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温故知新(28)エーゲ文明 アトランティス アルゴナウタイ ケルト 縄文

 エーゲ海では、青銅器時代に高い文明が発達していて、ミロス島の黒曜石の産出とそれにともなった海上交通の発達がエーゲ文明の基礎になったとされ、黒曜石を採取していた縄文文化と類似しています1)。

 静岡県沼津市にある、約38,000年前の井出丸山遺から出土した黒曜石のなかに、東京都心から南へ約180kmにある神津島産のものがあり、旧石器時代の人が「往復航海」をしたという物的証拠になっています。神津島の黒曜石は静岡・伊豆半島や千葉・房総半島などに運ばれていますが、鹿島神宮と神津島を結ぶラインの近くには蔵王大権現(千葉市緑区)や洲崎神社(千葉県館山市)や安房神社があり、神津島と石川県輪島市門前町大泊にある権現岩(トトロ岩)を結ぶラインの近くには、雲見浅間神社(静岡県賀茂郡松崎町)、三保松原(みほのまつばら)、乗鞍大権現(岐阜県高山市)、白山神社(岐阜県飛騨市)、高爪神社 奥宮(石川県羽咋郡志賀町)などがあります(図1)。

図1 鹿島神宮と神津島を結ぶラインと蔵王大権現(千葉市)、洲崎神社(館山市)、安房神社(館山市)、神津島と権現岩(トトロ岩)を結ぶラインと雲見浅間神社(静岡県松崎町)、三保松原(静岡市)、乗鞍大権現(高山市)、白山神社(飛騨市)、高爪神社 奥宮(石川県志賀町)

 これらのラインにある「権現」は、日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号で、山王神道天台宗)・両部神道真言宗)に基づくものや、自然崇拝山岳信仰)と修験道が融合したもの等があり、元々は自然崇拝(山岳信仰)の聖地だったと考えられます。神津島には、延喜式大社の長浜大明神(阿波命神社)があり2)、『古語拾遺』によると、東国の安房は、四国の阿波忌部が遷ったことに由来するとされるので、神津島は、安房国一之宮 安房神社洲崎神社と関係があると推定されます。また、茨城県にも阿波という地名があるので、鹿島神宮も忌部氏と関係があると推定されます。古代阿波研究会の『邪馬壱国は阿波だった』によると、瀬戸内海の山上遺跡には、火たき場があり、「のろし」や「鏡」による通信連絡手段に使われたと推定されていますが2)、太陽の位置とレイライン上の2地点の「のろし」などの方向から海上での位置を推定したのかもしれません。

 ミロス島は、アレクサンドリアとデルフィ(デルポイ)のアポロン神殿を結ぶラインや、アテネのパルテノン神殿とクレタ島のクノッソス神殿を結ぶライン上にあります(図2)。ミロのヴィーナス(ルーブル美術館所蔵)が発見されたことで有名ですが、他にもギリシア神アスクレーピオス像(大英博物館所蔵)や、現在はアテネにあるポセイドーン像やアルカイックアポローン像などが出土しています。ミロス島は、神津島と同様に古代人の聖地だったと推定されます。

図2 アレクサンドリアとアポロン神殿を結ぶライン、パルテノン神殿とクノッソス神殿を結ぶラインとミロス島

 1900年にギリシャのアンティキティラ島沖で発見された難破船から回収された、食の予測ができる青銅製のアンティキティラ島の機械は、紀元前204年頃に製作されたと推定されていますが、18世紀の時計と比較しても遜色ない程の構造を持っているといわれています。『ギリシャ神話』によるとアポロンとアルテミスが生まれたデロス島とアンティキティラ島を結ぶライン上にミロス島があります(図3)。また、キティラ島とロドス島を結ぶライン上と、イカリア島とクレタ島を結ぶライン上にサントリーニ島があります(図3)。ロドス島の北東にあるロドス港の入口付近には、かつて「ロドス島の巨像」が存在しました。

図3 デロス島とアンティキティラ島を結ぶラインとミロス島、キティラ島とロドス島を結ぶライン、イカリア島とクレタ島を結ぶラインとサントリーニ島

 イカリア島の名前は、ギリシャ神話に登場するイカロスが、付近の海に転落したという逸話から付いたとされています。イカリア島には紀元前750年頃にアナトリア半島西海岸にあったミレトスの出身者が植民を開始したといわれています。ギリシャ七賢人の一人とされるタレスは、ミレトスのフェニキア人の一族の名門の家系から生まれ、特に測量術や天文学に通じ、ヘロドトスによれば日食(紀元前585年5月28日と推定)を予言したといわれています。

 プラトンの記したアトランティス3)についての地中海説では、サントリーニ島の火山噴火による津波によって滅んだとされるミノア王国(ミノア文明)をアトランティスとしています。プラトンがアトランティスを青銅器文明だと述べていることと、ミノア文明が青銅器文明であることが合致し、また、ミノア王国においては牡牛が力の象徴として崇められていたと考えられ、これはアトランティスに牡牛崇拝があったというプラトンの記述と一致するとしています。紀元前2世紀から2世紀の弥生時代に青銅器の銅鐸などが盛んに作られたことや、須佐之男命が牛頭天王と同体とされたことなどは、アトランティスに似ています。

 地球物理学者の竹内均氏は、アトランティスの中心部は、サントリーニ島にあったと推定しています4)。アテネの語源は、ギリシャ語以前に遡るとされますが、古代エジプトのメンフィスとアテネを結ぶラインの近くに、サントリーニ島やアレクサンドリアがあります(図4)。アテネやアレクサンドリアやメンフィスは、アトランティスと関係があったのかもしれません。

図4 メンフィスとアテネを結ぶラインとアレクサンドリア、サントリーニ島

 古代のアレクサンドリアには、巨大なファロス島の大灯台やアレクサンドリア図書館があり、アレクサンドリア図書館長エラトステネスは、地球の大きさを正確に測ったことで知られています。エラトステネスは、アレクサンドリアで教育を受け、また数年の間アテネでも学んだとされます。アレクサンドリア図書館には、地球の地図アンティキティラ島の機械の設計図など、アトランティス時代の文献も残されていたのかもしれません。

 アレクサンドリアとナイル河口の間にあるアブキール湾からはプトレマイオスの女王の彫像が発見され、アブキール湾沖ではカノープスの遺跡も発見されています。カノープスは、りゅうこつ座(竜骨座)α星で、七福神の寿老人あるいは福禄寿の元になった神様とされています。りゅうこつ座は、船の骨組みの形を表した星座ですが、トレミーの48星座にあったギリシャ神話に登場する大帆船アルゴ―号(図5)に由来するアルゴ座があまりに巨大だったため、18世紀に天文学者ラカーユにより、ほ座、とも座、らしんばん座、りゅうこつ座の4つに分割されてできた星座といわれています。

図5 ヨハネス・ヘヴェリウスの星図に描かれたアルゴー船 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ギリシャ神話では、イアーソーンは、コルキスの金羊毛を得るために船大工のアルゴスに50の櫂を持つ巨船を建造させました。女神アテナ(アテーナー)は、ドードーナオーク(楢、樫)からものを言う材木をアルゴー船の船首につけています。アテナは、都市の守護者で、聖なる動物として梟を持ち、知恵を表す蛇や、平和の印としてオリーブをその象徴としていました。アルゴナウタイ(古典ギリシア語)は、アルゴー船で航海をした英雄たちの総称で、ディオニュソスの子の兄弟も含まれていたともいわれ、アルゴナウタイのケフェウス(ケーペウス)は、エティオピア王のケフェウスではなく、アテナ・アレア神殿のあった古代テゲアアレオスの子といわれています。この航海は、トロイア戦争以前の紀元前13世紀ごろに起こったものであるとしています。トロイの遺跡は、ホメロスの詩にヒントを得たハインリッヒ・シュリーマンによって、1870年から3年を費やして掘り当てられましたが、彼が発掘した遺跡は、紀元前2600~2300年ごろのもので、トロイヤ戦争より1000年以上も古い時代のものでした。

 邪馬台国エジプト説の木村鷹太郎氏によると、ペロポネソス半島東部にアルゴリス国のアルゴス府があり、「アルゴス」は「船」の意で、船はギリシア語で「ナウ Naus 」と言い、これが「奴国」の「奴(ぬ)」となったとしています。また、木村氏は、ケフェウス(ケヒウス)は氣比神宮の「氣比の大神」で天文及び地理の神としています。ギリシア軍がトロイアに航海できたのはテーレポスが案内したおかげだとされ、テーレポスは、アレオスの娘アウゲーの子なので、アレオスの子のケフェウスがアルゴー船の航海の案内をしていたのかもしれません。テーレポスはアウゲーとヘラクレス(ヘーラクレース)の子で、『古事記』のヤマトタケルが敵を騙し討ちにする話などは、ギリシャ神話のヘラクレスに類似しているといわれていますが、『古事記』は、小碓命をヘラクレスに例えて、ケフェウスの側に立って書かれているように思われます。

 メンフィスとアルゴスを結ぶライン上には、アレクサンドリアとクレタ島の古代都市ラトがあります(図6)。「ラト」の名前はギリシア神話のアポロンとアルテミスの母である女神レトにちなんで名づけられたと考えられ、クノッソス宮殿のあるクノッソスから発見された線文字Bの粘土板に「 RA-TO」 として言及されている可能性があるとされています。

図6 メンフィスとアルゴスを結ぶラインとアレクサンドリア、ラト

 ラトと瓊瓊杵尊(饒速日命)や丹生都比売命(市杵島姫命 稚日女尊 瀬織津姫命 罔象売神 名草戸畔)の墓があると推定される天王山古墳群を結ぶラインの近くには、日御𥔎神社(鳥取県西伯郡大山町)、那岐山牛頭天王の総本宮である廣峯神社(兵庫県姫路市)があります(図7)。那岐山は、ラト(北緯35度10分)と同緯度にあります。アポロンとアルテミスの父はゼウスで、アポロンとアルテミスは双子ですが、丹生都比売命が女神レトに例えられたか、あるいは、女神レトの生まれ変わりと見なされたとすると、瓊瓊杵尊(饒速日命)がゼウス、海幸彦(長髄彦 名草彦命)がアポロン、山幸彦(大国主命 菟道彦 孝元天皇)がアルテミスに相当します。これは、孝元天皇の陵墓と推定される備前車塚古墳が、アルテミス神殿とつながっていることと整合します。

図7 ラトと天王山古墳群を結ぶラインと日御𥔎神社(鳥取県西伯郡大山町)、那岐山、廣峯神社(兵庫県姫路市)

 車塚古墳は、前方後円墳を貴人が乗る車に見立てたことが語源とされていますが、シュメールやエーゲ文明の線文字Bの「丸に十字」は、ヨーロッパでは、「太陽十字」や「車輪十字」ということから、備前車塚古墳などの車塚古墳の「車」は、「車輪十字」に由来するのではないかと思われます。

 クレタ島のクノッソス宮殿には、イルカのフレスコ画(写真1)がありますが、イルカはアポロン、ポセイドン、ディオニュソスなどの聖獣でした。イルカのフレスコ画の下には、連続渦巻文様があります。同様な文様は、紀元前18世紀前半のマリ王宮の壁画にも見られます(写真2)。マリは南メソポタミアとシリアを結ぶ交易ルートの中間にありました。

写真1 クノッソス宮殿の女王の間のイルカのフレスコ壁画(複製) 
出典:「えんじぇる えんじぇる イルカの波動 ~クノッソス宮殿~」 https://plaza.rakuten.co.jp/angel358moon/diary/201012090000/
写真2 マリ王宮の壁画(模式図) 出典:「起源 古代オリエント文明」青灯社5)

 ギリシャの最高峰であるオリンポス山とアポロン神殿のあるデルフィ(デルポイ)を結ぶラインの延長線上には、アルゴスとテゲアの中間にあるミケーネ文明の中心地だったアルゴリスがあります(図8)。台与(壱与)が例えられたと推定されるアルゴスの王女イオは、エジプトでは、女神イシスと同一視されました。

図8 オリンポス山とアルゴリス(赤印)を結ぶラインとデルフィ、アルゴス、テゲア

 エルサレムとアルゴリスを結ぶラインは、サントリーニ島を通り、アテネとプトレマイオス女王の彫像が発見されたアブキール湾を結ぶラインもサントリーニ島を通ります(図9)。これは、サントリーニ島がエーゲ文明の重要な場所であったことを示していると思われます。

図9 エルサレムとアルゴリスを結ぶライン、アテネとアブキール湾を結ぶラインとサントリーニ島

 「ケルト人」とは、紀元前600年頃に古代ギリシア人が、西方ヨーロッパにいる異民族を「ケルトイ」と呼んだことに由来する名称で、人種を表すことばではありません6)。ケルト文化は紀元前1500年頃(後期青銅器時代)に誕生し、紀元前400年頃(初期鉄器時代)には、ウクライナ、ポーランドの一部からほぼヨーロッパ全域に広がったようです。フランスのモン・サン・ミシェルとエルサレムを結ぶライン上にオリンポス山があります(図10)。モン・サン・ミシェルは、もとはケルト人が信仰する聖地だったので、太陽十字(丸に十字)とオリンポス山がつながります。守矢家の家紋が「丸に十字」で、諏訪大社がオリンポス山と結ばれていることと関係があると思われます。ケルトの文様では、円と組み合わせることで永遠という概念が追加されるようなので、「丸に剣片喰」のような家紋の「丸」にも同様な意味があるのかもしれません。

図10 モン・サン・ミシェルとエルサレムを結ぶラインとオリンポス山

 エルサレムにあるイスラエル博物館には、サマリア人のシナゴーグ装飾モザイクが展示されていますが、S字状や逆S字状の連続渦巻文が見られます(写真3)。狛犬のような彫刻も展示されています。サマリア人とは、主にイスラエル人とアッシリアからサマリアに来た移民との間に生まれた人々とその子孫をいうようで、ウルクの初代王と見られているニムロドと関係があったかもしれません。

写真3 サマリア人のシナゴーグ装飾モザイク イスラエル博物館 出典:「イスラエル旅行記」 https://tabikichi.hatenadiary.com/entry/Israel14

 デルフィとケルト文化が残るイギリス南西部のコーンウォールのすぐ沖合にあるセント・マイケルズ・マウントを結ぶライン上のちょうど中心にイタリアのミラノがあります(図11)。ミラノの旗は、白地に赤の十字で、ミラノは古代にはメディオラヌムと称され、紀元前600年のケルト人の町を元にしています。ミラノに近いスイスの国旗は、赤地に白の十字です。

図11 デルフィとセント・マイケルズ・マウントを結ぶラインとミラノ

 図9と図10のラインは、フランス、ブルゴーニュのポリニー付近で交差しますが(図12)、ポリニーには、ローマ征服前は、ケルト人のガリア系のセカネス族が暮らしていました。「ガリア」は、ガリア人が居住した地域の古代ローマ人による呼称で、現在のフランス・ベルギー・スイスおよびオランダとドイツの一部などにわたりますが、元来の「ガリア」はイタリア半島北部でした。ブルゴーニュのビブラクト(図12)には、ガリア系のハエドゥイ族が紀元前2~1世紀に暮らした遺跡があります。

図12 オリンポス山とモン・サン・ミシェルを結ぶライン、セント・マイケルズ・マウントとデルポイ(デルフィ)を結ぶラインとポリニー、ビブラクト

 フランスのブルターニュ地方(モン・サン・ミシェルの西172km)に、紀元前4500年に創建された、現在知られるヨーロッパ最古の巨石建造物であるバルヌネの石塚があります(写真4)。オリンポス山とバルヌネの石塚を結ぶライン上に、ミラノやビブラクトがあります(図13)。

写真4 バルヌネの石塚 出典:「ブルターニュ紀行」https://blog.goo.ne.jp/potatohouse/e/0f1e391b28461e435bb65588b1615e0a
図13 オリンポス山とバルヌネの石塚を結ぶラインとミラノ、ビブラクト

 モン・サン・ミシェルはもともとモン・トンブと呼ばれ、先住民のケルト人が信仰する聖地であったとされています。モン・サン・ミシェルと12-13世紀までケルト修道士の修行の場だったスケリッグ・マイケル島(スケリグ・ヴィヒール)6)を結ぶラインの近くに聖ミカエルの山(セント・マイケルズ・マウント)があります(図14)。このラインは、夏至の日没方向の線上にあり、アイルランドから始まるアポロ・アテナ・ラインとして知られ、スケリッグ・マイケル島は、世界遺産に登録されていますが、「スターウォーズ・最後のジェダイ」のロケ地としても知られています。

図14 モン・サン・ミシェルとスケリッグ・マイケル島を結ぶラインと聖ミカエルの山

 モン・サン・ミシェル湾と天橋立で知られる宮津湾は姉妹湾の提携を結んでいますが、モン・サン・ミシェルと丹生川上神社上社を結ぶラインは、元伊勢籠神社近くの天橋立を通ります(図15、16)。このラインの近くには、白髭神社富雄丸山古墳があります(図15)。

図15 モン・サン・ミシェルと丹生川上神社上社を結ぶラインと元伊勢籠神社、白髭神社、富雄丸山古墳
図16 モン・サン・ミシェルと丹生川上神社上社を結ぶラインと元伊勢籠神社、天橋立

 ストーンヘンジは、石器人が、夏至の日に地平線から昇る太陽の位置を確認し、暦を運用するために作られたというのが主流ですが、もしかすると、緯度、経度の測定にも使用されていたのかもしれません。ケルト人社会は、知識層のドルイド、騎士、民衆の三層の階級に分かれ、ドルイドは、祭司であり、裁判長、教師、医者、自然学者、天文学者でもあったようで(出典:ケルブロ)、石器時代からのDNAを受け継いでいたのかもしれません。

 ケルトに由来するともいわれるアーサー王物語に登場する人物には、「オークニーのロット王」がいます。中世フランスを中心に発達した騎士道は、吟遊詩人などによりヨーロッパ中に広まり、特にイギリスでは騎士道から、紳士道に発展しました。ヨーロッパの騎士道は、日本の武士道と多くの共通点があるといわれています。

 オークニー諸島の新石器時代遺跡中心地であるスカラ・ブレイとオリンポス山を結ぶラインの延長線上には、エチオピアの最高峰ラス・ダシャン山があり、スカラ・ブレイとラス・ダシャン山を結ぶラインは、アインホルンヘーレ、オリンポス山、サントリーニ島、アスワンの近くを通ります(図17)。スカラ・ブレイの近くには、このラインに沿ってリング・オブ・ブロッガーやストーンズ・オブ・ステネスの列石があります(図18)。ドイツ中部アインホルンヘーレの洞窟付近で見つかった、5万1000年前の積み重なった山形紋の模様を刻み込んだシカの骨は、ネアンデルタール人が作ったものとされていますが、ホモ・サピエンスが作ったものと思われます。山形紋に似た「三つ鱗」は、古代から世界各地に見られ、日本では古墳の壁画などでもみることができますが、魔除けの力があると信じられたようです。三輪明神 大神神社(おおみわじんじゃ)の三輪の神を祖神とする大神氏は、「三本杉」を家紋としていますが、「三つ鱗」は「三本杉」が変形したものと考えられています。

図17 スカラ・ブレイとラス・ダシャン山を結ぶラインとアインホルンヘーレ、オリンポス山、サントリーニ島、アスワン
図18 スカラ・ブレイとラス・ダシャン山を結ぶラインと、リング・オブ・ブロッガー、ストーンズ・オブ・ステネス

 ラス・ダシャン山とアスワンを結ぶラインの近くには、聖ミカエル教会(St.Michael Church)があり、ラス・ダシャン山の周辺には、シバの女王の神殿跡といわれるアクスムの遺跡や、ゴンダールラリベラの岩窟教会群などがあります(図19)。

図19 ラス・ダシャン山とアスワンを結ぶラインと聖ミカエル教会(St.Michael Church)、アクスム、ゴンダール、ラリベラの岩窟教会群など

 図9のエルサレムとアルゴリスを結ぶ延長線上には、マグダラのマリアに関するノンフィクション『レンヌ=ル=シャトーの謎』や、ダン・ブラウンの推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』にも登場するレンヌ・ル・シャトーがあります(図20)。レンヌ・ル・シャトーの近くには、テンプル騎士団の要塞があり、レンヌ・ル・シャトー教会を中心として、周囲の教会や城と直線が引かれることが知られています7)。ソニエール神父が秘密の財宝を発見した石柱?の十字架には「渦巻文様」が見られます。レンヌ・ル・シャトーとエルサレムとを結ぶラインの近くには、コルシカ島の青銅器時代(紀元前3千年紀の終わり頃)からの遺跡(アロビスジェ(Alo Bisujè)の遺跡)や羊の洞窟(羊の頭の形をした大きな鍾乳石 Grotta della Pecora)やサントリーニ島にある紀元前9世紀から8世紀ごろまで栄えた古代ティラ遺跡があります(図20)。

図20 レンヌ・ル・シャトーとエルサレムとを結ぶラインとアロビスジェの遺跡(コルシカ島)、羊の洞窟(Grotta della Pecora イタリア)、アルゴリス、古代ティラ遺跡(サントリーニ島)

 スコットランドのキルウィニングには、テンプル騎士団をルーツとするフリーメーソン団の世界最古のロッジ(MOTHER LODGE)があり、裏手には元のロッジだったキルウィニング修道院があります。キルウィニングとアレクサンドリアを結ぶライン(図21)は、図20のラインと同様に、サントリーニ島のティラ遺跡の近くを通るので、テンプル騎士団の聖女信仰は、エーゲ文明の女神信仰と関係があり、もしかするとアトランティスとも関係があるかもしれません。

図21 キルウィニングとアレクサンドリアを結ぶラインとロッテルダム、マインツ、アウクスブルク、ブラウロン(Brauron)の遺跡、古代ティラ遺跡(サントリーニ島)

 図21のラインの近くには、紀元前8世紀にさかのぼる女神アルテミスに捧げられた古代の聖域(ブラウロン(Brauron)の遺跡)があります。また、オランダの世界屈指の港湾都市のロッテルダム、元来はケルト人の居住した河川交通の要衝の地であるドイツのマインツ、ドイツで最も古い都市の一つに数えられるアウクスブルクがあります(図21)。アウクスブルクでは、2001年から定期的にユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教の信者が会する「宗教円卓会議」が開催されているようです。

 エラトステネスが、アレクサンドリア図書館にある情報を元に改良した世界地図の基準になった経線(ロドス、アレクサンドリア、シエネ(アスワン)を結ぶライン)を北に延長すると、エフェソス遺跡、トロイの考古遺跡の近くを通り、オスロのすぐ北に位置するマリダレン渓谷にある聖マーガレット教会(Margaretakirken)の遺跡に達します(図22)。1250年頃に建てられた聖マーガレット教会は、聖マルガリタ(マーガレット)に捧げられた小さな教会で、一部の学者たちはマルガリタの伝説はアフロディーテの物語に由来しながら、形を変えてキリスト教に取り込まれたものと考えているようです。中世の聖歌『アヴェ・マリス・ステラ』の「マリス・ステラ(Maris stella)」は「海の星」の意味で、聖母マリアがオリエントの豊穣の女神、すなわちイシュタルやアスタルトの系譜にあり、ギリシャのアフロディーテや、ローマ神話のウェヌスの後継であることを示しているとされています(https://ja.wikipedia.org/wiki/アプロディーテー)。また、聖マーガレット教会(Margaretakirken)の遺跡とアスワンを結ぶラインの近くには、ポーランドにある紀元前13世紀に建てられた王宮の遺跡(The Royal Castle ruins)があります(図22)。

図22 聖マーガレット教会の遺跡とアスワンを結ぶラインと王宮の遺跡(The Royal Castle ruins)、トロイの考古遺跡、エフェソス遺跡、ロドス島、アレクサンドリア

 ケルト系民族の80%以上がY染色体ハプログループR1bで、系統樹からオリエント発祥と考えられています。イギリスの「ケルト」と日本の「縄文」は、形やデザインが驚くほど似た遺跡があることが知られています8)。アイルランドのミーズ地方ベティーズ・タウン出土の8世紀初頭の「タラ・ブローチ」(写真5)には「渦巻文様」があり、この「渦巻文様」は紀元前300年頃の古代ブリテン諸島のケルト時代から引き継がれたものですが6)、巴紋燕国の青銅製礼器の「渦巻文様」にも似ています。

写真5 「タラ・ブローチ」(部分) ダブリン アイルランド国立博物館蔵
出典:『図説 ケルトの歴史』河出書房新社6)

  古代ケルトより受け継がれたデザインの「トリケトラ」は、日本の家紋の「結三柏(むすびみつがしわ)」と同じです(出典:ケルブロ)。大神神社卯槌守(うづちまもり)(写真6)や、日本の伝統工芸の「水引」などもケルトの組紐文様(結び目文様)(写真7)に似ています。卯槌守の「卯」は兎で大国主命、「槌」は建葉槌命(豊玉姫命)を表していると思われます。「ケルズの書」の文様には人の顔が描かれたものもあり、楯築弥生墳丘墓の「弧帯文石」の文様とも共通性を感じます。これらは「再生」に関する文様と推定され、「オシリス」とも関係があると思われます。

写真6 大神神社の卯槌守
写真7 「ダロウの書」結び目文様 680年頃 ダブリン大学トリニティ・カレッジ図書館蔵 
出典:『図説 ケルトの歴史』河出書房新社6)

 「水引」には、長野県飯田市の飯田水引、石川県金沢市の加賀水引などがありますが、飯田市には、大宮諏訪神社(図23)をはじめ建御名方命を祀る諏訪神社が多くあります。飯田水引組合は、菊理姫命(くくりひめ)を祀る飯田市内権現山白山社と関係があるようです。アテネのパルテノン神殿と「羽衣の松」の天女伝説で知られる三保松原を結ぶラインは、金沢市に近い白山本宮・加賀一ノ宮白山比咩神社や大宮諏訪神社の近くを通ります(図23)。ギリシャ神話では、アテナとアフロディーテは別の女神とされていますが、いずれもオリエントの豊穣の女神であるイシュタルやアスタルトの系譜にある女神と思われます。

図23 パルテノン神殿と三保松原を結ぶラインと白山比咩神社、大宮諏訪神社

 平安時代から中世にかけて手取川扇状地には多くの荘園を有した「水引神人」と称する土豪がいたようです。「神人」とは、古代から中世の神社において、社家に仕えて神事、社務の補助や雑役に当たった下級神職・寄人をいいます。新潟総鎮守白山神社では、「結び文」を水引で蝶結びにして奉納するようで、「水引」は、菊理姫命(玉依姫)と関係がありそうです。「イシス女神の結び目」である「アンク」とも関係があると思われます。

 図21のラインに対して、天香山命(高倉下命)を祀る彌彦神社天王山古墳群はほぼ対称な位置にあり、大宮諏訪神社と彌彦神社を結ぶラインの近くに諏訪大社下社春宮があり、天王山古墳群を結ぶラインの近くに摩耶山があります(図24)。また、白山比咩神社と天王山古墳群を結ぶラインの近くに大虫神社があります(図24)。パルテノン神殿に祀られているアテナは、弓術に長けた女神なので、このラインは、弓矢を表しているのかもしれません。

図24 図23のラインと、大宮諏訪神社、彌彦神社、白山比咩神社、天王山古墳群を結ぶライン

 ケルト民族の歴史と文化に関する著書で知られる英文学者の木村正俊氏は、「森と話す、自然と話す、木を信仰するというDNAに、縄文文化との共通点」を感じています。ケルト人は、樹木の中でもオークを格段に崇め、また、鹿や牛など角の生えた動物をことに崇拝し、牛はガリアではケルトの木の神エススと関連付けられました9)。鳥も信仰の対象で、水鳥は太陽信仰と結び付けられ、烏は重要な宗教的な意味をもっていました。天津神の須佐之男命が、鴨や烏に例えられたことと関係がありそうです。また、白鳥は、清純、美、幸運の象徴として崇められ、人間の霊魂が肉体を離れる時は鳥になると信じられていましたが9)、ヤマトタケルの魂が白鳥になって飛んで行ったことと似ています。

 三種の神器は、日本では「剣、鏡、玉」で、シュメールでは「剣、鏡、首飾り」ですが、ケルト神話では「石、剣・槍、釜」が相当するようです(LuckyOcean 木崎洋技術士事務所)。ケルトの神々と推定される像やグリフィンが描かれているグンデストルップの大釜が知られています。クレタ島のイラクリオン考古学博物館にも大釜が展示されていますが(写真8)、紀元前7世紀頃に洞穴聖所に奉納されたもののようです10)。

写真8 クレタ島のイラクリオン考古学博物館に展示されている釜 
出典:http://yuuhis.travel.coocan.jp/queenelizabeth.hp/queen9cretemuseum.htm

 松江市の神魂神社には、神釜が祀られています。また、出雲には、韓竈神社や出雲大社末社・釜社があり、また、吉備津神社には鳴釜神事があります。塩土老翁神(しおつちのおじ)を祀る神社の総本宮である鹽竈神社(しおがまじんじゃ 宮城県塩竈市)の社伝では、塩土老翁は人々に漁業や製塩法を教えたといわれます。鹽竈神社の境外末社の御釜神社(おかまじんじゃ)には、竈が境内に安置され「藻塩焼神事」が行われています。海辺に現れた神が知恵を授けるという説話には、ギリシア神話などに登場する「海の老人」との類似が見られるようです。

 オリンポス山と栃木県矢板市の塩釜神社を結ぶラインの近くに彌彦神社があり、このラインに対して、長野県松本市の鹽竈神社と宮城県塩竈市の鹽竈神社は、ほぼ対称の位置にあります(図25)。

図25 オリンポス山と塩釜神社(栃木県矢板市)を結ぶラインと彌彦神社、塩釜神社(栃木県矢板市)と鹽竈神社(長野県松本市)、鹽竈神社(宮城県塩竈市)を結ぶライン

 鉄製の釜で鹹水(かんすい 濃い塩水)を煮詰めて塩を得る方法は、7世紀頃から瀬戸内海地方に現れたようです11)。ケルトの釜も、製塩に使用されたのではないかと思われます。塩土老翁と同神とされる志波彦神は、牛頭天王社(現・八坂神社)に合祀されていたことからも須佐之男命だったと思われます。塩土老翁は、白髭神社に祀られることもあり、南極老人星(カノープス)と関係があると推定されます。伝承によると、塩土老翁神は、山幸彦(大国主命、孝元天皇)と関係が深いことからも須佐之男命(孝霊天皇)と推定されます。江戸時代には塩土老翁神は猿田彦神と同神とされたことがあるようですが、鹽竈神社末社の鼻節神社(宮城県七ヶ浜町)の祭神が猿田彦神であることや、神田明神末社の籠祖神社(現・合祀殿)では猿田彦大神と鹽土翁神が共に祀られていることなどから、塩土老翁神は猿田彦神と関係の深い神であるとされています。

 ガルムは、古代ローマで主として用いられた調味料の魚醤ですが、発祥は古代ギリシアで、ガリアのリグリア海沿岸地方など、古代ギリシアのエンポリウムが繁栄した一因としてガルムの生産と輸出があったようです。また、ローマがそれらの地方に進出したのもガルム生産地を獲得するというのが目的のひとつだったともいわれています。ギリシャのフルニ島の周辺海域で多数の沈没船が発見され、積荷のアンフォラ(陶器の壺)を調査したところ、
オリーブオイル、ワイン、魚醤の3つが主要な交易品だったことが分かっています(ナショジオ日本版ニュース)。
 
 アジア地域で魚醤の製造が伝統的に確認されているのは、日本、中国、東南アジアのベトナム・タイ・フィリピンなどで、発生起源は不明ですが、ガルムに由来するのではないかともいわれています(岩瀬 喬 ガルムとボッタルガ 日本と地中海の系譜関係を探 る)。日本の醤油のルーツは、古代中国に伝わる「醤(じゃん)」であるといわれ、大宝律令(701年)によると、宮内省の大膳職に属する「醤院(ひしおつかさ)」で大豆を原料とする醤が造られていたとされています11)。日本のしょうゆは江戸時代からヨーロッパにも輸出され珍重されました。みそやしょうゆには、メラノイジンなどの活性酸素の消去作用が強い成分が含まれています。イカリア島は、世界的に長寿で有名な島として知られ、「地中海食」は「和食」と共通して、魚を主菜として野菜や穀類、豆類が多く、赤ワインや緑茶などの含まれるポリフェノールや青魚やオリーブオイルなどに含まれる脂質などは認知症のリスク低減にも効果があるようです。

 ギリシア人の植民市のミレトス(図26)が建設される以前の後期青銅器時代(紀元前1600年から紀元前1065年頃)には、この付近にミノア人やミケーネ(ミュケナイ)系ギリシャ人が居住していた痕跡があるようです。アルテミスは、古代から特にギリシャとクレタ島と北西アナトリアで熱心に信仰され、古代都市エフェソス(図26)を中心として信仰された女神ですが、ギリシャ起源ではなく、アナトリアで信仰されていた大地の母なる地母神「キュベレー」が起源と言われています。エフェソスでは、アルテミスは下半身が魚(=知恵の神)だったようで、オアンネスやダゴン神と似ています。「知恵」があることから、やはり魚ではなく哺乳類のイルカだったと思われます。エフェソスからは、青銅器時代のミケーネ文明に属する陶器が発掘されています。「キュベレー」は、ローマ神話では マグナ・マーテル(Magna Mater 、「大いなる母」)に対応するようです。マグダラのマリアは晩年にイエスの母マリア、使徒ヨハネとともにエフェソスに暮らしてそこで没したとされています。エギナ島のアフェアス神殿は、アテネのパルテノン神殿とスニオン岬のポセイドン神殿等辺三角形を形成していますが、アフェアス神殿とミレトスを結ぶラインとエフェソスとデロス島を結ぶラインの交点にイカリア島があります(図26)。

図26 アフェアス神殿とミレトスを結ぶラインとイカリア島、エフェソスとデロス島を結ぶラインとイカリア島、エフェソス遺跡、アルテミス神殿

 紀元前12世紀頃、オリンポス山の南西部のテッサリア地方からアナトリア半島に移住したとみられるフリュギア人(図27)は、女神キュベレーを「山の母」(大地母神)として信仰し、キュベレーの息子のアッティスも「死と再生の神」として信仰されました。キュベレーは、クレタ島他のエーゲ海の島々やギリシア本土にまで拡がり、アテネでは特に歓迎され、アレクサンドリアでは「諸母の母」として崇拝されました。この女神は家父長的なスキタイ人には歓迎されなかったようです。

図27 フリュギア人の衣装 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 テッサリア地方は四方を山に囲まれ、明確な夏と冬のシーズンがあり、雨が多く土壌は肥沃で「ギリシャの穀倉地帯」といわれ、「やまとのくに」に似ています。テッサリア地方南西部から発見された新石器時代末期の彩文土器の文様には、幾何学文や渦巻文が多く見られ、南東部にあるディミニ遺跡(紀元前4000年頃)からも多数発見されています。ディミニ遺跡からは近年ミケーネ文明の宮殿が発掘され、この遺跡は周壁で防備されていて、原生国家の段階にあったと推定されています。ギリシア神話におけるアルゴー船の出航地として知られる古代イオルコスは、ディミニ遺跡の近くにあったと推定されています。

  オリンポス山とクレタ島のラト遺跡を結ぶラインの近くにディミニ遺跡やブラウロン遺跡があります(図28)。ディミニ(現在のヴォロス)は、北緯39度22分にあり、奥州藤原氏が栄えた平泉(北緯39度)や北上市(北緯39度17分)と同程度の緯度にあります。岩木山(北緯40度39分)と岩手山(北緯39度51分)の中間に、大湯環状列石(北緯40度16分)がありますが(図29
)、オリンポス山(北緯40度05分)に近い緯度にあります。この遺跡からは、縄文後期前葉から中葉に作られた花弁状の文様や、S字を横に連続して施文した「大湯式土器」が出土しています。

図28 オリンポス山とラト(Lato)遺跡を結ぶラインとディミニ、ブラウロン(Brauron)の遺跡
図29 大湯環状列石(鹿角市十和田)、三内丸山古墳、岩木山、岩手山、平泉

 フリュギア人の衣装や武具には隼人の楯に見られる逆S字状の渦巻文(鈎形)が見られます(図27)。似たような文様は、卑弥呼が魏からもらったともされる三角縁神獣鏡(写真9)や、熊山遺跡出土の鼎や、茨城県ひたちなか市にある7世紀初め頃の虎塚古墳の彩色壁画などにも見られます。フリュギアはトロイア戦争でトロイアに援軍を送っていることからも、ミケーネ系と思われます。

写真9 三角縁仏獣鏡(奈良県広陵町新山古墳出土) 出典:永井俊哉ドットコムhttps://www.nagaitoshiya.com/ja/1999/himiko-mirror/

 ミノア人とミケーネ人は西アナトリア人やエーゲ海地域の人々を共通祖先としていて遺伝的に非常に類似していますが、ミケーネ人はさらに青銅器時代のユーラシアのステップ地域の居住民と類縁関係がある祖先を持つという違いがあることが報告されています(2017年8月10日 Nature 548, 7666)。キンメリア人の遺物には渦巻文様が見られるので、ミケーネ人と類縁関係があるのは、先スキタイ時代の遊牧騎馬民族のキンメリア人ではないかと思われます。紀元前8世紀にアナトリアに国家を建てたフリュギア人は、紀元前7世紀末頃にキンメリア人の支配に屈したとされるので、キンメリア人と血縁関係があったミケーネ人は、フリュギア人ではないかと思われます。キンメリア人によるヘラクレスと関係があるリュディアの征服はヘロドトスの記録にも記述があり、これはスキタイによってキンメリア人が元の土地を追われたためとされています。リュディアのクロイソス王はアテネに対抗したドーリア系のスパルタと同盟を結んでいます。最初のアルテミス神殿は紀元前700年頃に建てられ、紀元前650年頃にキンメリア人によって破壊された後、紀元前550年頃にリュディアのクロイソス王によって再建されたとされていますが、考古学の調査によればこの神殿は紀元前7世紀には洪水によって崩壊したようです。

 ロバート・E・ハワードにより著されたヒロイック・ファンタジーの「英雄コナン」シリーズの主人公コナンは、キンメリア人でありアトランティス人の末裔で、彼の名前は、ゲール語で「賢明」に由来する人名ですが、これはキンメリア人がケルト人の祖先として設定されているためだそうです。

 ギリシャ国旗の特徴である青地に白十字のデザインは、ギリシャ正教への信仰を意味しています。イカリア島の旗も青地に白十字ですが、ケルトも十字を用いるので、エーゲ文明と関係があると思われます。片部遺跡や柳町遺跡から見つかった「墨書土器」の「田」の字形や、行燈山古墳から出土した銅板の「田」の字形の文様なども、もしかすると、エーゲ文明と関係があるかもしれません。出雲大社では、九本の巨柱が「田」の字に並んでいますが、上田氏は、島根県の弥生時代後期の妻木晩田遺跡や、弥生時代前期末から中期の田和山遺跡にも、大社造と同様な九本の掘立柱が「田」の字型に並んで存在することを記しています12)。

文献
1)森 浩一 2011 「古代史おさらい帖」 ちくま学芸文庫
2)古代阿波研究会(編) 1976 「邪馬壱国は阿波だった」 新人物往来社
3)岸見一郎(訳) 2015 「プラトン ティマイオス クリティアス」 白澤社
4)竹内 均 2015 「アトランティスの発見」 GOMA BOOKS新書
5)ウィリアム・W・ハロー 岡田明子(訳) 2015 「起源 古代オリエント文明:西欧近代生活の背景」 青灯社
6)鶴岡真弓、松村一男 1999 「図説 ケルトの歴史」 河出書房新社
7)コリン・ウィルソン、ランド・フレマス 松田和也(訳) 2002 「アトランティス・ブループリント」 学習研究社
8)松木武彦 2017 「縄文とケルト」 ちくま新書
9)木村正俊 2012 「ケルト人の歴史と文化」 原書房
10)古山夕城 2017 「聖所・神域・神殿におけるクレタ古法の現象化とポリス形成のコスモロジ-」 明治大学人文科学研究所紀要 第81冊1-53
11)小泉武夫 2016 「醤油・味噌・酢はすごい」 中公新書
12)上田正昭 2012 「私の日本古代史(上)」 新潮選書