見出し画像

黒船の軍楽隊 その15

 江戸時代に江戸幕府や諸大名に仕えた御用絵師ごようえしは、それぞれの藩主らの命により様々な絵を描きました。福岡藩は1641年から長崎の警備を命じられ佐賀藩と共に長崎御番ながさきごばんを務めていました。福岡藩の尾形探香おがたたんこうは、露西亜の長崎来航の際に御用絵師として「ロシア使節団図」を描きました。


ペリー以外の記録 – 5 (魯西亜 の3)

 尾形探香たんこうが1853年(嘉永6年)に長崎に来航したロシア使節団を描いたスケッチが「ロシア使節団図」として福岡県立美術館に所蔵されています。

ロシア使節団図

 福岡藩御用絵師尾形探香おがたたんこう(1)が描いた40枚のロシア使節団図の中には、軍楽隊や楽器を描いた図が複数あります。

 (図1)(図2)では交渉場に向かうプチャーチン一行の行列をどの場所に配置して描くのかを探香は試し書きしているようです。

交渉場に向かう (図1)

(図1)には、3バンドが描かれているように思います。

交渉場に向かう 2 (図2)

(図2)にも3バンドが描かれているようです。

小さく描かれた軍楽隊 (図2-1)
小さく描かれた軍楽隊 (図2-2)
(図3)

 (図3)には、3人の小太鼓奏者(上に2、下に1)と2人の金管楽器奏者(上下各1)が描かれています。

(図4)

(図4)には23人の軍楽隊員と楽器が描かれています。

金管楽器でしょうか(図4-1)
(図4-2)
(図4-3)
(図4-5)
(図4-6)
(図5)

 金管楽器の形状は現在の楽器と大きく異る巻き、或いは巻かれていな楽器が描かれています。実際にそういう楽器だったのでしょうか。現物を見てみたいと切望します。

(図6)

 図7,8,9 は近くで時間をかけてスケッチしたと思われ、それぞれの楽器等が正確に描かれています。

ファイフ、小太鼓演奏、弓(図7)

 小太鼓演奏時に装着するストラップ、ファイフ、ヴァイオリンの弓も描かれています。

6穴ファイフ(6 hole fife) (図8)
ヴァイオリン (図9)
リコーダー、小太鼓・響線の図、バチ(図10)
(図11)

 小太鼓は紐の結び方やそれぞれの箇所の色、そして響線の部品や裏面の様子も詳しく描かれています。バチの色は黒、端には真鍮装飾のようです。
 小太鼓の上に描かれているのは、リコーダーのようですが4穴は間違いかと推察します。

ホルン、ビューグル (図12)

 これまで長崎で描かれた金管楽器は、その形状等から楽器名の特定は全く不可能でしたが、この(図11)の2種類の楽器は明確で正確です。これらは「ホルン」と「ビューグル」です。

ディアナ号のビューグル

 プチャーチン提督の乗るディアナ号は、1854年11月4日(安政元年12月23日)9時過ぎごろに発生した安政東海地震による津波で大破しました。修理のため下田港から戸田港に向かう途中の嵐により、船は宮島村沖で沈没しましたがロシア将兵約500人全員と重要書類や備品などは住民に助けられました。

 プチャーチン提督らロシア将兵は日露和親条約締結後に帰国用に戸田へだ村で建造された60人乗りの「ヘダ号」やアメリカ船・ドイツ船で帰国の途につきましたが、戸田や下田には「ディアナ号軍楽隊のラッパ」などの品が残されました。

下田開国博物館所蔵のビューグル (図13)

「尾形探香のビューグル」と「ディアナ号のビューグル」

 「尾形探香たんこうが描いたビューグル」と「ディアナ号のビューグル」のベル形状が大きく異なることに注目すると、「ディアナ号のビューグル」がプチャーチンの軍楽隊で通常使用されていた楽器なのかに疑問が生じます。しかし、ドイツのシュスター社1895年カタログに同型のビューグルが掲載されていることから1854年当時にも製造されていることは違いないようです。

シュスター社(Schuster & co 1895) (図14)

脚注

(1) 尾形探香おがたたんこう (1812-1868)福岡藩 尾形家第8代御用絵師

(図1) 交渉場に向かう
(図2) 交渉場に向かう2
(図3)
(図4)
(図5)
(図6)
(図7) ファイフ、小太鼓、弓
(図8)6穴ファイフ(6 hole fife) 
(図9)ヴァイオリン
(図10)リコーダー、小太鼓・響線の図、バチ
(図11)1800年代の小太鼓
(図12) ホルン、ビューグル
(図13) 下田開国博物館所蔵のビューグル
(図14)シュスター社カタログ


他の黒船の軍楽隊シリーズ

黒船の軍楽隊 その0ゼロ 黒船の軍楽隊から薩摩バンドへ 

黒船の軍楽隊 その1 黒船とペリー来航
黒船の軍楽隊 その2 琉球王国訪問が先
黒船の軍楽隊 その3 半年前倒しで来航
黒船の軍楽隊 その4 歓迎夕食会の開催
黒船の軍楽隊 その5 オラトリオ「サウル」HWV 53 箱館での演奏会
黒船の軍楽隊 その6 下田上陸
黒船の軍楽隊 その7 下田そして那覇での音楽会開催
黒船の軍楽隊 その8  黒船絵巻 - 1
黒船の軍楽隊 その9  黒船絵巻 - 2
黒船の軍楽隊 その10 黒船絵巻 - 3
黒船の軍楽隊 その11 ペリー以外の記録 – 1 (阿蘭陀) 
黒船の軍楽隊 その12 ペリー以外の記録 – 2 (阿蘭陀の2) 
黒船の軍楽隊 その13 ペリー以外の記録 – 3 (魯西亜) 
黒船の軍楽隊 その14 ペリー以外の記録 – 4 (魯西亜の2) 
黒船の軍楽隊 その15 ペリー以外の記録 – 5 (魯西亜の3) 
黒船の軍楽隊 その16  ペリー以外の記録 – 6 (魯西亜の4)
黒船の軍楽隊      番外編 1 ロシアンホルンオーケストラ
黒船の軍楽隊      番外編 2 ヘ ン デ ル の 葬 送 行 進 曲
黒船の軍楽隊 その17  ペリー以外の記録  -7 (英吉利)
黒船の軍楽隊 その18  ペリー以外の記録  -8 (仏蘭西)
黒船の軍楽隊     番外編 3 ドラムスティック
黒船の軍楽隊 その19 黒船絵巻 - 4 夷人調練等之図


ファーイーストの記事

「ザ・ファー・イーストはジョン・レディー・ブラックが明治3年(1870)5月に横浜で創刊した英字新聞です。
 この新聞にはイギリス軍人フェントンが薩摩藩軍楽伝習生に吹奏楽を訓練することに関する記事が少なくても3回(4記事)掲載されました。日本吹奏楽事始めとされる内容で、必ずや満足いただける読み物になっていると確信いたしております。

 是非、お読みください。

「ザ・ファー・イースト」を読む その1   鐘楼そして薩摩バンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2  鐘楼 (しょうろう)
「ザ・ファー・イースト」を読む その2   薩摩バンドの初演奏
「ザ・ファー・イースト」を読む その3   山手公園の野外ステージ
「ザ・ファー・イースト」を読む その4   ファイフとその価格
「ザ・ファー・イースト」を読む その5   和暦と西暦、演奏曲
「ザ・ファー・イースト」を読む その6   バンドスタンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その7   バンドスタンド2 、横浜地図

SATSUMA’S BAND 薩摩藩軍楽伝習生



ここから先は

0字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?