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古事記百景 その三十一

猿田毘古神

 爾天照大御神高木神之命以ココニアマテラスオホミカミタカキノカミノミコトモチテ
詔太子ヒツギノミコ正勝吾勝勝速日天忍穂耳命マサカアカツカチハヤビアメノオシホミミノミコトニノリタマハク
今平訖葦原中国之白イマアシハラノナカツクニコトムケヲヘヌトマヲス故隨言依賜カレコトヨサシタマヘリシマニマニ
降坐而知者クダリマシテシロシメセトノリタマヒキ
爾其太子ココニソノヒツギノミコ正勝吾勝勝速日天忍穂耳命マサカアカツカチハヤビアメノオシホミミノミコト答白ノマヲシタマハク
僕者アレハ
将降裝束之間クダリナムヨソヒセシホドニ
子生出名天邇岐志国邇岐志ミコアレマシツミナハアメニギシクニニギシ津日高日子番能邇邇芸命アマツヒダカヒコホノニニギノミコト。…自邇至志以音…
此子應降也コノミコヲクダスベシトマヲシタマヒキ
此御子者コノミコハ
御合高木神之女タカギノカミノミムスメ
萬幡豊秋津師比売命ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコトニミアヒテ
生子ウミマセルミコ
天火明命アメノホアカリノミコト
次日子番能邇邇芸命ツギニヒコホノニニギノミコトニマス。(二柱)
是以隨白之ココニモテマヲシタマフマニマニ
科詔日子番能邇邇芸命ヒコホノニニギノミコトニミコトオホセテ
此豊葦原水穂国者コノトヨアシハラノミヅホノクニハ
汝将知国ミマシシラサムクニナリト
言依賜コトヨサシタマフ
故隨命以可天降カレミコトノマニマニアモリマスベシトノリタマヒテ

爾日子番能邇邇芸命ココニヒコホノニニギノミコト
将天降之時アモリマサムトスルトキニ
居天之八衢而アメノヤチマタニイテ
上光高天原カミハタカマノハラヲテラシ
下光葦原中国之神シモハアシハラノナカツクニヲテラスカミ
於是有ココニアリ
故爾天照大御神高木神之命以カレアマテラスオホミカミタカギノカミノミコトモチテ
詔天宇受売神アメノウズメノカミニ
汝者雖有手弱女人イマシハタワヤメニアレドモ
興伊牟迦布神イムカフカミト。…自伊至布以音…
面勝神オモカツカミナリ
故専汝往将問者カレモハライマシユキテトハムハ
吾御子為天降之道アガミコノアモリマサムトスルミチヲ
誰如此而居タレゾカクテヲルトトヘトノリタマヒキ
故問賜之時カレトハセタマフトキニ
答白コタヘマヲサク
僕者国神アレハクニツカミ
名猨田毘古神也ナハサルタビコノカミナリ
所以出居者イデオルユエハ
聞天神御子天降坐故アマツカミノミコアモリマストキキツルユエニ
仕奉御前而ミサキニツカヘマツラムトシテ
参向之侍マイムカヒサムラフゾトマヲシタマヒキ

爾天児屋命ココニアメノコヤネノミコト
布刀玉命フトダマノミコト
天宇受売命アメノウズメノミコト
伊斯許理度売命イシコリドメノミコト
玉祖命タマノヤノミコト
并五伴緖矣アハセテイツトモノヲヲ
支加而クマリクハヘテ
天降也アマクダリマサシメタマヒキ
於是副賜其遠岐斯八尺勾璁鏡ココニソノヲギシヤサカノマガタマカガミ。…自遠以下三字以音…
及草那芸劒マタクサナギノツルギ
亦常世思金神マタトコヨノオモヒカネノカミ
手力男神タヂカラヲノカミ
天石門別神而詔者アメノイハトワケノカミヲソヘタマヒテノリタマヘラクハ
此之鏡者コレノカガミハ
専為我御魂而モハラアガミタマトシテ
如拜吾前アカミマヘヲイツクガゴト
伊都岐奉イツキマツレ
次思金神者ツギニオモヒカネノカミハ
取持前事為政ミマヘノコトヲトリモチテマヲシタマヘトノリタマヒキ

此二柱神者コノフタハシラノカミハ
拜祭佐久久斯侶伊須受能宮サククシロイスズノミヤニイツキマツル。…自佐至能以音…
次登由宇氣神ツギニトヨウケノカミ
此者坐外宮之度相神者也コハトツミヤノワタラヒニマスカミナリ
次天石戸別神ツギニアメノイハトワケノカミ
亦名謂櫛石窻神マタノナハクシイハマドノカミトマヲシ
亦名謂豊石窻神マタノナハトヨイハマドノカミトモマヲス
此神者コノカミハ御門之神也ミカドノカミナリ
次手力男神者ツギニタヂカラヲノカミハ坐佐那那縣也サナガタニマセリ
故其天児屋命者カレソノアメノコヤネノミコトハ中臣連等之祖ナカトミノムラジラガオヤ
布刀玉命者フトダマノミコトハ忌部首等之祖イミベノオビトラガオヤ
天宇受売命者アメノウズメノミコトハ猨女君等之祖サルメノキミラガオヤ
伊斯許理度売命者イシコリドメノミコトハ鏡作連等之祖カガミツクリノムラジラガオヤ
玉祖命者タマノヤノミコトハ玉祖連等之祖タマノヤノムラジラガオヤ


天照大御神アマテラスオオミカミ高木神タカギノカミは、太子ひつぎのみこ正勝吾勝ゝ速日天忍穂耳命マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコトに対し、

『今、葦原中国あしはらのなかつくにがようやく平定された。だから、申し渡してあった通りに葦原中国あしはらのなかつくにに降り、国を治めよ』

と仰せになりました。

正勝吾勝ゝ速日天忍穂耳命マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコトは、

『私が降るための支度をしている間に、子が生まれました。名を天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇ゝ芸命アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギノミコトと申します。この子を降そうと思います』

と仰いました。

この御子は、高木神タカギノカミの娘の万幡豊秋津師比売命ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコトの間に生まれました。この両親の子は、天火明命アメノホアカリノミコトと、邇ゝ芸命ニニギノミコトの二柱です。

天照大御神アマテラスオオミカミ高木神タカギノカミ邇ゝ芸命ニニギノミコトに、

『この豊葦原水穂国とよあしはらのみずほのくには、お前が治めるべき国である。早速に天降りなさい』

と仰せになりました。

邇ゝ芸命ニニギノミコトが天降ろうとしている時、天之八衢あめのやちまたに上は高天原を照らし、下は葦原中国あしはらのなかつくにを照らす神がおいでになりました。

それをご覧になった天照大御神アマテラスオオミカミ高木神タカギノカミ天宇受売神アメノウズメノカミに、

『そなたは手弱女人たわやめなれど、知らぬ神に対しても気後れしない。だから御子が天降る道にいるのは誰かと尋ねてきなさい』

と仰せになりました。

天宇受売神アメノウズメノカミがお尋ねになると、

『私は国つ神で、名を猿田毘古神サルタビコノカミと申します。何故ここにいるのかと言えば、天つ神の御子が天降ると聞き及び、先導のお役を賜らんと、お待ち申し上げておりました』

と答えました。

ここに、天児屋命アメノコヤネノミコト布刀玉命フトタマノミコト天宇受売命アメノウズメノミコト伊斯許理度売命イシコリドメノミコト玉祖命タマノオヤノミコト五伴緒いつとものおを従えて天降りました。

天照大御神アマテラスオオミカミ邇ゝ芸命ニニギノミコトが天降るに際し、天石屋戸あまのいわやとの時に天照大御神アマテラスオオミカミ石屋戸いわやとから引っ張り出すのに役に立った八尺鏡やたのかがみ八尺勾玉やさかのまがたま草薙剣くさなぎのつるぎを授け、思金神オモイカネノカミ手力男神タヂカラオノカミ天石門別神アメノイワトワケノカミを付き従わせ、

『この鏡を私の御魂みたまとして祀りなさい。また思金神オモイカネノカミは神の政事まつりごとを統括しなさい』

と仰せになりました。

邇ゝ芸命ニニギノミコト思金神オモイカネノカミ伊須受能宮いすずのみやにこの鏡をお祀りになりました。

また登由宇気神トユウケノカミ度相わたらい外宮とつみやに鎮座される神です。

次、天石戸別神アメノイワトワケノカミ。またの名を櫛石窓神クシイワマドノカミ、またの名を豊石窓神トヨイワマドノカミといい、御門の神です。

次の手力男神タヂカラオノカミ佐那ゝ県さなながたに鎮座されています。

天児屋命アメノコヤネノミコト中臣連なかとみのむらじらの祖先です。

布刀玉命フトタマノミコト忌部首いんべのおびとらの祖先です。

天宇受売命アメノウズメノミコト猿女君さるめのきみらの祖先です。

伊斯許理度売命イシコリドメノミコト作鏡連かがみつくりのむらじらの祖先です。

玉祖命タマノオヤノミコト玉祖連たまのおやのむらじらの祖先です。


※高木神は高御産巣日神のことです。
※太子とは皇太子のことです。
※天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇ゝ芸命は、本文中に邇ゝ芸命と略さ
 れています。
※豊葦原水穂国と葦原中国は同一です。
※天之八衢とは天上のいくつもに別れた分かれ道のことです。
※天宇受売神は天石屋戸に天照大御神が隠れた時、魅惑的な踊りを披露し、
 拍手喝采を浴びた神です。
※手弱女人とはか弱い女性という意味です。
※五伴とは五つの役割の違う種族のことで、さらに緒はその種族の長を意味
 します。この五柱の神はいずれも天石屋戸のエピソードの時に現れた神で
 す。
※八尺勾玉と八尺鏡、草薙剣を合わせ三種の神器と言います。
※伊須受能宮とは三重県伊勢市・伊勢神宮内宮のことです。
※登由宇気神とは伊勢神宮下宮に鎮座される穀物の神である豊受気毘売神
 (とようけびめのかみ)のことです。
※度相とは三重県・度会郡のことで、伊勢神宮の所領であったそうです。
※天石戸別神は門の神と言われています。
※佐那々県とは佐那の県とも言い、三重県・多気町周辺のことです。多気町
 には佐那神社があり、ご祭神は手力男神です。


「太安万侶です。今回は結構地味な話しばかりですね。驚いたのは天石屋戸で拍手喝采を浴びた天宇受売神は、天つ神の間ではか弱い女性となっているのですね。確か以前にインタビューした時は、天石戸屋で踊ったあの時の感動が忘れられず、家の近くでも人前で踊っているという話でしたけどね。誰に対しても気後れしないというのはその通りだと思いますけれど。
それから今回初めて登場した猿田毘古神は気を見るに敏な方なのでしょうか。国つ神であれば大国主神の側、天つ神に無理矢理国を譲らされて怒りこそあれ、尻尾を振るなど私は考えつかなかったです。大国主神とは同族でなかったということか、この機に乗じて引き上げてもらおうという魂胆に見えるのは私だけでしょうか。でもこれくらい情報通で敏くないと出世していくことは難しいのかもしれませんね。まあ私に出世は関係ありませんが。
それにしても正勝吾勝ゝ速日天忍穂耳命に葦原中国を治めよと仰せになったわりには、子が生まれたからその息子、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇ゝ芸命に治めさせたいと告げると、その通りになるのですから、よほど有能な息子なのか、天つ神も有能なスタッフが不足しているのか、息子って幾つなんだよって思ってしまいますね。さらに五つの種族の長を従わせ、三種の神器を持たせるなど、天照大御神や高木神の期待が窺えますね。
ここで初めて古事記に伊勢神宮の内宮と外宮が登場します。三種の神器の一つ、八咫鏡が今もお祀りされています。伊勢神宮は元伊勢と言われる神社が随所にあるように、初めからここにあった訳ではないのですよね。有名なところでは、京都・宮津の籠 (この) 神社など各地を転々としながら、ようやく伊勢の地に辿り着くまでには様々なドラマがあるのですが、それはまた別の話。機会があればお話ししましょうね。
後半はご先祖が数名登場しますが、私は、僕はこの方から連綿と続く子孫だという方もおられるかもしれませんね。もっとも現在ある苗字とは程遠い状態ですから、途中何度かの変遷はあるでしょうし、それをも把握されている方は珍しいかもしれませんけれど。
有名どころでは、天児屋命が中臣の祖であり、子孫だと言われる中臣鎌足が藤原の姓を賜り、藤原氏の祖となります。
天宇受売命は猿女君らの祖ですが、古事記の製作に大いに貢献してくれた稗田阿礼君は猿女君から別れた稗田氏の出です。
作鏡連は宮廷の儀式で使用する鏡を製作する氏族なんですが、いつの間にか歴史の表舞台から姿を消してしまいます。
玉祖連は後に宿禰を名乗ることになります。
苗字とはそれほどに変遷を繰り返し、現在へと続いていくんですよね。
私自身も『多(おおの)』から『太(おおの)』に変わっていますしね。
過去に遡るというか、自分のルーツを探るというか、私は結構そういう作業が好きなんですけどね、あなたはどうですか?」


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   古事記百景 その三     古事記百景 その四
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   古事記百景 その七     古事記百景 その八
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   古事記百景 その十一    古事記百景 その十二
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   古事記百景 その二十五   古事記百景 その二十六
   古事記百景 その二十七   古事記百景 その二十八
   古事記百景 その二十九   古事記百景 その三十


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