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たとえ誰でも自分を大切にしない人は捨て置け

友達からこんな悩みを聞かされた。

遠くに住む姉との関係がうまくいってなくて、この間ケンカした。
ケンカって言ってもいつも一方的に姉が機嫌が悪くなってヒステリックを起こされて。自分がぼこぼこにメンタルを傷つけられて、時間とともにそれを流して許して…の繰り返しなんだ。どうにもできないんだけど、お姉ちゃんとはタイプが違いすぎるし毎回苦しい。と。


この話を聞いて「あぁ、自分だけじゃなくて世の中に当たり前にこういう関係に悩む人がいるんだ」って驚いた。みんなわざわざ言わないけど何かを抱えている。

相手の良いところをたくさん知ってるだとか、一緒に過ごしてきた時間があるだとか、肉親だとか。簡単に切れない縁でつながってるのに苦しい関係がある。
関係に縛られてしまって離れられないから、傷つき続けてしまう。呪いみたいだなって思う。

関係が深まった相手だから捨てられないっていう罪悪感みたいな苦い感覚はどこから来るのだろうね。

今この瞬間には自分とその人の2人がいるだけなのに。
その人を捨てることもできず離れることすら苦しくなる「絆」の根本はわからなくてゾワッと寒気がする。

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私は大人になると同時に父を捨てた。

子どもの頃から、父親は父親になりきれない人で、親らしいことをしてくれた思い出はなかった。

事業に失敗して、毎日閉業した事務所に籠もってお酒を飲んで、馬券を買い込んでた。

母親の財布からお金を盗んでいる姿を見ては怒りとか悲しさとかを感じて口論になっていた。

高校生の時進学しようと決めて工面した大学の入学金は、支払い前に見たら父によって通帳の残高が半分以下になってしまっていたこともあった。

この人とずっと関わっていったら未来が潰されてしまうと恐ろしくなった。

就職したとき家族みんな、父親とは縁を切った。

これで安心できる日々が送れると思っていたけど、どこか苦しかった。

なんの苦しさかわからないまま8年経った去年、親戚づてに父の訃報を受けた。

一生会わないはずの人が本当に会えない形になっただけなのにどうしてか落ち込んだ。

ひたすらに悲しかった。

親なのに大切だと思えなかったことも。
親なのに自分の人生を阻まれた思い出も。
親だから許さなきゃいけないような気持ちも。

あの時の私の選択肢では、親を捨てるしかなかったと思う。

頭でわかっていても、「家族は捨てるべきものではない」という本能みたいななにかに囚われては、失くしてはいけないものを失くしたみたいな感覚で辛くなる。


『親子という病』とか『幸せになるには親を捨てるしかなかった』とか、親子関係の本を読めば読むほど、近しい人との関係は呪いになり得ると思う。
 

木は茂るべき!海はきれいである!くらいの、自然の法則のような語られ方をする「家族は大切だ」論。

頭では家族を大切にできない場合もあるとわかっているのに、根っこでは大切にしなくてはいけない気がしてしまう。

でも、私は父親の死は悲しめなかった。もう、紛れもない事実だ。

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そんな自分の思い出を頭の中でずらずらと思い出していた後に、友だちに伝えられた言葉はこうだ。

「自分を大切にしない人は捨て置こう。それしか幸せになる道はない。他の道が浮かばないなら離れるのは手だよ。でも捨てたあとも、やっぱり辛くなりはするかもしれない。」


なんの答えにもならなかったかもしれないけど、家族だって妻だって恋人だって他人だから線を引いてほしい。自分を守ってくれるといいなと思った。

終わり。


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