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私のなか

あわただしく、玄関の戸を開けるおとがして、そこでおやおや妹が学校に行ったのかなと不確かな感覚を確かな物にするために私は重い布団を剥ぎ取り、足首を劈くような冷気に耐えながら一歩、また一歩階段を下りていつも玄関前に無造作に投げ捨てられたスクールバックがないことに己の中で優越感に浸りつつ朝焼けが広がる時、私はまた眠りについた。

次に起きると、太陽は今日一番の輝きを持って部屋を照らし窓際に密かに隠しておいたお年玉がもしかしたら焼けるのでは、とありもしない想像も信じ切ってしまうほどの心の持ちようで迎えた二度目の朝は、大変気持ちだけでいえば大変暗く、もういちどあの居心地の良い体をコンクリート固めにしてくれる布団の中に潜り込んでやろうと思ったが、それはあまりにも時間の無駄かつ、私に残された命の灯を乱暴に扱っていやしないかと、まだ脈を一定のリズムで刻む心臓に手を当て復唱すると、やはりそうなのだと私の脈が先ほどよりも早くなったので仕方なく遅めのブランチを取ることにした。

湯気が天井に流れていくのを、
私はだらしない口で今にも涎が零れ落ちることを気が付きながらも、
それを誰かに見てもらいたい一心で続けていた。

私は寂しがり屋なのかもしれない。とはいってもその事実に最近気が付けた次第で、半月前、いやもっと短いかもしれないが、ふと何の根拠もなく私自身理解しがたかった寂しがり屋というものが実は自分にもあてはまるのではないかという、そこで私が抱いた感情は正直なところ恥ずかしいが一番に出てきてしまう。

寂しがり屋なんて一人では生きていけない
もっと言うと誰かがいなければ生きていけない、
そのような人間のことを指すような気がしたからだ。

と、考えて、言葉一つ一つをまじまじと見つめていくと自分が浮かび上がってくるような感覚を覚える。やっぱり、私は寂しがり屋なのかもしれない。

天井に張り付いた湯気が静かに引いていく頃に私は食事を済ませ、

また一人部屋に戻った。

部屋にはスクールバックが嘔吐でもしたかのように教科書や参考書をまき散らしている。明日から学校。その考えが頭に浮かんだ瞬間、私はひどく気分が悪くなった。

この時期は自殺という冷たさと現実を兼ね備えた文字が縦横無尽に動き回る。それを私は良く目にする。自殺自体が善か悪かなどの問題ではない。
限界にまで摩耗しきった人間の最終決断がそれだっただけの話であって、その行為自体に対して善悪なんて存在しないのだと、私は思う。

それを踏まえたうえで、私が実行するときは最低限のマナーを持って臨みたいと思う。

例えば、森の奥の木々が生い茂った昔話の竹取の翁がやってくるような、いまの人間では到底足を踏み入れないであろう場所まで行きそして、死ぬ。

そこまで、やらないと申し訳ない。
自分にも他人にも親にも迷惑が掛かってしまう。

なんていつか来るであろう水面に映る自分の姿を掻き消すよう内に蓄積してきた悪の根源を吐き出すと同時に嗚呼、もう私は人間として駄目だなと感じてしまったのもつかの間第二の吐瀉物に身も心も委ねて、ただひたすら時が進むことを渦を巻いて消えていく水流に求めた。

気持ち悪さを紛らすために寝床に着き、天井を見上げる。
月の光が入り込み、また壁には手をつなぐ人影が映し出される。

私は、ああいう人間にはなれない。

こんな精神の奥深くから掬い上げて出来た人間を好む物好きはいないと思う。私は影にすら嫉妬してしまうのだ。壁を歩く影、しばらく歩く途端に離れ離れになる彼らを目で追った先に私には何もなったが、影たちは手を振り、別れをも楽しんでいた。

部屋で独りの私と、離れ離れでも一人ではない者たち。

私の体は寂しさで冷えあがった。
布団がやけに寒い。

明日を向かえる事が怖い。

それでも自然と朝が来る。

私は、生きているのか、今はそれでけで頭が揺れている。






毎日マックポテト食べたいです