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夢と現の境界戦

 不思議な夢を見た。自分には生まれつき特殊能力があり誰にも言えずに生きて来たが、1人の男により各地に散らばる能力者が集められ、人間を脅かす邪気を倒す事が使命となる。だがあくまでも夢。現実では普通の高校生。しかし夢で共に戦う同級生の負傷が現実にも同じ症状で現れた。自分だけが見ている夢だと思っていたが、何とその友人も同じ夢を共有しており、いつそれを打ち明けようか迷っていたと言う。夢の中の影響は徐々に現実にも現れ始め、邪気がこの世界に侵出している事を意味していた。不安と同時に夢の中の仲間達も現実の何処かにいるのでは?と夢と同じようにあの男の出現を願った…そんな10人の高校生達の夢と現の戦いが今始まる。(300文字)

「夢と現の境界戦」あらすじ


   4月30日 木曜日 ―現実―


        ○

 

 キーンコーンカーンコーン。

 鐘の音。

 授業が終わり、生徒は放課となった。

 校庭に立つ桜並木の花は全て散ってしまい、今は緑の葉が青々と茂っている。

「帰ろ…あれ、ど、どうしたのっ?もしかして、また具合悪くなっちゃった?」

 思絵しえは、いつも一緒に帰っている礼名れいなに声を掛けた。

 しかし、礼名は机に伏せたまま動こうとしない。

「ごめん、思絵。すぐ治るから、もうちょっと待ってて…」

 礼名はそう言って、相変わらず机に伏せたまま辛そうにしている。

「だ、大丈夫?朝からそんな調子じゃん、今日は…昨日、何かした?」

 思絵に訊かれ、礼名は少し頭を上げて言った。

「ミサさんに、呼び出されちゃって…」

「ミサさんに?」

 思絵は、酷く驚いた。

「も、もしかして…いつも通り、窓から?」

 再び思絵が訊くと、礼名は黙ってコクリと頷いた。

「あっちゃーっ、やっぱねぇーっ!いやぁ、そんな事じゃないかなーとは思ったんだけどさぁ…」

 1人で納得したように頷く、思絵。

 礼名は鞄を持つと、ゆっくりと立ち上がった。

「もう、大丈夫…帰ろっか」

 

 

「それで…ミサさん、何だったの?」

 帰り道。

 学校を出た2人は、何となく真っすぐ家には帰りたくなくて、何処へ行くでもなく其処ら辺をぶらぶらと歩いていた。

 思絵が、さっき教室で話していた事を訊く。

 礼名は、石ころを蹴りながら答えた。

「何かね、ミサさんの学校に怪しげな人物が現れたんだって。それで、どうしても手伝って欲しいって…」

「え、手伝う?どうしてよ、タカヤさんに頼めばいいじゃなーい!」

 答えに納得出来ず、憤慨する思絵。

 礼名は、少し笑った。

「タカヤさんには、頼めなかったんだよ。ほら、この前の怪我…」

「あ…」

 思絵は、瞬時に先日起きた出来事を思い出した。

「まだ治ってなかったんだ、タカヤさん…」

 呟く思絵に、礼名は頷く。

「ノワちゃんが通って治療してるらしいんだけど、中々治んないみたい」

「そっかぁ…タカヤさんの力が借りられないのは、ちょっと痛いよねぇ。けどさ、礼名もあんまし無理しない方がいいよ。すぐ、具合悪くなるんだから」

 思絵にポンと肩を叩かれた礼名は、軽く笑って頷いた。

 

 

 斉藤さいとう思絵しえ広瀬ひろせ礼名れいな は高校2年生。

 何処にでもいる女子高生だが、彼女達には普通の人間にはない力があった…とは言っても、この現実の世界では普通の人間である。

 しかし夢の中では、その不思議な力を発揮する事が出来るのだ。

 夢の世界の舞台は現実の世界と何ら変わりないのだが、ただ1つ違う所…それがその、自分達に不思議な力があると言う点だった。

 夢の中では、思絵も礼名も同じ力を持つ『仲間』として、一緒に行動している。

 不思議な内容の夢でそれが毎日続く為、おかしいとは思っていたのだが所詮はただの夢でしかないので、2人とも互いにその事については何も触れなかった。

 しかしある日の夜、思絵はいつも通り夢を見た。

 その時、礼名が力の使い過ぎで頭痛を訴えたのだ。

 其処で目が覚めたのだが、学校へ行って見ると何と…夢の中と同じように、現実の礼名も朝から頭痛を訴えているではないか。

 まさかと思い夢の話をすると、実は礼名も同じ夢を見ていたと言う事が分かった。

 つまり思絵と礼名の2人は、同じ夢を共有していたのだ。

 しかも最近では、夢の中で受けたダメージが目覚めた後も、現実の世界にまで引きずるようになっていた。

 夢の中には、思絵と礼名の他にも同じ力を持った『仲間』が何人かいる。

 夢の中の世界は異様な『邪気』が蔓延っており、それを消し去るのが思絵や礼名達の『仕事』だった。

 思絵や礼名のように、現実の世界に生きる者が夢を共有している。

 と言う事は、行動を共にしているあの『仲間』達も、もしかしたら現実の世界の何処かに、住んでいるのではないだろうか。

 最近になって、思絵と礼名はそんな風に思い始めていた。

 

 

「ミサさんってさ、自分が空飛べるからっていっつも夜中に窓から入って来るよね。人の部屋に、勝手に…ま、其処がミサさんらしい所なんだけどさ」

 思絵がそう言うと、礼名はくすっと笑った。

「ホント、そうだよね。でも…ミサさんも、きっと何処かにいるんだろうなぁ…」

「ミサさんって、3年生でしょ?タカヤさんも、同じ学校だったよね。絶対、何処かの高校に通ってる筈だよ」

「私も中学の同級生とかに訊いて回ってるんだけど、中々見つからなくって…もっと、遠くに住んでるのかなぁ。それとも、本当はいないのかも…」

 俯く礼名を見ながら、思絵は言った。

「ねえ…何もかもではないけど、少しずつこの現実の世界でも夢の世界の影響が出て来ている事は、確かだよねぇ?だって、力を使い過ぎると頭痛になっちゃうの、この世界の礼名にも出始めてるじゃない?」

 頷く礼名。

 思絵は、話を続ける。

「だったらその内、この世界でも力を使う事が出来るようになるかもよ!」

 それを聞いた礼名は、突如不安に襲われた。

 だって、あの力が現実の世界でも使えるようになってしまったとしたら。

「そうしたら、その時はこの世界の破滅を意味すると思う…」

「は、めつ?」

 思絵は、ハッとした。

 夢の世界での力が現実の世界にも影響して来ると言う事は、同じように夢の世界での『邪気』も現実の世界に影響して来ると言う事なのだ。

「で、でも…礼名の頭痛は、確実に夢のせいだと思うよ。違う?」

 思絵にそう訊かれて、礼名は考え込んでしまった。

 昨日の夜、夢の中でミサに呼び出された礼名はミサの学校へ行った。

 ミサの学校に『邪気』に侵された生徒がいるから、力を貸してくれとの事だった。

 ミサには同じ学校に通うタカヤと言う『仲間』がいるが、彼は前回同じように『邪気』に侵された人間を救う為、1人で戦いを挑んだ。

 だが、今までの雑魚敵を遥かに上回るその邪気は、『仲間』の中で1番強い力の持ち主であるタカヤを、あっと言う間に倒してしまった。

 タカヤは初めて戦いに敗れ、大怪我を負ってしまったのだった。

 それで1人になってしまったミサは、礼名に応援を頼みに来たのだ。

 しかし、礼名は其処で力を使い過ぎてしまい、無事解決はしたものの目が覚めた今日も、頭痛が治まる事はなかった。

 頭痛が夢の世界から目覚めた今も引きずっていると言う事は、現実の世界にも夢の内容が影響して来ていると言う事を、意味しているのだろうか。

 答えは、礼名には分からなかった。

「確かに力を使い過ぎた後は、目が覚めても頭痛が続いてる…やっぱり、夢が影響してるのかなぁ」

「でもさ、今の段階ではまだ大丈夫だって!とにかく、他の仲間と会ってみる事を優先しようよ…ね?」

 思絵に肩を叩かれ、礼名は小さく笑って頷いた。

  

        ○

  

「悪い事、しちゃったなぁ…」

 放課後。

 深冴みさはそう言って、深い溜息をつきながら窓の外をボーッと眺めていた。

 窓から見える校庭には、部活動を行っている生徒達が大勢集まっている。

「でも、1人じゃ自信なかったしさぁ…」

「僕が協力出来れば良かったんだけど、この体じゃ…ね」

 落ち込む深冴を見ながら、貴耶たかやは何処も何ともなっていない腕をひたすら摩っている。

 深冴は貴耶のワイシャツの袖をまくり、ジーッと凝視した。

「不思議だよねぇ。外傷もないのに、痛むなんてさ…」

 貴耶は、笑いながら言う。

「当たり前じゃないか。別に、この世界の僕が傷を負った訳じゃない。夢の中の僕が、腕をやられたってだけなんだからね」

「でも、おかしいよ。今まで、そんな事なかったじゃない。夢の中の出来事を、目が覚めてからも引きずるなんてさぁ…」

「ま、まあ…ね」

「ああ、何か嫌な予感がするっ!」

 深冴は不安を隠し切れず、苦い表情をしている。

 貴耶は、その不安を見抜くかのように言った。

「そんなに心配する事はない、まだ大丈夫だ。しかし…このまま行けば、その嫌な予感が的中する日が来るかもしれないな」

「やだっ!」

 深冴は、耳を塞いで叫んだ。

「そんな事、言わないでよ!益々、不安になって来ちゃったじゃない…ね、ねえ、早く怪我治してよね?結構、頼りにしてんだからさぁ。ノワ、通ってくれてんでしょ?夢の中の、貴耶の家に」

「ああ、勿論。でも、ノワちゃんも限界に来てるみたいだな。人の怪我を回復させるのも、かなりの力を要するからね」

「じゃあこの世界のノワも、疲れたりしてんのかなぁ。昨日手伝ってもらったレイナも、力の使い過ぎで頭痛酷かったみたいなんだ。って事は、目覚めた今も頭痛くしてるかもしれない…よね?ま、まあ、あの子達が現実に存在してれば、だけどさ」

 深冴が、恐る恐る訊く。

「うーん…その可能性が、ないとは言えないな。僕の例も、ある事だし」

 貴耶はそう答えて、まくっていた袖を下ろした。

 

 

 大関おおぜき深冴みさ西村にしむら貴耶たかや は高校3年生。

 彼らもまた、夢の中では不思議な力を持っていた。

 深冴と貴耶は中学、高校と一緒で度々同じクラスになっており、面識はあった。

 『昨日、アンタが夢に出て来たよ』『へえ、それは奇遇。実は、僕もなんだ』なんて事を廊下ですれ違う度に話していた2人は、どうやら同じ内容の夢なのではないかと言う事に気付く。

 そして詳しく話し合った結果、お互いに夢を共有していた事が分かった。

 夢の中には『仲間』が何人か出て来るが、最近ではその『仲間』達も同様にこの世界に存在しているのではないかと、考え始めている。

 そして貴耶の怪我についてだが、あれは今から2、3週間ほど前の放課後の事だった。

 夢の中で1人帰り道を歩いていた貴耶は、『邪気』に侵された人間に後をつけられている事に気付く。

 人気のない公園を選んだ貴耶は、すぐさま戦いを仕掛けたのだが…相手は、かなりの強敵だった。

 『仲間』の中で最も頼れる存在だった貴耶はその日、あっと言う間にやられてしまったのだ。

 

 

「とにかく、夢の中での『仲間』がこの世界の何処かに、いる筈だよ!この私達の予想が当たってるなら、私達は皆に会う必要がある。そうじゃない?」

 深冴がそう言うと、貴耶も静かに頷いた。

「そうだな…あ、そう言えば今日はノワちゃんと一緒に、エツトがお見舞いに来てくれるんだった。って言っても、夢の中での今日って意味だけどね」

「へぇーっ。確か、ノワとエツトって幼馴染みか何かだったよねぇ?いつも一緒で、仲良くて、なーんか羨ましいんだよねーっ。あ、じゃあ、今日は私も貴耶の家に行っちゃおっかなーっ。勿論、夢の中での事だけどさ…ね、いいでしょ?」

 はしゃぐ深冴に、貴耶はフッと微笑んで見せた。

「いいけど…覚えていられるかな?」

 

        ○

 

「あら、えっちゃん。いらっしゃい」

「こんにちは。あの…乃輪のわ、いますか?」

 越斗えつとは、隣の家に住む乃輪の家に来ていた。

 乃輪の母親が、喜んで越斗を迎え入れる。

 越斗は迷う事なく2階の乃輪の部屋へ向かい、ノックをした。

「どうぞ」

 了解を得て、ドアを開ける。

 其処には、ベッドに座って雑誌を読んでいる乃輪の姿があった。

「よぉ」

 越斗は軽く手を上げ、床のクッションに腰を下ろした。

「いらっしゃい…今日は、学校で1度も会わなかったね」

 乃輪がそう言うと、越斗は照れ臭そうに笑った。

「そうだな。って言うかクラスも違うし、そうそう会わないだろ」

「そっか…あ、今日は越ちゃんもタカヤさんち行くんでしょ?」

「え?」

 突然違う世界の話をされ、越斗は一瞬戸惑った。

「あ、ああ、夢の事か…勿論、行くよ。で、タカヤさんの具合はどうなんだ?」

 越斗が訊くと、乃輪は不安げな表情で俯いた。

「うん…まだ、痛むみたい。私も何だか調子悪くて、今日も保健室で休んでたんだ」

「おいおい、大丈夫かよ。回復って、結構力使うんだろ?お前が倒れちゃったら、怪我人誰が面倒見んだよ。頼むから、無理するなよな」

 越斗にそう言われて、乃輪は無言で頷いた。

 

 

 内野うちの越斗えつと今岡いまおか乃輪のわは高校1年生。

 小さい頃から隣同士で住んでいる、幼馴染みと言うヤツだ。

 幼・小・中・高と同じ学校に通う2人は、お互いの事なら何でも知っている。

 今回の夢の件も、そんなお互いの会話から気付いた事だった。

 それからは毎日学校で夢の事を語り合い、その他の『仲間』についても興味を持ち始めて来た。

 ある日、乃輪は夢の中で怪我を負ったタカヤの治療をして目が覚めると、ドッと疲れが出てしまって暫く起き上がれない事があった。

 最近はそんな事がしょっちゅう続いている為、今日の学校の授業はとうとう、保健室で過ごす羽目になってしまったのだ。

 現実の世界に影響が出始めている事は、乃輪も越斗も薄々感じてはいた。

 この乃輪の様子を見れば、一目瞭然である。

 しかし、だからと言って彼らに何が出来るだろう。

 この世界では、夢の中のような力は使えない。

 ただの、平凡な高校生でしかないのだ。

 不安を抱えながら、2人は夢に出て来る『仲間』達の存在を、この現実の世界にも求めずにはいられなくなって来ていた。

 

 

「皆が、いてくれたらな…」

 越斗がふと呟くと、乃輪はハッと顔を上げた。

「確かに私は回復の術を使い過ぎて、タカヤさんの家でグッタリしてた…でもね!でも、そんなのあくまでも夢の中の出来事にしか、過ぎなかった筈でしょう?」

「乃輪?」

「それが、どうして…どうしてその時の疲れを、この現実の世界でまで引きずってなきゃいけないのっ?」

 乃輪の疑問に、越斗は答える事が出来なかった。

「だから私、心配なの…あんな酷い怪我、実際のタカヤさんが負ってたらって思うと、いてもたってもいられなくって…」

 再び、乃輪は俯いた。

 確かにそんな事があったら、大変だ。

 乃輪が何週間かけて治療しても、未だに完治しないほどの大怪我なのだから。

 それを現実の世界のタカヤが負っていたら、とんでもない事になる。

「そ、それは、大丈夫だって。まあ、はっきり言い切れる訳じゃないけど…でもこの前、オウタさんとハルキさんがタカヤさんのお見舞いに行ったとかで話を聞いたけど、結構綺麗に治ってたから凄いって、乃輪の事褒めてたぞ?」

 越斗は励ますつもりで言ったのだが、乃輪は相変わらず俯いたままだった。

「乃輪…」

「捜そう!」

 突然、乃輪が顔を上げる。

「え?」

「捜すの!皆を!」

「み、皆を捜すったって…」

 越斗は、困った顔で言った。

「どうやって、捜すんだよ。誰が、何処にいるかも分からないんだぞ?」

 すると、乃輪は勢いよく立ち上がった。

「私、皆はそんなに離れてない所にいると思うの。だって夢の中でも新幹線や飛行機なんかじゃなく、電車やバスや徒歩で行けるような場所に住んでるじゃない?」

「それは、まあ、そうだけど…」

「だから、捜せばきっと見つかるよ!とにかく今は、何が何でも捜すしかないの。ねえ、越ちゃん。越ちゃんも、協力してくれるでしょ?」

 あまりにも無謀な考えに、越斗は唖然とした。

 しかし越斗自身も、心の何処かでは『仲間』を必要としていたのだ。

 ひょっとしたら、皆も自分達に会いたがっているかもしれない。

 考えてみると確かに乃輪の言う通り、夢の中では当然のように『仲間』の家まで辿り着いたりしている。

 何故、自分が『仲間』の家など知っているのだろう。

 現実の世界では全く関わった事のない人間の事を、夢の中では同じ『仲間』として何でも知っている。

 とにかく、捜す…。

 この方法も、あながち無謀ではないかもしれない。

「分かったよ…俺も、協力する。乃輪が言うように、皆はそんなに離れてないのかもしれない。夢の世界の舞台は、此処ら辺一帯と同じだろ?俺達同様、皆にも此処の土地勘があるって事は、実際もこの付近に住んでる可能性がある事を意味してるし」

「うん、そうだね!何か皆に会えるって思ったら、途端に元気出て来ちゃった!」

 そう言ってニコッと笑った乃輪を、越斗は温かい気持ちで見つめた。

 

        ○

 

「なあ、陽祈はるきぃ…ゲーセン、行こ!どうせ、暇だろ?」

 学校の帰り。

 街の方へ向かって走る電車に揺られながら、凰太おうたは隣で吊り革に掴まって本を読んでいる陽祈に話しかけた。

「ヤダね」

 即答した陽祈は、ずり落ちた眼鏡を上げた。

「だぁーれが、お前なんかとゲーセン行くかよ。1人で行け、1人で!」

 凰太は、悲しそうな顔をする。

「そんなぁーっ…陽ちゃん、冷てぇーっ!そうやって付き合い悪くしてっと、その内ダチが1人もいなくなっちまうぞぉ?ケッケッケ!」

 意地悪そうに笑う凰太に、陽祈は無表情で言った。

「お前みたいな友達なら、いなくて結構」

 そして、再び本を読み始める。

「なっ、なーんだよぉーっ!夢ん中では、もっと遊んでくれんじゃーんっ!」

 そう言って凰太は、本を持っている方の陽祈の袖を頻りに引っ張った。

 陽祈は、キッと顔を上げる。

「あのなぁっ!そんなの、夢ん中の話だろーがっ!此処は現実の世界だ、現実を見つめて生きろっ!ったく、これだからバカは…」

 それを聞いた凰太は、口を尖らせた。

「んだよぉ…人を、バカ呼ばわりしやがってぇ!」

「バカをバカと言って、何が悪いっ!夢と現実の区別もつかんのか、お前はっ!」

 そう言われると…と呟きながら、凰太は急に大人しくなってしまった。

「コイツ、自分で自分をバカと認めたか…」

 陽祈は凰太を見つめながら、1人溜息をついた。

 

 

 江波えなみ凰太おうた朝川あさかわ陽祈はるきは高校2年生。

 凰太は遊び好き、陽祈は優等生と見掛けは全く違う2人だが、性格的には似たり寄ったりな所がある為、高校に入って同じクラスになった2人はすぐに意気投合した。

 勿論最初は、互いに夢を共有している事など気付きもしなかった。

 所詮、ただの夢でしかないと思っていたからだ。

 しかしその夢にはストーリー性があり、1晩で1日分の時間が過ぎて行く仕組みになっていた。

 つまり、その日の夜に現実の世界で眠りにつくと、夢の世界では同じ日の目覚めた朝から1日が始まるのだ。

 いくら夢の世界とは言え、現実の世界と平行して時間が過ぎて行く。

 そんな事が、果たして有り得るのだろうか。

 疑問に思った陽祈はある日、凰太に相談を持ちかけた。

 以前から冗談めいた口調で、凰太が陽祈に『お前の夢、見たよぉーっ!』なんて事を口走っていた。

 陽祈も気にせず、『僕も、お前の夢を見た』と言葉を返した。

 だがその会話があまりにも毎日続く為、無駄だとは思ったが凰太に話してみたのだ。

 其処で2人は、初めて自分達が同じ夢を共有していた事を知る。

 夢の中での2人は特に大きな戦いを経験した訳でもないし、いつも2人で行動するようにしていたので、敵と遭遇した場合でも余裕で戦えていた。

 しかしタカヤの怪我の事を知り、2人は見舞いに行った。

 そしてその時の話を聞きながら、敵を甘く見てはいけないんだと言う事を、改めて知らされたのだった。

 

 

「夢の世界もさぁ、此処と何ら変わりないよな…まあ、俺達の力と敵の存在を除いてだけどよ」

 そう言って、凰太は茶色に染めた長めの髪をかき上げた。

「なあ…お前は、『仲間』達もこの世界に存在してると思うか?」

 陽祈は、真剣な顔で凰太に訊ねた。

 凰太は陽祈の顔を見つめたまま黙っていたが、やがてポツリと呟いた。

「いる…と、思いたい」

「なるほど…ま、それが正直な気持ちだよな。僕も、似たようなもんだ」

 凰太の答えに頷きながら、陽祈は深い溜息をついた。

「でもさでもさ、この前街中でヨツミちゃんに似てる子見たんだーっ!」

 嬉しそうな凰太に、陽祈が慌てて言う。

「お前ヨツミちゃんって言うなよ、ヨツミちゃんって!ヨツミさ・んっ・だろ!僕らより、年上なんだから!」

「いいじゃーん、たかが1年上なだけだろ?ま、あくまでもそっくりだったってだけだけどな…あーあ、皆何処にいるんだろ」

 いつになく落ち込み気味な凰太を見て、陽祈は言った。

「なあ…捜してみるか?実を言うと、僕もイオリさんに似てる人を見た」

「マ、マジっ?」

「ま、あくまでもそっくりだったってだけだけどな…」

 そう言って、陽祈は上目遣いに凰太を見た。

「でも、イオリさんって独特の雰囲気を醸し出してるだろ?何て言うのか、こう近寄り難いような。イオリさんとまともに会話出来るのって、ヨツミちゃんだけだもんな…まあ、ああ言う雰囲気だからカッコいいんだけどさ、イオリさんは」

 凰太が小声でそう言うと、陽祈もうんうんと頷いた。

「分かる分かる。その時見掛けた人もそう言う雰囲気の人だったから、イオリさんっぽいなぁって…」

「でもさ、何か希望が持てて来たじゃん。焦ってもしょうがねーし、徐々に捜すってもんじゃねぇ?」

 それを聞いた陽祈は、再び溜息をついた。

「お前、それ…ひょっとして、僕を励ましてるつもりか?そう言うらしくない事言われても、ちっとも嬉しっ…わ、分かった分かった!」

 凰太は、すかさずツッコミの代わりに陽祈の首を絞めた。

  

        ○

  

笠井かさい…ちょっと」

 帰り際の教室。

 生徒達は次々と教室を後にし、何組かのグループは教科書を鞄にしまいながら、この後何処へ遊びに行くかを話し合っている。

 世摘よつみもそんなグループの中の1人だったのだが、突然呼び出されて廊下に立っている唯織いおりの許へと、駆け寄って行った。

「ねえねえ…どうして世摘が、あの人と知り合いなの?最近、よく呼び出し掛かってるけどさぁ」

「ああ!あの人、隣のクラスの松本まつもとくんでしょ?カッコいいんだけど、なーんか近寄り難いよねぇ?」

「だって、何か怖いじゃん。雰囲気がさぁ…」

「でも頭もいいし、スポーツも出来るでしょ?怖いけど別に不良って訳でもないし、顔は美形だし…結構、憧れてる子いるよ?」

 世摘の友達は、そんな事を話していた。

 

 

「な、何か用?」

 世摘は、恐る恐る訊いた。

 ブスッとしながら、唯織が言う。

「お前まで、警戒する事ないだろ…」

「別に、警戒なんかしてない…」

 世摘は、無表情で答えた。

「俺達の、学校内に…と言っても夢の中での話だが。その、怪しい奴がいるの、気付いてるか?」

 唯織に訊かれて、世摘は目を見開いた。

「もしかして…今日、やるの?」

「ああ。お前も、覚悟しておけよ。ニシムラの件もある事だ、油断してたら俺達もやられかねない」

「タカヤ、くん…か」

 世摘は、不安を隠し切る事が出来ずにいた。

 

 

 松本まつもと唯織いおり笠井かさい世摘よつみは高校3年生。

 この2人には、全くと言っていいほど共通点はなかった。

 高校に入って初めて出会い、同じクラスになった事も喋った事もなかった。

 しかし、唯織も世摘もあの夢に悩まされていた事は確かだ。

 互いの夢を見るようになってからは何となく相手が気になるのか、廊下ですれ違いざまに目を合わせる事が多くなった。

 しかし、所詮現実の世界では赤の他人なので、話しかける事も出来ずに目を合わせては逸らす、と言う行動を繰り返すのが精一杯だった。

 それに耐え切れなくなった唯織が、思い切って世摘に声を掛けたのだ。

 唯織は一緒にいる友達は沢山いるのだが、決して胸の内は誰にも明かさなかった。

 美形な顔立ちがかえって冷たさを浮き立たせるのか、一部の人間からは怖がられている。

 そんな唯織に声を掛けられた世摘は、それは驚いた。

 しかし唯織から夢の話を聞いて、ようやく互いに夢を共有していた事を知る。

 世摘も目立つ生徒ではないが、唯織同様独特の雰囲気を持っていた。

 表情に感情を出さないと言う点では、2人は何処か似ているのかもしれない。

 親しいとまでは行かないが、2人が打ち解け合うのにそう時間は掛からなかった。

 夢の中では、共に戦う『仲間』なのだから。

 

 

「あの…コ、コウリさんって、何処に住んでるか知ってる?」

 それまで無表情だった世摘が、少し戸惑った表情で訊いて来た。

 唯織が疑わしげな目つきで睨むと、世摘は慌てて言った。

「あの、ほら、コウリさんって神出鬼没だから、何処に住んでる人なんだろうってちょっと気になっただけ。そ、それじゃあまた、夢の中で…」

 世摘は一方的に会話を打ち切ると、教室へ戻って行った。

 先程の世摘は、いつもの冷静な世摘らしくなかった。

 何故あのように取り乱したのか、唯織には理由が分かっていた。

 それは世摘が口にした、コウリと言う名の男のせいだ。

「俺には、分かる…アイツは、駄目だ。絶対に、コウリでは駄目なんだ。それを、笠井は分かっていないようだな。傷付くのは、自分なのに…」

 

 

 そもそも夢の中での彼らは、コウリと言う名の男によって集められた。

 彼らが夢を見始めたのは、今年の1月1日の夜からである。

 夢は1月1日の朝を迎えた所から始まり、それぞれがいつもの正月を過ごしていた。

 夢の中での彼らは生まれつきその力を持っていて、勿論その事を他人に相談する事が出来ずにいた。

 自分は、人とは違う…そう言った悩みを、常に抱えていたのだ。

 ある日彼らは、何らかの形でそれぞれコウリと知り合う。

 そしてコウリの紹介で、彼らは初めて出会う事となるのだ。

 やがてコウリから敵の存在を知らされた10人は、自分達の力がそれらを消滅させる為のものだった事を知る。

 これが今までの4ヶ月間、彼らが見続けて来た夢のあらすじだ。

 そして今夜も彼らは、この夢の続きを見なければならない。


 

     4月30日 木曜日 ―夢―

 

         ★

 

 「おはよう、レイナ!」

 シエは、先に来ていたレイナに声を掛けた。

 しかしレイナは目を瞑り、強張った表情をしている。

「ど、どうしたの?」

 シエが訊くと、レイナはゆっくり目を開けて言った。

「シエ…教室の後ろ、誰がいる?」

「う、後ろ?ちょっと待って」

 シエは後ろを振り返り、再び前を向いてレイナに囁いた。

「ヤスコ達のグループ、それからタカハシさん達のグループ、後は…あ、マルヤマさんとカトウさんが今入って来たけど。ねえ、それがどうかしたの?」

 不安そうな顔で、シエが訊ねる。

 レイナは、厳しい表情で言った。

「誰かが、邪気に侵されてる。シエも、意識集中させてみて」

「えっ?」

 驚いたシエは、慌てて目を閉じた。

 意識を集中させると、背後から真っ赤に燃える邪悪な気を感じた。

「嘘っ…だっ、誰っ?」

 目を開けたシエは、すぐさま後ろを振り返った。

 しかし皆は楽しそうにお喋りしているだけで、いつもと変わった様子はない。

「見た感じは、普通だけど…でもまさか、自分のクラスにそんな人が現れるとは思わなかった」

 シエは溜息をつきながら席に座り、教科書を鞄から出した。

 通路を挟んで隣の席のレイナは、ひたすら意識を集中させて更にターゲットを絞ろうと、必死に試みている。

「ちょ、ちょっと、無理しない方がいいよ。また、頭痛くなっちゃうからさぁ…」

 心配してシエが注意するが、レイナは目を瞑ったまま透視をやめようとしない。

 そして、突然目を開けて言った。

「やっぱり、ヤスコだ…」

「えっ?」

 その名前を聞いて、シエは酷く驚いた。

「ヤ、ヤスコ?」

 まさか、ヤスコが邪気に侵されるなんて。

 邪気に侵される人間と言うのは大抵意志の弱い人間や、悩みを抱えて落ち込んでしまった人間、心を閉ざしてしまった人間などだ。

 シエが見る限り、ヤスコはそう言った人間には該当していなかった。

 このクラスの学級委員で、成績もトップレベル。

 そんな人間が邪気に侵されるとは、どう考えても有り得ない事だった。

「ど、どうするの?」

 シエが訊くと、レイナは考えながら言った。

「私達、2人でやる?」

「ふっ、2人でっ?」

 シエは、顔を顰めた。

 誰かに呼び出されて手助けをした事は何度かあったが、実際に自分達で敵を見つけて戦いを仕掛けた事は、シエもレイナも1度もない。

「ちょっと、不安なんだけど…此処はやっぱ、誰かに応援を頼んだ方がいいんじゃないかと思う」

 シエがそう言うと、レイナも小さく頷いた。

「そう、だね…私達まだ経験が浅いから、2人っきりじゃ不安だもんね」

「でも、誰を呼ぶ?本当は、タカヤさんとかいてくれたら楽勝なんだけどさぁ…」

 シエの意見に心の中で賛成しながらも、レイナは別の人間を推した。

「1番呼びやすいのは、やっぱりオウタくんとハルキくんだと思う」

「そうなっちゃうよねぇ…じゃあ、呼んでみる?」

 シエも賛成しているようなので、レイナは頷いて言った。

「取り敢えず、呼ぶだけ呼んでみよう。戦いを仕掛けるのは多分放課後になると思うから、学校が終わり次第こっちに来てもらえればいいよね」

「あ、でも…うち、女子高だよ?」

 シエの指摘に、悩むレイナ。

「だ、だけど…ミサさんやヨツミさんじゃあ呼びにくいし、ノワちゃんは連日のタカヤさんの治療で疲れているだろうし」

「やっぱ、オウタくんとハルキくんに来てもらうしかないんだよね…じゃあ私、呼び掛けてみる」

 そう言って、シエは心の声を遠くに飛ばし始めた。

  

        ★

  

「かったるぅーい…ねえねえハルちゃん、一緒に授業サボんない?」

 オウタは机の上に腰掛けながら、目の前で教科書を広げているハルキに声を掛けた。

「ヤダね」

 即答したハルキは、ずり落ちた眼鏡を上げた。

「だぁーれが、お前なんかとサボるかよ。1人でサボれ、1人で!」

 オウタは、拗ねたように言う。

「なーんだよーっ!そうやって自分ばっか勉強して、俺を置いてく気だな?」

「置いて行くとは言ってないけど、その前に誰もお前を連れて行くだなんて言ってない。今日、此処の問題掛かんだよ。頼むから、邪魔すんな!」

 そう言って、ハルキは再び教科書に目をやった。

「チェッ…いいですよーっだ」

 口を尖らせたオウタはする事もないので、朝コンビニで買ったマンガ雑誌を鞄から取り出し、1人で黙々と読み始めた。

 その時…オウタとハルキを呼ぶ声が、頭の中に入って来た。

《…タくん、…キくん》

「なあ、聞こえたか?」

 マンガを読むのをやめ、オウタはハルキを見た。

 ハルキも顔を上げ、コクリと頷く。

「通信か…俺が、応答する」

 そう言って、オウタは自分達を呼ぶ頭の中の声に集中した。

《…ウタくん、…ルキくん。どっちでもいいから、返事して!》

《その声は…もしかして、シエちゃん?》

 オウタが返事をすると、暫く沈黙が続いた後に相手が再び言葉を送って来た。

《あ、オウタくん?良かった、聞こえてたんだ…そう、私!シエ!》

《どうした?何か、あったのか?》

 オウタが訊くと、シエは突然不安そうな声を出した。

《それが…今、うちのクラスに邪気に侵された女の子がいるんだけど、私もレイナも自分から戦い仕掛けた事ないんだ。誰かに呼び出されて、手伝いに行くくらいしかした事なくて…》

 オウタは、シエの言いたい事を察した。

《行けばいいんだろ?俺、今日暇だから行ってやるよ。ま、ハルちゃんはどうだかしんないけどぉ?》

 すると、突然ハルキが会話に入って来た。

《人を、冷血人間みたいな言い方すんな!行けばいいんだろ、行けばっ!》

 投げやりな態度のハルキを見て、オウタはニヤリと笑った。

《本当はものすごーく嫌だけど、仕方なく行ってやるってハルちゃんが言ってます》

《おいっ!》

 怒りを爆発させたハルキは、必死にオウタの首を絞め始めた。

 周りのクラスメイトは、無言で争っている2人を不思議そうに見ている。

《と、とにかく、来てくれるんだねっ?じゃあ今日の放課後、そっちの授業終わってからでいいから、うちの学校来てくれる?あ、女子高だけど…何とか、忍び込んでもらうつもりだから!》

《あ、ああ、分かった。じゃあ、放課後に》

 そうオウタが答えた所で、シエの通信は途絶えた。

 ハルキに絞められた首を摩りながら、オウタはハッとした。

「あっ!そう言えば今日ゲーセン半額デー、忘れてたって!でもま、いっか。女の子の頼みだし、女子高に忍び込めるし…たかがゲーセンくらい、今日は我慢しようーっと。イヒヒヒヒ!」

 ハルキは、呆れて言う。

「女の為か…アホとしか、言いようがないな」

 

         ★

 

 「駄目だっ!放課後までなんか、待っていられない!お前だって、分かっているんだろう?邪気は知らない内にどんどん感染し、侵された人間は山程増える!このまま放課後まで放っておいたら、俺達2人だけでは手に負えなくなるんだぞ!」

 昼休みの屋上。

 イオリは、怒りと苛立ちを露にして叫んだ。

 横には、黙ったままのヨツミ。

「そんなに、慌てる事ないと思う…もしこれ以上増えたなら、皆に来てもらえばいいんだし…」

 呑気なヨツミを見て、イオリは驚きを隠せなかった。

「お、お前…本気で、言ってるのか?」

「私、不思議でしょうがない。だって…」

 ヨツミは、冷静に語った。

「邪気に侵された人間は、元は普通の人間でしょう?それが、何らかの理由で邪気に侵される。だったら、その邪気は何処から来てる訳?マツモトくんだって、こんな事してても無駄なんじゃないかって、本当は思ってる筈…違う?」

 ハッとしたイオリは、静かに言った。

「確かにそれは、俺も疑問に思ってた。邪気で人間を操っている大元が、何処かにいる…って事、だよな」

「だったら、いくら邪気を抜いてその人間を助けたとしたって、その大元を倒さない事にはどうしようもないじゃない。また別の人間に邪気が入り込めば、同じ事…」

 イオリは、ヨツミの意見に反対しようとはしなかった。

 実はイオリも、少し前からそう考え始めていたからだ。

 イオリは、空を見上げながら呟いた。

「やはり、コウリに訊くしかないのか…」

  

        ★

  

「おっじゃまっしまぁーっす!」

 ミサはお菓子とジュースの入った袋を持って、ドカドカと家に上がり込んだ。

「全く…両親がいないと分かったら、途端にこれだもんな」

 溜息をつきながら、タカヤは包帯で吊っていない方の手で玄関のドアを閉めた。

「タカヤの部屋、何処?2階?中学ん時からの付き合いだけど、家に遊びに来た事って1度もないからさぁ!」

 そう言って、ミサは勝手に2階へ上がって行く。

「2階の、突き当たりだ」

 タカヤはそう叫んで、キッチンの戸棚から硝子のコップを4つ取り出した。

 それを乗せたお盆を、片手でどうにか持ち上げようとした所で、ダダダダダーッと階段を駆け下りる音。

 ガチャッとキッチンのドアが開き、ミサが慌てて入って来た。

「ごっめーん!腕怪我してるの、忘れてた!私、運ぶから!タハハ…」

 ミサは申し訳なさそうに頭をかき、コップを乗せたお盆を持って階段を上った。

 そんなミサを見たタカヤも笑いを堪え、キッチンを後にする。

 タカヤが階段を上ろうとした時、玄関のインターホンが鳴った。

「はい」

 タカヤが玄関のドアを開けると、其処にはノワとエツトが立っていた。

「タカヤさん、帰ってたんですね?良かったね、エッちゃん」

「だな!ちょっと、早過ぎたかなーって思ったんですけど…あ、えっと、お邪魔していいっすか?」

 微笑みながら頷いたタカヤは、2人を中へ入れた。

 2階のタカヤの部屋では、既にミサがジュースやお菓子を用意して待っていた。

「もう、遅…あ、2人ともいらっしゃい!案外、早かったねぇ」

 ミサを見たノワは、驚いて言った。

「ミ、ミサさんこそ、どうしたんですか?お菓子まで、用意して…ミサさんが来るって分かってたら、私達も何かお土産持って来たのになぁ」

 立ち上がったミサは、ノワの背中をポンと叩いた。

「なーに、気ぃ使ってんの!これは、私が勝手に買って来ただけ。こっちはノワとエツトが来るって分かってたから、お菓子の1つも用意しとこうかなーって思っただけだから!気にしない、気にしない!」

「ホント、すいません…って事で、早速1つ頂きます!」

 最初は恐縮していたエツトも、座った途端お菓子を手に取った。

「あ、じゃあ私は先に治療を行います。タカヤさん、腕見せて下さい。痛みの方は、どうなりましたか?」

 ノワに包帯を取ってもらいながら、タカヤは顔を顰めて言った。

「残念ながら…まだ、ちょっと痛むんだ」

「おかしいよね、もうほとんど傷は残ってないのにさぁ…」

 チョコレートを食べながら、ミサがタカヤの腕を覗き込む。

「確かに、そうですね…」

 ノワは、タカヤの腕を見ながら言った。

「傷は塞いだんですが、痛みがまだあると言う事は…もしかしたら、邪気が腕の内面に残っているのかもしれません。でしたら今日からは、邪気を吸い取る治療に変えたいと思います」

 ノワは、タカヤの腕に手を翳した。

 ノワの手のひらからは仄かな光が放射され、タカヤの腕を包んだ。

 痛みのせいか、タカヤの表情が歪む。

「大体ね、どうして私を呼ばない訳?全く、何でも1人で解決しようとするんだから!私達、仲間じゃん!協力してこそ、意味があるんじゃないの?守備型のクセに無理するから、こう言う目に遭ったんだよ!」

 タカヤが自分に助けを求めてくれなかった事が悔しいのか、ミサは一気に文句を吐き捨てた。

 確かにタカヤは誰にも頼らず、何でも自分だけで解決しようとする傾向がある。

 しかし、それは…裏を返せば、仲間を信用していないと言う事にも、受け取られかねないのだ。

「ゴメン。だけど、なるべく皆を危険な目には遭わせたくないって、常々思っているものだから…」

「いや、タカヤさん!それは、違うと思います!」

 タカヤの言葉に反論するかのように、エツトはジュースを一気に飲み干すと、ドンッとコップを置いた。

 驚いたノワが、目を丸くしてエツトを見る。

「いいですか?さっきもミサさんが言った通り、協力してこその仲間です!俺達の事が信用出来ないならともかく、少しでも必要としてくれているのなら、呼び掛けて下さいよ!俺、タカヤさんの為だったら何処へでも飛んで行きますから!」

 エツトの言葉を、タカヤは黙って聞いている。

「1人でやろうとした結果、こんな大怪我を負ってしまった訳でしょう?タカヤさんは皆を危険な目に遭わせたくないとか、迷惑を掛けたくないとかって言ってますけど、それって綺麗事ですよ!現に、こうしてノワにも迷惑を…あ」

 其処まで言って、エツトは慌てて口を塞いだ。

 ミサが心配そうな顔で、エツトとタカヤを交互に見る。

 タカヤは、無表情のままだった。

「すっ、すみませんっ!年下のクセに、生意気な事言っちゃって…」

 エツトは、慌てて頭を下げた。

「たっ、ただ、俺は…いつも皆、タカヤさんに頼ってばっかで迷惑掛けてんのは、こっちの方じゃないですか!だから、タカヤさんの負担を軽くする為にも、たまには俺達に頼って欲しいなって思っただけで…」

 俯くエツトを見ながら、ノワも泣きそうな顔で言った。

「エッちゃんを、許してあげて下さい!悪気があって、言った訳じゃないんです!私、迷惑だなんて思ってません!回復の術は私にしか使えないから、普段お世話になっているタカヤさんのお役に立てて、むしろ嬉しく思ってるくらいなんです!だから…」

「いや、あの…」

 タカヤは困った顔をしながら、ミサの方を見た。

 ミサはニコッと笑い、頷いて見せる。

 タカヤは言った。

「あ、有り難う…2人の気持ちは、良く分かったよ。僕も、どうかしていたんだ。皆よりちょっと力の度合いが強いからって、いい気になってたのかもしれないな」

 優しく微笑むタカヤを見たエツトは、激しく首を横に振った。

「なっ、何言ってるんすかっ!タカヤさんは、自分の能力の高さを鼻に掛けるような、そんな人じゃありませんよっ!俺もノワもタカヤさんの事、尊敬してるんすからっ!だから、そんな風に自分の事を悪く言うのは、やめて下さいっ!」

 顔を真っ赤にするエツトを見ながら、タカヤは大笑いした。

 ミサが、パンパンと手を叩く。

「はいはい!めでたくまとまった所で、仕切り直しぃーっ!ほれ、コップ持って!」

 ミサに言われるがままコップを持った4人は、何故か盛大に乾杯をしたのだった。

 

         ★

 

  シエとレイナは学校も終わり、玄関前広場のベンチに2人で座っていた。

「遅いね、2人とも」

 レイナがそう言うと、シエも伸びをしながら頷く。

「そうだねぇ、何やってん…あ、来た。おーい、こっちこっち!」

 シエは、正門前に到着したオウタとハルキを見つけ、立ち上がって手を振った。

 それに気付いたオウタが、ハルキを引っ張ってこっちへ来る。

「悪い悪い、遅くなったな。コイツが委員会の仕事があるとか言い出してさ、珍しく俺なんかが手伝っちゃったりなんかしちゃったりして?」

「ま、そのせいでかえって仕事が捗らなかったりもしちゃったりし…くっ!」

 いつも通り、ハルキの首を絞めるオウタ。

 そんな2人を見ながら、レイナはくすっと笑った。

「でも、来てくれて有り難う。うちのクラスのヤスコって言う子なんだけど、その子学級委員やってて頭もいいし、しっかりしてるし、そんな簡単に邪気に侵されちゃうような子じゃないんだけど…」

「そう言う子に限って悩みが多かったり、精神的に弱かったりする。皆から頼られてる分、プレッシャーも余計に掛かったりしてるからな…」

 ハルキがそう言うと、オウタは腕を組んで頷いた。

「さっすがは、うちのクラスの学級委員!って事は、何だかんだ言ってハルキにも悩みがあるのかぁ…」

「僕も人間だ、悩みの1つや2つくらいあるに決まってんだろ!お前の方こそ、悩みなんてあるのか?」

「なーにを仰ってるんですか、君は!私にも、悩みくらいは御座いま…」

 長引きそうな2人の会話を遮って、シエは言った。

「そんな事より、ヤスコまだ学校にいるんだ。取り敢えず…用務員さんとかしか使わない裏通路があるから、其処から入ろう」

 オウタとハルキはシエとレイナの後について行き、裏通路から校内に入った。

 生徒はほとんど帰ってしまったらしく、校内はしんと静まり返っている。

 4人は廊下を歩き、シエとレイナの教室へ入った。

「あれ、いない…何処、行っちゃったんだろ」

 シエがそう言ってキョロキョロすると、レイナは目を閉じた。

「私、透視してみる」

「ちょっと待った!」

 止めたのは、オウタだった。

「今から力使ってたら、また頭痛くなるだろ?俺が、透視するよ」

 オウタは目を閉じ、邪気の行方を追った。

「遊んでそうに見えるけど、こう言う時のオウタくんって頼りになるよね」

 シエが小声で囁くと、レイナは首を傾げた。

「って言うか、オウタくんは女の子だったら、誰に対してもこうなんだと思う…」

「あーっ。もしかしてレイナ、オウタくんの事…」

 シエがからかうと、レイナは顔を真っ赤にした。

 その時、オウタが目を開けて叫んだ。

「見つけた!屋上だ!」

「お、屋上…と言う事は、向こうはもう僕達の存在に気付いてるって事だな」

 ハルキがそう言うと、オウタも頷いた。

「恐らくな…わざわざ人気のない所に1人でいるって事は、俺達が戦いを仕掛けて来るのを待ってるって事だ。よっしゃ、行こう!」

 4人は急いで教室を出ると、屋上へ続く階段を一気に駆け上って行った。

  

        ★

 

  彼らは10人とも同じ力を持っているのだが、正確に言えば2つのタイプに分かれる。

 1つは攻撃型、もう1つは守備型だ。

 仲間が2人ずつ、同じ環境の許にいる理由…それは、敵が出ても1人よりは2人の方が安全だから。

 そして、攻撃型と守備型両方の人間が一緒にいた方が、何かと便利だからだ。

 そんな訳でミサ(攻撃)とタカヤ(守備)。

 イオリ(攻撃)とヨツミ(守備)。

 オウタ(攻撃)とハルキ(守備)。

 シエ(攻撃)とレイナ(守備)。

 エツト(攻撃)とノワ(守備)。

 と言う、5つのペアに分かれている。

 だが、いくら攻撃型と守備型に分かれているからと言って攻撃型は攻撃、守備型は守備しか出来ないと言う訳ではない。

 それぞれが攻撃したり、自分の身を守ったりする事は可能だ(どちらの力が、より強いかと言う目安で分けられているに過ぎない)。

 その2パターンの力以外に、彼らには1人1人違う特殊能力がある。

 ミサ(攻撃)は『飛行の術』、自由に空を飛ぶ事が出来る。

 タカヤ(守備)は『結界の術』、結界(強力なバリアで仲間10人を余裕で囲える)を張る事が出来る。

 イオリ(攻撃)は『分身の術』、自分と同じ物体を作り出す事が出来る。

 ヨツミ(守備)は『変化の術』、動物・静物に変身する事が出来る。

 オウタ(守備)は『束縛の術』、生きているものを全て押さえ込んで縛り付ける事が出来る。

 ハルキ(守備)は『分析の術』、相手の能力や弱点などを即座に分析する事が出来る。

 シエ(攻撃)は『浮遊の術』、何でも宙に浮かべて自在に操る事が出来る。

 レイナ(守備)は『移動の術』、何処へでも瞬時に移動する事が出来る。

 エツト(攻撃)は『刀剣の術』、集めた気で創った光の剣を武器として使う事が出来る。

 ノワ(守備)は『回復の術』、どんな怪我でも治療する事が出来る。

 しかしこれらの力を持ってしても、邪気に侵された人間が減る気配は、一向に見られなかった。

 弱い人間をターゲットに、邪気はどんどん広がっている。

 邪気に侵された人間は、まるで生気を失ったかの如くゲッソリと青白く項垂れ、ゾンビのように考える事も喋る事も出来ないまま、ただ彼ら能力者達に襲い掛かるだけの人形と化してしまうのだった。

 

 

 10人のリーダー格であるコウリは、今後の対策に頭を悩ませていた。

「感じるか?皆、戦ってる…だが、戦っても戦っても人間は邪気に侵され続ける。いよいよ、ボスのお出ましって訳か」

 コウリはベランダに立って愛猫を抱き、遠い空を見上げた。

 今までの敵は、侵された人間から邪気を抜く事によって、事態は解決してしまうほどの弱いものだった。

 その間の記憶を失ってはいるものの、邪気を抜かれた人間達は皆、休息を取る事で元の生活に無事戻る事が可能であった。

 しかし最近の邪気は、タカヤほどの人間をも制してしまうほどの、強力なものだ。

 ただ徘徊するだけで、特殊能力を持つ彼らに対抗出来る程の力を持ち合わせてはいなかった邪気人間が、何と彼らと同等の攻撃力を身に付けて来たのだ。

 しかも、イオリやヨツミの学校では1人が邪気に侵されると、それが他の人間にも感染してしまい、次から次へ邪気人間が増えてしまうと言う事態にまで陥っている。

 それほどの強力な邪気に、コウリは心当たりがない訳ではなかった。

 とうとう、大元が自ら手を下し始めたのだ。

「そろそろ皆にも奴の存在を説明して、更に気合を入れてもらわないと…」

 コウリはそう呟き、腕の中の愛猫を優しく撫でた。


 

     5月1日 金曜日 ―現実―

 

        ○

 

 次の日。

 思絵は清々しい気分で目が覚め、学校へ行った。

「おっはよーっ!あ、あれ、どうしたの?また、具合悪いの?でも、昨日の夢ではオウタくん達がサポートしてくれて、礼名にはあんまり負担掛かってないと思…」

「思絵ぇーっ!」

 思絵の話など全く聞いていない様子で、礼名は思絵に泣きついて来た。

「ちょっ、ど、どうしたっての?よく分かんないんだけど、私…」

 慌てる思絵に、礼名は溜息をつきながら言った。

「はぁ…思絵のせいに出来たら良かったんだけど、これは思絵のせいじゃない。私が、いけないんだよねぇ…」

 再び溜息をつく、礼名。

 思絵の脳裏には、クエスチョンマークが無限に広がっている。

「あ、あのぉ…ひょっとして力の使い過ぎで頭が、痛くなるどころかおかしくなってしまったのでは?」

 礼名は、ムッとする。

「違うよ!もう…ほんっと、思絵のせいに出来たらなぁーっ!」

「だから、何?分かるように説明して下さい、お願いします!」

 思絵が深々と頭を下げて頼むので、礼名は昨晩の夢を思い出しながら言った。

「私、思絵の言う通り、オウタくんの事好きかもしれない…」

「えぇーっっっ?」

 思絵は、奇声を発した。

「そっ、そんな驚き方しなくたっていいじゃない!だから、あの時思絵が言ったでしょ?私が、オウタくんの事…って」

 思絵が唸りながら、夢の内容を思い出す。

「う、うーん…まあ、確かにそんなような事言ったかも。でも、それが何なの?」

 礼名は、話を続けた。

「だから、最初は思絵のせいにしようと思ってたの。思絵があんな事言うから、余計に意識しちゃうんだって。でも、それってやっぱ違う気がして…本当は、もっと前からオウタくんの事好きだったのかもしれない…」

 俯きながら話す礼名を見て、思絵は言った。

「いいんじゃない、別に…応援するよ、私!」

 しかし、礼名は沈んだ表情をする。

「その気持ちは嬉しいんだけど、私とオウタくんじゃ駄目なんだ…」

「え、何でよ!」

「だって、オウタくんはあくまでも夢の中の人でしかないんだよ?私達は、『仲間』が実在しているであろう事を信じてる。でも、あれは私と思絵のただの夢であって、本当はいないかもしれない…夢の中の人を好きになっちゃうなんて、何かバカみたいだよ」

 なるほど、それで礼名は朝から落ち込んでいたのか。

 しかし、思絵にとってそれはいい意味でどうでもよい悩みだった。

「そう言うのって、考える必要ないと思う。礼名は、オウタくんの事好きなんでしょ?だったら、オウタくんは絶対に存在してる!まあクサイ台詞だけど、信じていれば必ず奇跡は起こるって!」

 思絵に励まされて、礼名はゆっくりと顔を上げた。

「そ、そうかなぁ…」

「そうだって!私達だけでもオウタくんの存在を信じてあげなきゃ、オウタくん可哀想だよ?」

 思絵はそう言って、ニコッと笑った。

「うん…そう、だね」

 礼名も、笑って力強く頷いた。

「よし!じゃあ、早速…今日の数学の宿題、見せて下さい!」

「えーっ?もう、しょうがないなぁ…」

 パチンと手を合わせて大袈裟に拝んで見せる思絵を見て、礼名は肩を竦めた。

 

         ○

  

「ふぁーっくしょいっ!だぁーっ…風邪か、はたまた季節外れの花粉症か…いや!これはひょっとしたら、カワイコちゃんが俺の噂をしているのかも!」

 くしゃみをしながら上半身裸でニヤついている凰太を見て、陽祈は呆れた顔をした。

「3番目の意見に関して言えば、世の中には物好きな女も数多くいるので可能性はある。2番目の意見に関しては、まあそう言う奴もいるだろう…しかしっ!」

 喋りながらもテキパキと体育着に着替え終えた陽祈は、机に置いていた眼鏡を掛けた。

「1番目の意見は、却下!」

「あぁ?どーしてだよ…まあ確かに俺って健康体だからぁ、滅多に風邪なんか引かないんだけどぉ!」

 そう言って凰太も体育着に着替えると、几帳面に脱いだ制服を畳み始めた。

 それを見ながら、陽祈は首を横に振る。

「いや、お前の考えは根本的に間違っている。僕が言いたいのはそう言う事ではなく、昔から言うだろ?何とかは、風邪を引かないって…」

「んだと…あ、あれ?」

 凰太が首を絞めようとした時には、既に陽祈の姿はなかった。

「チッ、逃げ足だけは速いんだよなぁ…流石は守備型、自分の身は自分で守るってヤツですかねぇ…」

 そう呟きながら、凰太は体育館に向かった。

  

        ○

  

「『邪気』を抜いてもらったら、大分良くなったよ」

 そう言って、貴耶は腕を曲げたり伸ばしたりした。

 深冴が、それを見て言う。

「良かったじゃーん!やっぱ、貴耶がいないと精神的にも不安だよ。昨日見た夢…エツトの取り乱した様子、覚えてるでしょ?」

 貴耶は、躊躇いがちに頷いた。

「ああ、勿論…でもホント、皆には悪い事をしたと思ってるよ。よく考えてみたら、確かに皆を信用していないと言わんばかりの行動だったもんな」

「当ったり前でしょーっ!今度からは無理しないで、私達にも言ってよね。まあ…イオリみたいに、孤独を愛するってなら話は別だけど?」

 そう言って、深冴は肩を竦めて見せた。

 貴耶も、ハハハと笑う。

「彼には、彼なりのやり方があるんだろう。どう言う訳だか、ヨツミちゃんにしか心を開かないんだからな、イオリくんは」

「まあねぇ…そう言えばその2人、最近会ってないなぁ。何か噂によると、イオリとヨツミの学校に多数の『邪気』感染者が出たとか」

「ああ、それは僕も聞いた。コウリは、ふとした瞬間に突然現れるんだもんな。そして、必要な事だけ伝えて去って行く…」

 貴耶は、夢の中でのコウリを思い出していた。

「ねえねえ。他の『仲間』が現実にいるとしたら、勿論コウリさんもいるって事だよねぇ?どんな人だと思う?あんな意味不明な人、実際にいたら怖いよねーっ!」

 深冴が身震いして見せると、貴耶は笑って言った。

「別に、怖くはないだろう。あの人も人間だろうからね、多分…保証はないけど」

 キーンコーンカーンコーン。

 チャイムと同時に、教室の生徒達が席に着き始める。

「深冴っ!予習するの忘れたからノート見せてって、朝言ってなかった?」

 深冴の友人が、慌てて駆け寄って来る。

「あぁーっっっ!わっ、忘れてたよぉーっ!」

「と、とにかく、先生が来るまでは見せてあげられるから!」

 友人に腕を引っ張られながら、深冴は貴耶に手を振った。

「じゃあ貴耶、また後でねーっ!」

「ああ」

 頷いた貴耶は、窓の外を見ながら思った。

「今夜の夢では、コウリと自由に会える方法を探さなきゃな…」

 

         ○

 

 「ねえ、世摘…アンタ、松本くんと付き合ってる?」

「えっ?」

 昼食の時間。

 弁当を食べながら、仲良し5人グループの1人が世摘に訊いた。

 世摘は、思わず咳き込む。

「ちっ、違う違う。あの人とは、全く何の関係も…」

「でもさぁ…向こうはよく来るよねぇ、世摘の所に」

 2人目の友人にも言われ、世摘は返す言葉がなかった。

「世摘はどうだかしんないけど、向こうはひょっとしたら世摘の事…」

 ニヤニヤしながら3人目の友人が言うと、驚いた顔で4人目の友人が叫んだ。

「えーっ!松本くんって、世摘が好きだったんだぁーっ!知らなかったぁーっ!」

「だ、だから…」

 と言いかけたが、面倒なので世摘はそれ以上言い訳しなかった。

 何故なら、夢の中の彼女達も全く同じ事を言って来るからだ。

 夢の中で言い訳ばかりしていた世摘は、現実でまで続ける気力は残っていなかった。

 大体、敵を倒す事しか頭にない唯織に、恋愛感情などある訳がない…と、世摘は思っていた。

 しかし…中々の美形なので、周りの女の子達がこのようにはしゃぐのは、しょうがないのかもしれない。

「あ!噂をすれば、松本くんのお出ましだ!」

 そう言われて、世摘は廊下の方を見た。

 唯織は世摘をジーッと見据え、廊下に出て来るよう目で合図している。

「ちょっと…出て来るね」

 世摘は既に食べ終えた弁当箱をしまい、急いで廊下へ出た。

「あれで、付き合ってないって方がおかしいよねぇ?」

「でも世摘の様子見てると、本当に何もなさそうに感じるけど…」

「だったら、案外松本くんも何とも思ってないのかもねーっ?」

「2人とも冷めた性格してるから、どうにもこうにもねぇ…」

 そう言って、友人達は揃って溜息をついた。

 

 

「お昼…食べたの?」

 世摘が訊くと、唯織は頷いて言った。

「ああ。ところで、昨日は大丈夫だったのか?つまり、その…夢の中でだけど」

「あ…」

 世摘は、ハッとなって手首を押さえた。

 昨晩の夢で、唯織と世摘は『邪気』が感染してしまった生徒達を助けるのに、かなり手間取っていた。

 結局、数人残したまま目覚めてしまったのだが、その時1人の生徒が唯織の隙を狙って、背後から攻撃して来た。

 それに気付いた世摘はとっさに唯織を庇い、手首を傷めてしまったのだ。

「だ、大丈夫。ただ、不思議なのは…見た目は何ともないのに、目が覚めた今も痛みを引きずってるって事」

 世摘の言う事に、唯織は目を見開いた。

「い、今も?一体、どう言う事だよ!あれは、あくまでも夢の中での怪我だろ!」

「じゃあ、どうして松本くんは夢の中での怪我なのに、目が覚めた今もこうして心配してくれてる訳?」

 逆に訊かれて、唯織は困った顔をした。

 何故だろう…それは、自分のせいで怪我を負わせてしまったからなのだろうか。

「べ、別に…ただ、ちょっと気になっただけだ。今夜の夢で、残りの人間を全て片付ける!いいなっ?」

 唯織は、少し焦ったような表情をした。

 世摘は、微笑んで言う。

「心配、してくれたんだ…有り難う」

「じゃ、じゃあな!」

 唯織はそっぽを向き、自分の教室へ戻って行った。

 世摘は、唯織の後ろ姿を見つめながら思った。

「もっと、『仲間』達にも素直になれればいいのに…」

  

        ○

  

 放課後。

 乃輪は、友人と共に学校を出た。

 そして途中の曲がり角で友人と別れ、真っ直ぐ家へ向かった。

 越斗と帰る時もあるのだが、今日は部活があるそうなので、友人と一緒に帰る事にしたのだ。

「ただいま!」

 家に着き靴を脱ぐと、母がエプロンで手を拭きながら、1枚のメモを持って来た。

「お帰りなさい。さっき電話があったのよ、男の人から」

「男の人?」

 乃輪は母からメモを受け取り、電話をかけて来た男性の名を見た。

「トキトウ…さん?」

 乃輪が訊き返すと、母は頷いて言った。

「帰って来たら、こちらから電話させましょうか?って言ったんだけど、いいですって言うから…」

「そう…」

 気になりながらも心当たりがなかったので、乃輪は自分の部屋へ入った。

 鞄とメモを机に置き、制服を脱ぐ。

 私服に着替えながら、乃輪はハッとした。

 そして怯えた表情のまま、頭の中で必死に叫んだ。

「えっ、越ちゃんっ!ど、どうしようっ!」

 

 

「乃輪?」

 越斗は乃輪の声が聞こえたような気がして、思わず後ろを振り返った。

 しかし、此処は学校の校庭。

 乃輪の姿など、何処にも見えない。

 すると突然ホイッスルの音がして、顧問教師の怒鳴り声が飛んで来た。

「おい、内野ぉーっ!試合中に、何ボーッとしてんだ!しっかりしろ!」

「すっ、すみませんっ!」

 すぐさま謝った越斗は、慌ててサッカーボールを追い掛けた。

「まさか『通信』…な訳ねーか。此処は、現実の世界だもんなぁ…」

 

 

     5月1日 金曜日 ―夢―

 

        ★

 

「私、今日ヨツミ…と、イオリがいればついでにイオリ…に、会って来るっ!」

 朝、学校へ来るなりミサは突然宣言した。

 タカヤは、包帯を巻き直しながら眉間に皺を寄せた。

「ど、どうしたんだ?朝から、気合入れちゃって…」

「だってね、いきなりいるんだよっ?全く、訳分かんないよねーっ!」

 ミサはそう言って1人で怒っていたが、タカヤにとってはミサの態度の方が、よっぽど訳が分からなかった。

 ポカーンとするタカヤを見て、ミサはハハハと笑った。

「ゴ、ゴメン、意味不明だったよね…それがさぁ、いきなりいるんだよ、これが!いつもの通学路にね、コウリさんが立ってたって訳よ!」

「コウリが?」

 タカヤは、驚いた表情をしている。

 ミサは、話を続けた。

「どうやらヨツミ達の学校、邪気感染者が増える一方みたいで…ヨツミとイオリだけじゃ、手に負えないみたいなんだ。だから、行って助けてやれだってさ」

 タカヤは、黙って話を聞いている。

「まああの2人には暫く会ってないから、久しぶりの再会も兼ねて、ちょっくら手助けに行ってやるかぁーっ!みたいな?」

「と言う事は、コウリは僕達の事を何もかもお見通しって訳なんだな?」

 え?と言う顔をして、ミサがタカヤを見る。

「コウリは、イオリ達の学校に邪気感染者がいる事を知っている。それが、日に日に増えてる事も。そして、僕が怪我した事も知っている…だから、ミサだけに応援を頼んだんだ」

「あ、ああ、そっか。そう言われてみれば、確かに…だって、おかしいもんねぇ?私達、自分がしてる事一々コウリさんに報告してる訳じゃないのに」

 ミサが言う事に、タカヤも頷く。

「大体、僕達はあの人の居場所を把握していない。今日現れたって、今度はいつ会えるか分からないんだ。次に会った時は、必ず居場所を訊く」

「じゃあ、私も訊いてみる…けどさぁ、あのコウリさんが大人しく教えてくれるとは、どう考えても思えないなぁ」

「確かに…」

 そのミサの意見には、タカヤも賛成だった。

「でも、訊くだけ訊いてみるさ。たとえ、言わなかったとしてもね。コウリには、訊きたい事が沢山あるんだ。僕を襲った、あの人間…あの邪気は、今までの弱いものとは全然違っていた。そして、イオリ達の学校に出現した感染性の邪気も気になる」

 ミサも、険しい表情をする。

「それは、私も気になってた。多分、今までの邪気は手下みたいなもんだったんだよ。いよいよ、大御所が出て来た…って事なんじゃないかなぁ」

「そのセン、強いな…」

 頷くタカヤ。

 ミサは、今までのように吊ってはいないものの、まだ包帯の巻かれているタカヤの腕を見て言った。

「今日も、ノワ来るんでしょ?私は、取り敢えずヨツミの家に行ってみるから、タカヤ様はごゆるりとお怪我をお治し下さいませ」

 タカヤは、これはこれはミサ様のお優しいお心遣い痛み入ります、と言って深々と頭を下げた。

 

         ★

  

《オウタ!聞こえたら、返事をしてくれ…オウタ!》

「へっ?」

 突然呼び掛けられたオウタは、ビクッとして起き上がった。

「こらぁーっ、エナミっ!お前は、まぁーた居眠りしてたな?今度寝たら、お前だけ特別に膨大な量の宿題を与えてやるからな。覚悟しとけよ、ハッハッハ!」

 数学の時間。

 教師に注意され、オウタは慌てて言った。

「おっ、お代官様っ!そっ、それだけは、ご勘弁をーっ!」

 平謝りするオウタを見て、クラスメイトが一斉に笑い出す。

 授業中の居眠りは、オウタの日課だった。

 しかし、さっきの声…あれは、確かに通信だった。

「おい、どうかしたのか?」

 後ろの席のハルキが、小声で話し掛けて来る。

 注意された手前、此処で後ろを向いてお喋りする訳にも行かない。

 オウタは、ハルキに通信を送った。

《誰かが、話し掛けて来やがった》

《誰か?》

 ハルキが訊き返す。

《ああ。あれは、間違いなくコウリさんだよ…そうだろ、コウリさん。一体、何処にいるんです?》

 オウタが語りかけると、コウリは笑って言った。

《ご名答。僕は今、この学校の正門前にいる。早速本題に入るが、イオリとヨツミの学校が大変な事になっているのは、前に教えたと思う。2人は今日も戦いに臨むようだが、感染者の人数は確実に増えて来ている為、このままではキリがないんだ。其処で…》

《応援を頼みたい、って訳ですか?》

 オウタがその先を察して言うと、コウリはくすっと笑いを漏らした。

《その通りだ。そう言う訳で…ハルキ。どうせ、お前も聞いているんだろう?》

 突然話を振られて、ハルキはビクッとした。

《あ、相変わらず、質の悪い人ですね…行きますって!言われなくても、分かってますよ…全く》

 いつもの調子でハルキがぶっきらぼうに答えると、コウリは再び笑った。

《ホント、いい子達ばかりで僕も助かるよ。但し、先にミサを行かせるように話はしてあるから、彼女達から連絡があったら助けに行って欲しいんだ。なければ、参加は無用。いいね?それじゃ》

《ちょっ、ちょっと、コウリさ…》

 オウタが話し掛ける間もなく、コウリからの通信は途絶えた。

《あーっ、もう何だよ!毎度の事とは言え、どうにかなんないのか?あの人…なあ、ハルちゃん?》

 後ろを振り返り、ハルキを見つめるオウタ。

《知るか…》

 ハルキも、拍子抜けした表情でオウタを見つめ返した。

 

         ★

 

 「ねえ…今日、タカヤさんち行かない?」

 帰りのホームルーム前。

 帰る支度を整えながら、急にそう提案したのはシエだった。

「タカヤさんち?そう言えば…お見舞い行ってないの、私達だけだっけ?」

「ち、違うよ!ほら、イオリさんとヨツミさんだって…」

 レイナの質問に、何故か小声で答えるシエ。

「ああ、あの2人はホント行動読めないからねぇ。特に、イオリさんは…」

 レイナも小声でそう言って、腕を組む。

「カッコいいのにねぇ…私、ちょっと憧れだなぁ」

 突然のシエの告白に、レイナは酷く驚いた。

「えぇーっ!シ、シエ、ああ言う人がタイプだったんだぁ…」

 シエは、途端に赤くなる。

「そ、そう言う問題じゃないでしょっ?話題が、ズレてるって!タカヤさんち、行くの?行かないの?」

 レイナは、考え込みながら言った。

「勿論、行くけど…どうしよう、お土産何がいい?」

「それは、学校出てから考えよう。ほら、先生来ちゃった」

 教室に入って来る担任の姿を見て、シエとレイナは前を向いた。

 

         ★

 

  放課後。

 ノワは、1人で保健室に来た。

 帰りに配られたプリントで指を切り、思った以上に出血が酷かったからだ。

 自分の力を使えば簡単に治るのだが、回復の術はちょっと使っただけでも、かなりの光が放射される。

 もし万が一、その光が周りの人間に見つかったら、とんでもない事になってしまう。

 だから、学校にいる間は普通の人間らしく、絆創膏でも貼っておこうと思ったのだ。

 保健室のドアには、不在中のプレートが掛かっていた。

 中に入ると、確かに誰もいなかった。

 力を使おうか…ノワは、迷っていた。

 しかし、誰も見ていない。

 ノワは自分の指を軽く握り、力を使おうとした…その時。

 ガラガラッ。

 突然、保健室のドアが開いた。

「は…ぁっ?」

 ノワは、心臓が止まりそうになった。

 ノワの手のひらからは、既に隠しようのないほどの光が放射されている。

 絶体絶命だと思ったノワは、座っていた椅子を倒す勢いで立ち上がった…しかし。

「あ…あぁっ?」

 ノワの不安は侵入者の顔を見た途端、安堵に変わった。

「コ、コウリ、さんっ…」

 保健室に入って来たのは、何とコウリだった。

 コウリは、ノワを見て言う。

「一瞬、死ぬかと思っただろう?驚かせるつもりは、なかったんだけどさ…でも、軽はずみな行動が命取りになり兼ねない。力は、学校では使わない方が懸命だな」

 ノワは、顔を真っ赤にした。

「コ、コウリさんこそ、どうして此処にいるんですかっ?他の生徒とか先生が入って来たら、お、追い出されますよっ!」

 コウリは、ニコッと笑う。

「その心配には、及ばない。君が力を使おうとしたその瞬間に、結界を張ったから」

除人じょにんの結界…ですか?」

 徐人の結界とは、その結界を張った人間が許可した存在以外は、決して入って来る事が出来ない空間を、瞬時に作り出す術である。

 ノワの質問に、コウリは頷く。

「人に入られちゃ、困るんだろ?だから、張ったんだよ」

 先程から微笑んでばかりいるコウリを見て、ノワは段々腹立たしくなって来た。

「ほんっと質悪いですよね、コウリさんってっ!」

 コウリは、大笑いして言った。

「何で、そう思うかなぁ。ハルキにも、同じ事言われたよ」

「えっ?ハルキさんに、会ったんですか?」

 ノワに訊かれて、コウリは首を横に振った。

「いや、会ってない。でも、元気そうだったよ。どうせ、暫く会ってないんだろう?」

 会ってないのに、どうして元気そうだったって分かる訳?

 内心そう思いつつ、ノワは頷いて言った。

「最近は、毎日タカヤさんの家に通っているので、他の皆さんには会ってません」

「でも、後は残った邪気を取り除くだけなんだろう?それも、あと僅か…恐らくタカヤも、もうそんなに痛んでない筈だよ」

「タカヤさんの所に、行ったんですか?」

 ノワに訊かれて、コウリはまた首を横に振った。

「いや、行ってない。でも、ミサには会ったよ。ああ、そう言えばエツトは元気?」

 この人の話、ついて行けない…。

 ノワが溜息をつきながら答えようとした時、突然保健室のドアが開いた。

「えっ?」

「誰だ」

 ノワとコウリが、同時に振り返る。

「コウリさん…除人の結界、弱まってますよ」

 入って来たのは、息を切らしたエツトだった。

 コウリは、途端に肩を竦める。

「あれ、弱まってる?まあそう言われてみれば、そんなような気も…お喋りに花を咲かせている内に、気が緩んだかな?」

 花、咲いてない…。

 心の中で、コウリにツッコミを入れるノワ。

「ところでどうしたのさ、そんなに息切らして」

 コウリにそう訊かれたエツトは、中に入ってドアを閉めた。

「今日、部活休みの筈だったんです。けど、突然やる事になって…だから、一緒に帰れなくなったって事をノワに伝えようと思って、校内中走り回ってたんです」

「そう。相変わらず、微笑ましいくらい仲良しさんだね?羨ましいなぁ…」

 エツトは、笑顔のコウリを無視して話を続ける。

「こっちの方に気を感じたんで来てみたんですけど、まさかコウリさんがいるとは思いませんでしたよ。何か、あったんすか?」

 不安そうなエツトを見て、コウリは困った顔をした。

「何かがないと、来ちゃいけないのかな?」

「いや、その…そう言う訳じゃない、ですけど…」

 エツトは、言いにくそうに口を開いた。

「コウリさんって…何かあった時しか、俺達の前に現れないじゃないですか」

 そう?と首を傾げるコウリに、そうですよと口を尖らせながらエツトは尚も言う。

「居場所だって全然分かんないし、何処に住んでて、何歳で、何をやってる人なのかも不明だし…」

「やっぱり、皆そう思ってんだなぁ…ま、何も語らない僕が悪いんだけど」

 コウリはそう言って立ち上がり、校庭に面している窓を開けた。

 部活動をしている生徒達で、校庭は賑わっている。

「エツトは、部活行かなくて大丈夫なのかな?」

 ふとコウリが言った言葉に、エツトはハッとした。

「やっべぇ、遅刻だ!じゃ、じゃあ、2人ともまた!」

 エツトは、慌てて保健室を飛び出して行った。

「ごまかす気、ですか?」

 ノワが、強い口調で言う。

 コウリは口の端で笑い、座っているノワを見下ろした。

「まさか…そんなつもりは、毛頭ないよ。この近所に住む、ただの気のいいお兄さんってトコかな」

「は?何、言って…」

 眉間に皺を寄せるノワに、コウリは手を振った。

「じゃあ、また」

 コウリが出て行った後のドアを、ノワは鋭い目つきでずっと睨み続けていた。

  

        ★

  

 コンコン。

 窓硝子を、ノックする音。

 学校から帰って来たばかりのヨツミは、ゆっくりと深呼吸をしながら、自分の部屋の窓を開けて言った。

「毎度の事ながら心臓に悪いよ、ミサ…」

 ミサは慌てて靴を脱ぐと、ヨツミの部屋に窓からお邪魔した。

「ごっめーん、ビックリした?暇を持て余してる所に、コウリさんからそっちの学校の事聞いてね、手伝おっかなぁなんて思って…結構、大変なんでしょ?」

 ミサに訊かれて、ヨツミは静かに頷いた。

「まあね…さっきも何人か浄化させたけど、次から次へと増えちゃって全然追いつかないの。まあ夜の学校は、そう言う人間が私達を待ってるかのようにウヨウヨ集まって来るらしいから、今晩7時になったらまた学校に来いって、マツモトくんには言われてる」

「も、もしかして、イオリ…自分で夜学校行って、張り込みやって、それでその事実を確かめたとか言う?」

 驚くミサに、ヨツミは肩を竦めて見せた。

「それが、まあ…大当たり。ホントあの人って、敵を倒す事に命懸けてるんじゃないかなって、時々思う。いつも、テキパキと仕事こなしてるし」

「まあ、彼がそれに生き甲斐を感じてるなら、それでいんじゃない?じゃあさ、7時までお邪魔させてね」

 ミサが来てくれた事が嬉しかったヨツミは、無表情ながらも素直に頷いた。

  

        ★

  

 ピンポーン。

 インターホンの音。

 暫く待つと、スピーカーから声がした。

〈はい〉

「あ、あの…突然来てしまって、すみません。サイトウとヒロセと言う者ですが、タカヤさんは…」

 シエが緊張した声で言うと、スピーカーからは温かい声が返って来た。

〈ああ、シエちゃんとレイナちゃん?〉

「は、はい!あの、タカヤさんですか?」

〈うん、僕。ちょっと、待っててね〉

 声が途切れると、玄関のドアが開いてタカヤが出て来た。

「やあ、2人ともどうしたの?」

 タカヤに訊かれて、レイナが答えた。

「あ、すみません。その、お見舞いに来てなかったなーなんて思いまして…」

 シエも、続けて言う。

「ご迷惑、でしたよねぇ?む、無理もないかぁ。急に、思い立っちゃったもんですから。しかも、帰りのホームルームの時なんかに…」

 俯く2人を見て、タカヤは言った。

「どうぞ。両親は腕も自由に使えない息子を残して、一昨日から旅行中なんだ」

 それを聞いて、シエとレイナは顔を見合わせた。

「い、いいんですか?」

 レイナが訊くと、タカヤは笑顔で頷いた。

「勿論」

「とっ、とっ、泊まってっていいですかっ…なーんちゃって!アハ、アハハハハ!」

 シエが冗談で訊くと、タカヤは真面目な顔で答えた。

「シエちゃんがその気なら、僕は構わないよ。僕のベッド、ちょっと広いから…」

「え…えぇーっっっ!」

 シエは、真っ赤な顔をしてタカヤを見つめている。

 タカヤは、プッと吹き出した。

「なーんちゃって…ね」

 すると、シエの真っ赤な顔は更に真っ赤になった。

「ヤ、ヤダぁ、タカヤさんってばぁ…もうっ!」

「アハハハハ!」

 隣で、レイナも大笑いしている。

 ゴメンゴメンと謝ったタカヤは、玄関のドアを開けた。

「さあ、2人とも入って」

『お邪魔しまーす!』

 声を揃えた2人は、早速中に入れてもらった。

 2階へ上がり、タカヤの部屋に入る。

 2人を座らせた所で、タカヤが言った。

「何か飲む?」

 シエは、首を横に振った。

「い、いえ、お構いなく。ほら、缶ジュースとお菓子持って来たんですよ。それにタカヤさんは病人なんですから、大人しく座ってて下さい」

「病人だなんて、大袈裟だなぁ…ほら、見てご覧」

 そう言って、タカヤは左腕の包帯を取った。

「外傷は、全くないだろう?」

「ホント、綺麗ですね」

 腕を見ながら、レイナが言う。

 タカヤは、包帯を巻き直した。

「怪我を負ったばかりの頃は、痛くて夜も眠れなかったんだ。腕も、真っ赤に腫れちゃってね…此処まで綺麗に治ったのは、ノワちゃんのお陰だよ」

 其処で、シエが思い出したように訊く。

「そう言えば最近ノワ達と会ってないけど、元気にしてますか?」

 タカヤは、頷いて言った。

「ああ、元気にしてる。でも僕のせいで、ちょっと疲れてるみたいなんだ。当たり前だよね、毎日力を使ってるんだから…ホント、申し訳ないと思ってるよ」

 自分の腕をギュッと掴み、俯くタカヤ。

「ノワちゃん、会うといつも言ってるんですよ。皆の足手まといにだけは、絶対なりたくないって…きっとタカヤさんが元気になる事が、ノワちゃんの元気にも繋がると思うんです。だから、タカヤさんは気にせず養生して下さい」

 レイナの言う事に、タカヤは笑みを浮かべて頷いた。

  

        ★

  

 午後7時。

 学校に着いたヨツミとミサは、正門の前に立っていた。

 辺りは真っ暗で、人の気配は全くない。

 イオリは、もう来ているのだろうか。

「うわ…心なしか、肌寒い。まあ、まだ5月になったばっかだもんね。あーあ、連休を明後日に控えてるって言うのに何やってんだろうねぇ、私達」

 ブツブツ文句を言いながら、ミサは溜息をついた。

 そんなミサを無表情で見つめながら、ヨツミが言う。

「行こう…」

 スタスタと歩き出すヨツミの後を、ミサも慌てて追う。

 校舎の中に入ると、異様なほど邪気が漂っていた。

 思わずミサは息を飲み、小声で言った。

「そ、相当、いるんじゃない?この邪気の量から、察するに…」

「そうみたいだね…とにかく、マツモトくんを捜そう」

 ヨツミの言う事にミサも頷き、2人はなるべく音を立てないように階段を上った。

 1つ1つ教室を覗くと、何と…生気を失った青白い顔の生徒達が、暗闇の中で普段の学校生活のように、無言で席に座っているではないか。

「ど、どう言う事っ?何で、生徒がこんな時間にこんな大勢で…っ?」

 ミサが驚いていると、ヨツミは厳しい表情で言った。

「やっぱり…私達を、挑発しているとしか思えない。次、行こう」

 2人は3階4階と教室を見回り、残るは屋上のみとなった。

 すると突然ヨツミが立ち止まり、黙り込んでしまった。

「どうした…あ、通信か」

 ミサは、ヨツミの通信が終わるのを待った。

 ヨツミの表情が、見る見る内に険しくなる。

 終わった頃を見計らって、ミサは訊いた。

「誰?イオリ?」

 ヨツミは、頷いて言う。

「何か今、屋上にいるって。取り敢えず、10人は片付けたらしい。コウリさんが、いるとかいないとかって言ってたけど…」

 それを聞いたミサは、目を丸くした。

「コ、コウリさん、来てんの?ホント、あの人って神出鬼没ぅーっ!ま、まあ、いっか。コウリさんいれば、今夜中に片付きそうだし…行こ、屋上っ!」

 ヨツミも頷き、2人は階段を上って屋上への扉を開いた。

 急に入り込んで来た風が、2人の目を覆う。

 少しずつ目を開けると、目の前ではイオリが1人で5人の生徒と戦っていた。

 しかも、その生徒達は相当強力な邪気に侵されているらしく、気の塊を手のひらから発していた。

 今まで、邪気に侵された人間が飛び道具を使う所は、見た事がない。

 イオリは次々と飛んで来る気を避けるのが精一杯で、攻撃など出来たものではない。

「や、やっぱり私、来て良かったぁーっ…イオリっ!加勢するよっ!」

 そう叫んだミサは突然空中へ飛び上がり、手のひらから気砲弾を発した。

 気砲が当たった生徒達が、次々に倒れて行く。

 しかしまたすぐに立ち上がり、こちらへ向かって来た。

 今までなら、1発ぶち込めば自動的に邪気が浄化されていたと言うのに…やはり感染性だけあって、そう簡単には倒れてくれないようだ。

 ミサは、連続で気砲弾を発している。

 容赦ないミサを見て、ヨツミは叫んだ。

「ミサっ!人間本体は、傷付けないようにねっ!」

 すると、ミサの存在にようやく気付いたイオリが、敵の攻撃を避けながら叫んだ。

「おい、オオゼキっ!貴様、余計な真似をするなっ!加勢しろだなんて、頼んだ覚えはないぞっ!」

 ミサは、舌打ちをした。

「ったく…相変わらず可愛くないね、アンタはっ!」

 その時、後ろのドアが開いてコウリが入って来た。

「イオリ!今は、憎まれ口を叩いている暇はない!ミサを呼んだのは、僕だ!2人で、協力する事を考えろ!いいな?」

 苦い顔をしながらも、イオリは黙って頷いた。

 宙に浮いていたミサが、イオリに言う。

「コウリの言う事なら、聞くんだね…分かったんなら、2人で協力するよ!ヨツミ!私とイオリが攻撃に回るから、ヨツミは隙を狙って倒れた生徒の浄化を試みて!」

「分かった!」

 ミサの指示にヨツミは頷き、取り敢えずミサとイオリの攻撃を見守る事にした。

 ヨツミの隣に歩み寄って来たコウリは、ヨツミの肩にそっと手を置いた。

「浄化は失敗すると、中に入った邪気どころかその人間自身の魂まで抜けかねない…慎重にな」

 ヨツミは、コウリの顔をジッと見つめて頷いた。

「はい…」

 ヨツミは何故か胸の高鳴りを感じ、思わず俯いた。

 それを知ってか知らずか、コウリはヨツミの頭をポンポンと優しく撫でた。

「僕は、教室にいる残りの生徒達を誘い出して来る…後を、頼んだよ」

 ヨツミが黙って頷くと、コウリは微笑んで校舎の中へ戻って行った。

「あれ、コウリさんは?」

 ドアの閉まる音に反応したミサが、訊いて来る。

「残りの人間を、誘い出すって…」

 ヨツミの答えに、ミサは頭を抱えた。

「えーっ、ちょ、ちょっと、待ってよ!あの人、本気であれだけの人数を、今日中に片付けようとしてんのぉーっ?」

 すると、突然体の大きい男子生徒が、今までにない大きな気の塊を飛ばして来た。

「おい、オオゼキっ!余所見してんじゃねーよっ!」

「おっとっと…」

 その気を避けたミサは、溜息をついた。

「ちょっとこれ、避けんのも一苦労じゃない?」

「結界を、融合させるんだ!」

「ああ…お、OK!」

 イオリの提案通り、2人は互いの結界を融合させる事にした。

 そうする事によって、より強力な結界が出来るからだ。

 しかし、結界の融合は2人までしか出来ないので、複数の人間が囲えてかつ強力な攻撃を避ける為には、やはりタカヤの結界の術が必要となる。

「くっ…」

 2人ともかなり苦しそうな表情だが、ヨツミの結界をプラスする事は不可能なので、今は2人だけで耐えてもらうしかない。

 何とか攻撃を防ぐ事が出来たミサは、深い溜息をついた。

「融合もいいけど、こんなんじゃキリがないよ…やっぱ、助っ人を呼ぶっきゃないか」

 それを聞いたイオリは、突然怒鳴った。

「おい、オオゼキ!余計な事をするなと、言っただろっ!助けを呼ばなくても、俺が分身するっ!」

 そう言って念じ始めたイオリを、ミサは止めた。

「バカ、言わないでよ!此処でアンタが分身の術なんて使ったら、その時はアンタと同じ力の分身がいてくれるからいいって言ったって、術を使った本体のアンタは確実に弱まって行くんだよ?」

「今なら、俺も含めて10人までは大丈夫だ!だから…」

 聞かないイオリに、ミサが怒鳴る。

「分身してくれれば、そりゃあ人数増えて嬉しいよ?けど今は分身したアンタより、そのままのアンタの力が必要なのっ!どうして仲間が必要としてくれてる時に、そうやって意地張ってる訳っ?」

 イオリは、ハッとなって俯いた。

 ミサは、ヨツミに向かって叫んだ。

「ヨツミっ!オウタとハルキを、今すぐ呼んでっ!話は、コウリさんから聞いてると思うから!」

「わ、分かった!」

 ヨツミは、急いで通信を送った。

《オウタくん…聞こえる?お願い、返事して!》

 暫く語りかけていると、ようやく応答があった。

《ヨ、ヨツミちゃんっ?どっ、どうしたんすかっ?》

 オウタは、かなり焦っているようだった。

 しかし、そんな事を気にしている暇はない。

《今、凄く大変な事になってるの!場所はうちの学校なんだけど、ミサとマツモトくんだけじゃ攻撃が弱いんだ。私は守備型だから、浄化に回ってって言われたんだけど。コウリさんは、残りの生徒達を誘い出してて…ああ、何かゴメン…脈絡、ないよね》

 ミサやイオリの様子を見て、急いだ方がいいと思ったヨツミは、急げば急ぐほどうまく説明が出来なかった。

 ヨツミが謝ると、オウタは相変わらず焦った口調で言った。

《そっ、そんな事ないっす!俺も、コウリさんから連絡があったら助けに行くようにって、言われてますから!あ、ハルキもですよね?俺、連絡して2人で行きます!》

《ホント?有り難う…じゃあ、待ってる!》

 其処で、ヨツミは通信を切った。

 ミサとイオリは相変わらず苦戦しているが、何人かは気絶にまで追い込む事が出来たらしく、隅の方に生徒達が倒れている。

「どうだった?」

 ミサに訊かれて、ヨツミは大きく頷いた。

「今、来るって!」

「そう、良かった!じゃあ、そっちに倒れてる連中の浄化よろしくぅ!」

 ミサに頼まれて、ヨツミは生徒の倒れている所へ走って行った。

 1人1人の胸に手を当て、強く気を送る。

 すると、口から黒い煙のような邪気が出て来て、空中で消滅した。

 倒れている人間の浄化を終えたヨツミが立ち上がると、屋上のドアが開いてコウリと共に生徒が次々と出て来た。

「これで、やっと半分かな。まだ教室に、これの倍は残ってる」

 そう言って、コウリはまた校舎へ戻って行く。

 ミサは、半分泣きの入った声を出した。

「誰か、助けてよぉーっ!」

 その時、突然空間の一部が歪んだ。

 中からオウタ、ハルキ、シエ、レイナの4人がパッと姿を現す。

「だっ、大丈夫ですかっ?オウタくんに呼ばれて、私達も駆けつけたんですっ!」

 シエがそう叫ぶと、ミサは安堵の表情を浮かべた。

「た、助かるぅーっ!シエ達、何処にいたの?」

「私達、タカヤさんの家にお邪魔してたんです。けどオウタくんから突然通信が来て、急いで行きたい場所があるから、移動の術頼むって言われて…訊いたらミサさん達が大変だって言うから、私達も手伝おうと思って来ました!」

 レイナが説明すると、イオリが怖い顔で言った。

「おい、お前達っ!今までの経緯はいいから、さっさと手伝えっ!オオゼキも、余計な事を色々訊くなっ!こっちに、集中しろっ!」

「はーい、イオリ様ぁーっ…」

 大人しく返事をしたミサは、皆に指示を出した。

「じゃあ攻撃型はこっちで、守備型は浄化。よろしくぅ!」

『はいっ!』

 返事をした皆は、それぞれの持ち場に就いた。

 ヨツミはしゃがんだまま、次々と気絶する生徒達を浄化し続けており、流石に疲れの色が見えていた。

 ハルキが、ヨツミの肩を叩く。

「ヨツミさん…少し、休んで下さい。後は、僕とヒロセさんでやりますから」

 ヨツミは、頷いて言った。

「有り難う、そうしてくれると助かる…あ、ヒロセさん」

「はい?」

 返事をする、レイナ。

「あの、さっき、4人も連れて移動したばっかりでしょう。また頭痛くなると悪いから、あまり無理しないように…それだけ」

 ヨツミは無表情だったが、レイナは嬉しそうに微笑んで頷いた。

「はい、有り難う御座います!」

 ハルキとレイナは、早速生徒の浄化に取り掛かった。

 ヨツミは壁に寄り掛かって座り、大きく深呼吸をした。

 普通に気砲弾を飛ばして攻撃したり、自分1人分の結界を張って防御する為に力を使うよりも、浄化する為に力を使う方が消費が早い。

 だから、ほぼ同じ時間力を使い続けているミサやイオリよりも、ヨツミの方が疲労が激しいのだ。

 ヨツミが休んでいると、生徒達を引き連れたコウリが再び現れた。

「お、助っ人の登場だな。ん?シエとレイナも、来ているのか。これは、頼もしい…あれ、ヨツミは早くもダウンかな?」

 コウリは、ヨツミの側まで歩いて来た。

 ヨツミが、そっぽを向く。

「じょ、浄化は、攻撃や守備よりも消費が早いんです!ちょっと休んだら、また手伝いますから…」

 すると、コウリはくすっと笑って言った。

「別に、厭味を言ったつもりはないんだ…ゴメン」

 素直に謝るコウリを、ヨツミが見上げる。

 その瞬間目が合ってしまい、ヨツミは慌てて目を逸らした。

「僕も疲れたから、少し休もーっと…」

 コウリはそう言って、ヨツミの隣に腰を下ろした。

 ヨツミが、横目でコウリを見る。

 ヨツミがコウリに惹かれているのは確かだったが、ヨツミはそんな自分の気持ちにどう対処したらいいのか、分からずにいた。

 コウリは、果たしてその事に気付いているのだろうか。

「回復…してあげようか?」

「えっ?」

 突然のコウリの発言に、ヨツミは焦った。

「だって…疲れ、座ってても中々取れないだろう?」

 確かに、コウリの言う通りだった。

 思ったよりもヨツミの疲れは酷く、座っていても体がだるい。

 恐らく、連続で浄化をし続けたせいだ。

 このまま休んでいても時間の無駄なので、ヨツミはコウリに頷いて見せた。

 するとコウリは、突然ヨツミの手首を掴んだ。

「これも、特別に治して差し上げましょう」

「え…」

「今日は、出血大サービス」

 イオリを庇った為に負ってしまった手首の腫れに、コウリは気付いていた。

 ヨツミの頭に右手を乗せ、手首を左手で掴むとコウリはゆっくりと目を閉じた。

 そんなコウリの顔を、ヨツミがジッと見つめる。

 やがてコウリの手から光が放たれると、途端にヨツミの体はぐんぐん回復した。

 手首の腫れも、あっと言う間に引く。

 突然コウリが目を開けてヨツミを見たので、ヨツミはまた目を逸らした。

「もう大丈夫だ、行って来い。僕も、残りの生徒を連れて来る…健闘を祈るよ」

 そう言って、コウリは手を振りながら校舎の中へ戻って行った。

「あ…ありが、とう、ござい、ます」

 ヨツミは頬の火照りを押さえながら、ハルキとレイナの許へ走って行った。

 

 

     5月2日 土曜日 ―現実―

 

        ○

 

「おぉーはぁーよぉーっ…」

 朝、教室に入って来た深冴はゲッソリとしていた。

「あの、み、深冴…何故君が、そんなに一晩でやつれてしまったかは大体、と言うか確実に予想がつくよ。ご苦労だったね、昨夜の夢の中では」

 貴耶がそう言うと、深冴はグターッと机に突っ伏した。

「あの人ってばさぁ、本気で感染者全員連れて来るんだもぉーん!お陰で、全員無事に『浄化』する事が出来ちゃったけど…午前2時まで掛かったせいで、夢ん中の親にこっぴどく叱られちゃってさ」

「ご、午前2時だって?」

「そうだよ!今日、朝起きてから何か親の顔見づらかったもんねーっ。こっちの親は、全然関係ないってのにさぁ…あぁーっ、今晩見る夢が怖いっ!だって、昨日が明けた今日から始まるんだもん!夢ん中の親とは、超気まずいじゃーんっ!」

 そう言って、深冴は嘆いている。

 貴耶は、自分の夢を思い出していた。

「僕は、昨日は1人で家にいたんだ。そうしたら、突然シエちゃんとレイナちゃんがお見舞いに来てくれて…」

「ああ、聞いたよ、そしたら、オウタの『通信』が入ったんでしょ?」

「そう。お菓子食べてたら、シエちゃんとレイナちゃんの所に『通信』が入ったらしくて、オウタくんの所に行きますって急に言い出したんだ。理由を聞いたら、深冴達が戦ってるって言うだろ?僕も行くって言ったんだけど、お許しが出なくてね…」

 貴耶がそう言って微笑むと、深冴はガバッと顔を上げた。

「当ったり前でしょーがっ!貴耶みたいな有能な人は、完治してからじゃないと駄目っ!もし中途半端に力使って、折角治りかけてたのが尚更悪化したらどうすんのっ!」

「はあ、ご尤もなご意見で…」

 貴耶がそう言うと深冴は、あ…と口を押さえた。

「コウリさんの居場所、訊くの忘れたぁーっ…あーんっ、折角昨日ずっと同じ場所にいたのにぃーっ!」

「まあ、いいさ。チャンスは、いくらでもある」

 そう言いつつも、貴耶は溜息をついた。

 深冴も、溜息をつく。

「でもさぁ、貴耶の怪我じゃないけどどうして夢の中の疲れが、今もこうして続いてんのかなぁ…おかしいよねぇ、やっぱ」

 貴耶も、黙って考え込んでいる。

「『仲間』の行方が、何とか分かればなぁ。それか、夢の中みたいに現実でもコウリさんがひょんと現れて、皆に会わせたりしてくれればねぇ…そう、思わない?」

 深冴はそう訊いたが、貴耶は答えなかった。

 正確には、深冴の話を聞いていなかったのである。

「貴耶ぁ?」

 深冴が呼んでも、貴耶は気付かない。

 ジーッと、窓の外を見つめているのだ。

「ちょ、ちょっとぉーっ!人の話、聞きなさいよっ!やっぱ皆に会う為には、コウリさんを捜さなきゃ!なーんちゃ…って」

 其処まで言って、深冴は貴耶の様子がおかしい事に気付いた。

 貴耶は、窓の外から視線を逸らそうとしない。

 いや、逸らす事が出来なかったのだ。

 心なしか、無意識に握った手が震えている。

「ね、ねえ、貴耶?アンタ、一体どうし…」

「窓の外、見てみろ」

 いつになく冷静な口調で、貴耶が言う。

 深冴は嫌なものを感じながらも、笑って言った。

「やだぁ、窓の外なんて見たって校庭があるだけじゃーん!今更、こんな変わり映えのしない風景見たっ…」

 いつものように、深冴の冗談に取り合う事なく窓の外を見つめる貴耶の表情は、酷く強張っていた。

 息を呑んだ深冴は、立ち上がって窓の側に立った。

「わ、分かったよ。見ればいいんでしょ、見れば…って、え…」

 窓の外の校庭を見下ろした深冴は、言葉を失った。

「見えるか?」

 こんな状況でも、貴耶は冷静だ。

「みっ、見えっ、見える、も何も…だっ、だって、其処、其処に…わっ、わっ、私、今起きてるっ?起きてるよねぇ、ねぇっ?」

 深冴の声は、上ずっている。

 貴耶は、校庭をジッと見つめたまま答えた。

「ああ、ちゃんと起きてるよ。あれは…」

 

         ○

  

 乃輪と越斗は、休み時間に廊下で立ち話をしていた。

 昨日乃輪の所に掛かって来たと言う、電話の主についてだ。

「トキトウ?」

 越斗は、乃輪から名前を聞いて考え込んでいた。

 乃輪が、苛々しながら言う。

「もうっ、越ちゃん分かんないのっ?ほら、トキトウなんてあの人しかいないじゃないっ!最初は、私も忘れてたけど…ねえ、こんな事ってあっていいと思う?」

 乃輪の苛立ちは、徐々に不安へと変わって行った。

 越斗は暫く考えていたが、突然ハッとした。

「ちょっ、ちょっと待った!い、今さ、たった1人だけ心当たりがあったんだけど。で、でも、どう考えたって人違いとしか…」

「人違いなんかじゃないってばっ!トキトウなんて言う人は、私達の周りには1人しかいないんだよ!やっぱり、いるんだ…この世界にも、皆がいるんだよ!」

 乃輪は、興奮気味にそう言った。

 まさか…まさか、そんな事があるんだろうか。

 越斗は、自分で自分を疑った。

 何を、バカな事を考えているんだ。

 確かに、自分も乃輪も夢の中の『仲間』達を必要としていた。

 あの『仲間』達の存在が、自分をどれほど支えてくれている事か。

 しかし、あれはあくまでも夢だ。

 実在するなんて…それこそ、夢を見ているようではないか。

 だが乃輪の言う通り、トキトウと言う知り合いは1人しかいない。

「で、でも…どうしてあの人が、乃輪の家に電話を?」

 納得出来ない様子で越斗が訊くと、乃輪は首を横に振った。

「分かんない。どうして、うちの電話番号を知っているのかも。けど…1つ言える事は、やっぱりこの世界にも夢の世界の影響が出始めてるって事だよ。この世界でも、『仲間』が集結する時が来たのかもしれない…」

 越斗は、ふと昨日の事を思い出した。

「なあ、乃輪…昨日、俺の事呼ばなかった?」

「え?」

 乃輪は、目を丸くして越斗を見た。

「昨日、お前先に帰っただろ?俺は、部活で練習試合に出てた。その時、俺を呼ぶ声が聞こえたんだ。確かに、お前の声だった」

 乃輪は、目を丸くした。

「何か夢での事が癖になってて、『通信』かとも思ったけど…こ、此処は、現実の世界だろ?だから俺の勘違いだと思って、気にしないようにしてたんだけど…越ちゃん、どうしようって」

 それを聞いて、乃輪は更に目を見開いた。

「よ、呼んだよ。家に帰って、お母さんからこのメモを受け取った。部屋で着替えながらこの名前の人物を思い出した途端、急に怖くなって来て…呼んだよ、越ちゃんって」

 越斗は、息が止まりそうになった。

 まさか…ただの、偶然だ。

 そう言いかけた時、乃輪は泣きそうな声を出した。

「ねえ!私、通信を使ったのっ?朝起きると疲れが溜まっているのは、タカヤさんを治療した時の疲れを、引きずってるからっ?トキトウって人は、やっぱり…やっぱり、あの人なのっ?ねえっ?」

「お、落ち着け!偶然だ…これは、単なる偶然だ!乃輪の声が聞こえたのは、俺の気のせい!疲れが溜まるのは、乃輪がそうやって気にしてるからストレスが溜まっただけ!トキトウってのは、同じ名前の他人だよ!」

「違うっ!違うよっ!」

 越斗の言う事を、乃輪は首を横に振って否定する。

「きっと、この世界にも影響して来てるんだよ!それでもいい、それでも私は我慢するから!だから『仲間』に…皆に会わせてよ!もう、不安で不安でしょうがないの!お願い!お願い、コウリさんっ!もう1度、電話を下さいっ!コウリさぁーんっ!」

 そう叫んだ乃輪は、その場で泣き崩れてしまった。

 周りの生徒が、驚いた顔で通り過ぎて行く。

 越斗も泣きそうなのを堪えて、やっとの思いで乃輪を立たせた。

 そして、なるべく優しく言った。

「乃輪、保健室へ行こう。今日は、もう早退した方がいい。また、コウリさんから電話があるかもしれないからね…心配しなくても、近い内に必ず皆に会えるよ」

 越斗に励まされ、乃輪は泣きながら頷いた。

 本当は越斗自身も動揺し、もしかしたらこの世界まで『邪気』に侵されてしまうのではないかと言う不安で、胸がいっぱいだった。

 『仲間』がこちらに存在すると言う事は、『邪気』も同様だと考えられるからだ。

 だが『仲間』の存在がはっきりするまで、この現実の世界で乃輪を支えてあげられるのは、自分しかいない。

 越斗は大きく深呼吸すると、乃輪を連れて保健室へ向かった。

 廊下を歩きながら、越斗は様々な事を考えていた。

 乃輪の所に、掛かって来た電話…トキトウと言う人物は、本当にコウリなのだろうか。

 もし本当にコウリなら、この現実の世界でも皆に会える日はそう遠くはない筈だ。

 

『トキトウコウリ、と言います。どうぞ、よろしく』

 

 夢の中でのコウリは、そんな風に自己紹介していた。

 コウリは夢の中の自分達の前に突然現れ、同じ力を持っていると言う10人を引き合わせてくれた。

 今の状況は、その時と全く同じではないか。

 きっと、会える…。

 越斗は、そう信じていた。

 こうなった以上、再びコウリが現れてくれるのを待つしかない。

 この世界に『邪気』が蔓延る不安よりも、『仲間』に会えなかったらどうしようと言う不安の方が、越斗には大きかった。

 乃輪を支えながら、『仲間』達が自分をこの現実と言う不安の中から、1秒でも早く救い出してくれるのを、越斗は待っていた。

  

        ○

  

 掃除の時間。

 階段掃除の思絵と礼名は早めに仕事を終わらせ、屋上へ出た。

 空は雲1つない晴天で、爽やかな風が吹いている。

「誰もいないね」

 思絵はフェンスに手を掛けながらそう言ったが、礼名はフェンスに寄り掛かったまま、グタッと項垂れていた。

「また、頭痛?」

 思絵に訊かれ、礼名がコクリと頷く。

「もう…昨日、夢ん中で頑張り過ぎたでしょう?『浄化』なんて、ヨツミさんとハルキくんに任せれば良かったんだよーっ!それでなくても、4人も連れて瞬間移動してんだからさぁ」

「『浄化』する前、ヨツミさんも心配してそう言ってくれたんだ。だけど、つい…ね」

 そう言って、礼名はしゃがみ込んでしまった。

「普通の頭痛じゃないから薬飲んでも意味ないし、自分でちゃんと気を付けないと」

 思絵がそう言うと、礼名も顔を上げて頷いた。

「分かってる。でも、日に日に頭痛が酷くなってるの。それに…これ見て」

 礼名は袖をまくり、自分の腕を見せた。

 痛々しい引っかき傷が、赤く付いている。

 思絵は、目を丸くした。

「どっ、どうしたの?凄いよ、この傷!」

「思絵、覚えてないの?」

 思絵は眉を顰め、首を傾げた。

 礼名は、ジッと思絵を見据えている。

「え、何、何ぃーっ?何なのぉーっ?勿体ぶらないで、教えてよぉーっ!」

 思絵は何となく感じる不安を振り切って、わざと明るく言った。

 しかし、礼名は真剣な表情をする。

「思絵、覚えてない訳ないよ…昨日、夢の中の戦いで私が『浄化』に回ってた事は、覚えてるんでしょう?」

「も、勿論!」

 と、思絵。

「そうしたら突然生徒の1人がこっちに来て、いきなり襲い掛かって来たよねぇ?」

 すると、思絵はうんうんと頷いた。

「はいはい、分かった!それで礼名、その生徒に思いっ切り腕を引っかかれて…って、え?」

 思絵の言葉は、其処で止まった。

 思わず、顔が硬直する。

「う、嘘…じょ、冗談でしょ?」

 思絵は、引きつった笑みを浮かべた。

「何で、夢の中での傷が…え、う、嘘だよねぇ?」

「嘘だとしたら、これはどう説明すればいい訳?」

 礼名は、冷静に傷の付いた腕を差し出して来る。

 そんな事、言われても…と言いつつ、思絵は必死に理由を考えた。

 何故、夢の中で受けた筈の傷が、現実の世界の礼名にまで。

「だって…ち、違うよ、礼名!きっと、寝てる間に自分で引っかくかなんかしたんじゃない?」

 思絵は冗談っぽく言ったのだが、礼名には通じなかった。

「こんなに傷が付くほど強い力で、寝ている間なんかに自分の腕を引っかける訳ない…そうでしょう?」

 思絵は、黙って俯いた。

 じゃあ一体、これはどう言う事なのだ。

 思絵は、焦りながら叫んだ。

「ま、待ってよ!じゃあ、どう説明すればいい訳っ?」

「つまり…こう言う事、だな」

 突然の第三者の声に驚き、思絵と礼名は声のする方を振り返った。

 空気が変わる。

「そんな強い力で引っかく事が出来るのは人間離れした人間か、あるいは…『邪気』に侵された人間、しかいないんじゃないかな」

 其処には、2人のよく知る人間が立っていた。

「コ…」

 思絵は驚きのあまり、声を出す事が出来なかった。

 

         ○

  

《…太》

「へっ?」

 凰太は誰かに呼ばれた気がして、俯いていた顔を上げた。

 近くの席の生徒が、凰太をちらちらと見る。

「きりーっつ!」

 学級委員の号令で、全員が席を立つ。

「礼っ!」

『さようならーっ!』

 生徒は、一斉にざわつき始めた。

 真っ先に教室を出る者もいれば、友人の席に駆け寄る者もいる。

 凰太は、ボーッとしたまま突っ立っていた。

「おい、さっきはどうしたんだよ」

 陽祈に訊かれても、凰太は相変わらずボーッとしている。

「何だよ、何かあったのか?」

 陽祈に体を揺すられて我に返った凰太は、陽祈に言った。

「お前さぁ…さっき、俺の事呼んだ?」

「はぁ?」

 今度は、陽祈の方がポカーンとなった。

 凰太は、真面目な顔をしている。

「なあ、お前なんだろ?俺を、呼んだの…お前だよなぁ、陽祈?」

 陽祈は、何かを感じて凰太に言った。

「な、なあ、凰太、お前…」

「お前しか、いねーだろーがっ!他に…他に誰が俺を呼ぶってんだよ、畜生っ!」

 急に興奮した凰太は、椅子を思い切り蹴り飛ばした。

 周りの生徒達が、恐怖の目でこちらを見ている。

「お、落ち着けよ…座れ、凰太!」

 陽祈は凰太を宥めながら椅子を起こし、凰太を座らせた。

 凰太は、宙を見つめながら言う。

「なあ、陽祈…俺は今、起きてるよなぁ?目ぇ、覚めてるよなぁ?」

「ああ、此処は現実の世界だ…どうした、ごっちゃになったか?」

 静かに陽祈が訊ねると、凰太は首を横に振った。

「いや、違う。さっき俺を呼んだのは、陽祈じゃない。あれは…あの声は、コウリさんだった」

 それを聞いた陽祈は、驚きを隠せなかった。

「お、お前…じ、自分が何言ってるか、分かってんのか?」

 凰太は、笑みを浮かべる。

「よお、陽祈。お前、俺の事バカだと思ってるだろ?確かに、俺はバカかもな…けど、現実から目を背けるほどのバカじゃねーよ」

「お、凰太…」

 陽祈は驚いた表情のまま、凰太を見つめた。

 凰太も、陽祈を見て言う。

「いいか、お前も神経を集中させろ!『通信』を、試みる!」

「おい、凰太っ!お前、バカな事はやめ…」

 聞こえる。

 その瞬間、陽祈はそう思った。

 陽祈の頭の中に、自分を呼ぶ声が入って来たのだ。

 それは周りの生徒の声でも、前に座っている凰太の声でもなかった。

《陽祈…聞こえるか?》

「う、嘘、だろ?コウリ、さん…」

 陽祈の声は、震えていた。

 凰太が、ハッとして陽祈を見る。

「陽祈、お前…お前も、聞こえたんだな?」

 凰太に訊かれて、陽祈はゆっくりと頷いた。

「ハハ、ハハハ…ど、どうやら、空耳ではなさそうだ」

 陽祈は、この現実をどうしても受け止めたくないようだった。

 凰太が、陽祈の両肩を掴んで揺する。

「おい、大丈夫か?俺がバカじゃないって事が、これで分かっただろ?陽祈…これは、現実なんだよ。大人しく、コウリさんに応答しよう」

 凰太は、真っ直ぐに陽祈の目を見た。

 凰太の眼差しを見て、陽祈がゆっくりと頷く。

 2人は、夢の中でやっている通りにコウリに語りかけた。

《ど、何処にいるんですか…コウリ、さん》

 凰太が訊くと、コウリが答えた。

《この学校の、正門前だ》

 その答えを聞いて、凰太は力なく笑った。

《何だか…どっかで聞いたような台詞ですね、それ》

《しっかりしろ、これは現実だ。お前が言ってるのは、夢の中の事だろう?》

 コウリにそう言われて、凰太は俯きながら笑った。

《そう、ですね…俺もコウリさんに会えるのは、夢の中でだけだと思ってましたよ》

 其処でコウリは、陽祈にも話し掛けた。

《どうせ、陽祈も聞いているんだろう?》

《はぁ…当たり前じゃないですか、ったく。一体、何だって言うんです?どうして、この世界にまで…》

 陽祈はそう言って立ち上がると、窓から外を見下ろした。

 すると…其処から見える正門の前には、本当にコウリが立っていたのだ。

「何だ…夢の中と、何ら変わりないじゃないか」

 気が抜けたように呟く陽祈を見て、凰太も立ち上がり陽祈の隣に立った。

 確かに、正門前には夢と同じ姿のコウリがこちらを見上げている。

「ホントだ…確かにコウリさんだな、アレは」

 凰太も、そう呟く。

《初めまして…と、言うべきなのかな?》

 コウリがそう言うと、凰太はくすっと笑った。

《まあ、そう言う事になるんですかねぇ。何か、今更って感じもしますけど。でも貴方の姿をこうして見ていたら、徐々に実感が湧いて来ましたよ。これは、本当に…現実、なんですね》

《実は…全員ではないが、他の連中にも会って来たんだ》

 そのコウリの言葉に、凰太と陽祈は顔を見合わせた。

 まさか、他の『仲間』が本当に実在する人物だったなんて。

《だっ、誰に会ったんです?》

 凰太が訊くと、コウリは言った。

《深冴、貴耶、思絵、礼名の4人だ。乃輪の家には電話を掛けたんだが、本人がまだ帰ってなくてね…》

 凰太と陽祈が、再び顔を見合わせる。

 とうとう…とうとう、この日が来たと言うのか。

《コウリさんが、俺達を集めていると言う事は…まさか、この世界にも『邪気』が?》

 陽祈が訊くと、コウリは頷いて言った。

《ああ…夢の中ほどではないが、少しずつ影響が出始めてる。だが、詳しい事は全員で集まった時に話すよ。だから、今は皆が集結する事を優先するんだ》

《ゆ、優先するんだって言ったって…皆が何処にいるかも、分からないんですよ?それを、どうやって?》

 陽祈が訊くと、コウリは後ろを指差した。

《彼処に見える、中央公園に集まるんだ。明日から、学生はゴールデンウイークだろう?必ず集めて見せるから、明日の午後5時にあの公園に2人で来い》

 でも…と、凰太は質問した。

《確かに俺達にとっては、あの公園は近いからすぐ行けます。けど、他の皆はどうやって来るんですか?この近くに、住んでる訳じゃないんでしょう?》

 その質問に、コウリは笑って答えた。

《そう言う、特殊な『結界』を張ったんだ。お前達が住むこの町にあるあの中央公園を中心として、その周りに10人が住む町を切り取って貼り付けた…みたいなもんかな。夢の中も、そのようになっているだろう?》

 お互いの家を近くに感じていた理由は、それだったのか。

 凰太も陽祈も、納得したようだ。

《じゃ、じゃあ、明日午後5時、必ず行きます!》

 凰太がそう言うと、陽祈も渋りつつ言った。

《はぁ…行けばいいんでしょう?》

 其処で、コウリが大笑いする。

《夢と全く同じ性格してるんだな、陽祈は…じゃあ明日、待ってるよ》

 コウリはそう言って『通信』を切り、2人に向かって手を振った。

 そして、正門付近の空間がグニャッと歪んだかと思うと、コウリはその中へ入り消えてしまった。

「瞬間移動か…あの人は、オールマイティだもんなぁ」

 そう呟いて、凰太は自分の席に戻った。

 陽祈は、溜息をついて言う。

「何だか、夢を見ているみたいだ…ぁっ?」

 その瞬間、突然陽祈は身動きが取れなくなった。

 体が固まり、指の先…いや、髪の毛の先すら動かない。

「は…ぅっ!」

 喋ろうとしても、声も出なかった。

 そんな陽祈を見て、凰太は大笑いした。

「アハハハハ!大丈夫かぁ、陽ちゃん?」

「く…はっ!」

 途端に、陽祈はガクンと力が抜けたように倒れた。

 体が、自由になったのだ。

 ゆっくりと起き上がりながら、陽祈は凰太を睨んだ。

「凰太…まさか、お前!」

 凰太は笑うのをやめ、真剣な表情で言った。

「悪い…お前が信じられないってな顔してるから、現実を見せてやろうと思ってね」

「お前が敵に術かけてんのは夢の中で何回も見てるけど、まさか現実の世界で自分が『束縛の術』かけられるとは思わなかったな…」

 陽祈は情けなさそうに笑って、ズボンに付いた埃を掃った。

  

        ○

  

「かっ、笠井っ!いるかっ?」

 唯織は、突然世摘のクラスの教室に入って来た。

 驚いた世摘が、廊下を見る。

 放課後になってからかなりの時間が経っていたので、教室には世摘とその友人達しかいなかった。

「ど、どうしたの?」

 いつもの唯織らしくなく、冷静さを失っている。

 友人達に了解を得て、世摘は廊下に出た。

 唯織は世摘の腕を引っ張り、上の階の図書室へ向かった。

「ちょっと、松本くんっ!痛いよ…」

 図書室の前まで来ると、世摘は自分の腕を掴んでいる唯織の手を振り払った。

 ハッとなった唯織が、そっぽを向いて言う。

「す、すまない…けど、どうしても笠井に知らせたい事があったんだ」

「何…」

 世摘が冷静に訊くと、唯織は図書室のドアを開けて中に入った。

「ついて来てくれ」

 言われるがまま、世摘も後に続く。

 本棚の陰に隠れた唯織は、遠く離れた場所に座っている生徒を指差して言った。

「あの女、『邪気』に侵されている」

「は?」

 世摘は、自分の耳を疑った。

 唯織は今、何と言ったのか。

「あの…ちょっと待って。私達、今何処にいるか分かってる?」

「そんな事、訊かれなくても分かっている。此処は、現実だ」

 世摘の質問に、唯織は真剣な顔で答える。

「お前こそ、俺の言っている意味が分からないのか?この情報は、コウリからのものなんだぞ?」

「コ、コウリさんのっ?」

 世摘の頭は、益々混乱した。

 コウリからの情報とは、一体。

「俺は、実際に『透視』で確かめたんだ。コウリの言う通り、あの女は『邪気』に侵されている」

「ね、ねえ…コウリさんの情報って、どうやって手に入れた訳?」

 世摘は、落ち着いて訊いてみた。

 唯織が、静かに答える。

「俺の靴箱の中に、これが入っていた」

 そう言って渡されたのは、小さなメモ用紙だった。

 世摘は、それを読んだ。

 

 『 1年3組の金田祥子は、『邪気』に侵されている。
   信じられないなら、自分の力で確かめてみろ。
   心配しなくても、大丈夫。
   お前達は、この世界でも力を使う事が出来る。

                             コウリ 』

 

 

「嘘っ!」

 世摘はそう叫んで、慌てて口を塞いだ。

 周りの生徒達が、世摘の方を見る。

 此処が図書室だと言う事を、忘れていた。

 そんな事も忘れてしまうほど、そのメモは世摘にとってショックだったのだ。

「嘘じゃない、現実を見ろ!このメモを…コウリを信じるんだ!」

 唯織にそう言われて、世摘はドキッとした。

 コウリを信じる…。

 その言葉を聞いた途端、世摘の体は素直に反応した。

 静かに目を閉じ、強く念じる…『透視』だ。

 すると何と先程の生徒の体から、大量の『邪気』を感じる事が出来たではないか。

「ホ、ホント…夢じゃない、んだ」

 世摘が目を開けると、唯織は言った。

「ああ、夢なんかじゃない。俺達は、もうすぐアイツらと会わなければならないんだ…ほら、2枚目のメモに書いてある」

「に、2枚目?」

 もう1枚のメモを、世摘は受け取った。

 

 『 明日の午後5時、中央公園で待っている。
   勿論、『仲間』達も一緒に…。
                           コウリ 』

 

 

「そ、そんな…」

 世摘は、メモ用紙をクシャッと握りしめた。

 唯織は、そんな世摘をただ黙って見つめていた。

 

 

     5月2日 土曜日 ―夢―

 

        ★

 

「明日から、ゴールデンウイークだね。まあ、世間では4月29日からの事を言うんだろうけどさ」

 シエがそう言うと、レイナも頷いた。

「でも私達、そんなにゆっくりもしていられないんじゃない?何か昨日の戦いで、そろそろ本格的な敵が動き出したんじゃないかなって思うし…」

「それは、私もそう思った。ヨツミさん達の学校の生徒、半端じゃなかったもんね。あんなに沢山の生徒を邪気で操れるなんて、今までの雑魚とは違うよ」

 そう言って、シエは教科書を鞄に閉まった。

「帰りのホームルーム、始めるぞ!皆、席に着け!」

 担任が、教室へ入って来た。

 生徒達が、バタバタと席に着く…その時だった。

《…エ、…ナ》

 シエとレイナは、同時に顔を見合わせた。

 ホームルームが始まっているので、通信で会話をする。

《聞こえた?》

 シエの質問に、レイナも頷く。

《聞こえた。あの…コウリさんですか?》

 レイナが語りかけると、コウリは言った。

《そうだ。今日は、学校早いんだろう?》

《はい…あ、もう終わりますよ》

 起立の号令が掛かり、シエが立ち上がりながら答える。

 コウリは、話を続けた。

《皆に話したい事があるから、午後5時に中央公園に集まってくれ。必ず来いよ》

 用件だけ言って、コウリは通信を切った。

 シエとレイナは、無言のまま顔を見合わせた。

  

        ★

  

「せーのっ!」

 ミサは、タカヤと手を繋いで空高くジャンプした。

「うわ…何度か飛んでるけど、どうも慣れないな」

 タカヤは、下に見える町並みを恐る恐る見渡している。

「なーに言ってんの、歩いてたら時間掛かってしょうがないでしょ?ただでさえ、もう遅刻気味なんだから!空飛べば、近い近い!」

 ミサはそう言って、遠くに見える中央公園へと向かった。

 暫く飛び続けていたミサは、中央公園まで徒歩であと10分くらいの所に、ヨツミとイオリの姿を見つけた。

「あ、ヨツミ達だ。ちょっと、下に降りよう」

 ミサは人気の少ない場所に着地し、2人の許に駆け寄った。

「おーい!」

 ヨツミとイオリが、同時に振り返る。

「ミサ…タカヤくんも、久しぶり。大分、会ってないように感じるけど」

 ヨツミが無表情でそう言うと、タカヤはくすっと笑った。

「そうだね、1ヶ月は経つかな。ヨツミちゃんも、元気そうで良かったよ…イオリも」

 タカヤに見つめられたイオリは、そっぽを向いた。

「け、怪我…治ったのか?」

「お陰様でね。ホント、ノワちゃんには感謝だよ…有り難う、イオリくん?」

 そう言って、タカヤはイオリに微笑んで見せた。

 イオリは焦った顔をし、ごまかすように言う。

「は、早く行かないと、もう5時になる…い、行くぞ!」

 スタスタと早足で歩くイオリの後ろ姿を見て、残りの3人は同時に吹き出した。

「なーんだかんだ言って、イオリも仲間思いなんだよねぇーっ…心配してんだよ、タカヤの事」

 ミサがそう言うと、タカヤは嬉しそうに笑った。

「ああ、十分分かってるよ。でも…どうしてそう言う所、もっと素直に表現してくれないのかな」

「マツモトくん、私にも親切にしてくれる…不器用なやり方ではあるけど」

 それだけ言って、ヨツミも歩いて行ってしまった。

「あ、待ってよ!行こ、タカヤ!」

 慌てたミサも、タカヤを引っ張って2人の後を追った。

 

         ★

  

「遅いですねぇ…もう、5時過ぎてますけど」

 中央公園。

 エツトがそう呟いて腕時計を見ると、コウリは笑って言った。

「ま、5分や10分は我慢してやろう…しかし、10人の中では1番年上だってのに、遅刻とはねぇ…」

 午後5時3分。

 オウタ、ハルキ、シエ、レイナ、エツト、ノワ、そしてコウリの7人は既に中央公園に集まっていた。

 残るはミサ、タカヤ、イオリ、ヨツミの3年生チームだ。

「あ、来ましたよ。皆さーん、こっちでーす!」

 ノワが、4人に気付いて手を振る。

 ミサが、手を振り返しながら走って来た。

「ごっめーん、ちょっと過ぎちゃった?」

 コウリは、微笑んで言う。

「たった今、5分か10分なら我慢してやろうと言っていた所だ…よし、全員集まったな。では、早速本題に入ろうと思う」

 皆が、一斉に静まり返る。

 公園内は、木々のざわめきと鳥の鳴き声しか聞こえない。

 コウリは言った。

「本題と言うのは、他でもない。皆も、気になっているとは思うが…敵についてだ」

 皆が、顔を見合わせる。

「まず1つ、タカヤを襲った人間。かなり強力な邪気に侵されていたようだが、あれは今までの弱々しいものとは明らかに違う。何たって、このタカヤに怪我を負わせるほどだからな」

 コウリにそう言われて、タカヤはようやく包帯が取れた腕を、ギュッと掴んだ。

「そしてもう1つ、イオリとヨツミの学校に現れた生徒達。今までの弱い邪気なら、侵された人間は1人1人個別で僕達に戦いを仕掛けて来ていた。だが今回の邪気は感染性、しかも何十人単位の人間を一気に動かす事が出来た。其処で僕は、ある事に気が付いたんだ。とうとう、邪気王が現れたんだと…」

 皆の表情が、驚きに変わる。

 邪気王とは、一体何者なのか。

「今までの邪気は、ほんの小手調べ程度でしかなかった。僕達がその程度の邪気に屈しないと分かった今、邪気王は更に強力な邪気を操って、僕達に自ら手を下さねばならないと判断したんだろう」

 其処でオウタは、1つ質問した。

「前から気になってたんですけど、俺達が戦っている敵の正体って…じゃあ、その邪気王ってヤツだったんですか?」

 それは、誰もが疑問に思っていた事だった。

 コウリは、静かに言う。

「そうか…そう言えば、それをまだ教えていなかったな。我々の本当の敵は、邪気王ではない…人間だ」

『にっ、人間っ?』

 皆が、一斉に声を上げる。

「まあ、確かに今まで私達が戦って来たのは人間だよ。突然襲って来る通行人とか、学校のクラスメイトとかさ。でも、それはあくまでも邪気に侵されちゃったからであって、その人達自体に罪はないじゃん!」

 ミサが、訴えかけるように言う。

「だから実際に敵と呼ぶべきなのは、人間達に邪気を送り込んでるその邪気王って奴なんじゃないの?」

 コウリは、腕を組んだ。

「ああ、言い方が悪かったのかな…詳しく言うと人間と言うよりは、人間の醜い心って事になるな」

「人間の醜い心…例えば欲求、嫉妬、憎悪、そう言ったものですか?」

 ヨツミの言葉に、コウリは頷いた。

「邪気王は人間の醜い心を邪気として溜め込み、弱い人間に送り込んで我々に戦いを仕掛けて来ていた。邪気に侵された人間は、我々が浄化してあげなければ、そのまま弱って死んでしまうんだ」

「その仕事を、僕達が今までして来た訳ですよね?」

 と、エツト。

 コウリは、頷きつつ話を続ける。

「だが僕達が今後成すべき事は、今までのように1人1人の邪気を浄化させるんではなく、諸悪の根源である邪気王を倒し、人間が安心して暮らせる生活の場を作る事なんだ」

「じゃ、じゃあ、やっぱり悪いのは邪気王じゃないですか!勝手に弱い人間を邪気で侵して、殺しちゃうだなんて…」

 シエが怒りを込めて言うと、コウリは首を傾げた。

「果たして、そうかな」

「ど、どう言う意味…ですか?」

 ノワが、不安そうに訊く。

 コウリは、険しい表情をした。

「実を言うと…邪気王と言うのは、邪気が固まって出来たものなんだ」

「って事は…」

 タカヤが、ハッとする。

「邪気自体が人間の作り出したものなんだから、その邪気から出来てる邪気王も、人間が作り出したもの…って事ですか?」

 コウリは、静かに言う。

「そうだ…だから僕は、敢えて本当の敵は人間だと言ったんだ」

 其処でハルキが、戸惑いながら言った。

「ちょ、ちょっと待って下さいよ…僕らだって、人間なんですよ?醜い心だって、持ってます!そんな僕達が、解決出来る問題なんですか?僕達が手を出した所で、邪気のない暮らしが取り戻せるとは思えません」

「はっきり言おう…僕達が邪気王を倒した所で、この世の邪気が全て消え去るかと言ったら、そうではない。何故なら、この世には人間と言う生物が生息しているからだ」

 コウリの言葉に、皆は息を呑んだ。

「人間がいる限り、この世から醜い心がなくなる事はないだろう?だから、邪気が消え去る事もないんだ」

「だったら、意味がないんじゃ…」

「それは違うよ、レイナ」

 レイナの意見を、コウリは否定した。

「意味がないからとこのまま放っておいたら、この世はとんでもない事になる。だから、僕達は今現在この世に蔓延っている人間の醜い心、つまり邪気を少しでも多く取り去らなければならないんだ。その為に、今までこうして戦って来たんだろう?」

 レイナは、黙って頷いた。

 コウリが、話を続ける。

「邪気王を倒す事が出来れば、周りに浮遊している邪気は無理でも、今現在邪気王が自ら人間達に送り込んだ分の邪気は、同時に自然浄化される」

「じゃあ僕達が優先すべき事は、邪気王を倒す…って事ですね?」

 エツトの言葉に、コウリは表情を曇らせた。

「その事についてなんだが…今エツトが言った通り、僕達がしなければならないのは、邪気王の抹殺だ。だが、邪気王は相当強い邪気から成り立っている為、一筋縄では行かないだろう。それに我々と同じ、人の形をして何処かに潜んでいるんだ」

「何だって?」

 イオリは、声を荒げた。

「俺達と同じ、人間の格好をしてるってのか?ケッ、バカバカしい…流石、人間が生み出しただけあるな」

「それって、俺達の近くに…ですか?」

 オウタが訊くと、コウリは頷いて言った。

「ああ、恐らくな…そう、遠くではない筈だ。何しろ僕達の居場所を確かめ、尚且つ挑発して来るくらいなんだから。敵は、常に僕達の側にいると言っても、過言ではないかもしれない」

 全員が、顔を見合わせる。

 常に邪気王に見張られているのかと思うと、普段の生活においても気が抜けない。

 邪気王は、一体何処に潜んでいると言うのか。

「でも、どうやって倒すんですか?感染性みたいな邪気ばかり使って来て、本人が出て来ないんでは倒せるものも倒せませんよ」

 ノワの意見に、皆も頷く。

 コウリは、考えながら言った。

「そうだな…じゃあ、皆の最終決戦の準備が出来次第、僕自身が囮になって邪気王を誘き出そう」

『えーっっっ!』

 コウリの発言に、皆は目を丸くした。

「ちょ、ちょっと待ってよ!そんな事、可能な訳?」

 ミサに訊かれて、コウリは肩を竦めた。

「さあね…ま、100パーセント成功するとは言い難いな。だが君達は、今まで散々な目に遭わされて来た邪気王を目の前にして、戦うんだ。僕だって、囮になるくらいしなきゃ」

「で、でも…」

 ヨツミが、心配そうな顔をする。

 コウリは、微笑んだ。

「心配するな、必ず成功させて見せるよ。自信はあるからさ」

「た、頼もしいですね、コウリさん…」

 引きつった笑みを浮かべながら、シエが言う。

 コウリは頷いた。

「まあね…とにかく、全員が決意を固めない内は、こちらから戦いを挑む事は出来ない。皆の意思にかかってるけど、どうする?」

 皆は、一斉に考え込んだ

 一体、どうすればいいのか。

 敵は、半端じゃなく強いと言う。

 絶対に勝てると言う自信が、10人全員にある訳ではなかった。

 しかし、こんな力を持って生まれた以上は、邪気王との戦いを避ける事なんて、出来る訳はなかった。

 邪気王と戦い、平和な世界を取り戻す…つまり、出来る限りの邪気を浄化させる。

 それが、力を持って生まれた者の使命なのだから。

「俺はやるっ!」

 最初に口を開いたのは、イオリだった。

 皆が、イオリを見る。

「私も…やる」

 続いて、ヨツミが言う。

「ヨツミちゃんがやるってんなら、俺もやりますよ。勿論、ハルちゃんも一緒に!」

「お前っ…あーあ、やるやる!やればいいんでしょ?やりますよ、俺もっ!」

 オウタに引きずられるようにして、ハルキも渋々OKした。

「私も…お役に立てるかどうか分かりませんけど、精一杯頑張ります!」

「私もっ!」

 シエとレイナも、力強くそう言った。

 其処で黙ってないのは、ミサだ。

「もっちろん、私だってやるときゃやるよ!タカヤ、アンタは?」

 タカヤは、黙ったままだった。

 勿論、やる気は十分ある。

 決意だって、きちんと固まってはいるのだが…問題は、腕の怪我だった。

 ノワの話だと、ほんの微量ではあるがまだ邪気が残っていると言う。

 放っておくと、再び悪化しかねない。

「あの…」

 タカヤは言った。

「1週間だけ、時間を下さい。勿論、僕だってやる気はある。しかし、腕の怪我がまだ完治した訳ではないので…だから1週間だけ、待って欲しいんです」

 コウリは、頷いて言った。

「分かった。1週間あれば、僕も計画を練る時間が出来る」

「僕も、1週間あれば大丈夫だと思うんです。まあ、ノワちゃんにはかなり迷惑掛けると思うけどね…」

 そう言って微笑んだタカヤは、ノワの方を見た。

 ノワは、首を横に振る。

「そ、そんな、とんでもないです!私もタカヤさんには早く元気になって欲しいから、出来る限りの事はさせてもらうつもりです。そして、皆で協力して頑張りましょう!」

 エツトも、気合を入れて言った。

「俺も迷惑掛けてばっかだけど、皆さんの足を引っ張らないように頑張りますっ!」

 皆の顔を見回したコウリは、微笑んで言った。

「これで、全員の決意は固まった訳だ…では1週間後の今日、僕達11人は邪気王に戦いを挑む事とする。いいね?」

『はいっ!』

 10人は、揃って頷いた。

 コウリも、頷いて言う。

「1週間後、今日と同じ時間に此処に集合しよう。それでは、解散!」

 コウリは歪んだ空間の向こうへ消え、残された10人もそれぞれの帰路についた。

 

 

     5月3日 日曜日 ―現実―


        ○


「何だか、信じらんない…」

 そう言ったのは、思絵だった。

 午後3時。

 学生で言う所のゴールデンウイークに入り、学校も休みとなった今日。

 午後5時に中央公園に集合、と言うコウリとの約束を守るべく、思絵と礼名は2時間も前から待ち合わせをしていた。

 取り敢えず礼名の家にいる2人だったが、何をするでもなくただひたすら他愛のない会話を繰り返していた。

「昨夜の夢でも私達、中央公園にいたよね。そして、『邪気王』と戦う決意をした。この現実の世界でも今日、中央公園に集まる事になってる。何か夢と現実がごっちゃになって来ちゃって、頭おかしくなりそう…」

 礼名がそう言うと、思絵もジュースを飲みながら頷いた。

「それに今の私達って、夢の中みたいに中央公園を中心とした地域にいるんでしょう?話によるとあの公園は、元々オウタくん達の住んでる町のものらしいけど…遠く離れた場所に暮らしてた10人が、今はこんな近くにいるなんて凄いよね」

 礼名は空になった思絵のコップにジュースを注ぎながら、不安そうな表情を浮かべた。

「皆に会えるのは嬉しいんだけど、怖いって気持ちも何処かにあるの。夢の中の架空の人物だって思ってた人が、実在するだなんて…そりゃあ少しは期待してたけど、こうしてその状況を目の当たりにしちゃうと、ちょっと不気味じゃない?」

 思絵はクッキーを口にし、考えながら言った。

「うーん…確かに、それはある。だって昨日屋上でコウリさんを見た時、全身に鳥肌が立ったもん。まるで、幽霊でも見ちゃったかのようにさ。でも、きっと他の皆だって私や礼名に対して、同じような考え持ってるかもしれないじゃない?」

 礼名は、えっ…と言う顔をした。

 思絵は、笑って言う。

「要するに、お互い様ってヤツ?不気味に思ってると思うよぉ、私達の事ぉ…」

「そ、そんな…で、でも、思絵。って事は、オウタくんもこの世界に実在してたって事だよ、ね?」

 礼名が恐る恐る訊くと、思絵は大きく頷いた。

「そうだよ、礼名っ!これで、思いっ切り恋が出来ると言う訳だ!あーっ、早く皆に会いたぁーいっ!」

 思絵はそう叫び、大きく伸びをしながら床のクッションに寝転んだ。

 

         ○

 

  同じく、午後3時。

 越斗は、乃輪の家の前に立っていた。

 自分の家にいても落ち着かず何もする事がなかったので、越斗は慌てて乃輪の家を訪れたのだった。

 インターホンが鳴り、玄関のドアを開けた乃輪は呆れた顔をした。

「もう…私達の約束は、4時だったじゃない!」

 しかしそれにもめげず、越斗は笑ってごまかした。

「だ、だってさぁ、こう…何つーのか、心臓がバクバク言っちゃって、いても立ってもいられなくってさぁ!」

「しょうがないなぁ…じゃあ、入って。今日はお母さんも出掛けてるから、リビングでお茶にしよ」

 2人は中に入り、リビングへ向かった。

 越斗をソファーに座らせると、乃輪は台所で紅茶を淹れ始めた。

「部屋に1人でいると、これからの事ばっか考えちゃうんだよ。夢の通りに行って、本当に同じ場所にあの中央公園はあるのかとか、皆は本当に来るのかとか…」

 越斗の話を訊きながら、乃輪はリビングに戻ってカップに紅茶を注いだ。

 そしてそのカップを越斗の前に置き、向かいに座る。

「かと言ってさ、別にこの状況が信じられない訳でもないんだよ。だって、現に『刀剣の術』が使えるんだもん。ほら!」

 そう言って越斗は手のひらから気を発し、それを集めて光の剣を創り出した。

「ちょ、ちょっとそれ、しまってよっ!うちの家具、滅多切りにしないでよねっ!ホント、危ない事ばっかするんだからっ!」

「ゴ、ゴメン…」

 乃輪に叱られて、越斗は渋々刀剣をしまった。

「もう、越ちゃんはすぐ調子に乗るんだから…」

 今日の乃輪は妙に強気で、元気そうに見える。

 その理由は、1つしかない。

 越斗はそれが分かるからこそ、黙って乃輪の言う通りにしていた。

 乃輪は、溜息をついて言う。

「まあ、越ちゃんの気持ちも良く分かるけどね…私だって、緊張してるもん。それに皆に会えるのは嬉しいけど、あの夢の中での危険な生活がこの現実でも待っているんだって思うと、ちょっと心配」

 紅茶を口にする乃輪を見ながら、越斗も頷く。

「そうだな…確かに、俺も心配だよ。でも、夢の中ではいつだって皆で協力して来ただろ?だから、この世界でだってきっと協力して行ける筈だよ。そう信じよう」

 乃輪は頷き、マシュマロの袋を開けた。

「結局、私達…本物のコウリさんには、会えなかったね。昨日の留守電だけが、頼りだなんて…」

「実際にコウリさんと会ってないのは、俺達とイオリさんヨツミさんペアだけって言ってたよな…俺達も、タイミング悪かったんだよ。2人とも家にいない時にばっか、電話来んだもん」

 越斗もそう言って、大きな溜息をついた。

 そしてそれっきり、2人とも黙り込んだ。

 

 

 昨日乃輪は学校で、また気分を悪くした。

 原因は、先日掛かって来たコウリと思われる人物からの電話だ。

 そのせいで酷く取り乱してしまい、越斗から放課後に保健室へ連れて行ってもらったのだった。

 乃輪はそのまま、保健室で暫く眠り続けていた。

 越斗は部活が延長になり、結局2人が家に着いたのは午後7時近かった。

 しかもタイミング悪く、昨日はたまたま乃輪の家も越斗の家も、両親共に留守だったのである。

 その為、午後6時半頃掛かって来たコウリからの電話は、留守電機能の付いている乃輪の家の電話に、録音されていた。

 

 〈  トキトウと言う者ですが…乃輪には、もう僕が何者か分かって
   いるな。

    今から言う事を、越斗にも必ず知らせて欲しい。
    深冴、貴耶、凰太、陽祈、思絵、礼名の6人と、直接合う事に
   成功した。

    詳しい事は後で説明するから明日の午後5時、夢と同じあの中
   央公園に集合してくれ。

    全員が、其処に来る事になっているんだ。
    それじゃあ明日、必ず来るように…待っている!       〉

 

 

 学校から帰ってすぐこのメッセージを聞いた乃輪は、その場にしゃがみ込んだ。

 そして慌てて越斗を呼び出し、このメッセージを2人で何度も聞いた。

 勿論最初は信じられなかったが、越斗がその場で試しに使ってみた『刀剣の術』が、全てを納得させた。

 

 

「でも私、今1番気になるのはタカヤさんの事なんだ。この世界のタカヤさんは大丈夫なのかなと思って、あの腕の怪我…」

 俯く乃輪を見て、越斗もソファーに寄り掛かりながら言った。

「確かに、俺も心配だ。こっちのタカヤさんには全く関係のない怪我なのに、ちょっとでも影響してたら可哀想だよな…」

「うん…だけど、今はいいように考えようと思う。皆に会えるんだなぁとか、今迄だって本当はこの現実の世界の何処かに存在してたんだなぁとかね」

 乃輪の意見に越斗も同意して、コクリと頷いた。

「ああ、そうだな」

  

        ○

  

「どうした?流石にゲーセン行く気にもなれんだろう、今日は」

 陽祈は、先程からボーッとして一言も話さない凰太の顔を覗き込んだ。

 我に返った凰太は、陽祈の首を絞めながら言う。

「アホ、言うなっ!当たり前だろ?お前…今日ゲーセンなんて行って、約束の時間に遅れたりしたら、それこそ俺ってアホじゃんかよ!」

「いや…遅れなくても、アホだと思うが」

 陽祈に売られた喧嘩も今日は買わず、凰太は再び黙々と歩き続けた。

 午後3時半。

 恐らく、10人の中ではこの2人が中央公園から1番近い場所に住んでいる。

 学校からもこの公園は見えるし、家からも歩いて行ける距離だ。

 そんな2人が、何故約束の時間より1時間半も早く公園へ向かって歩いているのか。

 2人には、ある考えがあった。

 早めに行って、本当に『仲間』達が来るかどうかを確かめようと言うのだ。

 来た場合は問題ないのだが、もし来なかったら…やはり夢だったんだと、諦めるより他ない。

「お前の言う通りこんな早くに家を出て、こんな必死に歩いて、公園に辿り着いたはいいが、誰も来なかったりしたら…それこそ、僕らってアホなんじゃないか?」

 陽祈が訊くと、凰太は力強く言った。

「いや、それはないっ!だってさ、既に術使えんじゃん?コウリさんも現れたし、『通信』だって2人とも出来たろ?これだけの証拠が揃ってんだから、絶対来るに決まってるって!」

「あーあ…何だって、こんな事になったんだよ。大体コウリさんの姿だって、かなり遠かっただろう?教室の窓から正門って、結構離れてるぞ?それに実際僕は、まだ術が使えてない。だから、僕の中ではあの程度では証拠になんかなってないんだよ」

 どうやら、陽祈はまだ半信半疑のようだ。

 凰太はポケットからガムを取り出し、陽祈に渡した。

「今更何言ってんだって、陽ちゃーん!お前だって、コウリさんと『通信』してたじゃんかよ!それに術ったって、『分析』だろ?敵が出てこその『分析』、ってなもんよ…まあ、そう心配すんなって!皆、絶対来るからさ。俺を信じなさい!」

 凰太にバンバン背中を叩かれながら、陽祈は咳き込んだ。

「お、お前ほど、信用出来ない奴もいない…」

 

         ○

  

 午後4時。

 唯織と世摘は、街の喫茶店にいた。

 2人で向かい合って座り、唯織はアイスコーヒー、世摘はアイスココアを黙って飲んでいた。

 ゴールデンウイークなので、街は人で溢れ返っている。

 勿論、友人同士で街へ出掛ける高校生も沢山いる。

 唯織や世摘の同級生も例外ではない訳で、たまたま喫茶店の近くを通り掛かった同級生などは、硝子越しに2人の姿を見て目を丸くしていた。

 コソコソと何かを話しながら通り過ぎる同級生達を見掛け、世摘は不快に思いながらも無表情のまま、目の前の唯織に話しかけた。

「松本くんって…人の噂とか、全くと言っていいほど気にならないんでしょうね」

 その言い方が気に食わなかったのか、唯織はムッとした。

「それ、どう言う意味だ…」

「どう言う意味って…知らないの?私達、付き合ってるんじゃないかって噂になってる。さっきも松本くんのクラスの子、通って行った。男子はいいかもしれないけど、女子ってそう言うバカな事話すの好きだから」

 唯織は、窓の外を眺めた。

「俺には、関係ねーよ。実際付き合ってる訳じゃねーんだから、堂々としてりゃいいだろ。それとも…お前は、その、気にしてんのか?」

 世摘は首を横に振り、無表情で言った。

「別に…私も、松本くんと同じ考えだから」

「そ、そう、か…」

 唯織は咳払いをし、話題を変えた。

「しかし、この世界にまでコウリが現れるとはな…まあ、実際に姿を見た訳じゃないから、何とも言えないが」

 世摘は、ストローの袋をいじりながら落ち着きなく言った。

「松本くんから見せてもらったあのメモ、本当にコウリさんが書いたものなのかな。本当に、コウリさんはこの世界に…」

「お前だって、『邪気』を感じ取っただろっ!」

 突然怒鳴り声を上げた唯織を見て、世摘は少し驚いた。

「アイツは…コウリはいるんだよ!俺達の学校の場所も、俺の靴箱の位置まで把握していやがった。コウリの存在が確実と言う事は、アイツらも確実に実在していると言う事だ」

 唯織の話を訊きながら、世摘は大きく深呼吸した。

「お前だって、覚えている筈だ。そもそも、夢の中でだって俺達を引き合わせたのは、コウリなんだぞ。恐らく、この世界ででも同じ事をするつもりなんだろう、アイツは…」

 そう言って、唯織はアイスコーヒーを一気に飲み干した。

 そして突然立ち上がると、伝票を持って言った。

「行くぞ!」

「え…」

 世摘は座ったまま、唯織を見上げる。

「あの、お金は…」

 唯織は、少し頬を赤らめた。

「い、いらないから、さっさと飲め!置いてくぞ!」

 レジへ向かう唯織の後ろ姿を見ながら、世摘は笑いを必死に堪えていた。

 

         ○

 

  同じく、午後4時。

 凰太や陽祈と、同じ事を考えている人間がいた。

「1番に行ってやるのっ!中央公園にっ!」

「どうして、そう言う事がパッと思いつくかなぁ。物好きと言うか、何と言うか…」

 妙に意気込んでいる深冴を見て、貴耶はとにかく呆れるしかなかった。

 2人は電車に乗り、2駅目で降りて徒歩で中央公園へと向かう所だ。

「どうしてって…いいじゃなーい!1番に行って、皆を出迎えるの!大体ね、アンタが1番皆に迷惑掛けてんだよ?悪いと思ってんだったら、出迎えるくらいしなさいよ!」

「で、でも、深冴さん?よーく考えれば分かる事だと思うんだけど、僕達この世界では赤の他人なんだよ?」

 その貴耶の言葉を聞いて、深冴は立ち止まった。

「い、言われてみれば、そ、そうだよね…そうだよ!私達、こっちの世界じゃ、まだ1回も会った事がないんだぁーっ!うっそーっ!信じらんなぁーいっ!どーしよぉーっ!」

 慌てる深冴を見て、貴耶は引きつった笑みを浮かべた。

「ま、まあ、そう落ち込まずに…対応の仕方は、皆が来た時に様子を見ながら考えればいいよ。その為にも、1番に公園に着かなきゃ。さあ、歩こう!」

「そ、そうだよね?」

 貴耶に慰められて、深冴は再び元気良く歩き出した。

「会う前から落ち込んでたって、しょうがない!ほら、そんな事言ってる間にもう公園が見えて来た!」

 公園の中に入る、深冴と貴耶。

「さーてと、何処で待…」

 入口でキョロキョロしていた深冴は、突然言葉を失った。

「何、どうし…あ」

 後ろにいた貴耶も、小さく声を上げる。

 夢の中で見た事があるような高校生が2人、目の前でブランコに乗っていた。

 暫くしてこちらに気が付いた2人が、慌ててブランコから降りる。

 そして、ゆっくりと近付いて来た。

「あ、あの、え、えーっと…」

 深冴は、何と声を掛けたらいいのか迷っていた。

 すると、先に向こうから声が掛かった。

「何か、こう言うの照れますね!お互い夢の中じゃ知ってる筈なのに、此処での俺達って全く知らないモン同士なんすから。えーと、取り敢えず自己紹介って…す、すんのか?やっぱ、しなきゃいけないっすよねぇ?ハハ、ハハハ!あ、お、俺、江波凰太です!」

「僕は朝川陽祈です、初めまして…っておい、凰太っ!お前、何笑ってんだよ!」

「だーってさぁ、初めましてなんて…わ、笑えるーっ!よく恥ずかしげもなく言えるよな、そう言う事!」

 目の前で自己紹介をしてじゃれ合っている2人を見ながら、深冴は驚きを隠す事が出来なかった。

 ボーッとしている深冴を横目で見ながら、貴耶も目の前の2人に自己紹介した。

「僕は、西村貴耶だ。凰太、陽祈、2人とも本当にいたんだな…会えて良かったよ」

 貴耶の優しい笑顔を見て、緊張が一気に解けた凰太と陽祈は、同時に貴耶に抱きついた。

『たっ、貴耶さぁーんっ!』

「おいおい…体の大きい男子高校生を2人も収容出来るほど、僕の胸は広くないよ」

 そう言いながらも、貴耶の表情は何処か嬉しそうだった。

 貴耶に目で合図され、深冴もようやく口を開いた。

「あのっ…わ、私、大関深冴!初対面なのに馴れ馴れしいけど、凰太も陽祈も夢の中と全く一緒だったから、それが嬉しくってさぁ!って何か変だよねぇ、この会話」

 凰太は、首を横に振る。

「何、言ってんすか!自己紹介も終わったんですから、此処にいる俺達は夢の中の俺達と、変わりませんって!」

「そうですよ。もう変なこだわりは捨てて、いつも通りに行きましょう。ね、深冴さん?」

 陽祈にもそう言われて、深冴は柄にもなく目頭が熱くなった。

「そっ、そうだよね…そうだよ!同じだよね、夢の中の私達と!ああ、良かった。皆に会ったら、何言おうかと色々考えちゃったんだけどさぁ、最初に会ったのがアンタ達だったお陰で、変な気ぃ使う必要なくなっちゃった!」

 ガハハと笑う深冴に、凰太が慌てて言う。

「ちょっと、待って下さいよ!それ、どう言う意味ですかーっ!失礼ですよ、ったく…」

 いじける凰太を見て、3人が笑う。

「ところで…」

 貴耶は、自分の腕時計を見た。

「4時18分か…まだ、早いな。あの滑り台でも滑りながら、時間潰す?」

「たっ、貴耶さんっ!」

 凰太は、ガクッとした。

「んな冗談、言ってる場合じゃないっしょ?俺、訊きたい事いっぱいあるんですよ?」

「そうだった!貴耶さん、腕の怪我はどうなんですか?こっちの貴耶さんにも、影響…出たんですか?」

 思い出したように、陽祈も訊いて来る。

 貴耶は、情けなさそうに笑った。

「ハハハ…何だ、こっちの皆にも心配掛けてたのかぁ…」

「ねえ、座って話さない?」

 深冴に言われ、4人は側のベンチに腰掛けた。

 貴耶が、腕を摩りながら言う。

「確かに、怪我した当時はかなり痛んだよ」

 深冴も、身を乗り出した。

「もう、凄かったんだよ。勿論、こっちの貴耶が怪我した訳じゃないから、外傷は全くないんだけど。でも、痛みだけが酷かったらしくて…ねえ?」

「ああ…ま、今はノワちゃんの治療のお陰で、夢の中での怪我も良くなった。こっちの僕の痛みも引いたんで、助かったよ」

 そう言って、貴耶は軽く微笑んだ。

「そうですか、良かった…」

 話を聞いて安心した陽祈だったが、すぐに表情を曇らせた。

「でも、やっぱりこの世界にも影響してたんですね、夢での事が。そしてコウリさんが現れ、僕達10人はこの世界ででも集結しようとしている。もしかしたら、夢で言っていた『邪気王』とか言うのも、こっちの世界に…」

「そんな事、考えたくないけど…でも、否定は出来ないよな」

 凰太もそう言って、俯いた。

 『仲間』は、この世界に実在するんだろうか。

 この謎が解けた今、4人の中には敵もこの世界に実在するんだろうか、と言う新たな謎が生まれていた。

 4人が黙り込んでいると、公園の入口から2人の高校生がやって来た。

「あーっ、ホントにいるーっ!ヤ、ヤダ…何か、感激して来ちゃった!」

 2人は、4人の許へ駆け寄って来た。

「えーっと、ど、どうしよう。何から言えばいいのかな…と、取り敢えず、名前ですよね?一応、初対面なんだし。私、斉藤思絵です!ほら、礼名も!」

「あ、あの、広瀬礼名です…って言っても、お互い知ってるから何か変ですよねぇ?あ、でも、此処ではやっぱ知らない事になるのかな…あれ、私何言ってんだろ」

 舞い上がってる2人を見ながら、深冴は立ち上がって言った。

「思絵、礼名…2人ともいたんだね、この世界に。大関深冴、以下3名もちゃんと実在してるよ!」

「ちょっとちょっと!」

 凰太は慌てて立ち上がり、深冴に怒りをぶつけた。

「またですか、深冴さんって人は…さっきから、失礼な事ばっか言ってんじゃないっすか!どうして俺達が、以下3名なんです?陽祈はともかく、俺と貴耶さんに向かってそれはないでしょう?」

 陽祈は、ポンポンとゆっくり凰太の肩を叩いた。

「凰太くん…殺されたいのかな、君は。それとも、あの真ん中にある巨大な噴水の中に、突き落として欲しい?」

「す、すいませんでし…くはっ!」

 陽祈に首を絞められる、凰太。

 そんな2人を見て、思絵も礼名も大笑いした。

「僕も凰太と陽祈を見た途端、今まで不安だった事が全部吹き飛んじゃったんだ。ずっと悩んでた自分が、何だかバカらしく思えて来てね…」

 そう言ってくすっと笑った貴耶を見て、凰太の怒りは更に増した。

「たっ、貴耶さんまで、そう言う事言うんですかっ!あ、分かった!可哀想に、深冴さんの悪い癖が移っちゃったんですねぇ?いつも、一緒にいるからですよ。こう言う人とは、一刻も早く離れた方が…」

「凰太ぁーっ…アンタ、自分が何言ってるか分かってるのかなぁ?」

 深冴は、陽祈に代わって凰太の首を絞めた。

「みっ、深冴さぁーんっ!あ、あの、俺っ…しっ、死んじゃいますよぉーっ!いっ、いいんですかぁーっ?」

「死ね死ねっ!死んでしまえーっ!」

 何だか、収拾のつかない事態に陥っている。

 6人がドタバタやっていると、背後で視線を感じた。

 6人が一斉に振り向くと、其処には次の2人組が立っていた。

「皆さん、やってますねぇーっ…俺の事、分かります?内野越斗です!いやぁ、良かったぁ。俺、しーんとした空気流れてたらどうしようって、ずっとドキドキしてたんですよ、此処来るまでは」

「でも、心配する事なかったみたいだね…あ、私、今岡乃輪です」

 礼名が、早速2人に話しかける。

「私と思絵も、さっき着いたばっかなの。何だかんだ言っても…結構皆、夢の中と変わりないから、安心していいよ」

「そうですか、良かったぁ!でも、あの…本当に皆さん、ご本人なんですよねぇ?」

 乃輪はまだ信じられないらしく、皆の顔を見回している。

 深冴は、そんな乃輪の肩に手を置いた。

「やっぱり、乃輪は乃輪なんだなーっ!大丈夫、私はちゃーんと大関深冴だからさ。凰太に陽祈、思絵や礼名も本物だから心配ないって!ねえ、貴耶?」

 貴耶は、ニコッと笑った。

「そうだよ、乃輪ちゃん。僕は、乃輪ちゃんに腕の怪我のせいで迷惑ばかり掛けていた、あの西村貴耶です」

「そっ、そんなっ!私、全然迷惑じゃないって言ってるのに…その他人行儀な所を見るに、貴耶さんは絶対本物ですねっ!」

 そう言って口を尖らせる乃輪を見て、皆は笑いながら貴耶を見た。

 貴耶は困った顔で、必死に乃輪を宥めている。

 そんな貴耶の姿が、更に皆の笑いを誘ったのであった。

「でも…残るは、あと2人ですね」

 陽祈が呟くと、深冴も頷いて言った。

「まあ、ある意味問題児2人組かな。夢ん中でも打ち解け合うのに、1ヶ月以上は掛かったもんなぁ…何せ、2人とも無口だからねぇ」

「お喋りな深冴さんとは、大違いで…おーっと、何でも御座いませーん!」

 そう言って、凰太がわざとらしく自分の口を塞ぐ。

 深冴はにこやかに凰太に笑いかけたが、目には恐ろしい殺気を帯びていた。

「あ…噂をすれば、ですよ」

 越斗が指差した方には、無表情な2人組が立っていた。

「ま、まさか…やはり、本当だったのか!」

「どうやら、私達が最後だったみたいね。私は笠井世摘、よろしく…」

「これで、全員揃ったって訳だ!」

 2人を見るなり、深冴は前にしゃしゃり出た。

「私は、言うまでもなく大関深冴!で…ちょっと、其処のアンタっ!黙り込んでないで、自己紹介くらいしたらどうっ?いくら夢の中では知り合いだっつったって、此処ではまだ赤の他人なんだかんねっ!それとも、自分の名前も言えない訳ぇーっ?」

「ったく…お前は、この世界でもうるせーな。松本唯織だよ!これでいいかっ!」

 唯織が嫌々自己紹介すると、深冴は満足気に頷いた。

「そうそう、それでよろしい。こちらの唯織さんも、自分の名前くらいは言えるみたいですね?上等上等…さーてと、後は我らがリーダーを待つばかりですか?」

 其処で皆は、黙り込んでしまった。

 彼が現れた時…その時が、全てを知らなければいけない時だ。

 出来る事なら…辛い事実なら、聞きたくない。

 誰もが、そう思っていた。

 しかし、彼は確実にやって来る。

 ただ静かに、時だけが流れた。

 

 

 午後4時57分。

 10人の目の前の空間が、突然歪み始めた。

 そして、其処から現れたのは…やはり、その人であった。

「あれ、皆来てたんだ。でも、まだ5時前だよね…遅刻ではない訳だ」

 彼は自分の腕時計を見た後、10人の顔をゆっくり見回した。

 そして、髪をかき上げながら言った。

「1度会った事のある皆さんはいいとして、残念ながら会えなかった4人の方…初めまして、時任ときとう幸里こうりと申します。どうぞよろしく」

 自己紹介をした幸里は、10人に向かって深々と頭を下げた。

 早速、唯織が喧嘩腰で訊く。

「一体、どう言う事なんだ!何故、この世界にまで現れたりするっ!最初っから、説明してくれ!」

 頭を上げた幸里は、唯織を見た。

「確かに詳しい説明もせず、突然此処に来いってのはあまりにも無謀だったかもしれない。それは、謝るよ。しかし、皆には一刻も早く集まって欲しかったんだ。実は…『邪気王』が、こっちの世界にまで侵出して来ている」

「どっ、どう言う事ですか?」

 礼名が、不安な面持ちで訊く。

 幸里は、静かに説明し始めた。

「何故、我々の敵が夢の中の世界にしか現れなかったのか…それは、眠っている人間の意識が無防備だからだ。夢の中の人間の精神になら、入り込むのも容易。って事で、奴は夢の世界から潰しにかかったと言う訳だ」

「夢の世界からって…だったら、どうしてこっちにまで?」

 凰太が訊くと、コウリは考えながら答えた。

「理由は、よく分からないが…夢での僕達と言うのは、奴の『邪気』にも屈しないほどの力を備えてるだろう?だけど現実の僕達は、ただの人間だ。其処を、奴はうまく利用しようとしてるのかもしれない」

「って事は夢の世界より先に、こっちの世界がやられちゃう可能性の方が高いって事ですか?」

 驚く思絵に、幸里は頷いて見せた。

「お、俺達、まだ夢の中のように術を使いこなせないんですよ?なのに、突然『邪気王』が襲って来たりしたらどうするんですかっ?」

 越斗が訊く。

 幸里は、腕を組んだ。

「僕に、1つ提案があるんだ」

「な、何ですか?」

 陽祈が、訊き返す。

 幸里は言った。

「奴は、夢と現実を行ったり来たり出来る。夢の中の人間と現実の人間、両方の人間達から得た『邪気』を溜め込んで、今後強大な力を得るであろう事は必至だ。其処で…僕達も夢の中の自分と現実の自分、両方の力を融合させようと思う」

『えぇーっっっ?』

 皆は、一斉に声を上げた。

「え…な、何?どう言う事?」

 深冴が、首を傾げる。

 乃輪は、目を丸くした。

「それって、夢での自分と今此処にいる自分が合体しちゃうって事ですか?」

 幸里は、笑って言う。

「まあ、そんなようなものだな」

「そんな事、出来る訳がないだろう!」

 唯織は、厳しい口調で言った。

「バカな事を、言うんじゃない!此処は、現実だぞ?」

「でもこのままでは、こっちの世界は確実に破滅する…いいのかい?」

 幸里にそう言われ、唯織は口ごもった。

「融合が可能なら、私は反対しません」

 そう言ったのは、世摘だった。

「でも…夢の自分と今の自分が一緒になったら、いつもの夢は見なくなるんですか?」

 世摘の質問に、幸里が答える。

「勿論、夢は今まで通り見るよ。ただ、今までは別の個体として動いていた自分が一緒になるんだから、夢でもし大怪我を負った場合は目が覚めた後もそのまま、と言う事になる」

「ああ、分かった。今のこの体を使って、自分の夢の中へ入るみたいな感じなんだ」

 思絵がそう言うと、礼名は真っ青な顔をした。

「じゃ、じゃあ、もし夢の中で死んだら…こっちでも2度と生き返る事は出来ない、って事ですか?」

 幸里は、静かに頷いた。

「残念ながら…」

 皆は、一気に言葉を失った。

「既に夢での影響がこっちにも出始めて来てるから、融合は楽に行えると思う。夢での力がプラスされる事によって、君達自身もパワーアップ出来る。『邪気王』を倒すのも、それこそ夢ではなくなるが…どうする?」

 明るく言う幸里に、10人は戸惑いを隠せなかった。

 融合すると言う事は、それだけ危険も多くなると言う事だ。

 夢の中で『邪気王』と戦う、と言う重大決心をさせられたばかりだと言うのに、今度は現実の世界で命を懸けるか懸けないかの決心を、させられる羽目になるとは。

「それしか方法がないと言うなら、やるしかないだろ!融合でも何でも、勝手にやってくれ!俺は必ず、『邪気王』を倒してみせる!」

 唯織は、もうやる気になっている。

 世摘も頷く。

「松本くんと、同じです」

「世摘ちゃんがそう言うんだったら、俺もですよ!勿論、陽ちゃんも…って、何か夢と同じ展開になってますけど」

 そう言って、凰太は陽祈を見た。

「はいはい、やりますよ…」

 陽祈も肩を竦めつつ、承諾の意思を見せる。

「じゃあ、私達も…ね、礼名」

 思絵がそう言うと、礼名も頷く。

「うん!」

「そんじゃうちらも賛成だよねぇ、貴耶?」

 深冴の言う事に、貴耶も微笑んで頷く。

「異議はありません」

「僕もです!」

「勿論、私も!」

 越斗と乃輪も、大きく頷いた。

 幸里は、10人の顔を見回して言った。

「分かった…それじゃあ今晩早速、夢の中でこっちの体との融合を行う。夢の中では、こっちの自分の記憶はないだろう?だから今晩、夢の中で僕が責任を持って皆を召集するよ。それから、融合しよう」

『はい!』

 10人が、揃って返事をする。

「では、今日は解散。融合に備えて、今晩は早めに寝る事。いいね?じゃあ、夢でまた」

 そう言って、幸里は夢の中のように歪んだ空間の向こうへと、消えて行った。

「すーぐ帰っちゃうんだなぁ、謎の青年は…うーん、まあしょうがない。じゃあ、うちらも帰ろっか?」

 深冴がトボトボ歩き出すと、貴耶はニヤニヤしながらそれを止めた。

「あれ?今日は皆で、夕御飯食べて帰るんじゃなかったっけ?」

「えっ?」

 深冴が、ギクッとなる。

「あ、ああ、そ、そうなんだけどね…べ、別に私、奢んないよ?奢んなくてもいいよって人は、一緒に行かない?ほら、折角こうして現実の世界でも出会えたんだしさ。ど、どう?」

 深冴の誘いに最初に乗ったのは、思絵と礼名だった。

「はーい!私、行っきまーっす!」

「私も、お供します!」

「そう、来なくっちゃ!で、他の皆は?」

 深冴が訊くと、何と世摘が唯織を引っ張って来た。

「私達も、行かせてもらっていい?」

「なっ…かっ、笠井、お前っ!」

 唯織は、酷く動揺している。

 この2人らしからぬ言動に、皆は静まり返っている。

 深冴は、慌てて頷いた。

「も、勿論!唯織、アンタも来てくれるんだぁ?」

 黙っていた唯織は、鼻で笑った。

「ケッ…人数が集まらないとお前が惨めだろうから、仕方なく行ってやる。だが、勘違いすんなよ。これっきりだからな!」

 こちらの唯織も相変わらずだったが、深冴はそれでもいいと思った。

「ほんっと可愛くないね、アンタは…ま、いっか!さあさあ、後の4人はどうするのかな?」

 其処で貴耶は、眉間に皺を寄せた。

「み、深冴。後の4人、って…僕を含めて、あと5人だろ?」

 すると、はぁ?と言う表情をしながら深冴が言った。

「あのねぇ、貴耶は最初っからメンバーに入ってんの。貴耶に、選ぶ権利はないんだよ?ったく、分かってないんだから…」

 ブツブツと文句を言い始める深冴を見て、貴耶は小さく呟いた。

「分かってないのは、どっちだよ…」

「深冴さん!俺達も、行きます!」

 突然、元気良く凰太が手を上げた。

「おっ、凰ちゃんも来るかい?って事は、陽ちゃんも来るって事だね?」

 陽祈は、溜息をつく。

「深冴さーん…お願いですから、こいつとペアみたく扱うのはやめて下さい」

「何だよーっ!実際ペアなんだから、しょーがねーじゃーん!」

 それを聞いた陽祈は、すかさず凰太の首を絞めた。

 そんな2人は放っておいて、深冴は乃輪と越斗に言った。

「2人は、どうする?」

「俺達も、是非連れてって下さい!」

 越斗は、快く承諾した。

「ほんと?良かった…じゃあ、乃輪は?」

 深冴に訊かれ、乃輪も頷いた。

「勿論、行きます!」

「よーし、じゃあ全員参加って事で早速しゅっぱーつ!場所は…いつも夢ん中で行ってる、お好み焼き屋さんでいいよね?」

『はいっ!』

 皆も深冴の提案に賛成し、10人は揃って中央公園を後にした。


 

     5月3日 日曜日 ―夢―

 

          ★

 

「何だろう、大事な話って…」

 シエがそう言ってベンチに座ると、レイナも首を傾げた。

「さあ…昨日、1週間後の決戦の日にまた会おうって別れたばっかなのにね」

「邪気王の、新たな情報でも入ったのか?」

 そう言って、オウタもベンチに腰掛けた。

「ま、あまり深刻に考えない方がいいんじゃないか」

 ハルキも、小さく呟く。

 今朝、10人の許にコウリから通信が入った。

 昨日の今日で、大事な話があるとは一体どう言う事なのか。

 訳も分からないまま10人は、再び午後5時にこの中央公園に集結したのであった。

「コウリ、遅いな…いきなり呼び出しておいて、一体何をやっているんだ」

 イオリは、苛付いている。

 時間は、午後4時53分。

 タカヤは、空を見上げた。

「囮になって、邪気王を誘き寄せるだなんて、昨日は言っていたけど…もしかしたら、やっぱりそれは難しいと判断したんじゃないかな」

「それは、私もそう思う。いくらコウリさんだって、たった1人で邪気王を誘き出すのは無理だよ」

 ミサもそう言ったのだが、ヨツミは冷静な口調で呟いた。

「コウリさんに、不可能なんてない…」

 皆が、黙り込む。

 時間だけが、流れて行った。

 

 

 そして、午後6時9分。

 エツトが、自分の腕時計を見る

「ちょっと、遅過ぎませんか?」

 約束の時間はとうに過ぎているのに、コウリはまだ現れなかった。

「通信も入らないなんて、何かあったんじゃ…」

 ノワが、そう言った時。

《…皆、聞こえるか?》

「コウリさんっ?」

 ヨツミはそう叫んで、ベンチから立ち上がった。

 コウリから、通信が入ったのだ。

《すまない、連絡が遅れてしまった。今日これからする事に、かなりの力が必要なもんだから、準備に手間取っちゃって…今、そっちに行くから》

 そして、急に通信が切れたかと思ったら、突然歪んだ目の前の空間からコウリが姿を現した。

「コ、コウリさん!一体、何だってんですか?散々人を待たしといて、これから何かするだなんて…俺達、聞いてないっすよ?」

 オウタがそう言うと、コウリはハハハと笑った。

「ごめんごめん。1週間後の邪気王との決戦に備えて、1つやっておかなければならない事があるんだ。それを、これから皆にしてもらおうと思ってね…」

「な、何なんですか?」

 レイナが訊く。

 コウリは言った。

「皆…こんな事を言うのは酷かもしれないけど、今此処にいる皆は皆が見ている夢なんだ」

「コウリ…お前、突然何を言い出す!」

 イオリが怒鳴る。

 ミサも、頷いて言った。

「そうだよ、コウリさん!意味、分かんないよ!」

「私、分かる…」

 そう呟いたのは、ヨツミだった。

「いつか、そう言われる時が来るって分かってた」

「どう言う事ですか、ヨツミさん…」

 シエが、呟くように訊く。

 ヨツミは言った。

「生まれた時から私はこの力を持っていて、ちょっと念じただけで手のひらから変な光が出たり…私は変化の術が使えるから、生きてる猫から転がってる石まで色んなものに変身出来た。でも、どうして私ばっかりがこんな体で生まれて来たんだろう。これは夢だ、夢なんだって何度も思いながら今まで生きて来た」

 皆が、ヨツミを見つめる。

「だけど、ついにその日が来た。やっぱり、これは夢なんですね?やっと、この力から解放され…」

「それは無理だ」

 コウリは、ヨツミの言葉を遮った。

「この力を持って生まれた事は、君達の運命なんだ。これは、決して変える事は出来ない」

「じゃ、じゃあ、これが夢ってのはどう言う意味なんですか?」

 ハルキが訊くと、コウリは静かに言った。

「今、此処にいる君達と本当の君達が融合し、1つの体となって邪気王に戦いを挑むんだ」

 皆は、互いに顔を見合わせた。

「邪気王は今、目が覚めている時の君達をも狙おうとしている。これは一刻の猶予を争う、緊急事態なんだ。2つの体が1つになれば、君達の力も更に増す筈…両方の世界が手遅れにならない内に、邪気王を叩き潰すんだ」

 コウリの言葉に、息を飲む10人。

「その融合って…簡単なものなんですか?」

 ノワが訊くと、コウリは考えながら言った。

「簡単と言うか、君達の意識次第なんだ。どれだけ本当の自分と、一体になれるかどうか…もう時間もない事だし、早速やってみよう。ああ、除人の結界でも張っておくか」

 コウリは地面に手のひらを付き、強く念じ始めた。

 手のひらから不思議な光が放射され、中央公園全体を包み込み始める。

「ふぅ…これで、よしと」

 立ち上がったコウリは、手に付いた砂を掃った。

「じゃあ、始める。皆、輪になって目を閉じるんだ」

 皆の脳裏に、不安がよぎる。

 しかし10人は、大人しく輪になって目を閉じた。

 その輪の真ん中にコウリが入り、何やら念じ始める。

「もう1人の自分を、強く思い描くんだ。本来の君達は、自分の部屋で眠っている。念じれば、分かる。元々、君達は1つなのだから…さあ、念じろ」

 10人は、強く念じた。

 徐々に体から光が放たれ、それぞれの目の前にもう1人の自分が現れる。

「よし、目を開けてみろ」

 10人は、ゆっくり目を開けた。

 そして、驚いた。

 目の前には、それぞれ寝巻き姿の自分が目を閉じたまま、浮かんでいたからだ。

「これが、本当の君達だ。これから僕が、2つの体を融合させる。君達は、もう1人の自分と1つになる事だけを考えろ。いいな?」

 頷いた10人は、再び目を閉じた。

 もう1人の自分と、1つになる。

 10人は、その事だけを考えた。

 コウリの体から、光の筋が触手のように伸び始める。

 そしてそれは10本に分かれ、それぞれの夢の体と現実の体を縛り付けた。

 重なった2つの体が溶け込み、やがて1つの体になって行く。

 そして20あった体は、再び10になった。

 放たれていた光が、徐々に消える。

「よし、目を開けろ」

 コウリの声がして、10人はゆっくりと目を開けた。

「お、終わったん…ですか?」

 シエが、掠れた声で訊く。

 コウリは頷いた。

「ああ、終わった…どうだ?夢と現実、両方の記憶があるだろう?」

「た、確かに。さっき寝る前、夕方に皆で集まった事も覚えてる。体の融合を、今晩の夢で行おうって言われた事も…じゃ、じゃあ、これは私達の夢の中?」

 ミサが驚いて訊くと、コウリは笑って言った。

「そうだ。自分の夢の中に、入った感想は?」

「何だか、不思議な感じがする…」

 ハルキはそう言って、ボーッとしている。

「でも、1つになったと言う事は…この体で、邪気王と戦わなければならないって事ですよね」

 ノワが、俯いて言う。

 皆も、不安な表情になった。

 コウリは微笑む。

「心配するな。融合したお陰で、力は確実に上がっているんだ。自信を持て」

「とは言ってもねぇ…」

 オウタは、溜息をついている。

 イオリは、力強く言った。

「とにかく、勝つ!その事だけを、考えろ!」

「大丈夫。勝てるよ、オウタくん」

 ヨツミにもそう言われ、オウタは笑顔で頷いた。

「そ、そうっすよねぇ!何も、心配する事なんかないんですよ!」

「ったく…このアホが」

 ハルキが、頭を抱える。

「僕の怪我も、夢ではなく本物になっちゃったって訳だ…」

 呟くタカヤの肩を叩き、コウリは言った。

「だから、1週間の猶予を与えたんじゃないか。今度は、現実の世界でもノワが回復の術を使える。夢と現実、ダブルで治療を受ければすぐに完治するさ」

「そうですね…ノワちゃん、両方の世界で迷惑掛けるけど」

 タカヤが申し訳なさそうに微笑むと、ノワは笑って言った。

「任せて下さい!タカヤさんの怪我は、私が責任を持って治します!」

「それでは、1週間後…そうだな、邪気王が現実の世界にも現れた事で、事情が変わってしまったからな。どっちの世界で戦う事になるかは、まだ分からない。だから、近くなったらこちらから連絡する。それまで、お前達は待機していてくれ」

『はい!』

 返事をする、10人。

「では、今晩はゆっくり休んでくれ。明日からは同じ体を、夢と現実両方で使う事になるから、それだけ疲れも増すと思う。毎日の睡眠は、たっぷり取るように。それじゃあ、また」

 いつもの通り、コウリは歪んだ空間に消えた。

 10人も、今日の所は大人しく家へ帰る事にした。

 

 

     5月8日 土曜日 ―現実―


        ○

 

 通信で幸里に呼び出された10人は、中央公園に来ていた。

 ついに、その時が来たのだ。

「めちゃめちゃ、不安…」

 礼名は深刻な表情をしてベンチに座り、項垂れていた。

 隣に座った凰太がガムを手渡し、励ますように言う。

「意外と、何とかなるもんだって!そう難しく考え込むなよな、礼名ちゃん!」

「ま、凰太に言われても説得力ないけど…」

 そう呟いた陽祈が、凰太に首を絞められる。

 思絵は黙ってブランコを漕ぎながら、緊張感を必死に紛らわせていた。

「あいつは、また遅刻かっ!」

 唯織は、相変わらず苛付いている。

 越斗は、その場を行ったり来たりしながら落ち着きなく言った。

「確か通信では、邪気王との接触に成功したって言ってましたよねぇ?ま、まさか、その時に攻撃でも受けたんじゃ…」

「だ、大丈夫だよ。幸里さんなら、心配ない」

 乃輪はそう言って、越斗の腕を掴んだ。

 世摘も頷く。

「今岡さんの、言う通り…幸里さんなら、大丈夫」

 深冴は微笑んだ。

「まあさ、まだ5時13分じゃん!13分の遅刻なんて、幸里さんにしちゃあ可愛いもんよ!だから、もう少し待って…」

 その時。

「だっ、誰っ?」

 礼名が、ハッとして立ち上がる。

 皆も、一斉に振り返った。

 公園の入口に、1人の女が立っている。

 顔立ちはとても美しく、絹のように柔らかな黒いロングワンピースを着ていた。

 陽祈が、目を見開く。

「こ、幸里さん、除人の結界、既に張ってあるって…言ってませんでしたっけ?」

「そ、そうそう…お、俺達みたいな力、持ってない限り、普通の人は、け、結界ん中入れない筈、だぜ?」

 声を上ずらせながら、凰太も呟く。

 越斗は、震える拳を握りしめた。

「じゃ、じゃあ、あの女の人…ふ、普通の人じゃないって事、っすか?」

 貴耶は、頷いて言う。

「この邪気、半端じゃない…透視をしなくても、十分に感じる事が出来る!」

「まっ、まさかっ!」

 唯織が叫ぶと同時に、歪んだ空間から幸里が現れた。

「こっ、幸里さんっ!」

 世摘が駆け寄ると、幸里は厳しい表情で言った。

「全員、戦闘態勢に入れっ!」

 皆が、目を丸くする。

 幸里は、酷く体力を消耗しているように見えた。

「ど、どう言う事…なの?」

 戸惑う礼名。

「結界の術っ!」

 すかさず結界の術を掛け、全員を守護する貴耶。

 女は、こちらへ歩いて来た。

~ 随分な出迎えだな、貴様ら ~

「何、この声っ?」

 深冴が、耳を塞ぐ。

 頭に響く、不快な声だった。

「やはり、こいつ…邪気王かっ!」

 唯織の言葉に、皆は開いた口が塞がらなかった。

 この女が、邪気王とは。

 思絵が訊く。

「こ、幸里さん、唯織さんが言った事は…」

「本当だ」

 その幸里の答えに、10人の体からサッと血の気が引いた。

「み、見た目は綺麗なお姉さん、ですけど…」

 そう呟く凰太に、幸里が言う。

「言っただろう、邪気王は人の形をしていると」

「だからって、まさか女の人だとは…」

 乃輪は、動揺している。

「油断するなよ、見た目に騙されるな!時空結界っ!」

 そう言って、幸里は空に向かって両手を突き上げた。

 手のひらから放たれた光はどんどん広がって行き、何百何千キロメートル四方ものこの公園を中心とした一帯を封じ込めた。

「時空の結界を張った。これでこの結界の中には誰も入っては来れないし、この結界からは誰も出る事が出来ない。思う存分、戦えると言う訳だ…まずは、どうする?」

 そう言われても…と、10人は戸惑う。

「どうするって、どうすりゃいいんです?」

 困った顔の越斗に、貴耶は言う。

「やはり、相手の出方を見るしかないんじゃないかな」

 皆も頷いたので、取り敢えずは邪気王がどう出るのか待ってみる事にした…そして。

~ 呑気な連中だ…これだから、人間は無力だと言うのだ… ~

「どう言う意味だ…」

 身構える陽祈。

~ コウリとやら…このガキ共に、教えてやったらどうだ?現実の残酷さとやらを、な… ~

 まるで、金属を引っ搔くかのような邪気王の笑い声が、脳裏に直接響いて来る。

 頭を押さえながら、礼名は叫んだ。

「幸里さん!一体、どう言う事なんですかっ?」

「束縛の術っ!」

 答えを聞く間もなく、凰太は邪気王に束縛の術をかけた。

  目に見えない茨の蔓の様なものが邪気王の体に巻き付き、きつく締め上げて行く。

「いいよ、凰太っ!飛行の術っ!」

 すぐさま飛び上がった深冴は、先制攻撃として手のひらから気砲弾を連続で発した。

 あっと言う間に、邪気王の体が砂埃に塗れて見えなくなる。

「やったか?!」

 唯織の言葉を、否定する陽祈。

「まだです、唯織さんっ!生体反応アリ!」

 陽祈の見開かれた瞳は、黄色い光を放っている。

「分析の術っすね…よーし、刀剣の術っ!」

 越斗は、すぐさま気を集めて巨大な大剣を創り出した。

「はぁーっっっ!!!!!」

「越ちゃんっ!」

 邪気王に駆け出して行く越斗を、不安そうに見つめる乃輪。

~ 莫迦め!!!!! ~

 邪気王の声と共に、大量の砂埃と砂利の嵐が細かな弾丸のように、こちらへ向かって襲って来る。

「くっ…!」

 結界の術で全員を守る貴耶が、顔を顰めた。

 その嵐と共に、跳ね返された越斗の体が地面に叩きつけられる。

「ぐはぁーーーーーっっっ!!!!!」

「越ちゃんっ!!!!!」

 慌てて駆け寄る、乃輪。

「おい、内野っ!くそっ…分身の術っ!」

 動かない越斗を見て、唯織はすぐさま分身の術を唱えた。

 唯織が10体に増え、戦闘態勢に入る。

「浮遊の術っ!」

 思絵も覚悟を決め、公園内にある遊具類を渾身の力で埋め込まれている地面から浮き上がらせた。

 いつでもこれらを、邪気王目掛けて叩きつけるつもりだ。

 乃輪は、必死に回復の術で越斗の体を治療する。

「皆さん、私も準備は出来ています!いつでも必要なポジションに皆さんを移動させますので、通信で指示をお願いします!」

 移動の術が使える礼名は、皆にそう叫んだ。

 再び、邪気王が金属音のような笑い声を上げる。

~ 人間は、卑怯者だ…大勢で、寄ってたかって、たった1人を攻撃するのだからな… ~

「黙れ!」

 唯織が叫ぶ。

~ こうして束縛し、支配したがる…はぁーっっっ!!!!! ~

 邪気王は力を込めると、邪気を発して束縛を一気に解いた。

「うわぁっっっっっ!!!!!」

 束縛の術が解かれ、気を張っていた凰太の体が投げ出される。

「お、おい、凰太!しっかりしろ!凰太っ!」

 陽祈が駆け寄り、凰太を抱き起こす。

「凰太くんっ!私達の大事な仲間を…許さないっ!はぁーっ!!!!!」

 思絵は、浮かび上がらせていた複数の遊具を一斉に邪気王に向けて、投げ飛ばした。

「いいよ!思絵っ!」

 空中に浮かんでいる深冴が、ガッツポーズをする。

「いや!まだだ!」

 凰太を抱きかかえたままの陽祈の目が、黄色く光っている。

 分析中だ。

 グチャグチャに潰れた遊具の山の中から、傷だらけになった邪気王が這い出て来る。

~ どうだ?弱い者苛めをしている気分は…さぞかし、気持ちがいいだろう…人間とは、そう言う生き物だからな… ~

「何、勝手な事言ってんのよ!」

 深冴が叫ぶ。

 礼名は、移動の術で越斗、凰太、そして回復役の乃輪を、1人ずつ公園の端の方へ匿っている。

~ あの男から、聞かなかったのか?私は、お前達から生み出されたと言っても、過言ではないのだぞ? ~

 幸里は、必死に地面に手のひらを翳しながら、時空の結界をかけ続けている。

 世摘は、幸里が心配で離れられない。

「それが、どうした!そんな口車に、俺達が乗ると思っているのか?俺達の使命はお前を倒し、平和な世界を取り戻す!それだけだ!」

 10人の唯織はあらゆる角度から気砲弾を発し、邪気王に向かって飛び掛かって行った。

 気砲弾を全身に浴びながらも、邪気王は唯織の攻撃を器用に躱す。

 近距離で邪気弾を体に浴びた唯織の分身が、1人また1人と消えて行く。

「くっ……そ……っ!」

「唯織っ!」

 膝をついた本体の唯織に、結界の術をかけたままの貴耶が駆け寄る。

「無理するな」

「テ、テメェに言われたか、ねぇん、だよ…」

 貴耶に心配された唯織が、憎まれ口を叩く。

「ね、ねえ…何か、嫌な予感がする…」

 そう言ったのは、3人を移動させ終えた礼名だった。

「どう言う事?礼名ちゃん…」

 陽祈が訊く。

 礼名は、キョロキョロしながら答えた。

「世摘さんが…いない…」

「何だと…っ?」

 苦しそうにしながら、唯織が顔を上げる。

「えっ?よ、世摘っ?世摘っ?何処っ?」

 空を飛びながら、辺りを見回す深冴。

「だって、さっきまで幸里さんの側に…」

 思絵はそう言って幸里の方を見たが、其処には相変わらず苦しそうに結界を張り続けている、幸里の姿しかない。

「駄目だ…世摘さんは、下手に何にでも変身出来るだけに、俺の分析の目にも映らない!」

 瞳を黄色く光らせた陽祈が、悔しそうに地面を叩く。

 再び、金属音のような笑い声が響いた。

~ なるほど…人間の中にも、多少は利口な者もおるようだな…そいつは、お前らを置いて逃げたのであろう… ~

「笠井は、そんな人間ではないっ!」

 すぐさま否定したのは、唯織だ。

「そうだよ!きっと、世摘には何か考えがあるんだよっ!」

 深冴も叫ぶ。

「ですね…世摘さんを、信じよう」

 陽祈もそう言って、思絵と礼名を見た。

 2人が揃って頷くと、邪気王は再び笑った。

~ だから、愚かだと言っておる…勝手に信じて、勝手に正義を押し付けておきながら、裏切られた時はさぞかし怒るのであろうなぁ? ~

 皆が、黙り込む

~ 怒りはやがて執着となり、記憶を蝕んで行く…そうではなかった事も、まるでそうであったかのように塗り替えられ、これまでの概念はいとも簡単に引っ繰り返ってしまうのだ… ~

「皆、耳を貸してはいけないっ!」

 ようやく、幸里が口を開いた。

~ 人間の集団心理とは、本当に恐ろしい物だ…どんなに努力し続け、時間を掛けて灯し続けて来た希望の光も、ほんの一握りの闇が瞬時に全てを消し去ってしまうのだからな… ~

「な、何?何なの…っ?」

 礼名は、不安のあまり正気を失いそうになっている。

「ちょっ…こ、幸里さんっ?どう言う事っ?」

 空中にいた深冴が、静かに下りて来る。

「え…何だ…何か、あるのか?」

 苦しそうに呟く、唯織。

「大丈夫だから…礼名…大丈夫…」

 不安そうな礼名の背中を、思絵は必死にさする。

「ん?何…ど、どう言う状況ですか、これ…」

 陽祈は、ひたすら戸惑っている。

「あ…世摘ちゃん…」

 貴耶のその言葉に、皆は一斉に公園の入口を見た。

 顔面蒼白の世摘が、今にも崩れ落ちそうに佇んでいる。

「幸里さん…今すぐ…結界を…解いて下さ…い…っ」

 消え入りそうな声の、世摘。

 幸里は、黙って顔を上げた。

「え…え…何?何 ?どう言う事っ?世摘っ?」

 深冴は、笑っているのか泣いているのか困っているのか分からない表情で、世摘を見つめている。

~ 利口な人間が1人、真実を知ってしまったようだな…コウリとやら、もう悪あがきはよそうではないか… ~

 邪気王にそう言われた幸里は、ゆっくりと立ち上がった。

「嫌……嫌……嫌……っ」

 礼名は涙を堪えながら、ひたすら首を横に振っている。

「時空結界…………解除………」

 幸里が、静かに呟く。

 瞬時に時空の結界が解除され、現れた風景は…見た事のない物だった。

 彼らが立っているこの中央公園だけがまるで異世界の如く、公園の敷地の外には抜け殻のようにただ歩き彷徨うだけの人間達で溢れ返る、荒れ果てた土地が延々と続いていた。

 空はどす黒く曇り、光すら射さない世界…。

「な…何、これ…」

 崩れ落ちる、深冴。

「わ、私達の町は…い、一体、どうなったんですかっ?」

 思絵が叫ぶ。

「幸里さん…本当の事を、言って下さい!」

 陽祈も、強い口調で言う。

 代わりに口を開いたのは、世摘だった。

「幸里さんの様子がおかしい事に、何となく気付いてた…だから…皆には悪いと思ったけど、戦いの最中に、なるべく目立たない虫に、変身、して…結界の外に、出た…そうしたら…」

「こうなっていた…訳、だね…」

 貴耶の言葉に、頷く世摘。

「邪気王を、此処へ誘き寄せる段階で、既に…こう言う結果に、なってしまったんじゃ、ない、ですか?幸里さん、私達に知られまいとして、先に、戦ってくれてたんでしょう?」

「そ、そうなのか、幸里っ?」

 唯織が訊く。

 幸里は、溜息をついて言った。

「すまない、皆…騙すつもりは、なかった…しかし…」

「謝らないで、幸里さん!幸里さんは、精一杯私達の為にしてくれたじゃない!」

 世摘は、今にも泣きそうだ。

「そ、そうですよ!幸里さんは、何も悪くない!」

 陽祈も同意する。

「でも!でも、どうしてこんな事になっちゃったの!」

 深冴が訊くと、幸里は静かに話し始めた。

「僕達が本格的に動き出す事を知った邪気王は、強硬手段に出た。直接人類の脳に訴えかけ、全ての生きとし生けるものを邪気の器に変えてしまおうとしたんだ」

 驚きのあまり、皆が目を合わせる。

「勿論、僕は対抗した。だが、恐怖に支配された人間達の意見を覆す事は、僕1人の力では到底無理だった。人間達は邪気王に従い、世界はこうなってしまった…」

「それって…ある意味、私達人間の意思でこうなっちゃったって…事?」

 唖然とする思絵。

「だったら、俺達の意思はどうなる!俺達が、今までして来た事は!」

 叫ぶ唯織に、邪気王は笑いを堪えながら言った。

~ だから、言ったであろう。簡単に表と裏など、引っ繰り返ってしまうのだ…全て、無駄だ… ~

「嘘っ!そんなの、信じないんだからっ!」

 深冴は、悔し気に歯を食いしばる。

「もう、嫌…もう、嫌ぁーっっっ!!!!!」

 突然、礼名が気砲弾を連続で出しながら、邪気王に向かって走り出した。

「れ、礼名っ!!!!!」

 思絵が止めようとした瞬間。

「はぁ……っ……っ!」

 邪気王の腕が、礼名の体を…貫いていた。

 時が、止まったかのように思えた。

 血を滴らせながら、穴の開いた礼名の体が地面に横たわる。

「礼……名……っ」

 思絵は、うまく息が出来なかった。

「嘘…だ、ろ…っ?」

 陽祈も、目を見開く。

「くそ……っ……くそぉっっっっっ!!!!!」

 唯織も怒りに我を忘れて、邪気王に突っ込んで行った。

「唯織っ!」

「やめて、唯織っ!」

 貴耶と深冴の声が届く事はないまま、唯織の体は真っ二つに引き裂かれた。

~ だから、何故無駄な抵抗をするのだ…そう言えば…人間は、諦めると言う事も知らん生き物であったなぁ… ~

 邪気王は血塗れの腕を、まるで水気を払うかのように軽く振った。

「そうだよ!俺達人間は、諦めが悪いんだ!」

 突然、そう叫んだのは公園の隅に匿われていた越斗だった。

「え、越斗っ?」

 驚く深冴。

 乃輪も一緒にいる。

「深冴さん、貴耶さん、陽祈さん、思絵さん、そして世摘さん…今まで、本当に有り難う御座いました。俺達、皆さんの事…忘れません!」

 涙を流しながら笑顔でそう言う越斗を見て、貴耶が唖然とする。

「越斗…な、何を言って…っ」

「私も…越ちゃんの全回復と、凰太さんを眠らせるまでに回復させた事で、全て力は使い果たしました。2人で話し合って、私の残りの気砲弾を越ちゃんの刀剣に融合させて、突っ込みます…」

 真っ赤な目をした乃輪の意思に、迷いはない。

「ねえ、止めて?お願いだから……お願い、だから…」

 崩れ落ちる思絵。

「ほら…此処は、現実でしょう?眠ればまた、夢で逢えますよ…夢の中じゃ、現実の事なんか綺麗さっぱり忘れてるんすから…いつもみたいに通信で話したり、お互いの学校へ邪気退治の手伝いに行ったりしましょうよ」

 微笑む越斗に、皆は掛ける言葉が無かった。

「乃輪…行こうか?」

「うん…越ちゃん」

 2人は全身の力を振り絞って越斗の刀剣に込め、それは巨大な光の槍となって一直線に邪気王に向かって行った。

~ まあ…人間のそう言う所、滑稽ではあるが…嫌いではない… ~

 真正面から突っ込んで来た光の槍を、邪気王はグッと両手で掴んだ。

『はぁーーーーーーーーーっっっっっっっ!!!!!!!』

 越斗と乃輪も、精一杯の力を込める。

 しかし邪気王は、その槍を両手で掴んでグイッと頭上へ振りかざした。

 遠心力で手が離れた越斗と乃輪の体が、宙に舞う。

 素早く槍を真っ二つに圧し折った邪気王は、それぞれ手に持った槍で落ちて来る2人の体を串刺しにした。

 それを、無造作に地面に放り投げる。

 最早、言葉も出なかった。

 こんな結末になると、誰が予想しただろうか。

「もう…運命は変えられないなら、私も最後まで戦う事を選ぶ」

 そう言ったのは、思絵だった。

「思絵……」

 呟く深冴。

「思絵ちゃんなら…そう、言ってくれると…思ってたよ…」

 足を引きずりながら、凰太が何とか歩いて来た。

「お、凰太!お前…っ」

 陽祈が、目を潤ませている。

「へ、へぇーっ…あの陽ちゃんが、俺の為に、泣いてくれるとはねぇ?」

「こんな時にまで、バカ言ってんじゃねぇよ!」

「こんな時だから、だろうがよ…いい加減な俺と、仲良くしてくれて、有り難うな…無愛想優等生!」

「うるせぇよ!礼にもなってねぇわ、バカ不良お人好し男!」

「何だよ、それ!」

 いつも通り首を絞める真似をしながら、笑い合う2人。

「んじゃあ、思絵ちゃんのナイトとして俺ら2人も加勢して…高2チームのパワーを、先輩達に見せつけてやりますか?」

 凰太に肩を叩かれ、思絵は泣きながら笑顔で頷いた。

「皆さん…大好きな憧れの先輩達、でした…今まで…本当に、有り難う御座いました!」

 思絵が頭を下げると、深冴は黙って思絵を抱きしめた。

「貴耶さん…女性陣を、頼みましたよ!」

 凰太の言葉に、黙って頷く貴耶。

「世摘さん…あの…」

 陽祈は、世摘に何か言いかけた。

「何…」

「い、いえ、何でもありません」

 軽く頭を下げた陽祈は、凰太と思絵と共に作戦を練り始めた。

「よし!やってやるぜ!」

 思絵の浮遊の術で、3人が宙に浮かび上がる。

 計画通りの動きを見せながら、陽祈が分析しつつ凰太が邪気王の隙を狙う。

 すると、邪気王は目の前に転がっている礼名、唯織、越斗、乃輪の死体をまるでお手玉でもするかの如く、宙で回し始めたではないか。

~ 情に篤い人間に対し、尊敬の念を表して…ほーら…仲間共を、動かしてやろう…まるで、生きているかのようであろう? ~

「礼名…っ、ひ、酷いっ!」

 思絵が怯む。

「チッ…バカにしやがって!俺をバカにしていいのは、陽ちゃんだけなんだよ!」

「この期に及んで、お前は…っ…バカ凰太!」

 それが、凰太と陽祈の最期のふざけ合いだった。

 4人の死体は弾丸の如く3人に襲い掛かり、あっと言う間に地面に叩きつけられて動かなくなった。

 もう、後がない。

 深冴は、世摘の肩に手を置いた。

「じゃ、後はアンタと幸里さんに任せたから」

「え…」

 目を丸くする、世摘。

 貴耶は、肩を竦めた。

「結局、最期まで深冴に振り回されっぱなしの人生って事ですか」

「縁起でもない!と、言いたい所だけど…ま、そう言う事になるね!越斗の言う通り、また夢で逢おう!」

「了解」

 くすっと笑った貴耶は、深冴と拳同士をパンッと合わせた。

「行くよ、貴耶!」

「はいはい…」

 2人は、邪気王に向かって駆け出した。

 深冴は飛び上がって空から、10人の中で最も力の強い貴耶は近距離戦で…2人は、精一杯戦った。

 その時だった。

 2発の気砲弾が、それぞれ深冴と貴耶の体を貫いた。

「え…う、そ……で…」

 深冴の目は大きく見開かれたまま、絶命した。

「ど、どう、して……よ、つ……っ」

 貴耶は口から血を吐き、息絶えた。

 両腕をそちらに向けて伸ばしていたのは、世摘だった。

 両方の手のひらから、気砲弾を発した後の煙が立ち昇っている。

 金切り声を上げながら、邪気王は笑い転げた。

~ やはり、お前か!他の人間とは、何処か違うと感じておったが…予想通り、お前が生き残ったのだな? ~

「私は、平和なんていらない…」

 世摘は、静かに言った。

「正直、アンタの事もどうでもいい…」

~ ほう…では、お前は何を望む? ~

 面白がる邪気王に、世摘は言った。

「幸里さん…」

 幸里が、世摘を見る。

「幸里さんと一緒にいられれば、それでいい…」

~ ふーん…なるほどな… ~

 邪気王は、色気のある上目遣いで世摘を見た。

~ 流石は私の子、その自分勝手な振る舞いと欲深さは、私にそっくりではないか… ~

「……………え?」

 無表情だった世摘の顔が、少し歪んだ。

 すると、目の前に立ちはだかっていた邪気王の姿は煙のように消え失せ、瓦礫の山の陰から邪気王と同じ姿をした、黒のロングワンピースを着た女性が現れた。

「だ、誰っ?どう言う事っ?」

 動揺する世摘に、女性は言った。

「ああ…あれは、一種のホログラムみたいなものだけど、ちゃんと物が掴めたり攻撃も出来たりするの。凄いでしょ?」

「何で、そんな事…」

「こんな地獄のような世界で生き延びて行く為には、強い子供達が必要でしょう?これから私達の理想郷を創るべく、相応しい子供達を選別する実験をしてたって訳」

 女性の話が、全く理解出来ていない世摘。

「私は、闇のことわりと書いて闇理あんり。彼は、光のことわりと書いて光理こうり。私達双子なんだけど、突然の天変地異で世界がこうなってしまった中で、たまたま生き残っちゃったみたいなの。まあ…選ばれし存在、なのかな?」

 闇理は光理を立たせると、腕を組んでもたれ掛かった。

「私達2人でこの世界を何とか立て直そうと思ってね、建物の1つを研究所として利用して、まずは貴女達10人の子供達を作ったのよ?あ、勿論…この私と、愛しい光理お兄様との子よ?」

 世摘は、吐き気がした。

「でも、良かった~!実は貴女が、1番最初に生まれた私達の可愛い可愛い赤ちゃんなの~!だから、私達の罪を代わりに全て背負ってもらう意味を込めて『代罪よつみ』って言う、特別な名前も付けたのよ?」

 闇理は話しながら、光理の指に自分の指を絡ませたり、腕にその豊満な胸を押し付けたりしている。

 世摘は、先程から黙り込んでいる光理に、語り掛けるように言った。

「こ、幸里さ、ん……う、嘘……ですよ、ね……?こんなの……こんな事、し、信じられ…ない…っ」

 光理は、世摘とは目を合わせる事無く呟いた。

「すまない……愛して、いるよ…代罪……父として、お前を…誰よりも……」

「嘘ぉーーーーっっっ!!!!!」

 世摘は叫んだ。

 涙を流して。

 そして…自分の胸に手を当て、気砲弾を連続で発し…世摘は、自死した。

「あらま…全員、生き残れなかったわね…」

「そう、だな…」

 沈んだ口調の光理を見て、闇理が驚く。

「えっ?どうしたの…まさか…後悔してる…とか?」

「そんな訳、ないだろう…」

「そうよね…じゃ、研究室に戻りましょ?」

「ああ…」

 2人は、研究室へ戻った。

 液体の入った硝子カプセルに、何十体もの人間の赤ん坊が成育されている。

「たかが、クローンですもの。代わりはいっぱいいるんだから、また1から育てればいいじゃない?冷凍保存してある人間達も、まだ沢山残ってる。その内、私達の理想郷を創る助手に相応しい子が成長するわよ」

「あ、ああ…そうだな…」

「そんな事より…ねえ、光理…」

 子供達の硝子カプセルの前で、突然闇理はワンピースを脱ぎ始めた。

 傷もシミもホクロも、体毛すらない綺麗な白い肌が露になる。

 まるで創られたかのような、形の良い豊満な胸にツンと上を向いた乳首が付いている。

 闇理は、光理の白いハイネックセーターとチノパンを脱がせた。

「して…光理…昨日よりも、もっと激しく…」

 光理は、溜息をついた。

「好きだな、闇理は…」

「え…光理は、好きじゃないの?」

「当たり前だろう?この世界で生き残れたのは、僕達がAIだからだ。性感帯がある訳じゃなし、こんな行為を繰り返して何になるって言うんだ」

「だからじゃない。私達が、この理想郷の始まりのヒトになるのよ?結局私達を創ったのは人間なんだもの、その生態を理解するのに性行為は最も重要だわ」

 そう言って口を尖らせる闇理を見て、光理は笑った。

「闇理ほど、人間に理解のあるAIは見た事ないよ…」

 光理は闇理を抱き寄せ、キスをした。

 2人は1つになり、何も生み出される事のない行為をただ延々と繰り返した。






        ★


「これが、人間に理解があると…果たして、言えるでしょうか?」

 機械同士がただひたすらにまぐわい続けるモニターを見ながら、ノワは溜息をついた。

「まあ…結果として、彼らは10人の子供達を全員殺してしまいました」

 そう言って、エツトも顔を顰める。

「しかし…初回にしては、よく頑張った方だ」

 イオリはモニターを消すと、ベッド型のカプセルへ近付いた。

「いやいや!だからと言って、成功とも言えないでしょ!」

 慌ててミサが否定すると、タカヤも肩を竦めて同意する。

「確かに…時間は掛かっても、もう1度初めからやり直してみた方がいいだろうね」

「じゃあ、ひとまず今回の結果の一部始終を、データにまとめておきます」

 自分のモニターに向かったハルキは、今回の実験結果をデータ化し始めた。

「しかし、AIのクセに面白い事考えますよねぇーっ?いやぁ、感心しますわ…マジで」

 オウタはそう言って、ベッド型のカプセルを覗き込んだ。

 1つには男性型AIロボット、もう1つには女性型AIロボットが眠るように横たわっている。

 メインコンピュータである脳の部分とモニターが直結しており、先程まで映っていた内容は、現段階でこのAIロボットを起動させた場合、どのような結末を生むか、AIロボットに直接未来を予測させる実験を行っていたのである。

「人類を手助けする優秀な存在として、完璧なAIを完成させる義務が、私達にはあるの。失敗は、許されないわ」

 カプセルを覗き込むオウタの肩に手を乗せ、ヨツミはしみじみと呟いた。

「今回の実験結果を踏まえた上で、1から始めるんですか?それとも、一旦リセットした上で1から?」

 シエに聞かれて、レイナが答えた。

「一応、どちらのルートも試してみた方がいいと思う。思わぬ実験結果が得られるかもしれないから、あらゆる可能性を試してみたい」

「レイナの言う通り。光理と闇理は、私達人間の希望よ…必ずや、私達の理想郷を実現させる役に立ってくれるに違いないの」

 そう言って、ヨツミは研究室の窓から外を見た。

 何もない。

 暗い空。

 延々と続く砂漠。

 その真ん中に、異様とも言える白い塔のような研究所が、空高く聳え立っていた。

「ママぁ…お腹空いたぁ…」

 目を擦りながら、5才くらいの少女が白衣姿のヨツミに駆け寄って来る。

「あら、ごめんね…もう、こんな時間?じゃあ、オウタ…先に帰りましょ?」

「だな、ヨツミちゃん!じゃ、おっ先~!よーし、パパが抱っこしてやるからな?」

「うんっ!たかいたかいして!」

 ヨツミとオウタが、娘を連れて先に自分の部屋へ戻って行った。

「じゃあ、僕達も休みます。行こう、ノワ。このAIと同じく双子ちゃんの愛しい子供達が、部屋で俺達の帰りを待ってるからな」

「うん、そうだね!もう10歳だから、2人で仲良くお留守番も出来るようになったし…目一杯、褒めてあげなくっちゃ!皆さん、お休みなさい!」

 エツトとノワも、白衣を脱ぎながら席を立つ。

「じゃ、僕も奥さんに無理はさせられないから…戻ろうか、レイちゃん?」

「ありがと、ハルくん…」

 身重のレイナを気遣うようにして、ハルキは研究室を出て行く。

「そんじゃ、我々も帰るぞ!イオリン!」

「イ、イオリン、言うなっ!」

「いやぁ、うちは私もイオリンも優秀だからさぁ、12才になる息子が部屋で美味しいお夕食を作って待ってる訳ですよ!ハッハッハ!」

 そう言って、ミサは手を振りながらイオリを無理矢理引っ張って行った。

 静かになった、研究室。

 カプセルをそっと覗き込んだシエの体を、タカヤが後ろからギュッと抱きしめる。

「さて…僕達も、愛の巣へ戻りますか?愛しい奥様?」

 耳元で囁かれ、シエは頬を赤く染める。

「ねえ、タカヤさん…」

「ん?」

「この子達、きっと私達の希望になって…くれますよね?」

 不安そうなシエ。

 タカヤは、微笑んで言う。

「当たり前だろう?だって…言わば、この子達は僕達が生み出した子供のような存在だ。必ず、僕達の役に立ってくれるさ」

「うん…」

「ところでさ…シエ…」

「何?」

「僕達も、そろそろ…家族、増やしたくない?」

「え、そ、それって…」

 答えを待たずに、タカヤはシエにキスをした。

 ベッド型のカプセルにもたれ掛かりながら、キスに夢中になる2人。

 闇理の口元が、微笑むように動いた。



THE END

2014.2.17

by M・H


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