションでは最安510円最高20万円、平均すると2万円程で落札されているようです。

脚注

*1 マネ(Édouard Manet 1832-1883)印象派の画家に影響を与えたフランスの画家
*2 原題「Le Fifre」英語なら「The Fifer」または「Young Flautist」
*3 ブージー・アンド・フォークス社(Boosey & Hawkes)現在は楽譜出版社ですが、2003年までは金管楽器、弦楽器、木管楽器、音楽出版の大手メーカーでした。金管楽器はフランスのビュッフェ・クランポン傘下となりベッソンブランドで販売されています。
*4 「米欧回覧実記」久米邦武編(岩波文庫1977) 岩倉使節団の在外見聞の大部の報告書、正式名称は『特命全権大使 米欧回覧実記』1871年(明治4)から1873年(明治6)まで、1年9カ月(632日)の期間で米欧12か国を歴訪した記録。
*5 「造幣寮首長年報書」造幣寮首長トーマス・ウヰルリヤム・キンドルの報告書を島邨泰が翻訳したものと思われる。コインの散歩道には「1874(明治7)年」とあるが1872年(明治5)の報告書
*6 江戸時代には金(小判、一分判)、銀(丁銀、豆板銀)および銭(寛永通寳)という基本通貨が併行流通した貨幣制度でした。その他に藩札などの紙幣もありましたが、日本全国で通用する紙幣ではありませんでした。


他の「ザ・ファー・イースト」を読む

「ザ・ファー・イースト」を読む その1
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2
「ザ・ファー・イースト」を読む その2
「ザ・ファー・イースト」を読む その3
「ザ・ファー・イースト」を読む その4
「ザ・ファー・イースト」を読む その5
「ザ・ファー・イースト」を読む その6
「ザ・ファー・イースト」を読む その7

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                    writer Hiraide Hisashi


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