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向き合うことの大切さ

わたしが障害を抱え、今に至るまで ⑨

~現在に至るまでの経緯 その9~

 リワークに通い始め、様々なプログラムに参加した。開始3ヶ月くらいで参加したプログラムは以下のような内容だった。
① ワークトレーニング
 卓球や散歩、エクササイズなどを行い、基礎体力の維持強化を目的としている。参加して間もないメンバーとコミュニケーションを取るきっかけになることも多い。楽しんで参加出来るようになれれば、かなり回復してきていると言えるかもしれない。
② 茶道・ヨガ教室・アロマテラピー
 外部から講師を招き、作法や知識を学ぶ。純粋に楽しめるか、というのも重要であると思うが、わたしはリワーク卒業間際になってから、興味の持てないことを如何に前向きに取り組むことが出来るかが大事であると考えるようになった。仕事は興味の持てることばかりではないからだ。
③ 心理教育
 わたしたちが抱えている症状や原因、治療法についての講義を受ける。当事者であっても知らないことは多い。自身を俯瞰して見れるようになるきっかけになるかもしれない。そして、国の支援制度についても触れる。安心して症状と向き合えるよう、金銭面の心配は摘み取っておきたい。こういった支援制度は知らないだけでたくさんある。こちらから聞かないと公的機関は答えてくれないことがほとんどなので、ぜひ知っておきたい。
④ オフィスワーク
 パソコンに向かい、書類を作成していくのが主な作業になる。自分で計画と目標を立て、作業を進めると良い。本の要約や自己分析もこちらの時間を使うことになる。
⑤ 1週間の振り返り
 毎週土曜日に、1週間の間、自分の行動を記録した活動記録表を見返し、参加したメンバーで生活の悩みなどを話し合う。眠れない、薬を飲み忘れるなど些細なことから症状のことまで様々。
⑥ 個人面談
 定期的に担当のスタッフさんと二人きりで自身の経過などを相談する。スタッフさんは有資格者であるので、こちらがどんなに伝えるのが下手で要領を得なくても、根気強く聞いてくれて客観的な意見をくれる。自分が気付いていない、見えていない視点でアドバイスをくれるので、わたしも非常に助けられた。スタッフさんは相談した内容を決して口外しないので、心の負担になっていることを遠慮なく話せる。

 わたしはこれらのプログラムをリワークに参加して2ヶ月くらいは充実し、楽しい日々を送っていた。しかし、自己分析に突入した途端、わたしは過去の記憶に苦しめられることになる。そして、自分は成長していないどころか、なにも変わっていないことも明らかになっていく。


 本の要約を3冊が終えた頃だったと思う。担当のスタッフさんから、過去の振り返りをまとめてみようという話が出てきた。一度断ったのか、二つ返事でやると決めたのかは覚えていないが、やり始めた時のことは如実に覚えている。まとめた内容については、わたしが過去に投稿してきた記事を読んで欲しい。わたしはここで初めて、わたし自身の過去を言語化したのだ。苦しかった。ただひたすらに苦しかった。もう12年も前のことだというのに、目には常に涙を浮かべながら、パソコンのキーボードを叩く手は震えていた。殴り書くように、早くこの時間が終わって欲しいというようにわたしはまとめ上げた。3日もかからなかったと思う。当時の資料を見返すとA4用紙8枚分だ。


 ここで少し、今のわたしの見解を述べさせてもらいたい。
皆さんは”つらい出来事は時間が解決する”という言葉を耳にしたことはないだろうか。わたしは、あれは明確な嘘だと考えている。確かに時間は、物事の鮮度を風化させる。カラーがだんだんモノクロになっていくイメージだろうか。だから、思い出してもショックを受けづらくはなるかもしれない。しかし、解決はしないのだ。つらいこと、悲しかったこと、耐え難かったこと、これらのことというのは、どれだけ風化しようがその人にとって間違いなく見たくない思い出したくないものであることには変わりはないのだ。が、わたしは自身の過去を見つめる機会を得たことで、一つ実感としてわかったことがある。それは、その人にとって見たくない記憶というのは、目を逸らすことでどこまでも自分を追いかけてきて、自分を追い詰めるということだ。そして、自身が隙を見せると、追いついてまた殴りかかってくる。では、どうすればいいのか。逃げるのではなく、しっかりと一度対峙して、「もうお前には負けない」と心から宣言してやることだ。本当につらいが、向き合う、ということを行わない限り、記憶はいつまでも付きまとうだろう。
 この記憶との対峙についてもう少し掘り下げる。ではどう向き合ってやればいいのか。あくまでわたしが抱えていた他人からの人格否定で考えて欲しい。全く違うケースのトラウマを抱えてしまった人は聞き流してもらって構わない。わたしの経験ですべてが語れるはずなどない。話を戻す。向き合い方だ。まず、大前提として、人は自分には嘘は付けない。どれだけリワークや仲間内で自分が受けた仕打ちを訴えて同情されようとも、自分自身は知っている。わかっているのだ。自分にも問題があったことを。人は意図しなくとも、例えば周囲に自分のことを可哀そうだと思って欲しいと考えていれば、そう捉えてもらえるように話す。勘違いしないで欲しい。その人が悪い、という話ではない。人間とはそういう生き物なのだ。だが、そのまま自分を正当化することに執着し続けた場合どうなるのか。記憶に一方的に痛めつけられるのだ。なぜか。自分に嘘をついて誤魔化しているという事実が記憶が発しているあなたを否定する言葉を肯定してしまうからだ。自分に嘘をついているという事実はあなたに後ろめたいという感情すらも持たせる。これも自分があまり懸命な人間ではないと自身を思わせてしまう。これを繰り返すことで、思い出したくない記憶が持つ言葉は力を持ち続けることになる。では、この記憶を無力化してやるにはどうすればいいか。まず、あなたの非を完全に認めること。もっと具体的に言うと、あなたにあった問題を細かくあなたの中で整理し、それを事実として受け入れること。そして、その事実を認めた上で、わたしも悪かった、こう改めるべきだった、でも、ここまで言う方はもっと悪いし、そんなこと言われる必要はなかったよね、というように自身を心の底から納得させること。どちらが悪いんだ、という極端な思考に縛られているとなかなか難しい発想かもしれない。しかし、気付けばそれほど難しいロジックではない。一度納得出来てしまえば、もう記憶の言葉は力を持たない。もうあなたはその言葉を真っ向から否定できる。わたしはクズでもアホでもない。わたしは自分の非を認めた後ろめたいことはもうない悔い改めることが出来る立派な人だ、と言える。正面から殴り合っても一方的にボコボコに出来るだろう。補足だが、自分の非について周囲に話す必要はないと考えている。あなた自身が納得さえすれば問題ないのだから。閑話休題。


 わたしが必死に、涙ながらにまとめた過去の経緯をわたしは読み返すことも出来ず、そのまま提出した。すると、担当のスタッフさんから、次回の自己分析発表でこれを発表してほしいと打診があった。マジかと思った。最初こそ断ったが、説得もされ、結局わたし自身も皆に自分のことを知ってもらういい機会だと思い、発表に望んだ。


 発表当日。わたしは作った資料を配布し、それを読み上げるだけで精一杯だった。余裕なんて一切なかった。皆の反応はというと、とてもわたしのことを絶賛してくれた。これだけの自分の黒歴史を人前で発表するなんてことは誰にでも出来ることではないと言ってくれた。この時、わたしは少し人より感覚がずれているのか、とも思った。わたしが、今後3回にわたって自己分析発表を行っていくのだが、次第に慣れていき練度も上がっていくことになる。


 わたしは次第にリワークメンバーやスタッフに認められる立場になっていく。これにより、わたしは自身の課題がどこにあるのか明確になり、自身を変えていくきっかけを得ていく。リワークのプログラムに変化がみられるようになる。まだそこそこの試練が待っている。

今回の経緯はここまでです。


~後述~

 今回は途中で見解を述べさせてもらったので、後述は短めに。
 途中の見解は、わたしにとってとても大切な気付きの一つです。特に、他人からかけられ続けた心無い言葉に苦しめられている方には効果がある考え方ではないかと思います。参考に出来そうだなと思われた方は実践してみてください。わたし自身、とても楽になりました。ですが、あくまで持論、自力で行きついた考え方です。なにか致命的な穴もあるかもしれません。もっと良い考え方があればご教授ください。

では、また
皆さんの行き先に明るい未来がありますように。

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