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黒船の軍楽隊 その13

 魯西亜帝国(Россійская Имперіяラスィーイスカヤ・インピェーリヤ1721-1917年)は、1792年にアダム・ラクスマン(Адам Кириллович Лаксманアダム・キリロヴィチ・ラクスマン1766-1806以降に死去)を使節として派遣しましたが松前藩との交渉で、長崎への入港許可証(信牌)を交付されましたが長崎へは向かわずに帰国しました。その「信牌しんぱい(1)」を手にニコライ・レザノフ(Никола́й Петро́вич Реза́новニコラーィ・ペトローヴィチ・レザーノフ1764-1807)は、1804年(文化元年)9月に長崎の出島に来航しました。


ペリー以外の記録 – 3 (魯西亜)

 1804年9月29日(文化元年9月7日)のことです。ニコライ・レザノフはラクスマンが入手した信牌しんぱいとロシア皇帝アレクサンドル1世の親書を携え長崎にやってきました。

レザノフの鼓手

 長崎に到着後2ヶ月が経過し、1804年12月18日(文化元年11月17日) になり上陸が許可され、翌1805年4月18日(文化2年3月19日)に長崎を離れるまで、梅ヶ崎の宿舎で過ごしました。その間にいくつかの図が描かれています。

ロシア使節レザノフ来航絵巻

 東京大学史料編纂所に所蔵で制作年不詳の「ロシア使節レザノフ来航絵巻」(図1)には、鼓手と弦楽器奏者が描かれています。

鼓手と弦楽器奏者(図1)

ヲロシヤ人木版画

 神戸市立博物館に所蔵で制作年不詳の「ヲロシヤ人木版画」(図2) には、鼓手が描かれ、「文化元甲子年九月七日ヲロシヤ国ヨリ使節ノ役人長崎エ初メテ渡来 同二年三月十九日出帆ス/使節名ニコラアレサノツト 船頭名クルウセンステル」と記されています。

(図2)

視聴草みききぐさ

 江戸末期の幕臣宮崎成身(2)が、さまざまな資料や情報を綴じ込んだ「視聴草みききぐさ」(図3)には、レザノフに関する図と記事が記録されていて、鼓手とその説明も描かれています。

視聴草の鼓手(図3)
鼓手の解説文 (図4)

レザノフ関連資料貼交ぜ屏風かんれんしりょうはりまぜびょうぶ

 広島県立歴史博物館が所蔵の「レザノフ関連資料貼交ぜはりまぜ屏風」(図5)は、レザノフが長崎に滞在していた期間に日本人との交流の中で作成された書や画を貼り交ぜた屏風で、ここに小太鼓が描かれています。

本体とバチと裏打面(図5)

脚注

(1)信牌は江戸幕府が発行した貿易許可証明書のこと。長崎通商照票とも言い、譲渡は有効で原則として一度使用すれば効力を失った。
(2) 宮崎成身(みやざき せいしん 生没年不詳)は1830年(文政13)年から30年以上にわたって,政治,事件,災害などのさまざまな資料や情報を「視聴草(みききぐさ)」178冊にまとめた。 

(図1) 16世紀初頭には完成しているヴァイオリンがここでも描かれていると推察します。
(図2) 図1と帽子とズボン・靴は同じに見えますが、上着の色が異なります。
(図3) 帽子はすべての図で、上着は図2と同じ ズボン形状と靴は図1,2と異なります。
(図4) 服装についての説明が記されているようです。
(図5) 朝夜に打ち鳴らされていたことなどを含め、楽器の説明が記されているようです。


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黒船の軍楽隊 その0ゼロ 黒船の軍楽隊から薩摩バンドへ 

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黒船の軍楽隊 その7 下田そして那覇での音楽会開催
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ファーイーストの記事

「ザ・ファー・イーストはジョン・レディー・ブラックが明治3年(1870)5月に横浜で創刊した英字新聞です。
 この新聞にはイギリス軍人フェントンが薩摩藩軍楽伝習生に吹奏楽を訓練することに関する記事が少なくても3回(4記事)掲載されました。日本吹奏楽事始めとされる内容で、必ずや満足いただける読み物になっていると確信いたしております。

 是非、お読みください。

「ザ・ファー・イースト」を読む その1   鐘楼そして薩摩バンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2  鐘楼 (しょうろう)
「ザ・ファー・イースト」を読む その2   薩摩バンドの初演奏
「ザ・ファー・イースト」を読む その3   山手公園の野外ステージ
「ザ・ファー・イースト」を読む その4   ファイフとその価格
「ザ・ファー・イースト」を読む その5   和暦と西暦、演奏曲
「ザ・ファー・イースト」を読む その6   バンドスタンド
「ザ・ファー・イースト」を読む その7   バンドスタンド2 、横浜地図

SATSUMA’S BAND 薩摩藩軍楽伝習生

writer HIRAIDE HISASHI

 


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