古事記百景 その二十六
八千矛神
故其八上比売者。
如先期。
美刀阿多波志都。…此七字以音…
故其八上比売者。
雖率來。
畏其嫡妻須世理毘売而。
其所生子者。
刺挾木俣而。
返。
故名其子云木俣神。
亦名謂御井神也。
此八千矛神。
将婚高志国之沼河比売幸行之時。
到其沼河比売之家。
歌曰。
夜知富許能 迦微能美許登波
夜斯麻久爾 都麻麻岐迦泥弖
登富登富斯 故志能久邇邇
佐加志売遠 阿理登岐加志弖
久波志売遠 阿理登岐加志弖
佐用婆比爾 阿理多多斯
用婆比爾 阿理加用婆勢
多知賀遠母 伊麻陀登加受弖
淤須比遠母 伊麻陀登加泥婆
遠登売能 那須夜伊多斗遠
淤曽夫良比 和何多多勢禮婆
比許豆良比 和何多多勢禮婆
阿遠夜麻邇 奴延波那岐
佐怒都登理 岐芸斯波登興牟
爾波都登理 迦祁波那久
宇禮多久母 那久那留登理加
許能登理母 宇知夜米許世泥
伊斯多布夜 阿麻波勢豆加比
許登能 加多理其登母
許遠婆
爾其沼河比売。
未開戸。
自内歌曰。
夜知富許能 迦微能美許等
奴延久佐能 売邇志阿禮婆
和何許許呂 宇良須能登理叙
伊麻許曽婆 和杼理邇阿良米
能知波 那杼理爾阿良牟遠
伊能知波 那志勢多麻比曽
伊斯多布夜 阿麻波世豆迦比
許登能 加多理碁登母
許遠婆
阿遠夜麻邇 比賀迦久良婆
奴婆多麻能 用波伊傳那牟
阿佐比能 惠美佐加延岐弖
多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐
阿和由岐能 和加夜流牟泥遠
曽陀多岐 多多岐麻那賀理
麻多麻傳 多麻傳佐斯麻岐
毛毛那賀爾 伊波那佐牟遠
阿夜爾 那古斐岐許志
夜知富許能 迦微能美許登
許登能 加多理碁登母
許遠婆
故其夜者。
不合而。
明日夜為御合也。
又其神之嫡后須勢理毘売命。
甚為嫉妬。
故其日子遲神和備弖。…三字以音…
自出雲。
将上坐倭国而。
束裝立時。
片御手者。
繋御馬之鞍。
片御足蹈入其御鐙而。
歌曰。
奴婆多麻能 久路岐美祁斯遠
麻都夫佐爾 登理興曽比
於岐都登理 牟那美流登岐
波多多芸母 許禮婆布佐波受
幣都那美 曽邇奴岐宇弖
蘇邇杼理能 阿遠岐美祁斯遠
麻都夫佐爾 登理興曽比
於岐都登理 牟那美流登岐
波多多芸母 許母布佐波受
幣都那美 曽邇奴棄宇弖
夜麻賀多爾 麻岐斯
阿多泥都岐 曽米紀賀斯流邇
斯米許呂母遠 麻都夫佐爾
登理興曽比 於岐都登理
牟那美流登岐 波多多芸母
許斯興呂志 伊刀古夜能
伊毛能美許等 牟良登理能
和賀牟禮伊那婆 比氣登理能
和賀比氣伊那婆 那迦士登波
那波伊布登母 夜麻登能
比登母登須須岐 宇那加夫斯
那賀那加佐麻久 阿佐阿米能
佐疑理邇 多多牟叙
和加久佐能 都麻能美許登
許登能 加多理碁登母
許遠婆
爾其后。
取大御酒坏。
立依指擧而。
歌曰。
夜知富許能 迦微能美許登夜
阿賀於富久邇 奴斯許曽波
遠邇伊麻世婆 宇知微流
斯麻能佐岐耶岐 加岐微流
伊蘇能佐岐於知受 和加久佐能
都麻母多勢良米 阿波母興
売邇斯阿禮婆 那遠岐弖
遠波那志 那遠岐弖
都麻波那斯 阿夜加岐能
布波夜賀斯多爾 牟斯夫須麻
爾古夜賀斯多爾 多久夫須麻
佐夜具賀斯多爾 阿和由岐能
和加夜流牟泥遠 多久豆怒能
斯路岐多陀牟岐 曽陀多岐
多多岐麻那賀理 麻多麻傳
多麻傳佐斯麻岐 毛毛那賀邇
伊遠斯那世 登興美岐
多弖麻都良世
如此歌。
即為宇岐由比而。…自宇以下四字以音…
宇那賀氣理弖。…六字以音…
至今鎭坐也。
此謂之神語也。
八上比売は既に大国主神(八千矛神) の妻ですが、須世理毘売に遠慮して、生まれた子を木の俣に差し挟んでお帰りになりました。
その子の名を木俣神、またの名を御井神と言います。
この八千矛神は高志国の沼河比売に求婚するために出掛けられ、沼河比売の家の前で歌をお詠みになりました。
八千矛の 神の命は
八島国 妻求ぎかねて
遠遠し 高志の国に
賢し女を 有りと聞かして
麗し女を 有りと聞かして
さ婚ひに 有り立たし
婚ひに 有り通はせ
太刀が緒も 未だ解かずて
襲衣をも 未だ解かねば
嬢子の 寝すや板戸を
押そぶらひ 我が立たせれば
引こづらひ 我が立たせれば
青山に 鵺は鳴きぬ
さ野つ鳥 雉子は響む
庭つ鳥 鶏は鳴く
うれたくも 鳴くなる鳥か
此の鳥も 打ち止めこせね
いしたふや 天馳使
事の 語り言も
此をば
すると沼河比売は戸を開くこともなく、家の中から歌を二首お返しになりました。
八千矛の 神の命
萎え草の 女にしあれば
我が心 浦渚の鳥ぞ
今こそは 我鳥にあらめ
後は 汝鳥にあらむを
命は な死せたまひそ
いしたふや 天馳使
事の 語り言も
此をば
青山に 日が隠らば
ぬばたまの 夜は出でなむ
朝日の 咲み栄え来て
𣑥綱の 白き腕
沫雪の 若やる胸を
そ叩き 叩き愛がり
真玉手 玉手差し纏き
股長に 寝は宿さむを
あやに な恋ひ聞こし
八千矛の 神の命
事の 語り言も
此をば
この夜はお会いにならず、翌日の夜にお会いになり、結ばれました。
正妻の須世理毘売命は、はなはだ嫉妬深い性格の方でしたが、大国主神が出雲から倭国へ出陣すべく装束を着け、片手を馬の鞍に置き、片足は鐙に入れながら、正妻が寂しそうにしているのを見て歌を詠まれます。
ぬばたまの 黒き御衣を
ま具に 取り装ひ
沖つ鳥 胸見る時
羽たたぎも 是は宜はず
辺つ浪 そに脱き棄て
鴗鳥の 青き御衣を
ま具に 取り装ひ
沖つ鳥 胸見る時
羽たたぎも 是も宜はず
辺つ浪 そに脱き棄て
山県に 蒔きし
茜つき 染木が汁に
染衣を ま具に
取り装ひ 沖つ鳥
胸見る時 羽たたぎも
是し宜し 愛子やの
妹の命 群鳥の
我が群れ往なば 引け鳥の
我が引け去なば 泣かじとは
汝は言ふとも 山跡の
一本薄 項傾し
汝が泣かさまく 朝雨の
霧に立たむぞ 若草の
嬬の命 事の
語り言も 此をば
須世理毘売命は酒坏を取り、捧げながら歌をお詠みになります。
八千矛の 神の命や
我が大国主 汝こそは
男にいませば 打ち廻る
島の埼々 掻き廻る
磯の埼落ちず 若草の
嬬持たせらめ 我はもよ
女にしあれば 汝を除て
男は無し 汝を除て
夫は無し 綾垣の
ふはやが下に 蚕衾
和やが下に 𣑥衾
騒ぐが下に 沫雪の
若やる胸を 𣑥綱の
白き腕 そ叩き
叩き愛がり 真玉手
玉手差し纏き 股長に
寝をし宿せ 豊御酒
奉らせ
この歌をきっかけに酒坏を交わし、変わらぬ愛を誓い合い、仲睦まじく寄り添い、今に至るまで鎮座されています。
これを神語と言います。
※一つ目の歌の現代語訳
八千矛の神は、あちこちの国で妻を求めかねておりました。
遠い遠い越の国に賢く美しい乙女がいると聞き、求婚のために出掛
け、幾日も通い、大刀の腰の緒もまだ解かず、羽織をもまだ脱がず
に、乙女の眠る家の板戸を揺すったり引いたりしていると、青山では
鵺が鳴き、野の鳥の雉は鳴き、庭先の鶏も鳴いている。
私は何もできていないのに腹が立つほどに鳴く鳥だ。
こんな鳥はやっつけてしまえ。
使い走りの者に事の語りを伝えたのはこういうことでした。
※高志の国とは越の国とも書き、福井から新潟に至る日本海側の地域を言い
ます。後に分割され、越前・越中・越後となります。
※婚ひとは夜這いのことで、夜間に男子が女子宅を訪れる、昔からある婚姻
の風習です。
※鵺とはトラツグミのことだと言われています。
※二つ目の歌の現代語訳
八千矛の神よ、私はか弱い鳥のような女ですから、水鳥が騒がしいよ
うに、私の心も落ち着きません。
やがてあなたの鳥になるのでしょうから、騒がしいと言って命だけは
奪わないでください。
使い走りの者に事の語りを伝えたのはこういうことでした。
※萎え草とはなよなよとした草のことです。
※浦渚の鳥とは渚の水鳥のことですが、落ち着きがないことの比喩でもあり
ます。
※三つ目の歌の現代語訳
青山にも陽が沈むと暗い夜がやってきます。
あなたは朝日のような笑みでおいでになり、𣑥で作った綱のように白
い私の腕や、淡雪のような私の若々しい胸にそっと触れ、玉のような
私の手を枕にゆっくりとお休みになられましょう。
ですから、あまり急いで恋しいなどと仰らなくても大丈夫ですよと、
あなたにお伝えしましょう。
※𣑥で作った綱は白いようです。
※四つ目の歌の現代語訳
あなたが着ている黒い衣は、沖の水鳥が羽搏くように、衣の袖を持っ
ている時に胸元を見ても、似合っているとは思えないから、波打ち際
に脱ぎ捨ててしまいなさい。
次のカワセミのような青い衣を着ていても、沖の水鳥が羽搏くよう
に、衣の袖を持っている時に胸元を見ても、似合っているとは思えな
いから、波打ち際に脱ぎ捨ててしまいなさい。
次の山の畑に蒔いた茜草を搗いて得た染料で染めた衣を着ていると、
沖の水鳥が羽搏くように、衣の袖を持っている時に胸元を見ると、そ
れはとても似合っている。
愛する妻よ、鳥の群れのように私が大勢と群れを成して行ってしまっ
ても、一羽の鳥が飛び立つと、それにつられて多くの鳥が飛び立つよ
うに、私が大勢を引き連れて行ってしまっても、あなたは泣かないと
言うだろうが、山にある一本の薄のように、項垂れてきっと泣くだろ
うし、朝の雨の後の霧のように、深いため息さえつくのだろう。
若草のような妻よ、このことを伝えよう。
※鴗鳥とはカワセミのことのようです。
※五つ目の歌の現代語訳
八千矛の神であり、私の大国主神よ。
あなたこそは男でいらっしゃるのですから、岬ごとに、埼ごとに、若
草のような妻をお持ちになりましょう。
けれども私は女ですから、あなた以外に男性はございませんし、あな
た以外に夫もございません。
綾織物がふわりと垂れた下で、暖かく柔らかい衾の下で、𣑥で作った
白い衾の下で、淡雪のような私の若々しい胸や、𣑥で作った綱のよう
に白い私の腕にそっと触れ、玉のような私の手を枕にゆっくりとお休
みになられませ。
さあ、まずはお酒を召し上がれ。
「太安万侶です。ゲストは大国主神と沼河比売です。まずは大国主、遠征続きでしょうか」
「そうでもないけれど、あちこち行ったり来たりはしているね」
「越の国の姫との婚姻も勢力範囲を広げるため?」
「そんなことはないですよ。安万侶さんは越の国に賢くて綺麗なお嬢さんがいるとなれば、逢いに行きたくなりませんか?」
「若い頃ならそう思ったかもしれないけど、歳を重ねるとだんだんそんな気分でもなくなってくるよ」
「私はまだそんな気分の年齢なのかもしれませんね」
「若いっていいね」
「よく言われますけど、若いのって結構プレッシャーなんですよ」
「若い時って何にでもチャレンジできるし、失敗しても取り返せるから、あまりプレッシャーがあるようには思えないけど」
「そういう見方もありますけど、先輩諸氏に見られてることを意識してしまうと委縮してしまったり、失敗してしまったりするケースが結構あるようなんですよ」
「そんなこともあるかもしれないけど、伸び伸びやってほしいな」
「そうであってほしいと私も思っていますよ。でも若いからって許される期間なんて意外と短いと思いませんか?」
「学生の時は別としても、社会人になったら、初年度だけだろうね。二年目からは厳しくチェックされるからなあ」
「働ける期間がどんどん伸びている中で、その辺りは厳しいままなんですよね」
「社会全体を見直す時期に来ているってことかな」
「法律なんかも古いままだと対応できないと思うんですよね」
「今後の君の活躍に期待だね。それでは沼河比売お待たせしました。大国主は優しいですか?」
「これは何の会なの?」
「何の会と決まってる訳じゃないですけど、古事記に出演なさった方々から色々とお話しを伺っている会ですかね」
「それで私に何を聞きたいと仰るの?」
「最初に大国主が来られた時、戸を開けませんでしたね」
「それは当然でしょ。寝ていたら突然家の戸がガタガタと鳴るんですよ。普通は何事かと思いますよね。夜盗か、物取りか、はたまたかどわかしか、ただの酔っぱらいか。息を潜めてじっとしていたら、今度は歌が聞こえてくるじゃない。それも私に対する恋の歌だったから、二度ビックリよ」
「どうしてビックリされるのでしょう」
「先程夫から賢くて綺麗なお嬢さんなんて言われましたけれど、私の地元ではその言葉に強くて怖いがつきますの。ですから私に恋の歌を捧げる者も、ましてや夜這いする者などいるはずもありませんから」
「なるほど、強くて怖くて賢くて綺麗なお嬢さんなんですね」
「私自身はそうは思っていませんけれど」
「ではどう思ってらっしゃるのでしょう」
「一言でいって、いい女」
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古事記百景 その一 古事記百景 その二
古事記百景 その三 古事記百景 その四
古事記百景 その五 古事記百景 その六
古事記百景 その七 古事記百景 その八
古事記百景 その九 古事記百景 その十
古事記百景 その十一 古事記百景 その十二
古事記百景 その十三 古事記百景 その十四
古事記百景 その十五 古事記百景 その十六
古事記百景 その十七 古事記百景 その十八
古事記百景 その十九 古事記百景 その二十
古事記百景 その二十一 古事記百景 その二十二
古事記百景 その二十三 古事記百景 その二十四
古事記百景 その二十五
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