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雑学のすゝめ

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トーク形式で、ちょっとした雑学をご紹介します! 明日のお話のネタ作りに、或いは時間つぶしに、気軽にお読みいただければ幸いです<m(__)m> その他の記事が長文でやや重めなので、…
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2019年8月の記事一覧

我能く人を愛すれば、人も亦た我を愛す。勇往向前。

我能く人を愛すれば、人も亦た我を愛す。勇往向前。

8月30日は、江戸時代の儒学者、伊藤仁斎

の誕生日です。

江戸時代前期の儒学は、いくつかの系統に分かれていました。

・朱子学(大義名分論・君臣父子・理気二元論)→保守的
朱子学は江戸幕府にも保護された「官学」でした。

・陽明学(知行合一)→革新的
陽明学は、幕府に禁令を出されたこともありましたが、大塩平八郎や松下村塾のメンバーらが学び、後の明治維新の原動力の一つに。

・古学(孔子・孟子の

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”Krakatau”が消えた日

”Krakatau”が消えた日

1883年8月27日、インドネシアのクラカタウ(Krakatau)火山で未曽有の大噴火が発生した日です。

クラカタウは、インドネシアのジャワ島とスマトラ島の間にあります。

この島は、今では

このような姿をしていますが、元々は全く違う姿をしていました。

この網掛けの部分が、1883年以降消滅しているのです。

クラカタウが、人類史上最大規模の噴火を起こしたのは、1883年8月27日、インドネ

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天明ワーク・ライフ・バランス

天明ワーク・ライフ・バランス

今日は、先日の投稿で取り上げた江戸時代の狂歌師にして戯作作家、大田南畝

について、もう少し書いてみたいと思います。

①自由闊達の世の流行りもの江戸時代の天明期(18世紀後半)、老中田沼意次

が主導する開放的な政策により、江戸で流行したものがありました。
そのひとつが「川柳」。
俳句と異なり、季語を必要としない庶民的な文芸です。
川柳が流行した理由の一つが、商品付きの公募形式をとったこと。

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日本にコーヒーが伝来したのは江戸時代。
その感想を最初に随筆にした(1804年)のが、幕府の御家人にして文人・狂歌師、大田南畝(蜀山人)でした。
彼は長崎奉行所に勤めていた時にコーヒーを飲んだようです。しかし、その味は「カウヒイ焦げくさくて飲めん」。
その評価は散々なものでした。

宗谷岬には、少々変わった記念碑があります。それは珈琲豆を象った「津軽藩兵詰合の記念碑」。
蝦夷地の警備にあたっていた津軽藩兵は、厳しい寒さのため水腫病などで命を落としました。
その特効薬として幕府から配給されたのが珈琲豆。それが、日本で庶民が珈琲を口にした最初だと言われています。

世の中には奇妙な刑罰が存在します。それは「死ぬまで毎日コーヒーを飲み続ける刑」。
18世紀のスウェーデン王グスタフ3世は、「コーヒーは毒」と信じていたため、ある囚人にそのような刑罰を科したのです。
しかし、その囚人は80歳を超える長寿を全う。当時の平均寿命の倍以上を生きたとか…。

アメリカンは「浅煎りコーヒー」ですが、「アメリカーノ」は、エスプレッソにお湯を注ぎドリップと同じくらいの濃さにしたもの。
すっきり酸味系ならアメリカン、しっかり苦味系ならアメリカーノがお勧め。
この時期は、エスプレッソを氷水を入れたグラスに注ぐ「アイスアメリカーノ」が絶品ですよ!

今日は久しぶりに、コーヒーに関する雑学です。
アメリカンというと、「薄いコーヒー」というイメージ。
確かに色が薄めなのですが、これは豆の焙煎による色の違い。
淡色の浅煎り豆を使い、スッキリとした味わいにドリップするのがアメリカンの特徴。コーヒーをお湯割りにしたわけではないのです。

人類が得た神ならぬもの

人類が得た神ならぬもの

今日は、8月9日。
1945年8月6日の広島に続き、長崎に原子爆弾が投下された日です。

プルトニウム型原子爆弾、通称「ファットマン」は、長崎上空で炸裂。
およそ7万5千人の命を奪い、負傷者数もほぼ同数だったと言われています。
当時の長崎の人口がおよそ24万人ですから、市民の6割以上が死傷するという凄惨な状況でした。

原子爆弾をはじめとする核兵器は、人間が手にしてしまった悪魔の兵器。
そして、そ

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寛永アクティブラーニング

寛永アクティブラーニング

今日は、江戸時代初期の歌人・俳人にして和学者、北村季吟

が亡くなった日(宝永2年6月15日(1705年8月4日))です。

北村季吟は寛永元年12月11日(1625年1月19日)生まれ、
生まれ育った場所は、近江国野洲郡北村(現在の滋賀県野洲市)で、祖父の宗龍、父の宗円を継いで医学を修めます。

実は、祖父や父には医師の他にもう一つの顔がありました。
それは「連歌師」としての顔。

連歌
和歌を

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B.C.776の第1回オリンピック、選手に振る舞われたのはチーズケーキ…とはいっても「トリヨン」というプリンに近い菓子でした。
ちなみに日本のチーズケーキのルーツはドイツの「ケーゼクーヘン」。モロゾフの初代社長が、それを元にしたクリームチーズケーキを発売したのは1969年でした。